第9話 果てしない怒り
「こんな状況でもそんな目をする奴は初めてだぜぇ、お嬢ちゃん」
隻眼の男はそのままリリィに近づき、彼女の髪を乱暴に掴む。リリィは身体が動かず、されるがままになってしまう。身体が動けないリリィは、魔法で反抗しようとするが、なぜか魔法を使うこともできなかった。
戸惑うリリィに、隻眼の男は馬鹿にするように笑う。
「スゲェだろ、身体を動けなくして魔法も使えなくする麻痺薬だ。身体は動かなくても、痛みの感覚はそのままでな、おかげで俺らの仕事も捗るってもんよ。反抗的な奴に、抵抗されずに教育できるようになったんだからなぁ!」
隻眼の男の拳がリリィの腹にめりこんだ。一発だけではない、何発も繰り返して、隻眼の男はリリィに暴力を振るう。
「うえぇ……」
「なに、魔法使おうとしてんだぁ!!」
「イゾーさん、それ以上やると商品が壊れちまいます……」
隻眼の男の行動を見かねて、周りの人攫いの一人が遠慮がちに隻眼の男に言葉をかけた。リリィのことを商品呼ばわりしている時点で、その男も最低な人間であることに変わりないが、おかげでリリィへの暴力は止まることになる。
イゾーと呼ばれたその男は、リリィに暴力を振るうのをやめて、周りの男たちに話しかける。どうやら、彼らの態度を見ると、周りの男たちはイゾーの部下らしい。
「何言ってんだ、教育は大事だろ。こいつを買う客に対してもこんな態度を取られたら、俺たちの評判はガタ落ちだろうが。いいか、金持ちってのは悪評を広めるのが大好きな連中ばかりだ。一度の失敗も許されねぇんだよ」
リリィを奴隷として売るつもりの人攫いども。
暴力を振るわれ、男たちに商品として見られている状況に、心が折れそうになるが、リリィは兄のことを想い、心が絶望に染まらないようにするのだった。
「ここか……」
団長室で盗み見たアジトの場所に来たリアム。
そこは金持ちの屋敷で、その大きさは人攫いどもが隠れ住むには十分だった。塀をよじ登り、リアムは屋敷に侵入する。屋敷内は騒がしく、大きな屋敷とはいえ、人の気配が大量にあった。おそらく人攫いたちだろう。
リアムはそのまま侵入がバレないように屋敷の中を調べるが、屋敷は大きく、どこにリリィが囚われているのか分からない。時間を少しでも無駄にできないリアムは、強硬手段に出る。
「攫った女が何処にいるか話せ」
屋敷の見回りをしていた人攫いの一人を襲い、情報を聞き出すことにしたのだ。
「喋るわけねぇだろ!!」
「大声を出すな」
「がぁぁぁ……!?」
人攫いの口を手で塞ぎながら、リアムは強力な雷魔法を流し込む。たとえ人攫いが気絶しても再び雷を流し、強制的に起こさせる。
「俺には時間がない。お願いだから、手間をかけさせないでくれ」
非人道的なことだと分かっているが、それでもリリィを助けたい一心のリアムは、人攫いを拷問にかけるのだった。
「ったく、お前ら何年もこの仕事やってんだから、いい加減覚えろ」
イゾーの説教はまだ続いていた。彼の部下たちはそれを黙って聞いている。少しでも反論すれば、彼に殴られることを知っているからだ
リリィは裸のまま放置されている。逃げたくても身体は相変わらず動いてくれない。
「いいか、俺たちは女どもをよく商品として扱うが、女の扱いには気を付けろ。この俺の目を斬った奴も女だった」
イゾーの言葉を聞いて、リリィは思わず顔を上げた。
「その女は、道場の一人娘でなぁ。その女も、その女の子供も、高く売れそうだったから拐おうとしたんだが、奴の夫を殺したら、激昂して剣を振ってきやがった。目を斬られ、捕まえる暇もなくて殺しちまったよ」
まさか、とリリィはそのイゾーが語る人物の子供が誰か、直感的に顔が浮かぶ。
「噂によりゃあ、あの女の子供は自警団に入ったらしい。どうせ親の仇でも取りたいんだろうよ。ぎゃはっは、馬鹿な女だよなぁ、復讐に生きるなんてよぉ!」
リリィはそこで確信する。イゾーが話しているのは、ユズハの家族のことだということを。
あの時、自分のお願いを真剣に聞いてくれたユズハの顔が浮かぶ。そんなユズハを気味の悪い笑い方で馬鹿にするイゾーに、リリィは底知れない怒りを抱いた。
「あなたが……っ! あなたが、ユズハさんの両親を!」
「あ? へぇ、なんだ、知り合いだったのか。こりゃまた面白い話だなぁ」
「笑うな! あの人がっ、どんな思いで自警団にいるか知らないくせに!」
「そうかいそうかい。なら、ついでに良いことを教えてやろう」
気味の悪い笑みのまま、イゾーはリリィに近づき、彼女の髪を引っ張って、顔を自分に向けさせる。そして、笑みをさらに深めて、イゾーはリリィに告げた。
「てめぇの両親を殺したのも、この俺だ」
「……っ!!」
「おめでとう、てめぇもあの哀れな小娘と同じだ。お友達同士、共通の話題ができたじゃねぇか」
リリィの怒りが大きくなっていく様子を楽しむかのように、言葉をさらに続けるイゾー。どれだけリリィが怒ろうとも、麻痺薬によって彼女は動けない。絶対的な立場であるイゾーは、自分のやりたいようにやる。
「楽しみだねぇ、その反抗的な態度が変わっていくのが。最後には、許してくださいって泣かしてやるよぉ」
リリィの髪から手を離して、イゾーは教育のための道具を手に取ろうとする。今まで捕らえてきた者達にしてきたことと同じことをするために。
しかし、彼の目論見は崩れることとなる。一瞬だけ背中を向けたリリィから、凄まじい魔力を感じ取ったのだ。
「なっ……!?」
「よくも……っ!」
「馬鹿な、薬で魔法は使えないはず!」
「パパと……っ、ママを……殺したなぁ!!」
リリィの怒りの叫びと共に、彼女の身体から炎が猛烈に噴き出した。イゾーの部下が炎に飲み込まれ、悲痛な叫び声を上げる。
「ちっ!」
「え……ぎゃあぁぁ!!」
イゾーは咄嗟に部下の一人を盾にして、襲いかかってくる炎から身を守った。しかし、完全に防ぐことができずに、顔の左半分が炎で覆われる。
麻痺薬を投与されたはずなのに、リリィは雷魔法で腕を縛っている鎖を破壊した。
「このクソガキがぁぁぁ!!」
「殺した皆を返せぇぇ!!」
部下を投げ捨て、剣を抜くイゾー。
雷魔法を放ちながら、氷の剣を生成するリリィ。
両者の影が交差する。
「殺した皆を返せぇぇ!!」
「っ!? リリィ!!」
情報を聞き出し、急いで向かっていたリアムは、目の前の部屋からリリィの声が聞こえ、すぐさまその部屋の中に入る。そして、そこで目にしたのはーー
隻眼の男に剣で胸を貫かれているリリィだった。
目の前の現実を受け止められずにリアムが言葉を失う中、隻眼の男はリリィの胸から剣を引き抜いた。リリィの身体が力無く崩れ去る。
「リリィィィィィ!!」
リリィの身体が地面にぶつかる前に、リアムが急いで受け止めた。リリィの胸から流れる血は止まらず、血溜まりを床に広げていく。
「くそっ、薬で魔法は使えないはずだろうが……ん、なんだお前?」
左肩に刺さったリリィの氷の剣を引き抜いたイゾーが、リリィを抱えるリアムの存在に気づいた。
「そんな……」
「その格好……自警団か。おいおい、自警団がここに来るのは来週じゃなかったかぁ?」
その言葉から、自警団の情報が人攫い達に流れていることが分かるが、それはリアムにとって今はどうでもいいことだった。
「お前が……」
「ったく、奴の情報も当てになんねぇなぁ」
「お前が……リリィを……っ!」
「あ? てめぇ……ああ、そうか。そういや、自警団の兄がいるって話だったな。目つきが似てやがる……。ははっ! 妹の教育不足だぜぇ、お兄ちゃん! 悪い人の言うことはちゃんと聞かないと、こんな風に殺されてちまうってよぉ!!」
リアムがリリィの兄であることに気付いたイゾーが、氷の剣を投げ捨て、自らの剣をリアムに向かって勢い良く振り下ろした。
人を殺すことに慣れた手つき。イゾーはリアムの首を取ったことを確信し、笑みを深める。しかしーー
「よくもリリィをぉ!!」
先程のリリィの倍の量となる炎が、リアムの咆哮と共に放出される。勢いある炎はイゾーを飲み込み、彼の手から剣を吹き飛ばした。
「ぐあああぁぁ!!」
全身を炎に焼かれ、苦しそうに叫ぶイゾー。
「お前だけは、絶対に許さないっ!!」
「があぁぁぁぁ!?」
リアムがさらに炎をイゾーにぶち込む。
耐えることのできない痛みで、壁に何度もぶつかりながら悶え苦しむイゾーは、ふと自分の足にある物が当たり、動きを止めた。そして、すぐさまそれを手に取る。
イゾーにとって運良くも悪くも、それは熱湯の入ったバケツだった。拷問に使う予定だった、火傷するほどの熱湯だが、今の状況では火を消すことのできる唯一の手段だ。
「あああぁぁ!!」
叫び声を上げながら、イゾーが熱湯を頭からかぶる。全身の炎が消え、バケツを放り投げたイゾーは、部屋の外へと飛び出る。無様に転び、火傷した皮膚が擦れ、気を失いそうな痛みに襲われるが、イゾーは一瞬で立ち上がって走った。
「逃がすか……!」
逃げたイゾーを追おうとリアムが立ち上がった。しかし、袖が弱く引っ張られ、彼の足は止まることになる。
「お兄ちゃん……」
口から血を吐きながら、リリィが今にも消えてしまいそうな声でそう呟いた。
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