第7話 紫の欲望 その2

 三年前──


「じゃあみんな、もう行こう」


 聞き慣れた妹の声が聞こえる。僕達が住んでいる村のちょうど出口、後ろを振り返ると小さい子供が十人程度付いてきていた。そうだ。今日は子供だけの遠足だったな。数年前から付き合いのある子供達との遠足。楽しみで昨日はなかなか眠れなかった。ゲボルグとの戦争の最中だったが、最前線とはかなりの距離がある。だから大丈夫だろう。


「アランお兄ちゃん! フェルマのお菓子あげる!」


 男の子が僕の手のひらにリンゴを乗せる。


「僕が貰っていいの?」

「うん。フェルマはさっきいっぱい食べてきたから!」


 思わぬ収穫だ。 リンゴは結構好きな食べ物。今食べる気にはならないが、もう少しして腹が減ったら食べよう。


「今から二手に別れて行動するから、僕と一緒に行きたい人はこの指止まれ!」


 しばらく歩いてからそう言うと、子供達が七人集まってきた。メリーの方には四人だ。


「やっぱりお兄ちゃんは子供人気高いね。こっちの方が人数少ないけど、みんなの意見を尊重してこのまま行こっか」


 僕は頷き、森へと進んで行った。この森は城下町の近くまで続いている。小さい頃からよく通っていた道を歩いていると、男の子の一人が声を上げた。


「あっ! あそこ……熊がいる……!」

 木々に隠れて見にくいが、小柄な熊がこちらを覗いていた。


「大丈夫大丈夫。あれくらいの熊は襲ってこないよ」


 ざわついていた子供達を落ち着かせる。なんせこの周辺の事は詳しく知っている。今までにも子供の熊と遭遇した事は何度かあるが、襲ってきた事は無い。


「そっか! じゃあ近づいてみよっと……」


 男の子が熊へと走っていく。


「危険だよ! 自分から近づいたら……!?」


 その声が男の子へと伝わると同時に、森の奥から大柄な熊が走ってきていた。思わず僕も走り出すが間に合わず、男の子の頭は熊の口の中へと消えた。直後に甲高い悲鳴が響き渡るが、それは鈍い音が鳴ると同時に止んだ。熊の口から赤黒い血がゆっくりと垂れてくる。直後、先程の小柄の熊が男の子の脇腹にかぶりついた。臓器らしき物が見え、大柄な熊はそれを食べようとしている。


「い、嫌ああああああ!」


 僕の後ろに居た女の子が声を上げる。すると大柄な熊はこちらに振り向く。まずい、気づかれた。


「逃げるよ! 付いてきて!」


 僕は来た道を戻ろうと体を後ろに向けるが、付いてきたのは二人だけだった。他の子供達は転んでいたり立ちすくんでいたり。


「ねぇ! みんなは!?」


 フェルマが走りながら問いかけてくる。……僕達が助かるには、見捨てるしかない。


「ごめん。……置いていくしかないよ」

「……」


 もう一人付いてきている女の子、トリシュは冷や汗をかきながら黙って走っている。僕と同じ考えのようだ。


「ああああああ!!」

「嫌、嫌あああ!」


 背後から断末魔が聞こえるが、僕達三人は走り続けた。右を見るとフェルマが泣いている。


「うわっ!」


 フェルマが転ぶ。思わず反応して振り向いてしまった。道の奥にはこの世の物とは思えない光景が広がっていた。地べたにちらばるさっきまで命だったもの。原型を保っている顔面が全て、僕の方を向いて睨んでいる。僕はそれから逃げるように視線を戻した。


「……大丈夫?」


 トリシュがフェルマに駆け寄る。立ち上がらせようとするが上手く立てていない。早くしないと、熊がこちらに来てしまう。


「うぅ……アラン、お兄ちゃん……!」


 フェルマが僕に手を出していた。だが、僕はこちらに迫ってきている熊に気をとられていた。


「……お兄ちゃん!?」


 すると熊達の後ろの道からメリーらしき人影が現れた。こちらを見て動かない。


「アランお兄ちゃん!」


 我に返り、急いでフェルマの手を握ろうとするが、熊がこちらに向かって走り出した。


「こ、殺される……!」


 僕は恐怖に負け、二人に背を向け駆け出した。


「アラン、お兄ちゃん! 助けてっ助けてよ! 嫌だ! ……あ、あ……!?」


 咀嚼音と悲鳴が後ろから聞こえる。でも僕は止まらない。自分の命を守るために。しょうがないじゃないか。



 無我夢中で走っていると既に家の近くまで来ていた。安心して早歩きで家へと向かう。嫌な音がするドアを開け、自分の部屋に入る。


「夢……じゃないよな」


 自分のバッグの中を確認するとフェルマから貰ったリンゴが確かにあった。でもフェルマはもういない。ベッドに飛び込むと疲れからか眠気が襲ってきた。当たり前、だよね。



 *



「うっ……!」


 布団の中で目を覚ます。夢を見てたのか。思い出したくなかったんだけどな……


「行くぞアラン、遅れるなよ」


 アベルに言われて気づく。そうだ、今日はコロッセオで戦うんだった。大勢の人から見られるのは苦手だ。

 みんなを追うと参加者の待機室に着いた。……メリーもこの中にいるんだよな。


「じゃあ入りますよ」


 ロプトの言葉と同時に、思い切って部屋の中に足を踏み入れる。中央の椅子にはビーンとシャイニーの二人が座っていた。二人は入ってきた僕達を見て意外そうな顔をしている。


「おっ、お前らも来たのか。でもなんでだ? お前らは汚い賞金に目がくらむ程落ちぶれちゃいないだろ」


 それを聞いたボルガは部屋の端に立っているゴブリン達を見つめた。


「……優勝したら人を返してもらえるんだ。人質みたいなもんだ」

「そう、か。じゃあ今お前が見た奴らを倒したらいいって事か?」

「別に、お前の助けが無くとも俺が勝ってやる」


 それを聞くとビーンは残念そうに頭の後ろで手を組んだ。赤黒い頭髪が更に乱れてしまっている。もう一度ゴブリン達に目を向けるが、居るのはフライとキリの二人だけ。ミーナともう一人の姿が見当たらない。できるだけ大人数で参加した方が有利なのに、何故だ?


「……っ!?」


 背後に殺気を感じる。……メリーだろう。おそるおそる振り向くと僕の背中に拳を当てていた。昨日失った、右目があった場所には白い眼帯を装着している。


「やっぱり、いつでも殺せるね。でも今殺しちゃパニックになるから……後で覚悟しといてね」


 部屋の端、ゴブリン達の反対側へとメリーは向かう。残念ながら僕は初戦でわざと負けるつもりだ。メリーの願いが叶う事はないだろう。


「……いないな。まあ、当たり前か」


 アベルが囁いた事に気づくが、上手く聞き取れなかった。


「えっと、初戦の相手、僕なんだよね……?」


 ビーンに近づき、打ち明ける。ビーンに勝ってもらう方がいいだろう。


「へぇ~。じゃあ痛くないように一発で気絶させてやるよ。ちょっとチクッとするだけだ」


 そう言うとラウザーから針が突き出た。結構痛そうだが、本当に大丈夫なのか?


「おい、あいつ……」


 アベルに右肩を叩かれ振り向いた先には、白い仮面で顔を隠した人間が立っていた。


「あの人がどうかしたの?」

「いや、あいつからロプトと同じようなものが感じられる。……気のせいかもしれないが」


 改めて目を向けると、体型で女性だという事がわかった。身長はメリーと同じくらいでやや小さめで、黒色の服の上にグレーのジャケットも着用している。左足にだけニーソックスを履いている事に少しむず痒さを感じた。

 ロプトとの共通点は髪がグレーな事だけだ。……ん? いや、なんでロプトから灰色のカプセルをまだ借りていないのにあの女の髪の色がわかるんだ? ……おかしい。やっぱりアベルの言う通り何かあるのか?


「さ、次の試合は俺達の番だ。ほら行くぞ!」


 ビーンに無理やり背中を押され部屋から出る。……痛くない事を願うしかない。

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