第17話:経理 居波波留

 武嶋真由の一件以来、二郎と由沙は多忙とは言えないまでも、わりと忙しくしていた。


 由沙は事務所に籠ってビデオ編集にかかりきりだ。なにせ斉藤芸能探偵事務所には金がない。悲しいほどに貧乏で、制作会社に依頼することもできなければ、警察からの放映OKの許しがでていない今、テレビ局の制作部署に話を持っていくこともできないのだ。


 せっかく週刊誌にリークして世間の注目を集めたのに、これでは台無しだと由沙は憤慨していた。だから彼女はできることは自分でやると、毎日一人で愛用のノートパソコンと向かい合い、真新しいデスクと一体化したオブジェのような存在になり果てている。ときおり奇声を発しながら悶えるように頭を抱え、次の瞬間には歯を食いしばって画面に向かい、マウスを操作している。


 慣れないビデオ編集作業。失敗も多いのだろうと、二郎は由沙をそっとしておくことにした。スマホはある程度使えるようになったが、パソコンの扱いは素人以下だ。ましてやビデオ編集など、彼の手に負える範疇はんちゅうになかった。


「由沙、無茶すんなよ」

「ああなった和泉マネージャーは誰にも止められませんよ。それより斉藤さん、おふだはどうなっていますか」


 そう声をかけてきたのは、経理として入所してきた男、居波波留いなみはるだった。かつて二郎が博打打ちと評した、警察署に公安委員会向けの届出書を提出してくれた男だ。


「波留さん、どうしても今日やらなきゃダメか」

「ダメもなにも、一日に書ける枚数が決まっている以上、きっちりノルマをこなしていただかないと」


 薄いストライプが入ったブランド物の高級スーツを身にまとい、縁の細い眼鏡をクイっと指の先で持ち上げながら、波留は不機嫌顔の二郎に言ってのけた。


 波留が言うノルマとは、魔よけの木札と結界の護符のことだ。初っ端から資金繰りに行き詰っていた斉藤芸能探偵事務所の窮地を救うべく、彼は二郎の霊能力を徹底的にリサーチした。


 面倒くさがる二郎を上手く言いくるめ、もっとも効率よく換金できる能力をチョイスした。それがお札や護符だった。


「キチィんだがなぁ」

「騙されませんよ。さぁ斉藤さん、キリキリ働きましょう」

「しゃぁねぇなぁ」


 二郎はこの男、波留に逆らえない。弱みを握られているわけではないのだ。この男、じつに話術が巧みなのだ。理路整然と正論を説き、反論を許さない。


 最初は面白みのない男だと考えていた。だが違うのだ。話してみれば冗談も言うし、皮肉めいたことも口にするしで、しかもそれが面白い。口が達者という言葉があるが、この男の場合、達者なうえに空気を読む力が飛びぬけている。いや、空気を支配する力といったほうがいいかもしれない。


 しかもイケメンである。身長は二郎と同じくらい高く、スラリとした体型なのも変わらないが、顔も頭脳も理知的で嫌味がない。危険な香りとフェロモンで勝負する二郎とは、対極に位置する何から何までスマートな男である。


「何枚だったっけ?」

「木札が四十枚、護符が十組ですよ」


 それだけではない。波留はこの事務所にとって、今やなくてはならない重要人物になっていた。経理関係はもちろんのこと、法律関係にも通じていて、彼がいなければ違法操業しているところだったのは前述のとおりだ。


 二郎はかつて、波留のことを無謀な勇者だとか博打打ちだとか評したが、きっとすべて考えづくで、この事務所に移籍したのだろうと今では考えている。


 水瀬の移籍のときにも波留は大活躍し、法律や条例を盾に完全理論武装で元いた事務所の社長とやりあったそうだ。公正取引委員会が、退所後の芸能活動制限は独占禁止法違反にあたるとの見識を示したことも、追い風になったと聞いている。


 そのときのことは由沙に教えてもらったのだが、そのおかげもあって、水瀬は今日もテレビ出演のための撮影に出向いている。


「水瀬は一人でちゃんとやれてんのか?」


 本来は由沙が付き添うべきなのだが、彼女は今、彼女曰く事務所の命運をかけた仕事をしているから、ここから離れられないらしい。


「彼女は大丈夫ですよ。制作会社の方にちゃんとお願いしてありますから。斉藤さんが心配することではないです。私から見れば斉藤さん一人のほうが危なっかしくて。そんなことより、お札お願いしますね」


 事務所の名前からも分かるとおり、二郎は一応ここの代表である。しかし、運営面においては波留が実質的な代表であり、二郎はお飾りに等しかった。


 そんな波留からの催促だ。彼の綿密なリサーチの結果、現時点で――とは言っても疑惑が晴れたあとになるが――最も容易に換金できる二郎の固有能力が、お札や護符を書いて売ることだった。しかしそれらは、ただ書けばいいというももではない。筆に霊力を込め、お札や護符に定着させる必要があった。だから疲れるし、一日に書ける上限があるのだ。


「わーった、わーった。書きゃいいんだろ書きゃ」

「はいはい、サクっと書いてくださいね、サクっと」


 ようやく観念した二郎は、ブー垂れながら自分のデスクに腰を落ち着けた。一応彼が代表だから、デスクは事務所の最奥に皆を見渡せるように配置してあった。


 二郎はまだ二十三歳の若造だ。社会経験は未熟も未熟、ましてや社長業など時期尚早も甚だしい。彼自身がそう思っている。心から思っている。由沙は同い年、水瀬は年下、波留は最年長とはいえまだ三十路前。だから年齢的には二郎が社長でも、外聞的には違和感がないだろう。けれども彼には自分が社長であるという事実に違和感を覚えている。


 だからこの位置に座るのは抵抗があった。デスクも一人だけ立派そうに見える木目調だし、今座っている椅子にも立派なひじ掛けがついている。


「あ、そういえばですよ二郎さん」


 作業が一段落したのだろうか、パソコンに顔を近づけていた由沙が、がばっと上体を起こして問いかけてきた。その様子がたまたま目に入った二郎は、ニヤリと笑みを浮かべる。今はお札を書く気分ではないのだ。


 いいタイミングだ。お前は本当に気が利く女だな。とは口にこそださないが、二郎はその思いを笑みに乗せたのだった。


「なんだ急に?」

「真由ちゃん事件の顛末、どうなったんですか?」


 そういえば伝えてなかったかと二郎は思いだした。すぐに睡眠をとれるように場所はホテルの一室だったが、両親との別れを済ませたのち、引き続き警官四名にお札を渡し、真由と対面させたのだ。もちろん費用は警察持ちで、警官の中にあの刑事は含まれているが、いけすかない若い警部は顔を見せなかった。


「ああ、それな」

「そう、それそれ」

「それは私も興味ありますね。どうにも気が乗らない様子ですから、お札を書くのはこの話を聞かせてもらった後の午後からにしましょうか。時間的にもそれがいいでしょう」


 二郎は波留の意外な一面を見た気がした。話が分からない男ではないとは思っていたが、ゴシップネタには全く無関心なこの男が興味を示したのは、やはり身内の疑惑と事務所の命運が絡んでいるからなのだろうか。


「しゃぁねぇな。そういうことなら話してやる――」


 言葉とは裏腹に、二郎は嬉しそうに語りだした。初めて霊の姿を見た警官たちは、それはもう驚いていた。気分が乗っていた彼は実演を交えながら、多少の脚色を施して顛末を語っていった。


「部下に威張ちらしてた警官が幽霊苦手でやんの。ブルブル震えながら顔青くしてな、必死に質問してたっけなぁ――」


 真由はそんな警官にも可愛らしい笑みを向け、犯人についての情報を事細かに語っていた。もちろん犯人は今でも生きていて、許せないことに幸せそうな家庭を築いていたのだ。大学生と高校生の二人の息子までいる。


 世間体は真面目で人当たりがいいお父さんを演じているが、その実は幼女趣味の変態野郎で、今でも真由を殺害したときの画像データを隠し持っていた。


 真由はその在処までを詳細に話し、犯人は現在事情聴取中だ。


「――でな、被害者は真由ちゃんだけじゃなかったんだ。他にもう一人犠牲になっててな。そっちの霊まで降ろすことになって大変だったんだよ。遺骨ももう見つかってるはずだ」

「許せないですね。でも二郎さん! それって大スクープですよ。局に売り込みましょうよ」


 由沙の顔は怒りに震えているようだった。けれども、ちゃっかり金儲けしようとするところはしたたかだと二郎は思った。


 そんな由沙をたしなめる男がいた。波留だ。


「いや、それは止めたほうがいいでしょう。いいですか、和泉マネージャー。当事務所は探偵事務所でもあるのです。機密を漏らすということは信用問題に直結しますからね。安易に目の前の利益に飛びついてはいけません。信用という実をとるべきでしょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る