第42話 忘れないで・二
……………………。
けど、本当はなんとなくわかってる。去年のコンクールあたりから倉本君の私に対する態度は微妙に変わってきてたし、明希たちも騒いでいたし。何より過去の経験が、同じだと私にささやき続けてる。
――――彼の目は、私の告白してきたときの
でも、確信なんてないし…………認めたくない。知りたくない。もう疲れたの。怖い思いをしたくないんだよ。
怖い思いなんて――――――――
「
っ!?
び、びっくりした……声をかけられ、物思いに沈みかけた私の意識は強制的に現実へと連れ戻された。俯き加減だった顔は上がり、私を見つめる倉本君に目の焦点が当てられる。
「な、何……?」
「いや…………」
…………倉本君?
言葉を切った倉本君の表情が変化する。気づいて、私は眉をひそめた。
倉本君、何か考えてる……? でも、私を見てもいるし…………しかも、かなり真剣に。
「…………水野さん。もしかしてまた
「っ」
「だって君、震えてるよ?」
え…………? やだ、嘘。
指摘され、慌てて自分の身体を見下ろした私は、自分の手が震えてることにやっと気づいた。やっぱりそうなんだね、と悲しそうに倉本君は呟く。
これは、ごまかせないよね……冷たい風から守られたゴンドラの中は寒くなんかないし。寒いからなんて言い訳にならない。
否定なんてできるわけもなく、私は頷くしかなかった。
「……下駄箱はもう大丈夫なんだけどね。でもまだたまに、首筋に触られた感触とか……声とかそういうのがすることがあるの。……あの日のことを思い出したり、怖いって思わなきゃ大体は大丈夫なんだけど」
「……じゃあ、去年のクリスマスのときも?」
「うん。…………
「…………その日、何があったんだい?」
私が言葉を途切れさせると、倉本君の穏やかな声が先を促した。
けして強要するわけじゃない、話したかったら話しなさいってだけの声だ。顔も反対側の窓のほうを向いて、私に話しやすいようにしてくれてる。
……………………あ。
唐突に、私の頭の中で思い浮かぶものがあった。何かが胸の中に落ちて、代わりに記憶が飛び出してくる。
小学校の頃に中へ入らせてもらった、出入口からは見えない位置にある、教会のつやつやした木製のボックスみたいな小部屋。中は格子窓がある壁で仕切られていて、身動きがとれないほどじゃないけど狭かった。
懺悔室。教会の片隅にある、一人が抱えるには重すぎる罪を人々が神の下僕に告白し、彼を通じて神に許しを乞う場所。
――――――――
「……桃矢はね、留学のこと聞いてお前は何にも思わないのかって、私に聞いてきたんだよ」
胸に落ちた何かが言葉だと理解した途端。気づけば私は話しだしてた。
真彩に桃矢のことで相談されたこと。
教会の近くの公園で、桃矢を問い詰めたこと。
桃矢を怒鳴りつけて、言いあいになって…………それで、桃矢を失望させてしまったこと。
あの公園で起きたこと全部を、私は倉本君に話していった。
「………………君もだけど、
私の後悔をすべて聞き終えてしばらくしてから、倉本君はそう、ぽつりと呟いた。
「そのとき君が何かに怯えてるのは斎内だってわかっただろうに、どうしてそうも盛大に勘違いするのかわからないよ。むっとするくらいは仕方ないけど、そこまで馬鹿馬鹿しいこじれかたになってたなんて…………」
「……」
「あんなにも情感豊かに曲を解釈して表現することができるのに、どうして一番近くにいる幼馴染みの感情は読み取れないのかな…………」
あ、れ…………倉本君、怒ってる?
だって声とか横顔とか空気とか、完璧にそうだよね、これ。座席に置いた手だって、感情を抑えるためみたいに握ってるし。間違いない。
「やっぱり、水野さんが休んでるあいだか教会でのコンサートが終わったあとにでも、斎内を殴っておけばよかったな」
「いやいや落ち着こうよ倉本君。ピアノ専攻なのに、殴ったらまずいって。手を大事にしよう?」
「大丈夫、一発だけにするから。多分だけど」
「いやだから、暴力沙汰は絶対駄目だよ」
私は月曜に学校で暴力事件が起きないか、心底心配になった。今のこの状況じゃ、冗談に聞こえない。
倉本君は両腕を組んだ。
「言い方が良くなかったのかもしれないけど、水野さんは悪くないよ。彼は君の体調の悪さに気づいてたわけだし、君が涼輔や
「や、あれからそれなりに時間経ってるし、私が人に触れられて怯えてるところを桃矢が見たことはないだろうし、思いつかないのは仕方ないと思うけど……」
「でも吉野さんの嫌がらせのせいで、君は涼輔の事件のことを否応なしに思い出すはめになってたんだろう? 下駄箱を開けたときに君が怯えてたことは、斎内も君の友達から聞いてあるはずだ。クリスマスのときだって、顔色が悪い君を実際に見たわけだし。気づくものじゃないかな」
うわー、一刀両断だよ。大木君どころか桃矢まで完璧に悪者だ……。
「……もしかして倉本君。最近桃矢と雰囲気やばいって噂だったのは……」
「もちろん本当だよ。君が倒れてから今日まで一体何度、彼を殴ってやろうと思ったことか。君が知ったら
「……」
生徒指導の先生、こっちです。ここに危険人物がいます……!
おかしいな、倉本君ってこんな人だったっけ。確かに腹黒い人だけど、物騒な方向にはいかないと思ってたのに……。
でも、本当だったんだね、あの噂。桃矢が苛々してるのが大げさになってるだけだって思ってたんだけど、本当に倉本君のほうもまずいことになってるじゃん。……これも、真彩が自分を責める理由なんだろうな…………。
まったく、と倉本君は深い息をついた。彼が姿勢を正したのに合わせ、ゴンドラが揺れる。
「わかってたけど、君って本当に尽くす人なんだね。あれだけ斎内に拒まれて、こんなに精神的に危うくなってもまだ、彼のことを嫌いになるどころか擁護するなんて」
「いやまあ、あれは声が出なかったとはいえ、私もちゃんとあの場で桃矢の誤解を解けなかったのが悪いっていうか……今にいたっては誤解を解く気もなくなっちゃってるし、それでも一応は幼馴染みだし」
「そういうところが、尽くす人なんだよ。そうやって斎内を甘やかしてるから彼も君に甘えて、手を払われたくらいで、君に嫌われてるんだって勘違いしたんじゃないかい? 君から話を聞いた限り、斎内は君の反応を気にしてたようだけど」
「……むしろ、私のほうが桃矢によくしてもらってばっかりだったよ。中学のときは桃矢とつるんでるせいで女子に睨まれたけど、そのあとは嫌がらせの中心になってた子のとこへ怒鳴り込みに行ったし、この一年はこのとおりだったし。……そもそも私が声楽やってるのも、元を正せば桃矢のせいというか、おかげみたいなところが多少はあるし」
呆れ混じりの声と顔の倉本君にそう言って、私は窓の外へ目を向けた。
見つめる外の雪はまだ止まなくて、ゴンドラの冷たい表面にもうっすらと積もりはじめてた。このぶんだと、路面もそうなってるか濡れてるのだろう。
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