11.結末と答え合わせ

 最後に憶えているのは、うのていで真奈と清水が待つ探偵事務所に生還し、力尽きて倒れるまでの記憶だった。

 ……次に目を覚ますと、全身のあちこちに包帯を巻かれたパンツ一丁の状態でカプセル状のベッドに仰向けで寝かされていた。最新式低反発素材のマットを使っているのか、体重が分散されて寝たきりによる褥瘡を防いでいる。

 カプセルの顔部分から上は透明になっているため視界は開けていた。お陰で外の様子が解る。白く衛生的な空間の中央にカプセルが鎮座し、コの字状に取り囲むような形で様々な医療機器が大量に整然と並べられていた。

 自身の身体を見渡すと、少しばかり痩せた右腕にはチューブが繋がれており、目で辿ってみるとカプセル外のスタンドにぶら下がっている点滴パックがあった。

 義手は左肩からごっそりと無くなっている、修理に出されたのだろうか?

 突然、アラームと共に突然カプセルが上半分が開かれ、上半身がギャッジアップされる。覚醒した脳波を医療用AIが感知して近くに居た医者に知らせたのだろう、間もなく白衣を着た女性が現れた。感染症対策としてマスクと手袋を着けているが、見知った顔だ。

「おはよう、気分はどう?」

「海堂か。体がだるくてしょうがない」

「でしょうね、あれから丸一週間も眠っていたのだから」

「一週間も?」寝過ごしたというレベルではない。

「ええ、それはもうぐっすりと」

 驚くクロガネに、真奈は大袈裟に肩を竦めて見せた。

「……俺が倒れてから何があった?」

「私と清水刑事が119番に通報した後、ご当主の手配で獅子堂お抱えの総合病院に搬送されたわ。ここはその集中治療室ICUよ」

「……通りで見覚えのある天井だったわけだ」

 かつて、真奈と初めて言葉を交わした場所でもある。

「今回ばかりは身内が迷惑を掛けたお詫びだって、私と清水刑事までここで治療を受けさせられたわ。費用は全部獅子堂持ち。清水刑事はだいぶ良くなって一般病棟に移って療養中。そして私はこの通り」

 完治したとばかりに右足でトントンと軽やかにステップを踏む。

「担当医ということでこの一週間、鉄哉の看病を受け持たせて貰ったわ。昔一緒に仕事をしたこともあったから、ご当主の一声もあってスムーズに事が運んだわね」

「すまない」

 頭を下げた。毎度のことながらこの女医には世話になっている。

「良いのよ、鉄哉の心臓や義手のこともあったから」

「その義手はどこに?」

「オーバーホール中よ、見た目はさほどでもないけど中身は酷い有様だったわ。神経ケーブルの大半は断線し掛かっているわ、第三MP関節が潰れているわ、手首関節が割れているわ、肩関節は歪んでいるわ、EMPの変形ギミックにまで損傷があるわ、数え上げたらキリがない……一体何と闘ったの? ゴ〇ラ?」

 流石に怪獣王は無理だ。せめて重力子放射線射出装置でもなければ太刀打ちできん。

「〈アステリオス〉とかいう新型のオートマタだ」

「新型ッ!? 何それ詳しくッ!」

 目を輝かせてメカオタが食い付いて来た。

「あとでな」

「ぶー」

 お預けにぶーたれる真奈。子供か。

「それより美優はどうなった?」

「修理するにも充実した設備が必要で、しばらく時間が掛かるって。いずれまた連絡するってデルタゼロが」

「そうか……」

 治療や修理に時間を要するのはお互い様のようだ。

「結局、美優ちゃんの修理方法については教えて貰えなかった、企業秘密だって」

「当然だな」

 美優は獅子堂重工製のガイノイドだ。ゼロナンバーでもない一介の医者が立ち入れる余地などないだろう。

「他に聞きたいことはある?」

「ホテル『バベル』は今どうなってる?」

「獅子堂の情報操作で、麻薬密売人が拠点としていたために警察が強制捜査に乗り出したことになってる。激しい銃撃戦の末に麻薬組織は壊滅し、内通していた支配人が逮捕されてホテルは閉業するそうよ」

 最初から獅子堂玲雄は存在しなかったことにし、戦闘用オートマタを秘密裏に回収・処分する筋書きなのだろう。

「ああ、そうそう。良い機会だったから、ついでに精密検査もさせて貰ったよ」

「いつの間に……ていうか、本人の了承なしでかいっ」

 どこまで調べられたのか気になる上に不愉快だ。

「緊急性が高かったからね、また無茶して『アレ』使ったでしょ?」

 険しい表情をした真奈が、人差し指で自身のこめかみをトントンと叩く。

 彼女が言わんとしているのは『生存の引き金サバイブトリガー』のことだ。

「ここに搬送されて一回、今から二時間ほど前に一回の計二回、MRIを撮らせて貰ったわ」

「結果は?」固唾を呑むクロガネ、何らかの後遺症は勘弁願いたい。

「安心して、特に異常なし。脳内出血も見られなかったし脳波も問題なし、至って健康よ」

 安堵の溜息を吐き出す。

「忠告通り、使用回数は守っていたみたいね。今はどう? 頭痛や眩暈、吐き気は?」

「ない、大丈夫だ」

「なら良いわ、今後とも気を付けなさい。出来ることなら使わないに越したことないけど」

「俺もそれを望んでいる」

「嘘言うな」

「状況が許さなかっただけで本心だよ」

 真奈が呆れと諦めが入り混じった溜息をつく。

「それで、俺はいつごろ退院できる?」

「ほぼ全身打撲に肋骨三本骨折、額に二針の裂傷に右手首靭帯損傷、左肩神経圧迫による炎症……リハビリやその他諸々込みで軽く見積もっても全治三ヶ月といったところね」

 三ヶ月。妥当な期間だが、獅子堂が費用を全負担してくれなかったらと考えてゾッとする。今回得た報酬が破格とはいえ、働けなくなったら以降の収入はゼロ。入院治療費に支出がかさんではまともに生活するのも困難になるところだった。

「……またお金の心配?」真奈が呆れる。

 エリート階級には解るまい、と言おうとしてやめる。過去の彼女が『努力』という対価を支払い続けたことで今の地位があるのだ。

「……大事なことだ」クロガネは無難に言い返した。

「その通りね。ちなみに、退院自体は思った以上に早くなりそうよ」

「は? 今、全治三ヶ月って……」

「それはリハビリやその他諸々、義手の調整とかを含めてよ。万全の状態になってこそ初めて全治と言えるわ」

「怪我の完治自体はどれくらいだ?」

「三週間ほど」

「早っ。相変わらずスゴイな、ここの医療設備は」

「……うん。そのカプセルみたいに、患者に備わっている治癒力を活性化させるものがあるから」

 何故か真奈の表情が暗い。

「どうした?」

 いや、と首を振って真奈はクロガネの傍に歩み寄る。

「ここの設備も充分スゴイけど、には遠く及ばない」

 つん、と指先でクロガネの胸の中心を軽く突く。縦にまっすぐ走った手術痕――移植手術を受けた証――の下にある疑似心臓を示した。

「これほどの重傷を負っても治りが早いのは、この疑似心臓が無尽蔵に造り出しているナノマシンのお陰よ」

 ナノマシン――十億分の一メートルサイズの微細ロボットが血管を通して全身を巡り、自然治癒力を底上げしているらしい。だが詳しいことは解らないという。

「採血して調べてみたけど、体外に出たナノマシンは軒並み死滅しているからどんなプログラムが施されているのか解らず仕舞い……その疑似心臓はオーバーテクノロジーどころかブラックテクノロジーの塊よ。これから先、貴方の身体にどんな影響を及ぼすのか見当もつかない」

 担当医である真奈が不安も抱くのも無理はない。

 そもそもこの疑似心臓自体がよく解っていないのだ。獅子堂莉緒とデルタゼロが共同開発したと聞いていたが、基礎設計そのものは莉緒一人で手掛けた上に設計図も存在しないため、デルタゼロですら全容が掴めていないらしい。清水には『獅子堂重工製の試作品』と話したが、実のところは完全ワンオフのオーパーツ同然の代物なのである。

「不確かで未知なものほど恐ろしいものはないわ。せめて製図があれば良いのだけれど」

「直接現物を取り出して調べてみるか?」

 クロガネが親指で疑似心臓を差し示すと、

「却下よ、冗談でもやめなさい」

 顔を険しくさせた真奈に叱られる。

「……不安にならないの?」

「いや? 全然」

 心配する真奈に、クロガネはあっけらかんと応えた。

「得体の知れないもので生かされているのに?」

「そうだとしても、莉緒お嬢様が生かしてくれた命に変わりない。それで充分だ」

 そう断言すると、真奈は不安げな表情を浮かべたまま引き下がった。

「……ズルいわね、もう何も言えないじゃない」

「すまん」

「まぁいいわ。ところで話は変わるけど、美優ちゃんが今後貴方の傍に居るってどういうこと?」

 不安げな表情から一転、不機嫌そうに訊ねてくる。

「貴方が寝ている間に美優ちゃんとチャットしたけど、『クロガネさんの方からプロポーズされました(どやぁ)』とのことだったんだけど?」

 盛大に嘘つきやがったあのガイノイド! 育て方を間違えたか?

「プロポーズじゃなくて、助手としてスカウトしたんだよ。あの情報処理能力は手放すには惜しいと思ってな」

「それで雇うと? 住み込みで?」

「宿のことは全然考えていなかったけど、そうなるかな?」

「む~~」と真奈が腕を組んで唸る。

「……何か美優ちゃんにだけ甘くない? 私なんか結局お泊り出来なかったのよ?」

「えっ、そっち?」

「夜通し一緒にスマ〇ラとかマ〇カーとかモ〇ハンとかやりたかったのにー」

「……退院したら、埋め合わせにいくらでも相手してやるから」

「OK! 言質げんちとったわよ! その日は寝かせないから!」

 不機嫌から一転、嬉しそうに目を輝かせる。頼むから夜は寝かせてくれ。

「ゲームは一時間おきに二〇分の休憩な」

「鬼か!? 鬼じゃなかったらオカンか!?」

 ご機嫌から一転、戦慄する真奈に溜息をつく。

 医者であるなら自身の健康にも気を遣ってほしい。



 数日後。回復が進み、ICUから個室へ移されたクロガネはPIDでネットニュースを読んでいた。

 真奈が話した通り、ホテル『バベル』は閉鎖し近々解体する予定とあった。獅子堂の情報操作によるでっち上げとはいえ、麻薬組織を壊滅させた警察に世間は多大な評価をしているらしい。実際には麻薬組織など存在していないため、警察署長もボロが出ないよう何度もマスコミからの取材を断っているようだが、それが返って謙虚かつ有能な姿勢だとして評判がうなぎ登りになっている。目先の情報だけに捕らわれる無能なマスコミほど傍迷惑な存在もない。

「……」

【獅子堂玲雄、消息不明。生存は絶望的か?】

 その見出しにクロガネの目がわずかに細まる。

 記事によると、獅子堂玲雄は単身、海外旅行中にプライベート用の飛行機が太平洋上で爆発し、消息不明になったとのことだ。事故と事件の両方を視野に入れて地元警察が捜査、および玲雄の捜索をしているらしいが生存は絶望的とある。

 あの後、玲雄がどのように処理されたのか知らないし、興味もない。ただ確実に死んだのであれば、それで充分だ。

 これで積年の恨みも晴れるかと思いきや、清々しい気分にはならなかった。かといって虚しくもなく、自身にとって獅子堂玲雄は只々どうでもいい存在だったのだろう。

 ホロディスプレイを切って一息つくと、扉がノックされる。

「どうぞー」

「お邪魔するぞ」

 清水が現れた。

「清水さんか、久しぶりだな」

「そうだな、お互い生きているのが不思議なくらいだ」

 肩を竦める清水に苦笑する。本当に今回の事件は濃密だった。

「どうしたんだ?」

「退院前の挨拶をしに来たんだよ。調子はどうだ?」

「良好だ。義手の方も今スペアを調整していて、今日中に着ける予定だ」

 さすがに両手がないと不便だと言わんばかりに、空っぽの左袖を揺らす。

「そうか。まぁ、元気そうで何よりだ。……ところで」

 清水の視線がベッドに向けられる。

 身を起こしているクロガネの隣で、

「ああ、気になるか」

「そりゃな」

「おい、起きろ」と毛布の上から軽く叩くと、だぶだぶのパーカーを着た中東系の褐色少女がむくりと身を起こした。被ったフードから覗く眠そうな顔はまだあどけなく、年齢は十二か十三歳といったところだろう。

 清水は溜息をつき、憐れむような視線をクロガネに送る。

「……獅子堂玲雄だけでなく、お前にもそんな趣味があああッ!?」

 突然少女の手に拳銃が現れ、その銃口と殺気を帯びた視線を向けられた清水は素っ頓狂な声と共に両手を上げる。

「どうした?」

「ホワッ!?」

 病室の前で護衛していた長身の男がで音もなく現れ、更に悲鳴を上げる。

「いや何でもない。二人とも、ちょっと外してくれないか?」

「え? 嫌ダ、クロのそばにいル。この人に殺されちゃウ」

 銃を下ろして涙目でクロガネの左袖を掴む少女の頭を右手で撫でる。

「大丈夫。この人はこの街の刑事さんだ、敵じゃない」

「……行くぞ、邪魔になる」

「むー」

 刀を納めた男は、不満そうな少女の襟首を掴むとズルズルと引き摺って退室した。

「……清水さん」

「あ、ああ、何だ?」呆然としていた清水は我に返る。

「俺は獅子堂玲雄あのクズのように女漁りもしないし、ロリコンでもないからな」

「まずそこかよっ、冗談だっつうのに」

「俺のことに関してあの子に冗談は通じない。くれぐれも口には気を付けてくれ」

「お、おう解った」

 クロガネの真剣な目にコクコクと頷く清水。

「……あの二人はかつての同僚だ」

「てことは、ゼロナンバーなのか? あんな子供まで……」

 清水が二人が出て行った扉を見る。

「あの子は戦乱が絶えない国の出身で、色々と訳ありで獅子堂が引き取ったんだ」

 清水がクロガネの素性を知り得たことは真奈から聞いていたので、詳細は伏せて情報の一部のみを明かす。

「昔、あの子の面倒を見ていた時期があってか妙に懐かれてな。俺にとっては妹分か娘みたいなものなんだよ」

「そうだったのか……すまん、知らなかったとはいえ軽率だった」

 少女にとって大事な身内が侮辱されたら堪ったものではない。清水は頭を下げた。

「いや、俺も話せない立場だからしょうがない。それと解っていると思うが、ゼロナンバーを含め獅子堂に関するものは口外しないでくれ」

「勿論だ、獅子堂の当主から直々に見舞金という名の口止め料まで貰ってしまったしな」

 清水は聡明だ。多くを語らなくても周囲の状況から大体の事情を察してくれる。

「それはそうと、探偵事務所の近況報告だ」

「ウチの?」

 思わずクロガネは身を乗り出す。ここ最近留守にしていたから気にはなっていたのだ。

「何だ、空き巣が入ったか? それとも放火か? 車が突っ込みでもしたか?」

「身に覚えがあり過ぎじゃないか?」

 気が気でないクロガネに清水は呆れる。

「留守の間、事務所の管理は獅子堂が手を打ってくれたんだとさ。付近を監視する程度だが意外に効果があったらしい、事務所に襲撃仕掛けた馬鹿は今のところ居ないそうだ」

「……そうか」安堵するクロガネ。

 周囲には探偵事務所が天下の獅子堂にマークされたと捉えられたのだろう。下手につついたら獅子堂まで敵に回しかねないため、良い意味で抑止力になっているようだ。

「それと、入院中に市長にも会ったぞ」

「ああ、俺の所にも来た」

 ICUから個室に移って間もなく、山崎市長は今回の件で直接謝罪をしに現れた。仲介人程度の関係で責任を感じることは何一つないのだが、律儀な人だ。

「お見舞いに選りすぐりのメロンを貰った」

「お前もか。高級品だけに返って恐れ多いな」

「美味しく頂くのが礼儀だ」

 先程退席した護衛二人と一緒に食べ分けたが、非常に美味だった。メロンなんて食べたのはいつぶりだろう?

「俺からはこんなところだ、そろそろおいとまするわ」

 そう言って席を立つ清水にクロガネは頭を下げる。

「今回は色々迷惑かけた上に世話になったな……すまない、ありがとう」

「今回も、だろ? 今度何か飯でも奢れ」

「ファミレスかラーメン屋で良い?」

「もう少し奮発しろよ、この貧乏探偵が」

 苦笑して、清水は去っていった。



「クロ、大丈夫? さっきの刑事に変なことされてないカ?」

 清水と入れ替わるようにして少女――〈シエラゼロ/スナイパー〉が駆け寄ってくる。

「大丈夫だよ、ナディア。彼は味方だ」

 本気で心配しているシエラゼロの本名を呼んで頭を撫でる。ナディアと呼ばれた少女は気持ちよさそうに目を細めた。

「シエラゼロ、俺たちはまだ任務中だ」

「まぁ、少しくらいなら大丈夫だろ。今は俺たちしか居ないし」

 刀を提げた長身の男――〈ブラボーゼロ/ブレイド〉は溜息をつく。

「……相変わらずナディアには甘いな」

 ――キン、キンと、涼やかな金属音が病室に鳴り響く。

新倉にいくらが真面目過ぎるんだよ、肩こらない?」

「湿布とは無縁だが?」

「何それ羨ましい」

 ブラボーゼロ――新倉永八にいくらえいはちは扉近くの壁に背中を預けつつ、通路側にも気を配りながら会話に加わる。

「……こうして三人で話すのは、二年ぶりか」

 ――キン、キン。

「そうだな」

「今は『黒沢鉄哉』と名乗っているって?」

 ――キン、キン。

「ああ、ようやく俺にもまともな名前が持てた」

「それは良かった、現役時代は偽名ばかりだったからな」

 ゼロナンバーに選ばれた者はそれまでの経歴を抹消した以降も身内同士では本名で呼び合っているが、この場に居る三人の中でクロガネだけ事情が異なる。

 幼少時代、物心が着く前にとある事件に巻き込まれて家族全員が死亡し、本名を含め自身に関する記憶を失ったためである。

 天涯孤独で自身に関する情報が皆無という都合の良い存在ゆえに獅子堂家専属の暗殺者として育てられ、『黒沢鉄哉』と名付けられて独立するまでの間は、コードネームか仕事の度に使い捨てる適当な偽名ばかりを使っていたのだ。

「今後はどう呼べば良い?」

 ――キン、キン。

「黒沢でも鉄哉でもクロガネでもご自由に」

「それならワタシは『クロ』のままでイイ?」

 ナディアが手を挙げて訊ねる。

「ああ、構わんよ」

 現役時代は黒い服装でナディアや獅子堂莉緒と接していたことが多く、彼女たちからは『クロ』という愛称が定着していた。

「黒沢と呼ぶことにする。改めてよろしく」

 ――キン、キン。

「ああ、こちらこそ……ていうか、さっきから刀の鯉口切っては戻すのやめてくれる? キンキン音鳴って気になるんだけど?」

「クロ、また一緒にチーム組もウ! 【ABS】復活しよウ!」

 ご機嫌な様子で空っぽの左袖を引っ張るナディア。伸びるからやめい。

「いや、俺はもうゼロナンバーじゃないから、チーム復帰は無理だな」

「エー」不機嫌そうに口を尖らせるナディア。

 白兵戦では無類の強さを誇る〈ブレイド〉が切り込み、遠距離から〈スナイパー〉が援護し、〈アサシン〉が確実に標的を仕留める。

 三人のコードネームの頭文字をアルファベット順に並べて【ABS】。

 安直な呼び名だが、ゼロナンバー最強チームと認知されていたことも相まってナディアはとても気に入っている。クロガネと新倉は「プラモデルの素材か昔流行ったアイドルグループみたいで微妙」と不評だったが。

「そんなコト言わずに帰ってキテヨー、また一緒に悪人ドモをぶち殺そウ?」

「ナディア、我儘を言うな。黒沢にも都合というものがある」

 上目づかいで物騒なことを言うナディアを、新倉が大人の対応で宥める。

 ――キン、キン。

「俺だって模擬戦の決着をつけたいのを我慢しているんだ」

 さっきから忙しなく鯉口を切っていたのは癖や手遊てすさみではなく、今にも鞘走るのを自制していただけのようだ。クロガネを見る新倉の眼には好戦的で危険な光が宿っている。

「……お前らもう仕事に戻れ」

 げんなりとしたクロガネが扉を指差すと、その扉が開いた。

「――呼んだかい?」

「「「呼んでない」」」

 爽やかな笑顔で現れたデルタゼロ(INアンドロイド)を一蹴する三人。

「――いやはや、熱烈な歓迎をありがとう」

 気にせず後ろ手に扉を閉めたデルタゼロは、ベッド傍にあったパイプ椅子に座る。

 ナディアが腰裏の拳銃に手を伸ばし、新倉が壁に背中を預けたまま刀の柄に手を添えている。二人とも警戒を通り越して臨戦状態だ。同僚に対して見せる態度ではない。

「――久しぶりだね、クロガネ。調子はどうだい?」

「お陰様で順調だ」

「――それは重畳。お土産も用意したから、是非受け取ってくれ」

 提げていた紙袋から菓子折りと一冊のエロ本を差し出すと、デルタゼロの背後でナディアが銃を抜いて安全装置を外した。目が完全に据わっている。

「エロ本は要らねーよ、ナディアの前で出すんじゃない」

「――では君の事務所に送っておこう」

「やめてくれ」

「――それはそうと、獅子堂玲雄と繋がりがあった犯罪組織に関する情報があるんだが」

「興味ない」ばっさりと切り捨てる。

「――おや、即答だね」

「その手の話は警察かゼロナンバーの管轄だろ。俺には関係ない」

「――ごもっともだね」

 美優の依頼を終えた以上、いつまでも獅子堂に関わっていられない。ずるずると古巣に引き戻されそうな予感がする。

「――では、君に関係のある話をしよう。佐藤――君の後任であるアルファゼロのことだ」

 ゼロナンバー絡みの話も聞きたくないのだが、佐藤に関してはあの後どうなったのか少し興味がある。黙っていると、デルタゼロは話を進めた。

「――佐藤は件の少女を無事に家まで送った後、異動届をご当主に提出した」

「異動? ゼロナンバーを辞めたってことか?」

「――その通りだ。つい先日受理されて、今は獅子堂重工傘下の警備会社で働いている」

 暗殺者から警備員に転職か。荒事になった際は即戦力として重宝されるだろう。

「その、異動の理由とかは?」

「――個人情報だから僕からは何とも。ただ最近は、『自分は〈アサシン〉には向いていない』と周囲にこぼしていたらしい」

 あの少女を救おうとした辺り暗殺者としては落第だが、まともな人間としては正しい在り方だ。いずれにせよ、殺し屋としての佐藤はクロガネの前にはもう現れない。

「――それでアルファゼロの席がまたも空いたわけだが」

「俺は戻らんぞ」

「――ふむ、先に言われてしまったか」

 デルタゼロが肩を竦め、ナディアが悲しそうに俯き、新倉は僅かに目を伏せていた。彼らの残念がる姿を見て心苦しいが、〈アサシン〉に戻る気は一切ない。

「ああ、そうだ。この際だから俺もいくつか訊きたいことがあるんだ」

「――何だい?」

「あの〈アステリオス〉とかいう新型、?」

「――その通りだ」

 あっさり認めるデルタゼロに辟易へきえきするクロガネ。

「……使?」

「――その通りだ」

 肯定したデルタゼロの背後で新倉が居合の構えを取り、ナディアが銃口をデルタゼロに向けるのを手で制する。

「……そいつを庇うのか、黒沢? デルタゼロは背信行為をしたとたった今自供した。裏切り者には死の制裁を下すのがゼロナンバーの鉄則だ」

「庇うも何も、俺まで巻き込みかねないから止めただけだ」

「初太刀で標的の首のみを刎ねるから安心しろ」

「勢い余って二の太刀で俺の首まで刎ねないだろうな?」

「……」

「否定してくれよッ」

 本当に勘弁してくれ。そこまでして決着をつけたいのか、この剣術バカ。

「クロ、どいテ。ソイツ撃ち殺せナイ」

「まずお前が立ち位置を変えろ、射線上に俺を入れるな」

「解っタ」

「待て、素直なのは良いことだが落ち着け。それとコイツを撃っても本体は無傷だし弾の無駄だし病院で騒ぎ起こすの本当やめて。最終的に怒られて頭下げるの俺なんだぞ」

「むー」

 不満そうにふくれっ面になるナディア。銃口は外してないが、引き金に掛けていた指は外してくれた辺り妥協してくれたようだ。

 新倉は構えを解いたが、鍔には親指を添えていつでも抜刀できる態勢でいる。

 今更ながら引退した理由の一つに、『メンタルバーサーカー二人を抑えるのに疲れた』というのをクロガネは思い出した。

「――いやはや、物騒だね。これじゃあ落ち着いて話も出来ない」

 一触即発の危機的状況の中心に居ながら楽し気に語る狂人に、「同感だ」と頷く。ちなみにクロガネはちっとも楽しくないどころか、胃に風穴が空きそうだった。

「――それで名探偵、どうして僕が〈アステリオス〉の開発者で、【パラベラム】だと解ったんだい?」

「……明確な証拠はないが、状況証拠は揃っている。あくまでこれは俺の推理……いや、ただの想像で事実確認だ」

 名探偵は架空の存在だ。現実の探偵は――少なくとも自分はそんな立派なものじゃない。

「まず〈アステリオス〉に関しては造形も構造も含め、人間に近い高度な戦術思考と有機的な動きを併せ持つ超高性能機だ。俺が知る限り、そんなオートマタは鋼和市にも存在しない。獅子堂のバックアップを受けた〈ドールメーカー〉製でもない限りは」

「――そう考えるのが自然だね」

「次に、あの【パラベラム】の使いは獅子堂玲雄を脅す際、『頭脳だけ手に入れば他はどうでもいい』と言っていた。俺の知り合いに『脳だけを増やしてあとは要らない』と似たようなことを言って実行した奴が一人、心当たりがある」

「――とんだ狂人だね」

 他人事のように頷いているが、お前のことだぞ。

「それと奴は俺が美優のために誰一人殺さず闘っていたことを知っていた。気絶して転がっているセキュリティを見れば俺が非殺傷性の武器を使っていたことくらいは察しが付くだろうが、その目的や理由については知らない筈だ。知っているのは三人だけ、内二人は身の危険を理由に離脱している。消去法でお前しか居ないんだよ、【パラベラム】の使いは」

「――ふむ」

「最後に、そこの二人が仕留めたのは〈ヒトガタ〉だった。遠隔操作で操っていたと考えるのが自然だろう。それでいて機械人形オートマタを本物の人間のように立ち振る舞えることが出来る存在は限られてくる」

 クロガネは脳裏にセックスドロイド専門の風俗店『アイアンテイル』を思い浮かべる。従業員は精巧な外観をしたアンドロイドとガイノイド、そして地下工房では様々なオートマタが〈デルタゼロ/ドールメーカー〉の脳たちによって個々に制御されていた。

「まとめると」

 手を突き出し、順番に指を折り曲げる。

「新型オートマタ〈アステリオス〉を開発でき、従えることの出来る存在、

 脳以外の肉体に興味を抱かない者、

 黒沢鉄哉の闘う手段と目的を知っている者、

 そして〈ヒトガタ〉を人間のように遠隔操作できる者」

 クロガネはデルタゼロを見据える。

「これらの条件に合致した存在はお前しか居ないんだよ、〈ドールメーカー〉。お前があの時現れた【パラベラム】の使いだ」

 パチパチとデルタゼロが拍手をする。

「――やはり様になっているじゃないか」

「では?」

「――その通り、僕があの時の【パラベラム】の使いだよ」

 容疑を認めるや否や、新倉が刀の鯉口を切り、ナディアが引き金に指を添え、クロガネはベッドの下に避難しようとする。

「――

 ピタリと、全員の動きが止まった。

「……お芝居だと?」

「――あの【パラベラム】の使いは、そういう設定なのだよ」

「……それじゃあ、今回の件に【パラベラム】は関わっていないのか?」

「――その通り。悪役として都合が良かったから名前を借りただけだ」

 絶句する一同。クロガネは新倉とナディアに目配せして頷き、二人は武器を下ろす。

「何故そんなことを?」

「――少し前から今の君の戦闘力を推し量る計画はしていたんだよ、美優を安心して預けられるかどうかってね。タイムリーなことに、玲雄坊ちゃんが割かし派手にやらかしてくれたから、このタイミングで便乗させて貰った。流石に君のトラウマである〈サイクロプス〉級を二体も用意するのは骨が折れたけど」

 ブリーフィングでも〈サイクロプス〉の情報がなかったことをクロガネは思い出す。意図的に伏せられていたのだ。

「そんなことのために〈サイクロプス〉どころか〈アステリオス〉まで投入したのか? こっちは危うく死ぬところだったんだぞ!?」

「――だが生き延びた。絶対絶命からのどんでん返しは君の十八番だろう? ちなみに、アルファゼロの席はいつでも空いてるよ?」

「狙ってやっているわけじゃないんだよ! 戻る気はないって何度も言っているだろ!」

 望んでもいない復帰に値する実力を有しているか把握するために危険な目に遭わせるとか、理不尽にも程がある。

「――うん、君は探偵のままで良い。惜しいけど、ご当主も一度交わした約束は決してたがえない。当分の間は〈アルファゼロ/アサシン〉の席は空席のまま、或いは永久欠番かな」

 なんて物騒かつ不名誉な永久欠番だ。

「だから戻る気はないってのッ」

「――だがこれから先、獅子堂が【パラベラム】討伐のためと君に何かしらの依頼をしてくる可能性もある。闘う力がなければ何も守れない。美優の存在が知れたら、【パラベラム】は確実に彼女をも破壊対象に入れるだろう」

 ギリ、と奥歯をきつく噛み締める。すでに引退しようが独立しようが、クロガネは未だ獅子堂の掌の上に居る。そのしがらみから逃れられないようにデルタゼロは美優の存在を利用していたのだ。

「――僕個人としては、スポンサーを脅かす存在は看過できない。故に、僕は僕の夢と人生を守るためなら、かつての仲間も美優も利用するくらいは知っているだろ?」

 これこそデルタゼロが身内でも疎まれる理由であり、クロガネが理解者たる所以ゆえんは「利用できるものは利用する」という考え方が似通っているからだ。

 とはいえ、ギブアンドテイクを信条とするクロガネは仲間のために身を切ることも厭わないため、好感度に関しては両者に大きな差がある。

「……お前は美優の父親みたいなものだろ?」

「――開発者の一人ではあるが、自分のことを父親とも彼女を娘とも思ったことはない。とはいえ、莉緒お嬢様のご遺志は尊重したい。故に、美優を君に預けられるか否かのテストでもあった」

 過酷な試験内容だ、どんな猛者もさでも受験者の九割以上は確実に死ぬだろう。そして無意識なのか、デルタゼロの発言はある意味、父性をこじらせた親バカ的なものだと自覚していない。「大事な娘を脆弱な男に託すまい」と言っているようなものだ。

 その垣間見える人間性こそ、クロガネがデルタゼロを嫌いになれない理由でもある。

「――肝心の試験結果だが、文句なしの合格だ。安心してまた君に美優を預けられるよ」

「……お前の掌の上で踊らされているようで気に食わないがな」

 美優がスカウトを受け入れたあの時すでに、デルタゼロは太鼓判を押していたのだろう。

「――では参考資料までに、このお土産を受け取ってくれ」

 再びエロ本を差し出してくるデルタゼロの背後で、ナディアが再び拳銃を構える。

「要らねーよ、何の参考にしろと」

「――もちろん、ナニだ」

「帰れ」

 あまりに直球な返答に出口を指差す。

「――もしくは合体だ」

「言い方の問題じゃないんだよッ」

 冷たくあしらうと、デルタゼロは目に見えてしょんぼりとする……ポーズをとった。

「――せっかく美優の外見に合わせて女子高生ものを選んできたのにー(チラ)」

「(イラッ)余計なお世話だ」

「――それじゃあ、そろそろ帰るよ。後日、美優を送るからよろしく」

「また段ボールに詰めて送ってくるなよ。普通に連れて来い」

「――そうだね、その時は僕もお邪魔させてもらおう」

 そしてエロ本片手にデルタゼロは去っていった。

 ……せめて袋にしまってくれ。

「――ああ、そうそう」

 再びドアを開けて、デルタゼロがひょっこりと顔を見せた。

「……まだ何か?」

 クロガネはともかく、新倉もナディアもうんざりとした表情を隠そうともしない。

「――うん、ご当主からの命令。そこの二人はクロガネの護衛を解除、直ちに次の任務に移れってさ」

 言うや否や、新倉とナディアのPIDに着信が入る。メールを確認すると、新倉は目を伏せて溜息をつき、ナディアは心底嫌そうな顔を作った。

「もしかして、はご当主の近くに居るのか?」

「――その通り。現在、護衛中だ」

 通りで事前にメールの内容を把握していたわけだ。

「命令なら仕方ないが、良いのか? 黒沢から離れて」と新倉。

「――彼なら問題ないでしょう? 

 言われてクロガネは、高級そうな菓子折りに目を落とす。

「――それじゃあクロガネ、今度こそお暇するよ」

「……ああ」

 新倉も無言で会釈してデルタゼロに続き、ナディアはクロガネにハグしてから「またネ」と名残惜しそうに退室した。

 一人になったクロガネは周囲を確認してカーテンを閉め、菓子折りの蓋を開ける。

 惜しげもなく敷き詰められた緩衝材の上に、慣れ親しんだ鉄の塊があった。

 キンバー1911とボディガード、そして鞘に収まったトレンチナイフが一振り。

 どれも新品かと疑うほど整備が行き届いており、サプレッサーと予備の弾薬まで付いている。

 引き戻されはしなかったものの、かつての古巣の方からクロガネの元にやって来たのでは結果は同じだった。


「――手を汚さないのは立派な志だけど、いつまでも甘い考えで居たらまた大事なものを失うよ」


 脳裏にデルタゼロの忠告が蘇る。

 これらの武器は失わないために必要な力だ。

 守るためならば、その力を振るうことに躊躇いはない。

 だが、それはそれとして――

「……有事の際は、警察に何て言い訳すればいいんだ?」

 ――事後処理について煩悶はんもんしつつ、蓋を閉じた。

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