第95話アキラの考え

「あのー……ところで、なぜあなたがここにいるのでしょう?」

「さっきも言ったと思うんですけど、一応招待者として挨拶にでもと」

「いえ、あの、そうではなくてですね……その、一人で部屋に入っていたものですから、誰かがいるとは思わず……」


 そこまで言ったアーシェはもじもじとわずかに恥ずかしそうにしながら顔を逸らして言葉を止めてしまう。

 だがそのままではいけないと思ったのだろう。そして意を決したのかアキラの方を向いて話し始める。


「そもそも、招待したものとしての挨拶というのはわかりましたが、それでも女性が寝ている部屋に入るというのはよくないと思います。予めそうなっているというのがわかっているのですから、せめて女性を配置するべきではありませんか? ただでさえこのお店は対外的にはあまりよく思われていないこともあるのですから、そんなところで男女が二人きりになるなど、その……だ、ダメなことだと思います!」


 その言葉は普段の彼女の喋り方とは違い早口であった。

 それは先ほどまで自分の見ていた『夢』に関連する。

 自身が望んでいた普通の……少々過激とも耳年増ともいえる普通の少女の自分という夢だったが、その中の一部の光景が話している間に頭の中に浮かび上がり、咄嗟に大きな声を出してしまったのだ。


 そして最後は大きな声を出してアキラを咎めてしまったが、アーシェはそのことにはっと気がつくと恥ずかしそうに再びそっぽを向いてしまった。


 しかしアキラには何故目の前の聖女がそんな反応をしているのか、その本質を理解することはできずにいた。


 だがそれでもそのまま何も言わないでいるのはまずいとわかるのだろう。

 アキラはアーシェが何を慌てた様子を見せているのかわからないが、それでもとりあえず謝罪して話を進めることにした。


「そうですね。配慮が足らずに申し訳ありませんでした」

「……ですがまあ、私としては変に従業員の方を送られるよりは良かったかとも思わなくもありませんが」


 そんなアキラの謝罪を見てか聞いてか、アーシェはそれまでの混乱を落ち着かせると小さく咳払いをしてからそう話した。


 しかし、なんらかの意図を含んだその言葉にアキラは怪訝そうな様子を見せている。

 実際、アーシェにはアキラに言いたいこと……いや、言わなければ、聞かなければならないことがあった。それは……。


「ここの従業員の方、全員魔物ですよね。それもただ人化できる魔物ではなく夢魔の類、サキュバスでしょう?」


 そう言われた瞬間、アキラはあまりのことに息を止めてしまった。

 すぐに持ち直したが、おかしな反応をしてしまったのは事実。


 それでもアキラはまだ気づかれていないと願ってアーシェの言葉を誤魔化しにかかった。


「は? そんなことがあると思いますか? 従業員が全員って……。数人が魔物が紛れていると言うのならわかりますが、この店には何十人といるんですよ? それが全員って、ありえると思いま──」

「今まで話していませんでしたが、私は剣の聖女です。人かそうでないかなど、見ればわかります」


 だが、そんなアキラの言葉は食い気味なアーシェの言葉によって遮られ、否定された。


 このはっきりとした物言いは完璧に気づかれている。そう判断したアキラはなんとかして誤魔化そうと考えるが、その言葉が出てこない。


「サキュ……夢魔を雇っているのであれば、夢を見させるという店も納得できます。それくらいたやすいでしょうから」


 サキュバスと言わずにあえて夢魔と呼んだのは、サキュバス=淫行を想像したからか。咄嗟にそんな考えが思い浮かぶあたり、やはりこの聖女は少しばかり耳年増なようだ。


 だがそんなことは気になった様子ではないアキラは、あまりやりたくはなかったが、もうこの場所にいる者達のことについては忘れさせるために魔法を使おうかと考えていた。


 だが、そんな思考も遮るようにアーシェは首を振ってもう一度話し始めた。


「ですが、一つ気になることもあるのです」

「……それは?」


 アーシェが話し始めたことで、魔法を使うという案は一時的に破棄したアキラはアーシェの話を聞くことにした。


「あなたですよ。見たところあなたは操られているわけでもなく、彼女らが人に手を出した様子もない。あなたは何十という数の夢魔を完全に統率している。それが不思議でなくてなんだというのでしょ?」


 普通人間は魔物の統率などで気はしない。

 多少であれば……一体や二体程度であれば低位のもので相性が良ければ従えることはできるだろう。

 だが、アキラのやっているのは何十何百という数におよぶそれなりに格のある存在の統率。言い換えれば服従だ。それはどう考えても『普通』ではない。


「俺も魔物だとしたら?」

「それはあり得ません。先ほど言ったでしょう? わたしには人か魔物かわかるのだ、と。あなたは人ですよ」


 しかしそう言ったアーシェだったが、その頭の中には引っかかるものがあった。

 アキラは確かに人間だ。自身の仕える剣の女神から授けられた力によってそれはわかっている。

 だが、どうしてだろうか。アーシェの目はアキラのことを人間だと判断しているのに、授けられた力そのものは違和感を囁いている。


 それはアキラが女神の力と混じった存在であるからなのだが、そんなことを知らないアーシェはただ不思議な少年だとしか判断することができなかった。


 昨日協会前にいたアキラのことが目についたのも、そして昨日の今日でここにきたのも、そのことが関係していた。

 もちろんそれらはアーシェ自身の意思での行動だった。だが、それでも女神から与えられた力が反応していることに関係しているのも本当だった。


 故にアーシェはアキラとこうして真正面から話をしているのだ。少しでも何かわかるものがないか、と。


 そんなアーシェの思惑など知らないアキラは、目の前で何やら真剣な表情をしながら自分のことを見ている聖女に向かって口を開いた。


「……夢魔って言っても、悪さをする奴ばっかりじゃない。むしろ、その大半は悪さなんてしたくない奴らだ」

「ですが彼女らは人から精気を吸い尽くして殺します」

「そりゃあ生きるのに必要だからだ。サキュバスたちは生き物から精気を吸い取らなくちゃ生きていけない。かと言って、少しくれと言ったところで今のこの世界じゃ誰も許してくれないし、そもそも法で決まってる。関わるなって。サキュバスたちの使う夢に干渉する魔法は、人の間で禁忌とされている外道魔法に属するものだからな」


 外道魔法は死者を動かしたり人を操ったりと負の側面が強く広まっている。

 仮に外道魔法の適性を持つものの本質が善良なものであったとしても、人々はその魔法を持っているというだけで非難する。

 普通の人間が相手であってもそれなのだ。ならば、それが魔物であったのなら、『人』がどう対応するかなど、わかりきっている。


 すなわち、探し出して殺す、だ。


「だから彼女らが生き残るには人を襲わなくちゃならないけど、人を襲ったことがバレれば探される。そして下手に生き残らせると魔法の痕跡が残り、それをもとに追跡される。そうなったら自分だけじゃなくて、一緒にいる仲間までおしまいだ。だが完全に精気を吸い取って殺せば痕跡は残らない。だから彼女らは人を殺すんだ。自分たちが生き残るために」


 そのことはアキラに言われずとも理解しているのだろう。だがアキラに言われたことでそのことを思い出したアーシェは鎮痛そうな表情を浮かべるが、それでも彼女はそのまま黙ることをしない。


「……ですが、なら人以外から精気を吸えば……」

「サキュバスってのはな、魔物の中でもそれなりに上位の存在だが、その素の肉体性能は低い。周りが敵だらけの魔物の巣の中に行って誰にも気づかれないように何時間も同じ場所で止まってろって?

 そりゃあ無理ってもんだろ」


 サキュバスは魔物の中の格としてはそれなりに高位に位置している。

 だが、かと言って純粋な戦闘面で強いのかと言ったら、そうでもない。純粋な戦闘では精々がドラゴンから逃げられる程度だ。

 それもすごいことはすごいことに変わりはないのだが、強いかと言われたらそうでもない。ドラゴンとは違い、油断していれば一般人でも殺せてしまう程度の能力だ。


 全力を出して戦うことができれば種族の格に見合った強さを発揮するのだが……。


「それに加えて、やっとの思いで魔物から精気を吸ったところで、人よりも回収できる量が少ないとなれば、魔物よりも回収効率が良くて、魔物よりも危険度の低い人を襲うに決まってるだろ」


 それは全力を出せれば、の話だ。

 魔物達を眠らせて精気を吸い取ったところで、吸い取れる量は少なく、眠らせるのに使った力との収支がマイナスに傾く。


 そんな状態では相手を眠らせて襲う、なんてことはできず、自然に眠ったところを襲うくらいしかできない。

 だが、そうして吸い取った力は一日分の食事程度にしかならないので、ろくに回復できるような状態ではない。生きるので精一杯だ。


 しかし、精気というのは感情に反応して吸い出しやすくなる。その点で言えば人間は最高だった。これほどまでに感情というものに溢れている生き物はそうはいない。

 人間から精気を吸い取れば、それだけで一ヶ月は生き延びることができる。だからこそサキュバスに限らず夢魔達は人間を襲うのだ。

 自分たちが生き残るために。


「生きるために他の生き物を殺すってのは、悪だとは思わない。人だって他の生き物に対してやってることじゃないか」


 そしてそれは人間も同じ。

 人間だって他の生物を殺して命を繋いでいる。

 しかもだ。夢魔達に限らず魔物は、基本的には生きるために必要な最低限しか殺さない。中には気分で殺す者もいるが、それは例外だ。

 だが人間はどうだ。生きるためではなく単なる遊びで殺すこともあり、殺した命を活用しないでゴミとして捨てる場合だってある。それは生きるために他者を殺す魔物よりも、よほど『魔物』だと言える。

 そんな人間が、人間だから殺すな、などと言うのは正気を疑わざるを得ないことだ。


「それとも、聖女様は、人間だけが特別で、他の種族は人間のおもちゃや食料だとでも思っているのか?」

「そうでは、ありません……」


 アキラの言葉に何も返すことができずに俯いてしまったアーシェだが、アキラはそんなアーシェを見て少し言いすぎたかもしれないとバツが悪そうに唇を噛んだ。


「……なんだかごちゃごちゃ言ったが、俺が言いたいのは、ここにいるサキュバスは……いや、これからはこの辺にいる夢魔はサキュバスに限らず人を襲わないから敵視しないでほしいってことだ」


 そして軽くため息をこぼすと、アキラはアーシェに向かってそう頼み事をした。

 しかしそうは言ったが、正直言ってそれが聞き届けられるかどうかと言うのはアキラとしてもわからなかった。

 何せ相手はサキュバスだけではなく、外道魔法を使用する魔物である夢魔を敵としている組織のお偉いさんだ。聞き届けられると思う方がおかしい。

 だがそれでも……。


「でもまあ、あんたなら大丈夫だと思ってるよ」

「何故ですか? 夢魔は教会でも敵と定められています。そして私はその教会においてそれなりの立場のあるものです。なら……」

「あんたは大丈夫だよ。……じゃないと、見た瞬間に気付いたはずなのに、大人しく魔法にかかるわけないだろ?」


 そう。アーシェはこの建物に入った瞬間に、ともすれば入る前からサキュバス達の存在には気がついていたはずだ。

 だと言うのに、アーシェは特に騒ぎを起こすでもなく言われるがままに部屋に入り、夢魔の住処で眠ると言うことをしたのだ。

 それは騒ぎを起こすつもりのある人間であれば絶対にやらないことだ。


「それは……ここの人たちは誰か亡くなった様子もありませんし、誰もが笑っていました。中には泣いている人もいましたが、それは悲しみから来るものではありませんでした。なら、敵と決められているからと言って『敵』とするのは違うのではないかと……そう、思ったんです」

「正義とか審判を司ってる剣の女神。その女神に仕え、なおかつその力を貰ってる聖女がそんなことを言っていいのか?」

「そもそも正義というのは、非常に曖昧なものです。個人ごとに正義というものは変わり、私の正義はあなたの言葉を、そして彼女たちを間違っているとは思えないのです。確かに私は教会の者ですが、それ以前に私は剣の女神に仕える者です。そして私の正義は先ほど言ったとおり。あなた方がおかしなことをしない限りは、私は何も見ていません」


 そう言ったアーシェの表情は真剣で、嘘などかけらも感じられなかった。


(……へえ? 流石はあいつの選んだ聖女……いや、違うか。そういう目で見るべきじゃないな。選ばれたのは確かだが、それでもアーシェはアーシェだ。聖女として、ではなく、彼女個人としてみるべきだな)


 アキラも思うところがないわけではない。

 アーシェ個人がどう思ったところで、結局は教会所属ということに変わりはないのだから

 しかしそれでも、アキラは目の前にいるアーシェのことを『大丈夫だ』と判断した。


 そしてそう判断すると、アキラは緩く首を振ってその話題を終わらせて次に進むことにした。


「ま、ならその話はいいとしてだ。一つ聞きたいんだが……」

「はい、なんでしょうか?」

「どうしてそんな服で来たんだ?」


 アキラの提供した次の話題というのは、それ。現在アーシェの着ている服についてだ。


「え?」


 アーシェは突然のアキラの言葉に自身の体を見下ろすが、そこにはいつもと変わらない、いや、違う。いつもよりも大人しめの服を着ている自分の体があった。


 どこかおかしいのか? 聖女らしくないとでも言いたいのか? だがここにお忍びで来る以上はいつもの聖女としての服を着ているわけにはいかない。

 なのでわざわざ一般のシスターから服を借りたのだが、アキラは何を問題としているのかわからない。


 それがアーシェの頭の中で考えたことだった。


「何かおかしいでしょうか?」


 そしていくら考えてもアキラが何を問題としているのかわからなかったので、アーシェは直接聞いてみることにした。


 しかし、アキラはその言葉に対して、やっぱりか、とでも言いたげな感じで眉をひそめ、これ以上ないくらいにわかりやすくため息を吐き出した。


「何かも何も……ここは教会から目をつけられてるんだろ? そんなところに教会の関係者がやってきたってバレたら、怒られるんじゃないか?」


 アキラ達と教会との関係は、残念ながら良好とは言えない。そのことをアーシェ自身も理解しているはずだ。


 一般のシスターとは言え、教会で働いている者がこんな場所に来たのだとバレればそれなりに大変なことになるし、それが聖女だとバレれば尚更その騒ぎは大きくなる。

 ともすれば今後のアーシェに自由行動が許されずに籠の鳥として生きざるをえず、アキラ達の店にも何がしかの罰則が与えられかねないほどにめんどくさい状況になる。


「……あっ!」

「やっぱり気づいていなかったのか……」

「ど、どうしましょう……」


 アキラに言われて今更ながらそのことに気がついたアーシェ。

 そうして自身のうっかりで慌てる姿は、十年以上も前に見た女神のことを思い出させ、困った状況であるにもかかわらずアキラは顔を綻ばせた。


「なら、ここに来る必要があった理由を作るか」


 とは言え、そのまま慌てるアーシェの姿を見るだけではいけないと、アキラは現状の打開策を提案することにした。


「理由ですか?」

「俺はこんな店をやってるが、本家というか、実家は食料品を扱ってるんだ。そっち関連でここにきたことにしよう」

「食料品関連、ですか……?」


 アキラは女神の生まれ変わり探しのために情報を集めやすい王都へときたが、その名目は商人として、だ。


 嘔吐に来てすぐ、店を始める前にサキュバスなどという存在と出会い、そして同情してしまったが故に今のような店をやることになったが、本職はそっちだ。


 本当なら親や祖父達と同じように食品系、もしくは日用雑貨を扱う店をやろうと思っていた。どうせ店を国一番にしようなどと考えておらず、その辺の仕事なら母親であるアイリスの元で学んでいたので知識もあった。何よりも、祖父というつてもあったので失敗することはまずなかっただろう。


「ま、悪いようにはしないさ」


 そんな食品系の卸しにつてのあるアキラは、アーシェに対してニヤリと笑うと、座っていたソファからスッと立ち上がった。


「そうと決まったら早速行くとしようか」


 だが何も話されていないアーシェは、アキラが何を言っているのかわからず多少は落ち着いたもののいまだに困惑している様子を見せていた。


「どこへでしょう?」

「爺ちゃんち」

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