第15話:秋の山肌

 二郎と由沙を乗せて都市部を抜けた車は、小麦の幼苗が描く緑が薄く広がる田園地帯を通りぬけ、赤や黄色に色づいた山間部へと差しかかっていた。後方には武嶋夫妻を乗せたパトカーが続いている。


「迷わずナビしてくれて助かるんですけど、二郎さん、ずいぶんスマホの使い方上手くりましたね」


 彼がスマホを使いはじめたのは、もちろん現世に帰還を果たしてからだ。使用歴はまだ一年ほど。しかしさすがにそれだけあれば、普通に使えてもおかしくはない。


 由沙にしてみれば、しょっちゅう聞かれて教えていたせいだろうか、スマホとかパソコンみたいな情報端末の扱いを、二郎が苦手にしていると思いこんでいるきらいがあった。


「いくら俺が十年も世捨て人してたっつってもな、まだ二十三だぜ。世間的には若者なんだよ。ジジババと一緒にすんじゃねぇ」


 多少憤慨してみせた二郎だったが、もちろん本気で怒っているわけではない。由沙もそれが分かっているのだろう、すこし芝居がかった口調で反論してみせる。


「あら、最近の高齢者はけっこうスマホ使ってるんですよ。つい最近の記事で高齢者のガラケーシェアをスマホが抜いたってありましたから」

「次を右だ」


 けれども二郎は気にするそぶりさえ見せず、ときおりスマホに目を落とし、ナビを続けている。由沙はといえば、前方を見据えて堅実な運転を心がけているようだ。


 いつもの危なっかしい運転とは違って今日はやけに安全運転だなと思ったが、後ろに列をなすパトカーを思いだし、なるほどと納得した二郎だった。


 しばらくして、ついさっきまでのどこか芝居がかった由沙の顔が、真剣なものへと変化した。


「たとえ遺骨でも、ようやく娘に会えるんですね。長年探し続けてきた想いが報われるんですもの」

「そうだろうな」


 由沙にとっても未来を明るくするための一歩なのだろう。横から見たその瞳に悲壮さは浮かんでいない。


 武嶋夫妻にとっても、どんなかたちであれ、探しつづけてきた娘の実体に再会できるのだ。それは親子にとっても、先へと歩みだすための第一歩となる。そこまで由沙が理解したうえで、前へ進もうという気持ちが表れているのだろう。


 そんなことを考えていた二郎だったが、なにも気にしていないというわけではなかった。


「水瀬、ベタベタすんな」


 水瀬が後部座席から二郎の胸元まで両手を伸ばし、シート越しに抱きついている。首筋から耳の裏側あたりに彼女の甘い息がかかり、いかに彼女のことを女として意識していない彼であっても、女の吐息というのは感じるものがあった。


「私はこうしていたいの」

「ならそうしてろ。だが、邪魔だけはすんなよ」

「さすが二郎、話が分かる」


 感じるものはあるが、それで水瀬を女として意識するかといえば、そうではない。やはり二郎にとって、彼女は可愛い仔猫みたいな存在なのだ。仔猫にじゃれつかれ、それを邪険にするような男ではない。可愛いじゃないか、すきにすればいい。そう彼は思っている。


「そこを左だ」


 道沿いにはいよいよ人工物が少なくなり、どちらを見ても視界に入るのは自然物だらけになってきた。左を向けば杉林、右を向けば谷底の渓流、その向こう岸の山肌には色づいたブナやナラの原生林が広がっている。


 道路は舗装されているが一車線しかなく、ぎりぎり離合できる道幅だ。しばらく進み、道の右手に細い鉄橋が見えてきた。そのたもとに数台駐車できるスペースがある。


「あそこに車を入れろ。ここからは歩きだ」


 迷いなく指示した二郎は、先に車を降りて鉄橋の向こうにつづく山道に目をやった。秋の深まりを感じさせる木々が赤や黄色に色づき、未舗装の山道に降り注いでいる。


 彼の瞳には、鉄橋の向こう側、山道の入り口に真由の霊体がはっきりと映しだされている。どうやらここから案内してくれるらしい。正直助かったと二郎は真由の霊に目配めくばせせした。


 これから今日一日、霊力を使う機会が幾度も控えている。できるだけ温存しておきたかったのだ。二郎の力だけでもルートを見出せるが、道案内してもらえるのならそれに越したことはなかった。


 そうこうしているうちに白黒ツートンのパトカーが三台、空いたスペースに駐車し、そのうちの一台からあの刑事と武嶋夫妻が降りてきた。由沙も車から降り、さっそく撮影をはじめている。


「今日はよろしくお願いします」


 武嶋夫妻は二郎に向かい、深く頭を下げた。


「安心しろとは言わないが、遺骨はこの先だ。それほど遠くはない。真由ちゃんが案内してくれるからな。必ず見つかる」

「ま、真由がいるのですか!」

「ああ、お前たちの間で見上げてるぞ」


 その言葉で夫妻の瞳がたちまち潤んだ。二人は腰を落とし、視ることができない真由を見つめるように慈しんでいた。その顔はまるで、彼女を安心させるかのような笑みだった。


 いつのまにか二郎のもとに歩み寄っていた刑事が、橋の向こうを睨みつけている。彼には真由の姿が見えてはいないだろうが、彼女が案内してくれるのだ。見つからないことなどありえない。


「本当に出るんだな?」

「そうあせるな。そろそろ行くぞ。遺骨はこの近くだ」


 そう断言して二郎は歩きはじめた。彼を先頭に一列になって鉄橋を渡り、真由の後を追うようにデコボコな山道を登っていく。


「この先だ」


 二郎が指さした先は、藪の先に見える森の中だった。彼は躊躇することなく、灌木が生い茂る中を掻き分けていく。途中、大きな石が地からせりだしていた。


「足元には注意を払え。コケんじゃねぇぞ」


 それは真後ろを歩く由沙に向かって投げかけられた言葉だった。藪は二郎が掻き分けているとはいえ、彼女はカメラをもって撮影しながら歩いている。足元がお留守になりがちなのは致し方ないだろう。


 案の定、石に足を取られそうになった由沙。そんな彼女を二郎は背中で受け止めるように支え、再度注意を促した。


「うっ、ありがとう」

「由沙、人の話は聞けとあれほど言ったよな」

「ごめんなさい。聞いてなかった」


 カメラを落とさなかったことと、正直に話したことには感心したが、なにかに夢中になると人の話が右から左なのはあいかわらずだ。こればかりは時間をかけて直していくしかないのだろう。反省はしているようだし、二郎はそれ以上の注意をせず、由沙の目を見て言った。


「もうすぐだ。行くぞ」

「うん」


 素直に頷いた由沙は、こんどは慎重に二郎の後に続いた。そこからすこし歩いたところで藪が途切れ、森に入る。そして数分歩いた先を彼は指さした。その上部には真由が浮いている。


「ここだ、遺骨を傷つけねぇように慎重に手で掘れ。それほど深くはない」


 刑事が顎を振って同行している警官に指示をだした。彼らは二人がかりで二郎が指示した地面の枯葉を手で払い、むき出しになった腐葉土を掻きだすように掘り下げていった。

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