第5話居候

「誰もいないの?」


「えっ? いないよ。お母さんは私を産んだ時に蒸発。お父さんは仕事でいろんなところを駆け回ってるの」


「なんか、ごめん」


 軽率な質問を詫びると、希はなぜかニヤニヤと笑みを浮かべた。


「幽霊君って、いい人だったでしょ」


「そういうのって自分ではわからないもんだし、僕は別にいい人でもなんでもないよ。前にも言ったけど、僕と一緒にいると嫌な思いさせるよ」


「今の所はだいじょーぶ! さっ、上がって上がって。幽霊君、お腹空いてるでしょ?」


 もてなされるがままにアパートの一室にお邪魔する。どうやら父親が帰ってこないのは本当らしく、決して広いとは言えない一室が玄関からでも見てとれた。


「お、お邪魔します」


「はい、ぶーッ!」


 突然、彼女が手を左右に大きく広げ、僕の前に立ちはだかった。やはり、ニヤついている。


「なに? 突然」


 彼女はさらに口角を上げて、僕の腕を掴んだ。ぐいっと引っ張られる。


「お邪魔しますじゃなくて、ただいまでしょ!」


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 香ばしい醤油の焦げた匂いが鼻をくすぐった。一人暮らしには慣れているようで、彼女は僕を迎え入れるなり、すぐさま台所に立った。

 彼女といるとお腹が空くのはどうしてだろうか。いや、人間といるとお腹が空くのかもしれない。なんせ、僕がこの世界に来てから、関わりを深く持った人間は水上希だけだ。


 ぐるりと部屋を見回す。

 彼女の性格に反して、部屋は案外可愛いもので埋め尽くされていた。中でも特にぬいぐるみが目立った。たくさんのぬいぐるみがテーブルを挟んだ向かいの壁に寄り添うように並んでいる。テレビやパソコンなどは見当たらない。今のJKはこんな感じの部屋がデフォルトなのだろうか。


 玄関から入った直線通路にはトイレと風呂に繋がる扉と、その向かいには寝室に繋がる扉

。そして、今現在、彼女が料理をつくっている台所がある。

 

「ほれほれ、これから住む家の中を見回しても面白くないでしょ。さっ、できたよ! 食べよ!」


 彼女はサラダを盛り付けたボウル、大皿に入った焼うどん、そしてマグカップを二つテーブルに置いた。

 何か手伝おうと立ち上がろうとすると、彼女がまるでペットに言い聞かせるように「めっ!」と言って拒んだ。


「いっただきまーす!」


「い、いただきます……」


 まだ湯気の立つ焼うどんを一口、咀嚼して飲み込み、そしておもむろにもう一口。三口目に突入しようとしたところで、彼女が箸に手をつけずにニコニコと僕を見つめていることに気が付いた。


 視線が交差するが、彼女は何も言わない。まるで、何かを待っているような、そんな感じだ。

 もちろん、何を待っているのかなんて、鈍感じゃないんだからとっくにわかっているのだけど。


「……美味しい、です」


 彼女は満足したように頷き、箸を手に取った。




「そう言えば、幽霊君はお風呂入る?」


 彼女は洗った皿を軽く振って、隣の僕に渡す。僕はその皿を受け取り、手に持ったふきんで拭いていく。


「いや、この身体は汚れないから。別にいいかな」


 おもむろに彼女が上半身を倒し、そのまま僕の服をスンスンと嗅いだ。


「確かに、無臭だね。服まで無臭っていうのは意味わからないけど、まぁ、気が向いたら入りなよ。はい、ラスト」


「そうさせてもらうよ」


 僕は彼女から最後の一枚を受け取り、同じように拭く。

 ご飯を作ってもらい、一緒に片付けをする。これでは側から見れば、まるで同棲しているカップルにしか見えない。

 とは言え、今の僕は一ミリもドキッとしない。残念なような、別にどうでもいいような。本当にこの身体はおかしい。本能的な感情に関して胃以外は、まるで十八歳とは思えない。


「あっ、そう言えば、これ。渡しておくよ」


 ふと思い出し、ポケットから現金を取り出す。


「ん? なになに? 幽霊君が私にプレゼン――トォォォォッ!?」


 言い切る前に現金の束を見てしまったらしく、不自然に語尾が伸びている。

 彼女はなんとも言えない形相で、諭吉の束と僕の顔を見比べている。


「あのね、幽霊君。いくら幽霊だからって、泥棒はよくないと思うよ?」


「おい、違うわ。正真正銘、僕のお金だよ。今日、家に行って持って来たの」


「死ぬ前に貯めてたってこと?」


「そういうこと」


 料理の下げられたテーブルに無造作に現金を置いた。


「……ん?」


 彼女は首をひねる。僕もつられて首をひねる。まるで、鏡のように。


「え? 私が預かっておけばいいの?」


「違うよ。あげるって言ったの。どうせ、使わないから」


「いやいやいや! ダメだから! 幽霊君のものは幽霊君が使うの! おかしいでしょ。こんな大金をあげるって!」


 確かに高校生からしたら、二十万円はかなりの大金だ。でも、大金とはいえ、使い道も使いたい欲もないわけで、ならばせめて居候させてもらうのだから、彼女にあげてもなんらおかしくない、と思う。


 しかし、いくら話したところで彼女は「ダメだから!」の一点張りだ。


「とにかく、このお金は幽霊君が死ぬまでにしっかり使い切ってね! 残されても迷惑だよ!」


「そう言われても死んでるわけだし、お金の使い道なんて思いつかないなぁ」


 彼女はうーんと腕を組みながら唸る。しばしの沈黙。

 突然、彼女の頭の上にビックリマークが浮かんだように見えた。それは気のせいではなかったらしく、彼女はパッと顔をあげる。


「ふふーん。そんなに私に使わせたいのなら、叶えてあげましょう!」


「……というと?」


「明日、私の彼氏になりなさい!」


 ビシッと指を指されるが、今度は僕の頭上にはてなが浮かんだ。眼前の彼女は自分の答えに「そっかー。その手があったかー」などと自画自賛している。


「あの、意味がわからないんですけど」


「だから、明日デートにいくから、なんか奢ってよ! もちろん、全部幽霊君に払わせるつもりはないよ。私もしっかり出すし!」


「はぁ……?」


「きーまり!」


 彼女はおもむろに立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待って。そんな勝手に……」


 彼女の意見を正そうと、立ち上がった。そして、彼女を追いかけるような形になった。


「あっ!」


 彼女は不意に振り向き、再度僕に指を向けた。


 またこの顔だ。


 ニヤニヤしている。


「私、今からお風呂だから」


「……? だから?」


「反論なら、お風呂場で聞いてあげましょう!」


 絶句した。


 もちろん、そんなことできるわけもなく、今日何度目かの深いため息と共に静かに腰を降ろしたのであった。

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