第14話 饅頭の代金

「ふぁあ……」


 盛大な欠伸をして、ユズハは布団から出る。部屋に入ってくる陽光を全身で感じながら、彼女は背伸びをした。

 全然寝足りなくても自警団の仕事がある彼女は、もう一度寝るという愚かな行動をせずに寝巻を脱ぎ捨て、自警団の制服を取り出す。


「んっ……」


 制服を着る前に、彼女は毎日、胸にさらしを巻いている。少しでも戦闘で動きやすくするためだ。何が命取りになるか分からないため、彼女は万全の準備をする。


「……これでよし」


 さらしを巻き終わった彼女は自警団の服を着て、愛刀を持ち、本部へと向かう。彼女は自警団の寮に住んでいるため、本部は目と鼻の先だ。彼女は早い時間で誰もいない本部に着くと、今日から自分に与えられた部屋に向かう。

 その部屋に入ると、大きな机が一つあり、その上には書類が何枚か置かれていた。彼女は愛刀を置き、椅子に座って書類を読む。記入しないといけない部分を見つけ、机の引き出しを開ける。

 引き出しの中には、リアムから貰った万年筆があり、ユズハはリアムのことを思い出して暗い顔になるが、すぐにそれを手に取った。

 しばらく彼女は作業をする。全ての書類に記入し終わったところで、彼女の扉がノックされた。


「どうぞ」

「失礼します。ユズハさん、団長がお呼びです」

「すぐに行きます」


 ユズハは、記入した書類の内、ベルナルドに提出する書類を抱え、愛刀を忘れずに腰にぶら下げて団長室へと向かった。


「失礼します」


 ノックして返事をもらい、団長室に入れば、ベルナルドが山積みとなっている書類を処理しているところだった。


「これ、記入し終わったので、ついでに持ってきました」

「うむ、ご苦労」


 ベルナルドはユズハから書類を受け取ると、それを山積みの書類の一番上に置き、作業していた手を止めた。


「それで、どうだ? 副団長になった気分は?」


 ベルナルドがユズハの襟元を見る。先週まで何も無かったそこには、副団長であることを示す紋章のバッチが輝いていた。


「やっぱりおかしいと思います。この私が、副団長なんて……」


 予想通りのユズハの反応に、ベルナルドは少し笑みを浮かべる。


「仕方のないことだ。義賊によって、前副団長が人攫いに情報を流していた裏切り者だったことが明らかになったんだからな。奴のせいで、我々の襲撃も人攫い達に知られていた。奴には、厳重な処罰を下す予定だ」


 氷結の義賊がばら撒いた文書。そこには、自警団の副団長が人攫いに情報をを流す代わりに、多大な金をもらうという契約が書かれていた。その文書には、副団長の直筆と母音があったため、偽物である可能性は低い。

 ベルナルドは副団長を逮捕したが、その席を空席のままにしておくわけにはいかず、次の副団長を決めなければいけなかった。


「代々、副団長は実力制だ。どれだけ経験があろうと、どれだけ立派な思想があろうと、結局、実力が無ければ意味がない。つまりだな、この前の自警団内の大会で優勝したお前が、副団長に一番ふさわしいということだ」


 昔から面倒を見ていたからという理由で、ユズハを副団長にしたわけではない。きちんとした理由をもって、ベルナルドは彼女を副団長にしたのだった。

 ベルナルドとしては、ユズハが副団長になって嬉しく思ったが、彼女はどうやら違うようで、不満な雰囲気を出している。


「おかしいですよ、あの大会! 優勝した後に、優勝景品が副団長の座と知らせるなんて! 皆から凄い殺気を向けられたんですからね! なんなら、さっきすれ違った先輩達にも凄い目で睨まれました!」

「教えたら、お前は大会に出なかっただろ」

「当然です、誰が好きで周りからヘイトを買うんですか! 知らされてなかったの、私だけでしたよね!? どおりで、新人は私しか出てなくて、他の人たちは古参っぽい人しかいなかったわけです!!」

「それは偶然だ」

「偶然なわけないですっ! というか、私のような新人が副団長になったら、絶対に団長が文句を言われますよ」

「大丈夫だ。お前の場合は前例がある。不満は持てど、誰も文句は言わないはずだ」

「前例ってなんですか?」

「知らないのか? 俺だよ」

「え?」

「俺も新人の時に大会に優勝して、副団長になったからな。前例のない俺は、聞き飽きるぐらい文句を言われた」


 これほどの若さで、自警団の団長になっている男だ。新人の時から副団長になっていてもおかしくない。文句を言われたのも本当なのだろう。今ではそれがなんでも無かったかのようにベルナルドは発言するが、当時はとても辛かったはずだ。それをユズハは簡単に想像できた。


「何にせよ、今日からお前が副団長だ。自警団のために働け。愚かな前任者のようにはなるなよ?」

「分かってます……」

「早速だが、新たな副団長に指示を出す」


 真剣な眼差しで言い切ったベルナルドを見て、ユズハも気を引き締めて彼の言葉を聞く。

 副団長になってから初めての仕事で、ユズハは少し緊張する。そんな彼女は、ベルナルドにこう告げられた。


「明後日まで自警団の仕事を、一切するな」

「…………はい?」


 すぐにベルナルドの言うことが理解できなかったユズハは、目をぱちりとさせ、間抜けな声を出してしまう。


「……今、仕事するなって言いました?」

「ああ、言った」

「いやいや、え、熱でもあるんですか?」

「喧嘩を売っているのか?」


 混乱するユズハはしれっと失礼なことをベルナルドに言ったが、混乱し過ぎて自覚していない。ベルナルドは大きく息を吐き、自らの発言の理由を述べる。


「今のお前に必要なのは休息だ。最近のお前は、全く休まずに仕事をしているからな。特に義賊の件に関しては、ほぼ毎日夜遅くまで町の見回りをしているだろう? これからは副団長の仕事もしなければならない。いずれ身体を壊す羽目になるぞ」

「……」


 ユズハとしては複雑な心情だ。別に、熱心に仕事をしているわけではない。義賊を追っているのは、義賊の正体が彼であるからというだけで。

 ユズハは誰にも義賊の正体のことを話していない。目の前のベルナルドにさえ。話してしまえば、取り返しのつかないことになりそうな気がしたから。


「とにかく、お前は休め。これは命令だ」

「……分かり、ました」


 渋々といった感じでユズハは返事をする。


「用件は以上だ。下がっていいぞ」


 ベルナルドにそう言われ、ユズハは失礼しますと頭を上げて、団長室から出ていく。

 一人になったベルナルドは山積みの書類に手をつける前に、一日中デスクワークをして凝り固まった身体を解す。そして、ぼそりと呟いた。


「まさか、ユズハが優勝して副団長になるとはな……騙して参加させて良かった」

「やっぱりそう思っていたんですね!」

「お前は早く行けっ!」


 まだ扉の向こうにいたユズハに、ベルナルドは叫ぶのだった。


















 突然、休暇を与えられても何をすればいいのか。

 しかし、ユズハはそう悩んだのは一瞬で、彼女には、やるべきことがあった。せっかくの休暇だが、それでもやらないといけない。少なくとも彼女にとって。

 彼女は制服を着たまま、本部を出る。

 ある目的地に向かっている彼女は、周りから見れば、ただ見回りをしているように見えるだろう。実際に、彼女は見回りで通る道を歩いている。そして、目的地に着くと、彼女はバレないように隠れながら、ある場所を見た。

 そこにいたのはーー


「どうぞ」

「ほう、意外に形は綺麗じゃの。もっと酷い饅頭が出てくるかと思ったぞ」

「昔、店の手伝いしてたので、全くの素人ってわけじゃないんです」


 饅頭屋で、老人の客の相手をしているリアムだった。


「……」


 ユズハは黙って、その様子を見る。

 義賊の正体が彼と分かってから、昼に一度も彼とは会っていない。夜に彼が仮面を被っている時は別だが。

 ユズハが自警団の誰にも義賊の正体を話していないのは、彼が義賊という馬鹿な行動をやめ、自警団に戻ってくる可能性を潰したくなかったからだ。

 でも、もう彼は自警団に戻ってこないだろう。何度もあれから仮面の彼と対峙して、彼にその気は一切ないことが嫌でも分かった。ならば、もう逮捕するしかない。

 せめて、彼を止めるのは自分でありたい。ユズハは覚悟を決め、老人と話しているリアムを逮捕するために近づく。


「味は見た目ほどではないな」

「やっぱり、リリィのようにはうまくいかないかぁ」


 思わず、ユズハは足を止めてしまった。リリィの名を聞き、彼女との思い出が脳裏によぎったから。


『ユズハさん!』


 今歩いている、この道で饅頭屋に向かっていたら、笑顔で迎えてくれたリリィ。

 饅頭を片手に、彼女といろんなことを話し合って。家族を失ったユズハにとって、リリィは妹のような存在だった。

 そして、今でも鮮明に思い出されるのはーー


『ユズハさんはどんなことがあっても、お兄ちゃんの味方でいてください』


 彼女の願いが込められた言葉。


『約束します。私はどんなことがあっても、彼の味方でいます』


 そして、それに対して、ユズハは約束した。

 今でも、あの時の自分の返事に嘘偽りはなかったと言うことができる。


 だけど、自分が今しようとしていることは、彼を味方することとは正反対のことだ。彼を敵と断定して、逮捕しようとしている。でも、それは自警団としては正しいはず。

 彼にどんな事情があったとしても、彼のしていることは、自警団の誰もが間違っていると言うだろう。


(それでも……それでも、私だけは彼の味方でいないといけない、か)


 自分に言い聞かせるように、ユズハは言葉を反芻した。例え彼が間違っていたとしても、彼の味方でいる。他でもないリリィにそう誓った。

 どんなことがあっても、私だけは彼の味方でいてみせる。そう考えたら、ユズハは心の中のもやもやがすっきりした気がした。

 老人が店から去り、誰もいない店内の掃除を始めようとしたリアムに、ユズハは悲しげに微笑みながら声をかけた。


「お久しぶりです、リアム」

「っ!」


 背後から声をかけると、リアムは驚いたように振り向いてきた。


「よう……久しぶり、だな」


 ユズハから見ても分かるほど警戒しながら、リアムは歯切れ悪く返事をする。ユズハが逮捕しに来たと思ったのだろう。


「そんなに警戒しないでください」


 あからさまなリアムの態度にくすりと笑って、ユズハは饅頭屋の中に入り、椅子に腰をかけた。


「……何しに来た?」

「何って、決まっているじゃないですか。久しぶりの休日だから、御饅頭を食べに来たんですよ」

「……」


 訝しげに見てくるリアムに、饅頭一つくださいなとユズハは注文する。

 ユズハの予想外の行動に困惑する様子だったリアムは、注文された以上ユズハを無碍に扱うことができず、饅頭を用意しようと動く。


 そのリアムの後ろ姿を見つめながら、ユズハは考える。

 彼の味方でいることを決めた。だから、正体を知っていても、自警団に報告をするつもりはないし、彼を逮捕するつもりもない。

 ただ、彼の義賊行為には反対だ。それが正しいとは思わない。だから、自分なりのやり方で彼を説得して、義賊行為をやめさせてみせる。そして、いずれ彼が再び自警団の制服を着て、自分と笑い合えるようにするのだ。


(リリィちゃん、見てて下さい……私がリアムを、必ず自警団に戻らせてみせますから)


 強い決意と共に、ユズハは心の中でリリィに誓う。


 そして、リアムが饅頭を用意している間、ユズハはふと思った。

 自分はこんなにもリリィとの約束を大事にしているのに、リアムは何か自分にしてくれているのだろうか、と。

 これは、少し不公平じゃないだろうか。リリィとの約束を口にするつもりはない。つまり、彼がこの不公平さに気づくことはない。だからこそ、ちょっとした仕返しぐらいしてもいいはずだ。どんな悪戯をしてやろうか。

 リアムが店の奥から饅頭を持ってきた。

 ああ、悪戯なら一つあるじゃないか。とびきりの悪戯が。それをされたら、リアムはどんな顔をするのだろうか。

 その顔を見るために、饅頭を受け取りながら、ユズハは見惚れるような笑顔で。


「お代は、ツケでお願いしますね!」


 饅頭代を払えるお金を持っていながら、そう告げたのだった。

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