第47話 夕焼けの夢

 そして私はもう一度開けた練習室で、桃矢とうやの伴奏で歌った。

 桃矢が指定した曲はもちろん、リストの『愛の夢 第三番』。桃矢が好きな曲の一つだもの。声楽曲で私が初めて歌った、一番大好きな曲。


 桃矢は留学先の学校で卒業する。泣いても笑っても、桃矢とこの学校で一緒にいられるのは今日が最後だ。明日の朝にはもう、桃矢はベルリン行きの飛行機に乗る。

 そして桃矢はきっと、留学先の学校で私よりももっと上手い人の『愛の夢』を何度も生で聞くのだろう。その伴奏をすることもあるかもしれない。そう考えるとまた胸が痛んだけど、だからこそ、一回くらいは思い出してもらえるようにって思いながら私は歌った。


 でも私たちの、学校での思い出の最後はそんな綺麗な終わり方にならなかった。

 だって桃矢は、真彩まやと別れたって言いだしたのだから。


『私じゃ無理だってわかったから』

美伽みかちゃんを傷つけたままでいたくないから』


 放課後の誰もいない教室に桃矢を呼び出した真彩はそう無理やり笑って、桃矢が言う前に自分から別れを切り出したらしい。そのあと桃矢はさっさと家へ帰る気になれなくて、学校をぶらぶらしていて……それで倉本くらもと君と出くわして、ああいう馬鹿をやらかしたというわけだ。


 それを聞いて私はまず、真彩が眩しくてならなかった。

 やっぱり私、真彩には敵わないね。真彩は強い。私に弱音を吐くことはあったけど、告白するのも恋を終わらせるのも、一人で決めて実行したんだから。幼馴染みのくせに告白もできず、倉本君に支えられっぱなしだった私とは大違いだ。


 そして、桃矢は言った。


『お前に、話したいことがあるんだ』


 それは、沈黙と胸に沸き上がる感情に耐えられず、私が口を開こうとしたとき。もう一度、桃矢は何か、得体の知れない力を声に込めて私の言葉を封じた。

 その途端、私の耳から部屋の外の音が消えた。湧いた苛立ちや怒りも、他の感情ごと胸の中からすっと溶けてなくなってしまう。

 黄昏に染まった世界は、私と桃矢だけになった。


 ……うん、私も桃矢に話したいことがあるの。ずっと言えなかったことがあるの。

 言えるチャンスが何度もあったのに言えなくて、それどころか言うべき言葉を間違えて。夢は粉々に潰えたと思ってた。歌に込めるべき心をガラスの水槽に閉じ込めて、こんなにも大事な声楽までもを私は腐らせようとしてた。


 でも、まだ夢の欠片は残ってたのなら。自分で壊してしまったのではなく、ただ見失ってただけだったのなら。

 今度こそ、見失わない。言葉も間違えない。

 今度こそ、言えなかった私の想いを桃矢に伝えるんだ。

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