第2話
遠目から見れば天女の微笑みに見えたが、テーブルをともにすれば悪魔のようであった。彼女は「ヤガラサキ」と名乗った。
水を持ってきた店員の背後にスピーカーがあり、ももいろクローバーZのクリスマスソングが流れていた。サキはコーデュロイのブルゾンを脱ぎながら店員にアイスコーヒーを頼んだ。店員はアイスでよろしいですかと驚いてたずねた。秀太は細い声で同じのをと頼んだ。窓の外は雪が降っていた。
来るべきではなかった。秀太は引っ掻き傷を何度も反対の手の親指でなぞった。生傷は、しみるように痛いが気を紛らわせるには良かった。
自分の犯行現場を目撃したこの女が何を考えているのか想像するだけで背筋が凍える。
秀太は吐き気さえ感じていた。緊張で口内から喉にかけての唾液をほとんど飲み干した。舌がて粉末状になるほど乾いている。にも関わらず、目の前におかれた水に手が伸びない。
「よそよそしいな。ほらリラックスリラックス、ね」
彼女は弄っていたスマホをテーブルに置いた。
余計な力をこめていたのを指摘されて、ようやく自分が哀れなほど力んでいることに気がついた。
サキはモカブラウンのニットの胸元を摘まんで、暖房が強すぎないかなと店に文句をつける。
「ヤガラさんって、えっと、どんな漢字なんですか」 言った瞬間、なんなら言いながら、今聞くことかバカ野郎と自分を責めた。いつ警察を呼ばれるか分かったものではない。
「弓矢の矢に模様の柄で、矢柄。珍しいでしょ」
しかし暑いねと、もう片方の手を扇にしはじめた。汗をかいた首筋に幾本か髪の毛がついていた。
青年は警察に通報されることに怯えている。かつてのバイト先のスーパーで万引きをした人が叱責されながら店長に連れていかれる様を、今の自分に重ねた。
「けっこうデカいから排熱が要るんやな、これ」
秀太は笑わなかった。
サキはアイスコーヒーを飲んだ。
「あの、通報しないのですか」
「何で」
「いえ、あの、未遂なんです。信じてもらえないかもしれませんけど」
「でも、最近この辺りで猫が殺されてるのは知ってるでしょ?」
「信じてくれないかもしれませんけれど、僕は初めてなんです」
「模倣犯って言いたいわけねぇ」サキはグラスの中の氷から放たれたコーヒーの残り香を含む冷気を鼻先で感じた。「でも、どうでもいい」
秀太は彼女の口から匂い立つコーヒーの色をした吐息を吸い込んだ。彼女のザラついた舌の表面は祖母の猫のようにブラウンであった。
「で。どうして猫を殺そうなんてしたの?」
秀太の心臓が凍てついた。
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