第二章 歓喜と悪意

第11話 特別な日・一

 コンサートの夜以降は、嵐が吹き荒れてるみたいに、逆に凪いでるみたいに時間が過ぎていった。


 真彩まやが連れてきたコンサートホールの警備員さんが警察を呼んで、それから事情聴取されたり、親や先生が呼ばれたり。真彩はもちろんのこと、お母さんにも泣いて抱きつかれた。

 そういうのが終わってようやく家へ帰って、念入りに身体を洗って。一日休んでから、私はまた桃矢とうやに付き添われて学校へ行くようになった。


 でも、やっぱり休む前と同じってわけにはいかなかった。何しろ、同級生にストーカーされた挙句襲われかけた女の子なんて、そう身近にいるものじゃないもの。ライバル同士の割には仲の良い陽気なクラスといえどさすがに微妙な空気が続いたし、廊下を歩けばしょっちゅう視線とささやき声が絡みついてきた。いくら美男美女の実力者たちと幼馴染みか友達の上、自慢じゃないけど何度か国内のコンクールで優勝したりして、じろじろ見られるのはそれなりに慣れてるけどさ。それでもこの視線とささやき地獄は、結構精神にくる。


 ともかく、そんなふうに毎日が過ぎていって、あっという間に憂鬱な期末テストも終わり、夏休みになった。


美伽みかちゃーん、こっちこっち」


 真彩が背伸びし大きく手を振る。その後ろでは倉本くらもと君もいる。私はほっと息をついて、人ごみをかき分け二人のほうを目指した。


 今夜は、学校がある地区の港の辺りで花火大会がある。ということで、私は桃矢や真彩、倉本君を誘って四人で回ることにした。友里ゆりやよく伴奏を頼んでるピアノ専攻の明希あき、ヴァイオリン専攻の和子かずこたちも一緒に誘ったんだけどね。予定が合わなかったり遠かったりで、私を含めた四人しか集まらなかった。


 で、私が着てきたのは去年買った、お気に入りの一着だ。水色の地に流水や大きな朝顔、鞠がプリントされてあって、帯は萌黄色。髪はお母さんに結ってもらって、赤い金魚が揺れる簪も挿してみた。

 どうにか二人と合流すると、真彩は私を見るなりぱあっと笑顔になった。


「わあ、美伽ちゃん可愛い。似合ってるよ、その浴衣」

「ありがと。真彩も可愛いよー」


 ええホントに。私は褒められることに照れくささを覚えながらも、心の底から真彩を愛でた。

 クリーム色の地に薄紅色の桜と黒い金魚の柄を散らした可愛らしい浴衣は、女の私でも守ってあげたくなる真彩の可憐な顔立ちによく似合ってた。髪は半ばから細かく波打たせて結い上げ、ちりめん細工の髪飾りで飾って。当然お化粧も完璧。多分、倉本君が隣にいなきゃ、男の子たちの注目を集めすぎてやばいことになってたと思う。


 一方、真彩の隣にいる倉本君は普通の私服だ。とはいっても、水色のシャツに革の腕時計を合わせた装いは爽やかで、私たちと同い年とは思えない落ち着きがある。真彩に負けず劣らず、倉本君もお洒落さんだ。


 うん、どう見ても美男美女カップル。そのおかげか、周りの人たちは二人を見ているだけで話しかけてはこない。お互いに上手く虫除けができているというか。正直、私はいないほうが友達同士で集まってるだけだってばれない気がする。

 倉本君は、私の後ろに目を向けた。


斎内さいうちは? 一緒に来なかったの?」

「その予定だったんだけど、まだ伯父さんのレッスン受けてるみたいで、先に行っててくれって」

「ああ、なるほど。それじゃ仕方ない」


 だよねえ。私たちは納得して頷きあった。

 だって数日前にコンクールで上位入賞した真彩と違って、桃矢の本番はこれからだ。前に映像を送った国際コンクールの本選。もうあと一週間もない。ぶっちゃけ、誘うのが馬鹿というか空気読めって話だ。


 だから最初は誘わなかったんだけど、気分転換がしたいって桃矢が言うから、桃矢もメンバーに加えることにした。余裕だねってからかった私は悪くないはずだよ。……そりゃ、嬉しかったけどさ。

 道の端でしばらく桃矢を待っていて、ふと倉本君は革の腕時計を見下ろした。


「十五分経ったし、そろそろ行く?」

「ん、でも、もう少ししたら来るかもしれないよ?」

「行こうよ真彩。桃矢は、私が着いて十五分待っても自分が来なかったら置いてっていいって言ってたし」


 というか、さっきからたこ焼きを焼いてる音やらソースの匂いやら、行き交う人たちが持ってる色んな食べ物やらが目について仕方ない。お腹だって空いてきたし、そろそろ限界なんです。

 ――――ん?


「美伽!」


 三人で一緒に通りを歩こうとしたそのとき、私の視界の外から聞き慣れた声がした。そっちへ顔を向けると、黒地に可愛い犬のイラストがプリントされたTシャツにチェックの上着、ジーンズという恰好の桃矢がこっちへ走ってきてる。

 あのTシャツ、去年のクリスマスパーティーで私が桃矢にあげたやつじゃん。参加した皆がそれぞれ用意したプレゼントの一つ。誰が用意したのかわからないようにしてあったんだけど、犬のイラストのせいで、私のチョイスだってすぐ桃矢にばれたんだったな……。


 使ってくれるのは嬉しいし、急ぐために適当に着てきたんだろうけどさ……皆で遊びに行くんだから、もう少し服選べばいいのに。昔っから着る物に無頓着だよね。

 倉本君にファッションセンスを磨いてもらったらいいのに。幼馴染みのださい恰好に心の中でツッコミを入れながら、私は手を腰に当てた。


「桃矢、遅い。今行くところだったよ」

「仕方ねえだろ。これでも母さんに車に乗せてもらったんだよ」


 私が文句を言うと、桃矢は両腕を組んで口をへの字に曲げる。いやいや、行くって言ったのはあんたでしょうが。

 倉本君は苦笑した。


「まあでも、斎内が早く来てれてよかったよ。僕が女の子二人と一緒にいるのをジャズバーの常連さんやスタッフさんたちに見られたら、次に行ったときにすごくからかわれるだろうから。姉さんや妹もそうだろうし」

「あはは、倉本君のお姉さんならからかいそう」


 でも、見てみたいかも。去年の文化祭で見たけど、アパレルメーカーに勤めてるらしい倉本君のお姉さんは、それはそれは美人で性格も勢いがある人だった。そんなお姉さんに、倉本君も頭が上がらない様子だったし。あれはまた見てみたい。


 ともかく、全員揃ったのだ。私たちはようやく、祭りを楽しむべく歩きだした。

 人の波に逆らず歩きながら、目についた出店に立ち寄っては物を買っていく。フランクフルト、ベビーカステラ、綿飴、林檎飴、焼き鳥。私だけじゃなく皆晩御飯は食べないできたみたいで、買うのは食べ物優先だ。目についた端から、食べ物を買っていく。


 特に桃矢は伯父さんのレッスンを受けてきただけあって、大食らいを発揮した。焼きそばに唐揚げにポテト。私がお菓子を食べてると太るぞなんて言ってからかうけど、まず自分が太らないよう気にしろっての。歌うのだって、結構カロリー消費するんだからね!


 とはいえ、食べてばっかりだったわけじゃない。倉本君の発案で、一人一回ずつ射撃をやった。結果はまあ、推して知るべし。私弾を全部外した私をノーコンと大笑いした失礼な桃矢の足を踏んだのも、仲が良いねえの一言で済む話だ。うん。


「これで一応、ミッションは達成だね」


 熊のぬいぐるみを小脇に抱え、倉本君はのほほんと笑う。奥の棚に置かれてた、その射撃の出店で一番の目玉商品だ。一等に相応しく、他の的が少々邪魔な当てにくい的だったんだけど、倉本君はあっさり当てちゃったんだよね。先にやった桃矢が、邪魔な的をちょっとずらしてたのがよかったのかもしれない。

 私は目を瞬かせた。


「妹さんに頼まれたの?」

「うん。射的をするならぬいぐるみをとってきてって言われたんだよ。僕より、斎内はどうするの? それ、君には似合わないだろう?」


 と、倉本君は桃矢が抱えるぬいぐるみを指差してくすくす笑った。

 桃矢が当てたのは、倉本君がとった熊のぬいぐるみの下の段に置いてあった、茶色や黒、白と定番の配色をされたセントバーナードのぬいぐるみだ。見るからにふかふかそうで、半眼の眠そうというか気怠そうな感じが何とも言えず、可愛い。個人的には、桃矢が持っていても違和感ないけどね。同族だし。


「そうだ桃矢、教会へ持ってったらいいんじゃない? あんた最近、教会へ行ってないでしょ?」

「あー、それもありか」


 私が提案すると、桃矢は思いつきもしなかったのか小刻みに何度も頷く。いやいや、思いつこうよ。ご近所だからというか、昔は何度も行ってたんだから。

 真彩は細い首を傾けた。


「二人とも、教会へ通ってるの?」

「別にキリスト教徒ってわけじゃないよ。家の近くに教会があってさ、私も桃矢もそこがやってる幼稚園へ行っててね。それで私は、今でもたまに遊びに行ってるの。神父さんは私たちが音楽やってること知ってるから、たまに賛美歌をやってくれって頼んでくるし」

「つかお前、今度教会で歌うんじゃなかったか? ちょうどいい。お前、これ持っていってくれよ。つかやる」


 ってこら桃矢、人にぬいぐるみ押しつけないでよ。

 私は、押しつけられたぬいぐるみを桃矢の胸に押しつけ返した。


「自分で持っていきなよ。あんただってたまに教会で弾くんだし、神父さんのありがたーい話聞いて、気分転換すればいいじゃん」

「あの人の話なんて、どうせ聖書絡みだろ。どこがありがたいんだよ」

「でも、キリスト教のエピソードが元になった曲を弾くとき、雰囲気を掴むのに参考になると思うけどな。リストの『死の舞踏』とかモーツァルトの『レクイエム』とかさ。水野さんが声楽を始めたのも、もしかして教会で聖歌隊が歌ってたからとか?」

「あはは、まあ、そんな感じかな」


 倉本君に聞かれ、私は軽く笑って答える。さすが倉本君、優等生だ。

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