第38話:霊能捜査――その五

 熱海といえば古き良き温泉街のイメージを抱く人も多いだろう。しかし、今やこの地はリゾートエリアとして復活しつつあった。美しくライトアップされた夜のビーチ。現代風な高級ホテル。


 しかしそんな中にも、今にも崩れそうな廃ホテルがあったり、ツタに覆われたいかにもな廃墟があったりと、けっこう混沌としているのが現状だ。


「ああ、あそこです。見えてきましたね」

「今にも崩れそうだな」


 車が止まったのは街中にある寂れたというか、場違いにボロボロな廃ホテルの前だった。簡易的なフェンスに囲われてエントランス部分や一階の様子はうかがえないが、見上げると鉄さび色に侵食された今にも崩れ落ちそうな壁や、割れた窓ガラスが痛々しい。


「入っていいんだよな」

「大丈夫です」


 誰かが侵入したであろうフェンスの隙間に二郎は身を潜らせた。警部と刑事、父親が続く。エントランスのガラスが割られており、ロビーの床にはガラスや石ころ木くずや雑誌などが散乱していた。


「なにかあるとマズい。後からついてきてくれ」


 館内見取り図で探索経路を把握した二郎を先頭に、先を急ぐ。彼一人なら灯りは必要ないが、後続のために彼は懐中電灯で前方を照らしながら廊下を歩いた。


 外見からでは分からないような曲がりくねった廊下を進み、一部屋一部屋結界の有無を確かめていく。


「いかにも出そうな雰囲気ですね」

「お前は信じないたちじゃないのか?」


 後ろから声をかけてきた警部に、二郎は意外そうに返していた。


「二郎さんという現実を見ましたからね。信じるも信じないもありませんよ」

「自分の目で見たものしか信じないタイプか」


 そう言いながらも、二郎の視界にはしっかりと霊体の影が数体捉えられている。が、脅威と呼べる存在ではなかった。


「なら大丈夫だ。霊なんてよほどのことがないかぎり常人には見えん。ここにもなん体か居憑いているが、悪さができるような奴はいないからな」

「えっ? 憑いているって、いるんですか?」

「ああ、霊体はさっきからなん体か見かけたぞ」


 歩きながらも、のほほんとのたまう二郎の背中に警部がピタッと張りついてきた。ブルブルと震えているのが彼の背中に伝わってくる。刑事は笑いをかみ殺し、父親は見えていないのか無反応だった。


「なんだ、怖いのか?」

「にっ、苦手なだけです!」


 そんなことがありながらも、この廃墟はハズレだった。車まで戻り、刑事が無線でなにやらやり取りをして次の廃墟へと向かう。


「全部で何件くらいあるんだ?」


 助手席に座った二郎の問いかけに、警部は少し間をおいて答えた。


「このペースでいけば、今日だけで十件ほど回れると思います。最悪、五日もあればすべて回れるかと」

「五日も……」


 父親が絶望したような顔でそう呟いたが、それは運悪くアタリが最後のほうになった場合だ。全てハズレという可能性も残っているが、今はそんなことを考えている場合ではない。


 刑事が乗った車が動きだした。警部がハンドルを切ってその後に続く。


「心配なのは分かるが、なるようにしかならん。もし奏さんに何かあったら、俺の相棒がすぐに気づく。安心しろとは言わんが、打てる手は打った」


 二郎ははたと閃いた。今、由沙がテレビ局に掛け合っている。その手助けができるかもしれない。


「糸川さん、あんたテレビKTに知り合いはいるか?」

「はい、幾人かおりますが」

「なら話が早い。その伝手を使って公開捜査の圧力をかけてもらいたい。できるか?」


 父親がハッと顔を上げ、その眼には希望の光が灯ったようだった。


「なるほど、それなら私にもできます」


 父親はすぐさま内ポケットからスマホを取り出し、どこかに掛けはじめた。運転しながら二人の会話をきいていた警部が、一瞬ミラーに視線を移し、なにかを思いついたように口を開く。


「テレビKTと言わず、全ての局に依頼しましょう。ニュースならどこの局も大丈夫なはずです。それに、ニュースで報道されれば圧力にもなります」

「たしかにそうだな。警部さん、俺が関わってるってことも報道するように頼むぞ」

「もちろん分かってます」


 警部はパッシングで刑事が乗る車両に合図をし、ウィンカーを点滅させて車を路肩に寄せた。しばらくして停車し、すぐさま無線を使って指図している。


 これで犯人へのけん制にはなるだろう。わざわざ結界を張って糸川奏を隠しているくらいだ。犯人も二郎のことは知っているだろうし、行動にも制限がかかる。由沙へのアシストにもなるし、なにより糸川奏の命がかかっている。たとえこの場に由沙がいたとしても、反対することはないだろう。というか、彼女の性格なら是非にと言って警部へ詰め寄る様子が二郎には幻視できる。



 そんなことがあって車内の雰囲気は若干マシになったが、それも夕方になるころには、どんよりとした気まずいものへと変わり果てていた。


 今日探索できた廃墟は都合十一件。そのすべてがハズレだったからだ。


「今日はもう終わりだ。暗くなると霊の活動が活発になる。お前たちを廃墟に連れていくことはできん」

「仕方がありませんね」


 薄暗くなった車内で、父親だけは納得できない顔をしていた。その父親が絞りだすように言った。


「あと一件、一件だけでもダメでしょうか」


 二郎にも彼の気持ちはよく分かる。しかし、張りつめた緊張を強いられ続けた探索で疲れ果てている。体力的な問題ではない。


「俺の霊力が尽きかけてんだよ。残念だが、今の状態ではお前たちを守ることができん。それに、もし見つけても結界を破ったところで俺の霊力が尽きる。犯人が居たら俺たちは全滅だ」

「無理を言って申し訳ありません……」


 無念そうにしている父親に、二郎はなにも言うことができなかった。

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