第7話 紫の欲望 その3

「外から見るとでけぇって思っただろ? でも中身は結構小さいんだな、これが」


 ビーンの言う通り、コロッセオの中は意外と小さかった。出入口は僕達が通る一つのみで、ビーンは小走りで僕の向こう側の方へ急いだ。昔よく遊んでた公園と同じくらいの広さだ。


「この線から出たらもう戦いは始まってる。いきなり決着がつく事もあるんだぜ」


 足元の溝に細い石が詰め込まれている。足で触ってみると今にも飛び跳ねそうだ。


「じゃあ俺は先に行くぞ。手加減してやるから安心しろよ~!」


 今日は晴れだ。屋根が無いから太陽が眩しい。手で日を隠しながら少し高い位置にある客席を見ると、人間が大量の札束を持っている事に気がついた。賭けでもしているのだろうか。だったら僕に賭けた人は災難だな。


「よし、そこで止まってろよ!」


 ビーンは既に構えていた。僕は目を瞑り、静かに彼の攻撃を待つ。脇腹に鋭い痛みが走ると同時に、僕の意識は闇の中へと落ちていった。



 *



「うっ……はぁっ! はあっ……?」


 自分のベッドで目が覚めた。辺りはもう暗くなっている。そうだ、熊に襲われて、僕だけ逃げたんだっけ。


「あ……おに……は…………」


 外から話し声が聞こえる。もう夜遅いのに何をしているんだ?



 外に出て声が聞こえる方に向かう。集会でもあるのかな。


「あ……」


 声の主は公園に居た。妹一人が僕を待っていた。でも様子がおかしい。服は所々破れているし、体のあちこちから血も出ている。


「お兄ちゃん……なんで見捨てたの?」


 その言葉を聞いて、僕は犠牲になった子供達の事を改めて思い出した。


「僕が生きるためだよ。自分が助かる事が第一でしょ?」


 僕の声を聞いた途端、メリーは顔を下に向ける。


「……私、一人であの熊の親子を追い払ったの。いっぱい怪我しちゃったけど、まだあの子達が生きてるって信じて頑張ったの。でも……もう手遅れだった。みんな、死んじゃったんだよ」

「それは──」

「お兄ちゃん!」


 僕の言葉をかき消し、メリーは叫んだ。


「なんで……なんでなの!? あの時お兄ちゃんが二人を連れて逃げていれば、少なくともフェルマとトリシュは……助かってたんだよ!」

「……そんなのただの想像でしかないじゃん。僕は自分が一番かわいいんだよ。……もういい? じゃあね」


 僕は早く夕飯を食べたかった。腹がやけに減っている。公園から出る時にメリーが泣いていたけど、僕は悪くない。


 家に帰っても両親は帰ってきていなかった。用事か何かあるんだろう。フェルマからリンゴを貰った事を思い出し、リュックから取り出すと皮ごとかぶりついた。


「すっげぇ……美味い ……!」


 もう死んでしまった人から貰ったリンゴは格別だった。生を実感したからだろうか。他人を犠牲にして食べる飯って……最高だ……!



 *



「……おい、起きろよ~」


 手の平で頬を叩かれた。ゆっくりと起き上がると、そこはさっきまで歩いていた通路だった。


「お前、体は丈夫なんだな、寝てる時間は数分だけだったぞ」

「あ……ありがと」


 ビーンとは親交を深めていないものの、褒められるのは嬉しい。


「さて、次の試合はシャイニーが出る。ここであいつが勝ったら俺と戦う事になるが……あいつめんどくさいんだよなぁ~?」


 えっと確か……シャイニーの相手って、メリーだったよな? きっと、勝ってくれるよな?


「ほら行くぞ!」


 光が見える観客席の方へと向かう。信じるしかない。

 観客席には僕から見て奥の方からショア、ヘル、ボルガ、アベルと座っていた。


「アラン大丈夫か? 血を過剰に奪われてないか?」


 ボルガに心配されるが、体に異変はなさそうだ。「大丈夫」と一言だけ告げアベルの隣の、階段も兼ねている椅子に座る。やっぱり不安だ。


「なあ、シャイニーの実力ってどれくらいだ? ボビーを何頭殺せる?」

「軽く四体はいけると思うぜ」

「そうか……じゃあ負けるかもしれないな」


 アベルの言葉にビーンは驚いた顔をしていた。ますます不安になってくる。できれば聞きたくなかった。


「あ、もう出てくるよ」


 そのショアの発言のお陰で、さっきまで僕達がいた通路から人影を確認できた。。それはシャイニーのようで、メリーの姿は見えないが、彼女の性格なら正々堂々と戦うはずだから不意打ちはないだろう。

 すると次の瞬間、辺り一面に一瞬だけ風が吹く。突然の事で驚き怯むが、気づいた時には既にメリーは会場の真ん中に立っていた。


「おおおお……!!」


 観客が声を上げる。さっきの僕達の試合があっけなさすぎた事も理由の一つだろう。


「やっぱりあなたも──」


 するとメリーはシャイニーの言葉をかき消すように彼女へと素早く近づく。シャイニーの目の前でメリーは足を止めた。


「わたし今怒ってるの。この手でアランを殺せると思ったのに……ストレス発散、させてもらうね」


 メリーの右の拳がシャイニーの頬をかすめる。ギリギリで顔を傾け避けていた。


「確かにあなたは速い……でもね、体中の血液を活性化させ、興奮状態である私には当たらない」

「うわマジかよ!? シャイニー、いきなり本気だしてんじゃねぇか、あれは奥の手っていう約束なのに……!」


 奥の手、か。それだったらメリーを倒してくれるかもと希望が湧いてくる。


「……あんたが奥の手を使うんなら、私もちょっとした“技”を見せてあげる」


 またしても風が吹く。さっきよりは勢いは小さく感じるが、メリーとシャイニーの髪が大きくたなびいている。局地的に風を吹かせているのか?


「じゃあ、もう一回殴るから」


 どうせまた避けられるだろう。なんたって奥の手だ。


「回避なんてさせない……!」


 シャイニーが後退しようとしているのが見えたが、風が彼女の後ろから吹き、無理やりメリーの方へと体を飛ばされている。


「がッ……!?」


 メリーの拳がシャイニーの腹部に直撃すると同時に、今度はメリーの後ろから風が吹き始め、その風に乗ってシャイニーは壁に激突した。


「くっ……こいつ、自分の能力を私よりよっぽど使いこなしてる……!?」

「そうだ、この技、今初めて使ったから。ぶっつけ本番だから運試しだったけどね」

「なんて、奴……。『才能の塊』それしか言葉が、出ないわね……」

「どうするの? 今降参したら見逃してあげるよ」


 殺気が観客席にいる僕にも感じ取れた。他の観客にも分かったようで、辺りは静まり返った。


「……降参だよ。このまま戦っても私のスタミナが無くなって終わり。まさか私が一回戦で負けるなんて、ね」

「私の勝ち……じゃあね」


 そう言うとメリーは一瞬の風と共に姿を消した。まずい。誰かがメリーに勝たないと、僕はこのコロッセオが終わった後にあいつに殺される。


「うっ……」


 視界の端でシャイニーが倒れた。やっぱり大きいダメージだったんだろう。


「やっべ! おいシャイニー!」


 ビーンが駆け寄り、自らの腕にシャイニーの針を刺した。


「俺の血だ。これで少しは早く回復するだろ」


 他人の血が自分の栄養になるのだろうか。食料には困らなさそうだ。

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