強面霊能者とちょいブスマネの事件簿
九一七
第1話:手品師 斉藤二郎
蛍光灯の光に白く照らされた清潔な小部屋は、飾り一つなく無機質で、遊び一つなく無味だった。風情の一つも感じられない。そう思ってしまうほど、彼のご機嫌はナナメだ。
たとえば薄暗く薄汚れた小部屋で、チープなスタンドライトの明かりに揺らめくタバコの紫煙が浮かびあがっているような、いかにも昭和の刑事ドラマにでてきそうなシチュエーションだったなら、
それはさておき、白く無機質なテーブルを挟み、彼の対面、下座には男が座している。歳は五十過ぎだろうか。目尻に彫り込まれた幾筋もの小
二人の周囲にはただならぬ空気が満ち、その鈍重な空間をアイスピックで貫くかのごとき視線がぶつかりあっていた。
ふと、下座の男が眼下の用紙に視線を落とし、脂ぎった渋い面構えをゆがめるように頬杖をついた。
「本名は?」
上座の彼は座した両足をすこし広げ、堂々と背筋を伸ばしている。両腕を組み、恐れすら抱かせるほどの仏頂面で下座の男を見据えていた。その眼光が、元来の野性的な顔立ちもあいまってより恐怖を演出している。
「斉藤二郎」
幾多の修羅場をくぐりぬけてきたであろう、達観した雰囲気が下座の男にはあった。泰然と脱力した態度もあいまって、いかにも刑事然としている。
「年齢は?」
小心者でなくとも逃げだしたくなるような張りつめた空気のなか、壁に掛けられた丸い時計の秒針だけが、カシャリカシャリと機械的な時の刻みをつみかさねている。
「二十三」
ボソリとつぶやいた彼、斉藤二郎の
「じゃぁ本題だ。一年前の今日、お前はどこで何をしていた?」
何度も何度も繰り返される問いかけ。反復するその一連の流れは、物語のループもの、しかもイライラが募るだけのクソ展開な駄作を想起させるに十分な要素を内包していた。二郎は辟易していたが、決して自分からは折れないという信念を貫き、同じ返答を繰り返している。
聴取が始まってからすでに、時計の長針は三周目を迎えようとしているが、恫喝じみた聴取を受けながらも彼が動じることはなかった。
「一年前はかく――」
「あー、それはもういい。
被せるように割り込んできた刑事は、右手に持ったボールペンの先を、用紙の片隅にコツンコツンと落としている。話を変え、先に折れたのは刑事だった。二郎の基準ではこの勝負、己の勝ちだ。
「そうだ」
「世迷言はテレビの中だけにしろや!」
刑事はテーブルに掌底をたたきつけ、唾を飛ばしながら声を荒らげた。椅子を通し、ズシリと揺れが伝わってきた。それでもなお、刑事を見据える二郎の強面は
二郎の心理など知るよしもないであろう刑事は腰を浮かし、テーブルにその上体を乗りだした。
「警察舐めんじゃねぇぞ」
低く、ドスの効いた声で刑事はつづけたが、もちろん二郎は動じない。あいも変わらず仏頂面を維持している。
「どれだけ売れてるのか知らんがなぁ、
だからどうした? 事件になんの関係がある? 公私の区別もつかんのか? こんな無能が刑事やってるから、冤罪がなくならないんだ。そう思った二郎だったが、そんなことはおくびにもださない。
「なあ、刑事さんよぉ。こんな三文芝居、いつまで続ける気だ」
息がかかる近さまで顔を寄せ、刑事はいまだに凄んでいる。ほんとうにウザい野郎だと、二郎はイラ立ちを募らせていく。しかしこれも、刑事が狙ってそう思わせているに違いないのだ。
精神的に疲弊するまで同じ質問を繰り返し、立場に乗じて答えさせ、追いつめたところで追い打ちをかけるように脅す。それが刑事の
「お前が吐くまでだよ」
冗談じゃない。
ニィ、と口の端を吊り上げた刑事を見て二郎はそう思った。彼の心情に、恐怖や不安の色はみじんも含まれていない。ただただうっとうしいだけだ。だから揺るがない。
「女優、喜多川みゆこと本名北田
どうだ。と言わんばかりに、マト外れな推理を
反射に負け、吹きだしてしまえばどれだけ楽になれるだろうか。しかしそれでは、いまだ得意顔の刑事に感情を揺さぶられたことになる。すなわち勝負の負けを認めたに等しい。それが二郎なりの哲学に即した彼独特の心理状態だった。
だから今、二郎は仏頂面を維持したまま笑いをこらえるという、一種の曲芸を披露している。しかしそんな涙ぐましい努力もむなしく、ついには限界をむかえ、頬がわずかにピクついてしまう。
「…………」
それでも二郎は踏みとどまった。我慢に我慢を重ねた結果、彼の顔は赤みと凄みを増し、額には血管が浮きでている。それはまさに、鬼の形相と呼ぶにふさわしかった。
二郎の変化を見て図星だと勘違いでもしたのだろう。刑事は一瞬ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべ、顔をさらに近づけた。すこしでも動けば、互いの額が触れてしまいそうな間合いだ。その様子は、二人の形相もあいまって、ヤクザ同士のガンの付けあいと区別がつかない。
「そうだよな。斉藤二郎!」
「はぁぁぁ」
深く長いため息だった。
吹きだすことを我慢するあまり、酸欠で息苦しくなった。息継ぎが必要だったのだ。しかしそのおかげで、わずかばかりの平常心を取り戻すことができたのは、幸いだった。
「なぁ刑事さんよ。臭ぇからいいかげん顔離せや」
「ようやく話す気になったか」
死体遺棄と殺人を認めるつもりなど二郎には毛ほどもなかった。対面の刑事は椅子に座りなおし、腕を組んで聞く姿勢をみせている。
「最初に忠告しておく。話は最後まで聞けよ」
二郎の言葉が予想外だったのだろうか、刑事は瞳をわずかに太くした。が、それはすぐに元の大きさに戻った。動く様子をみせないということは、いちおう聞くつもりがあるのだろう。
「まず第一に、俺は喜多川みゆとは白骨遺体以外会ったことすらないし、話したこともねぇ。だいたいだ、当時一般人の俺がどうやって有名女優と接触できる? できるわけねぇよな」
「それを吐けと言ってい――」
「黙れ!」
怒りとともに抑えこんでいた霊力が解き放たれた。立ち上がりかけた刑事は、衝撃に押されたようにへなへなと腰をもどす。
極限までイラついていたことで体内から漏れだし、この部屋の不穏な空気を作りあげていた二郎の霊力。それが一点に集中し、上乗せされた一喝だった。幾多の修羅場をくぐり抜けてきただろう刑事であっても、所詮は一般人。
「話は最後まで聞けと言ったよな。聞いてなかったのか?」
「お、おぅ」
「本当はやりたくなかったんだがな、このままじゃらちが明かん」
二郎はここに来る前、霊視で行方不明者を捜索するというテレビの生番組に出演し、白骨遺体を探しあてていた。たび重なる霊視の結果、かなりの霊力を消耗している。殺人及び死体遺棄事件の重要参考人として取り調べを受けている今でも、それは回復していなかった。だから霊力を大量に消耗するこの手段は使いたくない。それでもやらなくてはならないと彼は判断した。
いちおう任意同行という形をとっているが、職務質問のそれとは次元が違うのだ。法律を建前に霊的な力に任せて強引に立ち去ることも考えたが、あとあと面倒だと思い、この茶番につきあっている。
そんな
「でもその前にだ。こう見えて俺も忙しい身なんだ。刑事さんよう、冤罪って知ってるか? 小はくだらない職務質問から言いがかりをつけて点数稼ぎの任意同行。大は今あんたがやろうとしてることだ」
それは全部、自身で経験したことへの不満だ。
「いいか、よく聞け。お前ら自分のことしか考えない無能警官はなぁ、善良な一般市民の迷惑も顧みねぇで自分の利益だけ優先しやがって……」
不満をぶちまけている途中、熱くなってしまっていることに二郎は気づいた。募り募ったイラ立ちと、警察への不満がそうさせていた。数拍の間をとり、大きく息を吸って気を落ちつかせる。すると仏頂面はどこかに消えさり、短めのナチュラルツーブロックがよく似合う、野性的で整った顔がそこにあった。
すこし気まずそうに二郎が口を開く。
「すまん言い過ぎた。だが心しておけ。今から俺がモノホンの霊能者だっつうことを、あんたのその身に分からせてやる」
二郎は立ち上がると静かに目を閉じ、ゆっくり息を吐きだしながら精神を研ぎ澄ませていった。いつもテレビでやっている降霊をする前の作法だ。安物ではないダークブラウンのカジュアルスーツが、すらりと背が高い彼のスタイルを引きたてている。
霊力が両
柏手が胸の前で打ち合わさったそのとき、集まっていた光が部屋中にパッと広がり、散りゆく花火の火花のようにキラキラと霧散していった。
「われは道を示す者なり。その者に連なる
数拍後、刑事の背後に淡い光が後光のように輝き、人型のなにかが薄っすらと姿を現した。
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