第32話彼女と僕の関係

 東京旅行は早いことに二日で終了した。予定では、あと一日は滞在するつもりだったのだが、希の父親が急な仕事で既に家を出ているらしく、このまま東京にいる理由もなくなったために帰ってきた次第だ。


 正直、ホッとした自分がいる。東京での鮮烈な記憶は死ぬまで忘れないだろう。しかし、やはりあの夜のことが忘れられない。


 今まで、僕が消えることに対して、仕方ないと理解を持っていた彼女から溢れた弱音。

 嬉しすぎて、悲しすぎて、東京にいると常に考えてしまった。


 この一ヶ月、彼女と過ごした日々は、灰色だった僕の世界に鮮やかな色を塗り、人としての感情を思い出させてくれた。

 でも、彼女の重荷になることを僕は望んでいない。未来ある彼女には、八月が過ぎたらすぐに忘れてもらいたかった。前だけ見て歩いて欲しかった。

 

 名前を積極的に調べなかったのは、名前を伝えてしまえば、どうやっても忘れることは難しくなる。だから、という彼女なりの愛称で良しとしていた。


 しかし、名前という問題は、一緒に生活するうちにちっぽけなものとなった。


 彼女の今後の足枷になりたくない――そう思う反面、心の中で忘れて欲しくない、僕だけを見て欲しい、もっと色んな君を見せて欲しいという気持ちが大きくなってしまっている。


 残された三日で、僕は彼女とどうやって接するべきなんだろう。


 葛藤する僕のことも平等に照らす太陽に迎えられ、僕と彼女は始まりの駅に帰ってきた。

 喧騒に塗れていた東京とは違い、老人と観光客がまばらに見られ、どこか安心感を覚える。


「んー! 帰ってきたー! たったの二日だったけど、この空気がすごい久しぶりに感じちゃうね」


 大きく伸びをする彼女は僕に笑顔を向ける。


「空気が美味しいね。じゃ、帰ろう」


 彼女は少し驚いたように口をすぼめた。


「どうしたの?」


「いやね、帰ろうって。ちゃんと、あの部屋が幽霊くんの居場所になれてて、嬉しいなって」


「僕の帰る場所はあの部屋以外ないよ。ほら、早く帰るよ」


「……うん!」


 駆け足で寄ってくる彼女は隣に追いつくと、僕の手を握った。

 ドキッとしたが、彼女は子供のように握った手を大きく振り回す。きっと、なのだろう。


「君も変わったよ」


「えっ?」


「素直な感情、僕にたくさん見せてくれるようになったよね」


「何を言いますか。私はいつでも自分を取り繕いません。嘘じゃないよ?」


 空気を読む彼女だった人が、何を言っているんだろうか。でも、無意識に感情をさらけ出してくれるようになったのだとしたら、それはすごく嬉しいことだ。


「そうだね。いつも、君は素直だね」


「むっ。バカにされた気がするけど、まあいいや。ほら、早く帰ろーよ! 今日の晩御飯は何にしようかなー!」


「……焼うどんかな」


「おっ、ちょうど私もそう思った。じゃ、材料買って帰ろうね!」


 彼女とどう接するべきかなんて、考える必要もなかったかもしれない。

 これでいいんだ。


 僕と彼女の関係は――。





「黄色と赤。どちらの私をご所望でしょうか?」


 朝っぱらから謎の発言を受けた。


「えっと、意味がわからない」


「だから、浴衣だよ! 二種類ご用意がありますが、どちらが良いですかって聞いてるんだよ」


「あー、なるほど浴衣か……」


 八月三十日。この世界に居られるのも後二日となった僕のきっと最後のイベント。


「赤、かな。きっと、よく似合う」


「いいセンスだね。それじゃ、私は今から春華のところ行って着付けしてくるから、お昼ぐらいに集合ね!」


 祭りに行くというのに早すぎる集合に既視感を覚える。


「まぁ、いいけど」


「そうだ、せっかくだから幽霊くんも浴衣を着なよ!」


「いやだよ。恥ずかしいじゃん」


「だーめ。じゃ、私も着ません」


「うっ……わかったよ。でも、今から浴衣? 着物? って言われてもなぁ」


 そのようなものを人生で着た記憶がないため、どこに行けば調達できるのか全くわからない。


「じゃ、大人に頼ってきなよ」


 急に真面目な顔をする彼女。


「大人? ……あっ――」


 彼女の言いたいことが分かった。

 ちゃんと、挨拶をしてこい。そう言いたげな彼女なりの気遣いを感じた。




 彼女と一旦別れ、僕はある場所へと向かった。

 きっと、そこに彼女はいるのだ。


 確証はない。

 正直、足取りは重たい。


 誰だって、自分の埋まっているところになど行きたくはないだろう――という言葉は、矛盾しているどころか、意味が分からない話だ。でも、だ。


 おそらく今日が命日ではない。花火の日も昔とは違う。でも、彼女はきっとこの日はその場所にいるはずだ。


 海沿いの急坂を登り、その場所に足を踏み入れる。ある意味、幽霊にはお似合いの場所なのだろうか。

 規則的に並んだ石像の列を歩き、その姿を探す。


「あっ……」


 思わず小さく声が出た。

 淡い黄色の布地に赤い濃淡が散りばめられた浴衣。あの頃とは色を変えた髪はきちんとまとめ上げられている。座り込み、静かに目を閉じて墓石に手を合わせているのは、確かに僕の知る彼女だ。


 もう、会うことはないと思っていた。会わない方が良いと感じていた。

 それでも、希はきちんと挨拶をしてこいという。


 この場所に来て、希の判断が正しかったのだと改めて思った。


「浴衣、似合っているね。……彼羽」


 ゆっくりと振り向いた彼女と視線がぶつかる。

 

 僕を見ても、驚かない。


「あの頃と違って、やけに素直だね」


 意地悪げに呟く彼女はゆっくりと立ち上がった。

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