サイドストーリー クリス編

「ただいま~」


 最初はただの、ちっぽけな違和感だった。妻であるフランは綺麗なベージュ色の髪が魅力的なのだが、それ以上に気になる事があった。

 例えば、大量の本が入った箱を家に持ってきた時。


「この荷物けっこう重いんだ……反対側、支えてくれないか? 大丈夫、支えるだけで、俺の方に重心寄せていいから」

「あー、うん……よっこいしょ」

「うおぉっ!?」


 フランの力が予想以上に強く、準備万端だった俺は転びそうになってしまった。フランは「ごめんごめん力入れすぎた」……それだけで済ませたのだが、あの荷物を簡単に持ち上げられるなんてどうかしてる。

 その後はアランとメリーにも手伝ってもらって、何事も無かったが。



「ごめん、ちょっと用事ができたんだ」


 二年半前、ゲボルグ自治区との戦争真っ最中の事だった。知人に呼ばれ、とある一族が住む森の近くまで足を運ぶのだと言う。危険だ、そう言っても聞かず、結局その日の朝にはいなくなっていた。


「俺も行くしかない……」


 単なる親切心。大切な妻を、どんな理由があったとしても危険な目に合わせる訳にはいかない。使命感もあった。俺は森へと走り出し、正午前には目的地に辿り着いた。


「まだ飛び火してはいないか」


 戦争による魔の手は迫っていないようだった。森は穏やかで、小鳥のさえずりで癒される。

 と、その時。小さいが人影を確認できた。木々に挟まる四人の中には、フランの姿も確かに存在していた。


「……っ!」


 急いでしゃがみ、背の高い雑草に身を隠す。


 一人は緑色の長髪をした男で、服には様々な装飾品を付けている。

 もう一人の男は短い茶髪。黒い服の上に白いジャケットを着用しており、恐らくブランク王国の親衛隊。つり目で性格は恐らく厳しいものだろう。

 その男の背中に右手を添えている女は、オレンジ色のボブヘアーでおしとやかな印象。袖が長く手も見えず、低身長という事もあってか弱く見えてしまう。


 そして最後に俺の妻、フラン。ベージュ色の髪はやけに艶があり、庶民の貧相な服装とまるで違いがあり過ぎる。


「この先に、我が王に歯向かう人間達が?」


 フランの発言は俺を困惑させる。『我が王』とはいったいなんなのか。その王が他の三人にも関係しているのか。緊張と疑問ばかりで胸が苦しい。


「あぁ、だが二手に別れているらしい。俺達の息子、『支配の青色』のキューアがそっちに向かってる」

「やっぱりあの子だけじゃ不安だよ、ブラウン……」

「大丈夫だってミカ。ステーシさんもいるし、新しく雇った『黄緑色』の人だっているって聞いたろ?」


 この二人も夫婦と見て取れた。不安がっているミカの様子は悲しい事に変わってはいない。


「さっさと行くぞ。今のうちに作戦を立てられては厄介だ」


 長髪の男が急かすと、他の三人も姿勢を直し森の奥へと消えていく。焦って追ってしまいそうだったがなんとか気持ちを抑え、しゃがみながら不格好な体勢で見守る事にした。ほふく前進の経験は無かったものの雰囲気で感覚を掴み、土だらけになりながらも姿を見失わないで済んだ。


 その先で見たものは────想像を絶する光景だった。


 “色”という力を使い、人が大地を鳴らし、人が雷を放つ。人が風を操り、人がそれを乗り越えていく。

 記憶は曖昧だった。それ程衝撃的だったからだ。今まで小説や絵画でしか創造できていなかった光景が、こうして実際に行われている。感動と恐怖が同時に襲ってきた。


 フラン達四人が負けた事に気づくのはかなり遅かった。形成が不利になったと感じ取ったのか、フランはなんと腕を伸ばし傷ついたブラウンとミカを抱かえ逃げ帰る。緑色の長髪をした男性には届かないため諦めたのか、結果として胸を針で貫かれ殺されていた。


 俺は固まっていた身体をなんとか動かし、フラン達の後を追った。よからぬ事に巻き込まれているに違いない、殺し合いなんてやめて戻ってこいと言いたかった。

 先程四人で集まっていた場所で立ち止まっている姿を見つけると、再びしゃがみこんで様子を伺う。


「くそっ……まさかあんなにも色の力が揃って、尚且つ使いこなせているだなんて……」

「こわい……こわいよブラウン。リョクも死んじゃったし、もしかしたらキューアも……!」


 どうやらあの長髪の男の名はリョクだったらしい。不安を語る二人だったが、直後フランが反論を繰り出した。


「……あなた達は逆らえない。そうでしょう? 息子を完全に『支配』され、あなた達二人も僅かながらに『支配』された……我が王が逆らった事を感知すれば、自らの体が死を選んでしまう」


 何を言っているのかは分からなかった。しかし今日目にした“色”の能力なのかもしれない、とは推察できた。


「あなた達は夫婦だから同情され、完全には意思を『支配』されなかった。感謝はしておくことね」

「うっ……」


 ブラウンとミカは苦い表情。『支配』というものが言葉そのままの意味ならば、人間の意思さえ自由に操られてしまう、という事なのか?


「……さぁ、今日はもう解散よ。身体を休めて、次に備えておきなさい」


 見たこともない高圧的な態度で接していた。あんな冷たい瞳と口調が迫っていては、反抗的な言動も到底できないだろう。

 するとフランは家の方角を向いて歩き出し、ミカとブラウンは城下町の方へと向かった。


 俺も勿論我が家には帰りたかったが、フランよりも先に戻る事はできない。どこかで時間を潰し、適当な用事という名の言い訳を作らなくては。しかしもう夕暮れだ。夜遅くに帰ってしまえば浮気や不倫を疑われてしまいそうだ。


「どうするか……」


 結局、悩んでいる内に日が暮れた。



 恐る恐る家に戻ったが、それどころではない事態が起きていたようだった。アランとメリーが子供達を連れて遠足に出かけていたが、道中に熊の親子に襲われ、アランに着いて行った子供達は全員殺されてしまったと。

 メリーによると、アランは助けられたはずのフェルマとトリシュを見捨て一人で逃げ帰ったらしい。


 二人が寝静まった夜。


「とりあえず明日、亡くなってしまった子達の親に謝りにいかなきゃね……。メリーは正義感から“アランのせい”だって伝えて、相当ショックを受けていたみたいだし……」

「あぁ、俺も一緒に行くよ。なんて謝っていいか、わかんないけど……」


 その日の事は追求できなかった。未だ不透明な出来事であり、俺達にとってはアランの方が気がかりだった。

 あいつはどこか、ズレている……そんな気がしてならない。罪悪感を一切抱いていない。話を聞いても「僕は悪くない」の一点張り。フェルマ達二人を助けようとしても、もしかしたら逃げ遅れて全滅、なんて可能性もある。一方的に責める事はできなかった。


「とりあえず、今日はもう寝よう」


 翌朝、起きてすぐに謝罪に回った。案の定責められ、罵声を浴びせられる事もあったが、どちらかというと同情の声の方が多く心配さえしてくれた。


「子供のした事だし、不慮の事故だった」


 誰にも責任を負わせられない諦めの溜め息と合わせて送られてきたその言葉は、俺の心に傷を負わせた。フランを追わずにアラン達に着いて行けば、こんな事にならなかったのではないかと後悔してしまう。


「もうこの話はやめにしましょう」


 フランとの約束を交わし、以降は脳裏にチラつかせる事はあっても口にする事は無かった。


 そして、現在いまに至る。約二年半の月日が経ったが、やはりフランの力が気になってしょうがない。外出する事は少なくなったものの、日常生活では明らかにおかしな点が見られた。

 以前のように重い荷物を軽々運んでいたり、扉が壊れてしまった時に無理やりこじ開けたり。

 更にはメリーにも異常が。ベージュ色の髪は艶が増していき、同じように常人離れした力を手に入れていた。熊の親子を追っ払った話も、これが理由と考えれば説明がつく。


“ベージュ色の力は、遺伝する”と。


 そして、元々フランは結婚生活がこれで二度目と言っていた。俺との間にメリーを授かる前。その時にアランと、もう一人を産み間もなく離婚。その相手の事も話してはくれず、気になって仕方がなかった。


 俺はいてもたってもいられず、休みの日にあの森へと走り出した。二年半前にフラン達が戦闘を繰り広げたあの森だ。敵対していた彼らがまだあの森に居るのなら、事情が聞けるかもしれないと考えた。


 前回とは違い隠れる必要もなく、森に全速力で入り奥地を目指す。しかし一時間程経過した時、気づいてしまった。


 …………完全に迷っていた。


 二年半前の事だ。当然帰り道なんて思い出せないし分からない。何やら森の住民である動物達も俺を睨んでいるようだった。歩いている内に段々と彼らの数も多くなってきたが、木製の家屋らしき建造物を見つけた。


「す、すみません! 誰かいませんか……!」


 動物達を刺激しない程度の叫びで助けを呼んだ。すると建物の扉がゆっくりと開かれ一人の青年が現れた。


「お? 来客とは……珍しいな」


 彼の髪はショートの黄緑色で、鼻にかかるくらい前髪は長く綺麗な顔立ち。迷彩柄で全身を覆っているのはあまり見た事のないスタイルだ。花柄のマフラーはかわいいのだが。


「すみません、迷ってしまって……少し休ませてくれませんか?」


 青年は快く了承してくれた。彼の名ははショオ。この森で暮らしており、人間は彼とその弟の二人だけ。そして“ロスト”という力も持っていると教えてくれた。


「この『黄緑色』はな、こんな事もできるんだよ」


 カプセルと呼ばれる長方形の物体を背中に押し当てたかと思うと、そこからタカの羽がぶわっと広がり揺れ始めた。

 確信した。フランは彼と同じような、“色”の力を持っている。


「詳しく、詳しく教えてください!!」

「おおっ? まぁ、いいけどよ」


 ショオは親切に説明してくれた。色にはそれぞれ能力があり、彼の場合は“体の一部に動物の力を授ける”能力だと。

 そして、12の種類があると。


「……~んで、確か、炎を操るのが『赤色』で氷が『水色』。水を操るのは『青色』で地面や岩が『茶色』。それで雷が『黄色』で風が『緑色』……あとは最後に、のが『ベージュ色』だったな!」

「……そうか!」

「え? おっおい待てよ!」


 再び確信してしまった事で、俺は礼も言わずに飛び出した。


 フランは『ベージュ色』の力を手にしている。メリーにもそれが僅かながら遺伝し、常人よりも肉体が強固で力強い。

 そして彼女も言っていた『我が王』……その人物が鍵を握っているに違いない。やはり気になる。フランが、全て背負ってしまっていそうで。



「なんだったんだ……俺の説明が悪かったのか? ん……このメモは?

『クリス、メリー。? 、フラン、? 、アラン』

 ……なんだこりゃ」





「……がむしゃらに飛び出しちゃったけど、やっぱりもうちょっと詳しく聞いた方が良かったかな」


 既に森を抜け、草原に辿り着いた直後に気がついた。すぐにフランに事情を聞き、平和な暮らしに戻そうと躍起になってしまっていた。

 ショオはきっと他の色についての情報や、そもそも色をどこで手に入れたのか、という情報も知っているはず。勿体ない事をしたが、今からでも引き返せるだろう。


 そう思い再び森に入ろうとした瞬間だった。


「……!?」


 背後から並々ならぬ殺気。このまま突っ立ていれば危険だと感じ取り、咄嗟に体を右に動かし振り向いた。


「あなたは……」

「あぁ、これでやっと解放される!」


 茶髪のボブヘアーが乱れ、焦点も定まらない瞳を晒していた彼女はミカ。目の下に隈も出来ており、不健康な生活を送ってきた事は容易に推察できた。


「何の話ですか?」


 俺は心配の表情と共に声をかけた。二年半前の光景から見るに、ミカらは被害者側。むしろフランや彼女が言う『我が王』の方が加害者側だ。

 なんとかしてミカを説得し、事情を聞き出したいのだが……話をまともに聞いてはくれない精神状態に見える。


「あなたが以前フランさんの後をつけていた事は、フランさん本人が既に把握していたの!! だから私は二年半前のあの日からずっと、ずっとあなたを見張るように言われていた!! 息子が、キューアが死んだっていうのに……! 私はブラウンにも会えずにぃぃぃ!! ずっと他人の夫をぉぉぉぉぉ」


 明らかに気が狂い、発狂していた。そして明かされた事実は俺にも突き刺さる。フランは最初から知っていた? なら何故俺を追求しなかった? 何故こうして見張らせた?


「でも、でもぉ! あなたがフランさんの正体を探り始め、そうしたら殺して良いとも言われた!! そして殺せたら……私とブラウンは『意思』の支配から解放されるとも約束された!!!! だから私は、負ける訳にはいかないっっ!!」


 するとミカは右手に持った長方形の物体をあらわにした。あれはショオも持っていた、“カプセル”……?

 そのカプセルは瞬く間に変形し、果物ナイフへと変貌する。女性が使いやすいようにと配慮されているのかは分からないが、もっと武器らしい武器もあっただろうと質問もしたくなる。


「……これで!」


 ミカはナイフをこちらに向けてきた。投擲するのかと疑ったがそんな事もなく、仕掛けられた攻撃は意外すぎるものだった。


 突然、目線の1メートルほど前方にミカの右手首から先が瞬間移動。突きが繰り出されナイフが脳天を貫こうと向かってきたが、瞬時に身体を左に倒す事で回避はできた。左手を地面に突き立て、すぐさま逃げ出すため右足で思い切り蹴る。


「なんだか分からないけど逃げるしかない……!」

「逃がさない!」


 追撃を匂わせる発言。振り向かず全力疾走で我が家の方角へと駆けたが、またしても目線の1メートルほど前方に右手首から先が現れる。今度は反応が遅れ右頬にかすり傷を負ってしまった。


「いったい!?」

「これが私の『支配のオレンジ色』の能力。“対象の目線1メートル先に、私の右手首から先を瞬間移動させる”力なの!!」


 親切に能力を説明してくれたが、やはりこちらが不利な事に変わりはない。いつでもどこでも目の前に現れるのは恐怖でしかない。地面に這いつくばりほふく前進すれば防げる可能性はあるが、そうなると能力を使用せず普通に背中から刺してくるだろう。


 ミカを見ると右手首が元の位置にまで戻ろうとしていた。切断面はオレンジ色の光で包まれており、グロテスクな事態にはなっていない。


「このままじゃあ……ん?」


 ほぼ諦めの境地に至っていたが、視界の右端に何者かの人影が映る。

 ほぼ全身が黒ずくめで、肩の部分とズボンだけが申し訳程度の濃い灰色。右肩には黒いオーラを纏ったカラスが止まっており不気味な印象しか無かった。


「うっほ! 『ドミネーション』で“ロスト”じゃない方のオレンジ色かぁ初めて見たなぁフルル!」

「カラスが……喋った!?」


 黒い青年が喋ったものだと一瞬だけ思ったが、声の主がカラスだと気づくのには一秒も間が空かなかった。

 青年の名はフルルというようで、背負った大鎌を右手で掴むとミカを睨んだ。敵ではない様子だが気は抜けないままだ。


「あなたはまさか、フルル……!? “ロスト”を扱う人間の中でもトップクラスの!?」

「褒められてんぞフルル?」


 しかしフルルの表情は変わらず


「っ……死ね!」


 ミカは対照的に焦りの表情。能力を使用し右手をフルルへと差し向けたが、カラスが飛び乗り爪をくい込ませた事で、ミカは痛みを滲ませ動きが止まった。


「今だぜフルル、幽霊達の出番だ」


 冷たい声と共にフルルが呼応し走り出した。先程の俺とは違い過ぎるスピードで。圧倒的な速度で駆けながら、フルルは鎌の持ち手に四つのカプセルの出し入れを繰り返す。

 あそこは確か、ショオも言っていた“ラウザー”に当たる部分?


「まずいっ」


 ミカは慌てていたがそれもそのはず。カラスが右手を掴んで離さなかったからだ。

 フルルが鎌を振りかざすと、水しぶきが散るように黒い影が四つ現れミカに浮かびながら襲いかかった。抵抗しようと殴りかかったミカだったが彼らは恐らく幽霊。軽い身のこなしで躱し、1人が腹部にアッパーカットを打ち込んだ。


「があっ!?」


 ミカは唾液を吐き出すも、隙など与えずに更に3人が襲う。アッパーカットが繰り返され上空へと運ばれていく。

 俺はその光景をただ見ている事しかできなかった。


「……!」


 タイミングを測っていたのか、フルルはステップを踏んだ後にジャンプした。4人の幽霊を順に踏みつけていき、落下を始めていたミカに飛び乗るような形で彼も落下を始める。

 すると鎌を上げ、一気に振り下ろした。ミカのうなじが斬られ一気に鮮血が飛び散る。叫び声は無かった。上げる前に地面とキスし、鼻や顎の骨が折れてしまったから。


「あぁ血が……掃除してやる」


 動かなくなった右手をカラスは投げ捨て、フルルの黒い服に付着した鮮血を舐め取り始めた。美味しそうに舐め取るその光景は不気味だとも思えてしまう。


「……」


 フルルが何も入っていない空のカプセルをミカの身体に向けると、彼女から浮き出たオレンジ色の粒子がカプセルへと入り込んでいく。


「ほらよ!」


 するとカラスがフルルの右手からカプセルを奪い取り、俺に向けて投げつけてきた。慌てて両手を使いキャッチはしたが、得体のしれないものを手にするのは良くない気分だ。


「……え?」


 カプセルを握った途端、視界に入っていた青色の前髪が変色していった。ミカと全く同じ明るさのオレンジ色に。


「オレンジ色って、俺達の陣営には前例ないから割と新鮮だな!」


 カラスは笑っていたが俺にはなんの事だか分からない。しかし同時に、俺の中に力が流れ込んできた事は理解できた。やはり恐らく、ミカの力を俺が受け継いでしまった。


「……ミカっ! ミカ!」


 今度は左から人の気配が。ブラウンともう一人。長く、揺れ動く黄色の髪をした男だ。


「お前か、お前がミカを!」


 涙を流し激昂するブラウンは俺に怒りの矛先を向けた。犯人はフルルだ、と俺は指先を向けようとしたが、フルルの鎌に付いていた血もカラスによって舐め取られていた。証拠がない。傷跡を見せて説明すれば分かってくれそうではあるが、この様子だと話も聞いてくれない。


「お前も『我が王』に歯向かうか?」


 黄色の男からも敵意を感じられた。炎天下だが黒いコートを着ており涼しい表情。

 するとフルルは俺の前まで歩き、庇うようにして鎌を二人に向けて威嚇した。


「あいつペリロ……デッド・ルームの処刑人か。クリス、お前は逃げとけ。死なねぇだろ。あとな、コロッセオ近くにあるスラム街。あそこなら何か手がかり、あるかもだぜ?」


 何やら意味深な事を言われた気がするが助けられた事に変わりはない。俺はすぐさま無様な駆け足を晒し、家へと死に物狂いで向かった。



 *



「ただいまー……」


「父さんおかえり!」


 迎えてくれたアランは珍しく笑顔を見せた。続けて俺も微笑みを返す。


「ああ。全然帰ってこれなくて、ごめんな」


 その後はアランとたわいも無い会話を交わしたが、眠る前に決意を固めた発言をこぼした。


「もうすぐ、もうすぐで落ち着くはずなんだ。『デッド・ルーム』のあの処刑人……あいつの正体を明らかにすれば、以前の生活に戻れる。毎日この家に帰ってこられるようになるんだ。それじゃあ、おやすみ……!」



 *



 翌朝は早くに起きた。申し訳程度の身支度をした後に外出し、カラスが言っていたスラム街へと歩き始める。


 自慢出来るほど、俺は人脈が広い。スラム街にも何回か訪問した事はあり、二時間程で辿り着く事ができた。


「ん? あれは……」


 ツンツンした白い髪の少年を見つけた。年齢はまだ12歳程に見える。

 彼の指先からはオレンジ色の光が漏れ出ており、“色”の力を持っていると見受けられた。


「あれ、オレンジ色……て事は」


 薄汚い服を揺らしながら、少年は辺りを見回し俺を見ると頭を止めた。オレンジ色の髪をした人物は俺以外には近くにおらず、少年はパタパタと足を鳴らし近づいてくる。


「おじさん、オレンジ色でしょ。初めて会った」

「えっ、まぁうん」


 少年の瞳はとても純粋で、まるで水晶の様。アランのものと比べるとますます違いが分かる。

 が、しかし。近くの路地裏から現れた男女二人が慌てた様子で駆け寄ってきた。


「ちょっとハクガ! ごめんなさいこの子が失礼しました……」

「すみませんね……でも何故オレンジ色の反応が?」


 彼らはこのハクガという少年の保護者的立ち位置だったようで、事情も説明してくれた。男がカズ、女がエルナ。


 ハクガはこのスラム街に突然現れた子供の一人で、同じ位の年代の子供も他に四人いるらしく、ハクガが不思議な“白い力”を持っていると言う。


「白……ですか。それはきっと“色”という力の一つだと思いますよ」

「色?」


 ショオに教えられた時を真似て、俺も親切心から解説を始めた。12の色と、それぞれに能力がある事。

 しかし話を聞く限りハクガは特殊で、“周りに色を持っている人間が居る場合、その色の力を限定的に借りる事ができる”能力と推察できた。そしてその力を他人に分け与える事もできる、とも。


「そして、その力を狙っている人達もいます。彼らに狙われないよう、くれぐれも気をつけてください」


 結局、警戒を促しただけで新しい情報は何一つとして掴めなかった。彼らはただ巻き込まれただけ。手がかりがあるかも、と教えてくれたフルルとカラスには申し訳ないが引き返す事にした。




 いや、あの時カラスはブラウンと処刑人にも聞こえるような声で話していた。もしや、二人をここに誘導させるための罠? そう推測はしたものの、俺が立ち止まったのは既にコロッセオ付近。エルナ達の元へ行く気は起きなかった。


「はぁ……やっぱりあのブラウン達から聞くしか──」


 諦めにも似た言葉を漏らした、その瞬間だった。コロッセオの柱にもたれている、ブラウンと目が合ってしまった。距離はかなり近く、3秒歩けば密着できるほど。

 当然睨みつけてきたが、俺は表情も変えずただ黙るだけ。


「……殺す気なんですか?」

「この辺りには人が多すぎる。だけどな……」


 お互いに、他人に気づかれないような小さい声でやりとりをした。できれば殺し合いたくはないが、俺は彼の妻を殺した疑いをかけられている。


「コロッセオなら、思う存分殺し合いができる」


 一歩近づいたブラウンは囁くように言った。


「ここからお前が逃げ出そうとしたとして、俺はもちろん追う。もう一人、処刑人も隠れながら見張っている。だがコロッセオで俺に勝てば、お前の妻の事も何か聞き出せるかもしれないな?」



 *



 俺は流されるようにしてコロッセオに参加してしまった。戦闘経験なんてものは無かったがオレンジ色の力に加え、身体の基礎能力が少し上昇しているようにも感じられた。


 大勢の前で右手を分離させるあの力を使う訳にはいかなかったため苦労はしたが、なんとか勝ち進める事に成功した。


「強えなクリス! 俺の代わりに決勝頑張れよ!」


 準決勝ではビーンと名乗る青年との戦いだった。彼も“色”の力を手にしていたと推測できたが、詳しく聞く前に姿を消してしまった。



 そして同じく勝ち上がったブラウンとの決勝戦。優勝者には親衛隊へのスカウトが行われる事もあるらしいが、現に親衛隊のブラウンは優勝の経験はあるのだろうか。

 薄い黄色をした土を踏みしめ、戦場の反対側で待っていたブラウンを見つめる。相変わらず顔は暗く、俺への憎しみで溢れているように思える。


「この通り、俺は本調子じゃない」


 するとブラウンは服の裾を捲り赤い血で滲んだ、包帯を巻いた右腕を見せてきた。あれは恐らく、フルルとの戦闘で負ったもの。


「そしてクリス。お前を倒さなければ俺は処分される、と『王』に警告を受けた」


 俺のせいで死刑宣告を言い渡されたのは少し心苦しくなるが、ブラウンも死なせないつもりだ。今はフルルの横槍の気配もない。勝ったらさっさとブラウンを連れ家へと戻り、フランに事情を聞くつもりだ。


「王勢の前だ。“色”の力は表立っては使えない。それに俺の力は“石化”だ」

「まあ、そうですね……」


 適当な返事をした後、俺はミカが使っていたオレンジ色のカプセルを取り出した。果物ナイフへと変形させ、右の腰辺りに持っていき構える。


「よくもミカを……」


 ブラウンは茶色のカプセルを既に変形させていたのか、背中に背負っていた長剣を右手で軽々と扱い切っ先を向けてきた。


「文句は受け付けますよ。勝敗がついた後でね」


 挑発にもとれる発言を口にし、戦いへの決意を固めた。『王』が何者かなんて想像もつかないが、その『王』にブラウンも殺させない。

 ……勝つ事が前提の話だが。


「このぉっ!」


 憤慨した様子のブラウンは正面から突っ込んできた。助走の勢いもある縦に振る一撃だったが寸前で右に転がる事で避け、続いて追うように放たれた横の一閃も一歩退く事で回避に成功。


「どうした! 逃げてばかりか!」


 壁を背に怒るブラウン。壁の上から見下ろしてきている観客もブーイングや苦い表情を見せてきた。

 宣言通り茶色の力を使っていないのは好感が持てるが、俺の武器はただのナイフだ。長剣を受け止められるはずがない。


 ……だから俺は、少し卑怯な手も使わせてもらう。


「いや、そうでもないですよ」


 そう言いながら、俺は自分の右腕を見せた。手首から先がなくなっている右腕を。


「なに!?」


 やはり驚いた。“対象の目線1メートル先に、自身の右手首から先を瞬間移動させる”力を使ったというのに、俺とブラウンどちらでもない対象に移動させたからだろう。


 移動先は、ブラウンの背後の壁の上に座っていた観客だ。呆気にとられていたブラウンは反応なんてできず、振り向くまもなく背中にナイフの突きを受け止めた。


「があっ」


 歯を食いしばったブラウンの隙を突き近づいた後、空中で動かした右腕を元に戻し首に突きつける。


「ごめんなさい。このまま戦っても貴方の負けでしょう? ……どうでした? 私の手品」



 *



 ブラウンはあっさり従ってくれた。いや、半ば諦めの顔をしていたけれど。観客には『手品』と説明しなんとか乗り越えた。信じてもらえていない雰囲気だったから危なかったけど。

 俺はブラウンに肩を貸しながらコロッセオの暗い廊下を歩き、足早に逃げ出そうと考えていた。


「無駄だ……『王』には勝てない。逃げる事すらも、叶わないんだ……!」


 泣きそうになっているブラウンを見るとこちらも不安になってしまう。それほどまでに『王』は強いというのか?


「──執行、開始」

「ごめんなさいね」


 突如、オレンジ色の光と共に目の前に現れた二人の人影。そして俺とブラウンの身体に雷が撃ち込まれ、身体全体が震え思考が回らなくなる。


「処刑人……と、フラン…………!?」


 俺から見て右には処刑人、左に立っていたのはフランだった。ベージュ色の髪の艶は増し、伸びた腕が俺達を包みきつく締め付ける。


「あぁ、これでキューアとミカに……」


 早々に諦めたブラウンは目を閉じた。正直、俺も諦めるしかなかった。右腕は動かせるがナイフも装備しておらず、恐らくこのまま絞め殺される。


「フ、フラン……!」


 だけど、フランの真実は知りたかった。

 首に妻の腕が回され、段々と絞められていく。

 息ができない。苦しくなってきて意識が朦朧としてしまう。


「あっ……フラン……!」



 *



 最後まで、クリスはフランを見つめたままで死んだ。フランもクリスから目を離さずに命令を実行した。


「よくやった、我が妻よ。ブラウンの力は“右の掌で触れた人間を石像に変形させる”というものだったが、腕自体を動けなくさせるとはな」


 二人の背後からファラリスがやってくる。小太りな体型とは裏腹に『意思の白』の力を持っている威厳は確かに、少しだけだがあった。


「……はい」


 しかし、応答したフランの右目からは涙が伝った。自分でも気づいていない様子で、指摘されるまでは突っ立っているまま。


「ん? 泣いているのか」


 ファラリスのおかげでようやく勘づき、左の人差し指でそっと液体を拭き取ったフラン。


「悪い事をさせたな。本当はペリロスにやらせるつもりだったが、こいつ一人だけでは不安だったからな……」

「申し訳ございません……『我が王』」


 ペリロスは頭を下げ謝罪したが、ファラリスは顔と身体を向けずにそのまま話を続けた。


「……今からの命令を失敗したら、次こそブラウンのように処分だ。“スラム街にあるもう一つの『白』を処刑、または捕らえてこい”……分かったか?」

「……はい」


 頭を下げたままペリロスは小さく返事をし、ゆっくりと体勢を戻した。


「と、その前にだ……クリスを処刑場で処刑した、という事にしておけ」

「……わかりました」

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