第39話:霊能捜査――その六

 事務所に二郎が姿を見せたのは、二十一時を過ぎた頃だった。捜索の疲れでいつの間にか眠っていた。事務所に到着したところで、運転していた警部に起こされたのだ。


「お疲れ様です。その様子では解決に至らなかったようですね」

「ああ、捜索は明日以降に持ち越しだ」


 事務所には波留だけが残っていた。いつもならばとっくに終業している時間だ。とはいっても終業時間などあってないようなもの。仕事の入り具合によっては、日をまたぐ時間になっても事務所の明かりが消えない場合もある。


 そういった意味ではブラックな業種であるが、一応残業代はでるし、月での残業は法定時間以内になるように波留自身がコントロールしている。


「由沙はもう家に帰ったのか?」


 由沙の顔が見えなかったことに二郎は疑問を覚えた。もうとっくに、ここにいるはずだった。彼女が飛びだしていったのは昼過ぎだ。いくら交渉が長引いたとしても、とっくに終わっていなければおかしい。


 いや、由沙の場合粘り倒している可能性も無きにしも非ずだが、相手がそれに付き合う時間がないはずだ。なにより、警察から正式にテレビ局には公開捜査の依頼が届いているはずだ。


「いえ、まだ帰所していないですね。連絡もありません」


 嫌な予感がした。いくらなんでもおかしい。この時間になるまで、由沙が連絡も寄越さずに不在にすることは、二郎には考えられなかった。


「それはおかしいな」

「私はてっきり二郎さんに同行しているのかと思っていたのですが、違うのですか?」


 由沙は二郎とともに外出したのだから、波留がそう思うのも当然だろう。


「連絡してみましょう」


 波留は受話器を取った。けれども、状況は芳しくないようだ。渋い困り顔で波留が顔を上げる。

「出ませんね。電源は切れていないようですが」

「波留さんは連絡を取り続けてくれ」


 二郎はソファに腰を下ろして腕を組み、目をつぶって状況を整理する。


 彼女は以前からこの案件にこだわっていた。テレビ受けしそうな飛び切りの美少女。Webでの話題性。失踪した状況。助かってほしいという気持ち。そんな要素があいまって、由沙は動いていた。


 それがどうして連絡がつかないような状況になるのか。事務所に報告もせずに、自宅に帰ったとは考えにくい。どこかで居眠りでもしているのだろうか? あり得ない。なにかに駆られて独自に動いているのだろうか? それとも……。


 様々な状況が脳裏に浮かんでは、あり得ないと消えていった。考えれば考えるほど不安になる。なにごとにも遮二無二しゃにむにとりくむ由沙の顔が脳裏から離れない。


 ふと、二郎は由沙のデスクを見た。閉じられたノートパソコン。小さなカレンダー。一輪挿しの花瓶。小ぎれいに整理され、立てかけられた数冊の青いファイル。その横に不似合いな文庫本が一冊。


「お妙!」


 二郎の呼びかけに、間を置くことなくお妙が現れた。なに事かと目を丸くして彼を見上げている。


「頼みがある。お願いだ、由沙を探してくれ」

『由沙お姉ちゃんだね。わかった』


 薄くなっていくお妙の頭を撫でつつも、二郎は考えを巡らせ続けた。漠然と考えてはダメだ。嫌な予感に従い、最悪の状況を想定してとりあえずお妙に探させたが、ただ結果を待つということはできない。


 無事を前提に考えては無駄だ。由沙が陥りうる最悪な状況とは? なにか予兆となるようなことは今までなかったか? 見てきたこと。聞いてきたこと。経験してきたこと。それらを総動員して二郎は考えた。


 考えがまとまらず、再び由沙のデスクに目をやる。


『その本を渡された日に受けた面接に受かったんです』


 あのときの彼女の言葉が、記憶の闇から浮かび上がってきた。


『おまえ、ミステリー好きだったか?』


 たしか、そんなことを言ったのがきっかけだった。『ミステリー』その言葉が頭から離れない。考えうる最悪の状況が、その言葉にマッチする。


 由沙を排除して得するような人物は? 彼女を疎ましく思うような人物は? なぜ得をするのか? なぜ疎ましく思うのか?


 沢山のヒントが思い浮かんできた。由沙が関わってきたことは、ほとんどがテレビ関係だ。障られたときもそうだった。彼女はしつこい。あきらめない。正義感が強い。いつも二郎が絡む企画を売り込んでいる。


 最も彼女を疎ましく思う人物は、アイツしかいなかった。


 そう思った瞬間、お妙が現れる。


『見つけたよ。由沙お姉ちゃんね、ボーっとして大っきか道ば歩いとったよ』

「場所は分かるか」

『えっとね、あっち。海のそばだよ』


 その言葉ですぐに分かった。二郎が今日捜索して回った近くだ。


「そうか、よくやった。ありがとうな。お妙はそのまま由沙に付いていてくれるか」

『うん』


 お妙の姿が薄くなり、二郎が声を張り上げる。


「波留さん! 運転を頼む」

「急ぎですか?」

「大至急だ」

「見つかったんですね」

「ああ」


 二郎は慌てて事務所を飛びだし、波留もそれに続く。


「熱海方面へ向かってくれるか」

「了解です。飛ばしますよ」


 熱海へと向かう車の中、二郎はもう一度状況を整理していた。あれだけ意気込んで飛びだした由沙が、交渉を失敗した程度で意気消沈するとは思えなかった。彼女の性格だ。たとえ一時的に落ち込んだとしても、すぐさま次の目標を定めて動きだす。それは確信めいたことだった。


 そんな由沙が、今頃熱海に行こうとするとは考えにくい。電話連絡もせず、状況も考えずに、ただ熱海に行った二郎のもとに戻ろうとする。そんなことはあり得ない。


 ならばなぜ、由沙はボーっとして熱海を歩いていたのか? 今までの状況を考えると、答えは一つしかなかった。


 しかしまだ、分からないことがある。なぜ由沙が熱海にいるのかだ。彼女がボーっとしている理由。それは霊的に操られているからだ。お妙は何も言わなかった。だから霊に取り憑かれているわけではない。催眠術のようなものだ。恐らく彼女の意識は途絶えている。


 そこまでは分かったが、なぜ熱海なのかが分からなかった。二郎を追いかけた? それはない。彼女は誰かに操られている。そしてその犯人にも見当がついている。


 けれども、犯人と熱海が繋がらなかった。熱海が関係しているのは糸川奏の誘拐犯だ。由沙を操っている犯人との接点が思い浮かばない。偶然の一致か、それとも……。


「考え事ですか?」

「そうだな、なにから説明しようか……。まず、由沙は誰かに操られている可能性が高い」

「可能性ですか」

「ああ、ほぼ確実なんだがな。それでだ、由沙を操っているであろう犯人と、今捜索している糸川奏の誘拐犯が繋がらねぇんだ。なぜ由沙が熱海を徘徊している? それが分からん」

「偶然とは考えにくいですね。ですが、それは今重要なことですか?」

「対策を考える上では重要だ」

「対策がなければ和泉チーフを救えないのですか?」


 その問いかけは、悩んでいる二郎をなにかへと導こうとしているかのようだった。今最も重要なことは、一刻も早く由沙の身柄を無事に確保し、正気を取り戻させることだ。


「いや、そんなことはない。危機に陥る前に助け出せば良い。今も危ない状況だがな」

「では急ぎましょうか」

「そうしてくれ。俺は霊力が少しでも回復するようにひと眠りする。熱海のホテル街に着いたら起こしてくれ」


 熱海から事務所までの帰路で、二郎は二時間ほどの睡眠を得ていた。しかし、由沙を操る犯人と相対する可能性がある以上、すこしでも多くの霊力を回復しておきたかった。彼は深くシートに身を預けると、由沙の無事を信じて目を閉じた。

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