第94話聖女の訪問

「主様。少々よろしいでしょうか?」


 基本的には店を盛り立てていこうと思っていないアキラとて、店の主人である以上は何も仕事をしないというわけにはいかない。

 アキラが仕事をせずとも配下──というよりも信者であるサキュバス達はアキラの代わりに働くだろうが、それでは商人として送り出してくれた母親や、色々と気にかけてくれている祖父達に合わせる顔がないと思っていた。

 まあ、母親であるアイリスの方は商人でなくてもいい。アキラが幸せになれるのならば仕事などどうでもいいと思っている節があるが、それとこれとは別だとアキラは思っている。


「ん? ああ、いいよ」


 なので女神の生まれ変わり駄菓子がいちばんの目的だが、優先する必要がある物事がない状況では真面目に仕事をしていた。

 だが、アキラが部屋で書類を読んだり書いたりしていると、部屋の外から従業員であるサキュバスのレーレが声をかけてきた。


「失礼します」

「どうした? 何か問題でもあったのか?」

「問題というわけではありませんが、ご報告が一点ございます。現在、下に優待券をお持ちの方がお越しに成られているのですが、いかがされますか?」

「優待券? ……まさか昨日の今日で?」


 優待券。それはこの店を優先的に使うことのできるというものだが、それはそこら中にばらまいた記憶などアキラの中にはなかった。

 渡したものと言ったら、この店の場所を提供してくれたガラッドや、祖父や従兄弟などの親族と昔からの友人二人。それから、つい昨日出会ったばかりの教会のシスター……に扮した聖女だけだ。


 基本的にはその中で誰か来てもレーレはこんな悩ましげな様子で報告をあげたりはしない。精々が「ご友人が来られました」と軽く伝えてくるだけだろう。


 が、それは基本的には、だ。アキラが優待券を渡した中で一人だけ、レーレが警戒するような相手がる。


 聖女だ。


「そいつって金の髪をした長身の女か?」

「はい。優待券をお持ちでしたのでとりあえずは『商品』へと案内致しましたが……」

「なんだか歯切れが悪いな」

「いえ、その……あの者は、教会の関係者ではありませんか?」


 ここで働いている者の多く……というより全員が人間じゃない。

 教会だけではなく国の法で討伐対象として定められている魔物であるサキュバスがここの店の従業員だ。


 国の方はそれほど深く調べたりしないし、そもそも人の中に紛れたサキュバスを調べる方法なんてないから問題ないと思っていたが、教会となると別だ。

 教会は独自の魔法をもって擬態した魔物を見分ける。


 その魔法を受けてサキュバス達のことがばれてしまえば、自分たちは居場所を失うだけではなく、主であり信仰対象であるアキラにも迷惑がかかってしまう。

 それ故にレーレは教会のものがきたことで警戒していたのだ。


 だが、その考えには一つ問題というか、疑問点が出てくる。


「……どうしてそう思った?」


 そう。アキラの言ったように、そこがわからない。教会の人間と言っても、見た目に角が生えているとか翼があるわけではないので、見ただけではわからないはずだ。

 だというのに、レーレはアキラが優待券を渡した相手が教会の人間だと気がついている。

 流石に聖女だとまでは気がついていないだろうが、どうして教会の者だと気付けたのか、アキラにはそれがわからなかった。


「外套を頭まで羽織っていましたが、その下は白い衣が見えました。あれほどゆったりと布を使った服であれば平民は使いませんし、貴族は白という色はあまり使いません。ですので、残るは教会関係なのではと……」

「……そうか。あのままきたのか……」


 が、なぜ分かったのかなど、そう難しいものではなかったようだ。


(教会の服のままきたらこっちもあいつもまずいって考えなかったのか? あいつ、しっかりしてるようで実は馬鹿なんじゃ……)


 というよりも、あまりにも単純過ぎて、例の聖女の頭を心配するくらいだった。

 教会はアキラの店のことを怪しんでいる。それはともすれば乗り込んで調べようと考えているほどにだ。

 そんな怪しい場所に教会の関係者が入ったとなれば、怒られるでは済まないことになるというのも、少し考えればわかること。


 だというのに、そのことを知っているはずの聖女は教会の服を着てやってきたのだという。

 それを聞けば頭を心配しないわけがない。


「だがまあ、確かにあれは教会の関係者だが、あいつ自身はそれほど心配する必要はないと思うぞ」

「そう、ですか……」


 アキラはそう言ってレーレの不安を解消しようとするが、それでも居場所を奪われる可能性があるというのは、今までいろんなものから逃げてきて定まった場所で暮らすことのできなかったサキュバスとしては不安なのだろう。


「とはいえ、お前達の心配も分かる。ちょっと覗いてくるよ」


 従業員の不安は取り除かなくてはならないし、そうでなくても聖女がきたのなら会って話しておきたいとアキラは思っていた。


「申し訳ありませんが、よろしくお願いします」


 そうしてレーレの付き添いを経て聖女が案内された部屋へと進んでいくアキラだが、その部屋の中に入ると、そこには部屋の隅で若干怯えた様子を見せながら待機していたサキュバスの従業員と、柔らかそうなベッドの上で眠る聖女──アーシェの姿があった。


「お疲れ様。こいつが例の問題だよな?」

「はい……あの、大丈夫なんでしょうか?」

「大丈夫だ。優待券を持ってたってことは一応俺が招待したやつだろうし。それに、本当に安心できるかを確認しにきたんだ」


 そう言って部屋で怯えていたサキュバスを退室させて、代わりに一緒にきたレーレを部屋の中に残すと、アキラはしっかりと確認するべく寝ている人物の顔を見ることのできる場所へと歩き出した。


「さて……ああ、本当にこいつだったか。


 ベッドのそばによって、そこに眠っている人物の顔を覗き込むと、それはまぎれもなくアキラが昨日あったばかりの聖女だった。

 きている服は昨日よりも質素になっているものの、それでも教会のものだとわかるような服。おそらくは私服の類というものを持っていないんじゃないだろうかとアキラは推測するが、それは今はどうでもいいことだと見切りをつけてから軽く息を吐き出した。


「悪いけど、ちょっと覗き見させてもらうよ」


 従業員の安全と、自分の障害となるかの確認のためとはいえ少しの罪悪感を感じつつも、アキラはそう言いながらある魔法を使っていく。


「自分のみたい夢のくせに、ずいぶんとおとなしい世界だな」


 アキラの使った魔法は他人の夢の世界の中に潜り込むことのできる魔法。


 それによってアキラは聖女がどんな人物なのかを確認しようとしたのだ。そしてもし問題があるようであれば、秘密を握るなり洗脳をかけるなりしようと思っていた。


 完璧に魔法の悪用であるが、アキラは自分たちを守るためならその辺はあまり気にしない。

 もっとも、だからといって他人の夢──心の中を覗くことに対してまったく罪悪感がないわけではないが。


「あの聖女様はどこにおられるのかな、っと」


 そんな夢の中では基本的にアキラが何かをしない限りは相手はアキラの存在を確認することができないので、アキラは大胆にも空を浮かびながら聖女を探して移動していく。


 と、この夢の主人であるアーシェのいるであろう方向へと進んでいくと、その反応はだんだん近づいていき、そしてついにはその姿を見つけた。


「見つけ──」


 建物の一室で男と抱き合ってキスをしている状態で。


「……おとなしいといえばおとなしいが……そうでもなかったな」


 ある意味ではおとなしい夢だろう。誰もが願うようなわかりやすい欲を体現した夢だった。


「いや、なんていうか……うん。すまん」


 だが、そんな人の情事を見るつもりのなかったアキラとしては、気まずさと罪悪感が募っていった。

 それを証明するかのように、アキラはその姿を確認すると、意味があるわけでもないのに家具の陰へと姿を隠してしまった。


「……まああれだ。それはそれとしてだ。下世話な話だが、さっきの相手の顔がはっきりしてなかったってことは、特に誰か決まった相手がいるわけでも、相手にしたい奴がいるわけでもないのか?」


 アキラは思考を切り替えるとそう呟いたが、その考えは正解だった。

 ここは夢の世界。本人が望んだ夢を見られる場所であるにもかかわらず、相手の顔がないということは、それは行為には憧れるがその相手となる人物は決まっていないということ。


「だとすると、なんだ……もしかして、男とヤルのがあの聖女の願い? いやいや、それは流石に……ない……よな?」


 このままだと間違いなくいくところまでいくだろう。

 だが、それを望んでいるにもかかわらず相手の姿が見えないということは、それはアーシェがただ相手は関係なく行為をしたいだけだということになる。


 が、アーシェは仮にも聖女と呼ばれる女性だ。そんなことはないだろうと、半ば願望のように思って物陰からゆっくりと顔を出すと、アーシェが自身の服に手をかけ……。


「っと、切り替わった、か? 次は……これは街中か」


 だがアーシェが自身の服へと手をかけたその瞬間、アキラの視界は建物の中から外へと切り替わった。


「相変わらず相手の顔ははっきりしないが……普通に歩いてるだけだな」


 情事の光景は最後まで行くことなく一転して、先ほどと同じく顔の見えない男性と手を繋いで街の中を歩いていた。

 そしてアキラがその光景を見ながら後ろからついていくと、恋人と話して笑って、店によって、物陰でキスをして、買い食いをして、公園で休んでキスをして……。


 意外と桃色成分の多い聖女の夢に、アキラは若干呆れた感情を抱くが、どうしてそんなことになっているのかを理解した。


「……ああそうか。こいつもあの勇者と同じか。あいつと同じで、聖女なんてやりたくないんだ」


 一緒にいる相手の顔がないのは、特定の相手がいないから。

 だというのにこんな普通の恋人同士のような夢を見ているのは、そうでありたいと望んでいるから。

 先ほど見た建物内での出来事は、そうなることを望んだというよりも、妄想してそれが夢として反映された結果。


 つまりは意外とむっつりな聖女様は“そういうこと“を望んでいるということになるのだが、その辺りは言わぬが花だろうとアキラはそのことを記憶の片隅に追いやることにした。


「昨日望んだ夢を見られるってのに反応して、昨日の今日でここにきたのは、聖女じゃない自分になりたかったからか」


 特定の相手がいないのにこんな夢を見ているのは、相手がいなくともそういう生活を望んだから。

 そういう生活……つまりは『普通の少女』としての生活だ。


 少なくとも、望んだ夢を見られると聞いてすぐにその願いを思い浮かべてここにくる程度には、アーシェは普通の少女になることを望んでいることになる。


「……あいつの関係者ってのは、どうしてこうも望んでいない奴ばかりなんだろうな」


『剣の勇者』も『剣の聖女』も、そしてその二人に力を与えたものでありアキラの探している女神本人も、与えられたその役割を望んではいなかった。


「もしくは、あいつ自身が自分の立場を望んでいなかったからか?」


 女神はアキラが現れたことでそう思うようになったのかもしれないが、だとしても、そもそもそう思うのは土台となる感情がなければ思わない。

 つまりは、剣の女神もその関係者も、全員自身の立場を望んでいなかったということになる。


「……まあいい。これ以上覗く必要なんてないだろ」


 夢を覗いたことで、アキラはアーシェがどんな人物かなんとなくだが理解した。

 それ故に夢を見ることをやめたのだが……。


「……はぁ」


 覗く必要があったとはいえ他人の夢を無断で覗いたこと、そしてその心のあり方を知ってしまったことで、アキラはため息を吐いた。


「あ、あの」

「ん? ああ、大丈夫だったよ。やっぱり特に問題なし」

「そうですか」


 そんなアキラに、今まで同じ部屋で待機していたレーレは心配そうに声をかけるが、アキラは大丈夫だと笑って告げた。


 それを聞いてレーレは、まだ不安そうな様子ではあるものの軽く息を吐き出してほっとした様子を見せた。


「でもまあ、教会の人間と一緒にいたくないだろうし、俺が残るよ」

「い、いえ、そんなことさせるわけには……!」

「いや、優待券を渡したのは俺だし、俺が対応するべきだろ。それに、ちょっと話したいこともあるし、他の仕事に移っていいよ」

「そ、そうですか。では私はこれで……」


 アキラだけをこの部屋に残すわけにはいかないと渋るレーレだったが、アキラにはっきりと言われてしまえばそれ以上残るという選択肢はない。

 それに、仕事があるのも教会のものと一緒にいたくないというのも事実だったので、レーレは頷いて部屋の外へと出て行った。


「──んう……」


 アキラが部屋の中でしばらく待機していると、不意にベッドで眠っているアーシェが微かな呻き声を漏らした。


「……意外と、はっきりと覚えているものなんですね」


 そして目覚めた聖女はゆっくりと体を起こすと、先ほどまで見ていた夢を思い出しでもしたのだろう。自身のほおに手を当てて少し恥ずかしそうに呟いたが、どうやらアキラの姿は目に入っていないようだ。 


「まあ自然に夢を見ているわけじゃないし、そうなるように調整してるからな」

「……えっ!?」

「招待した次の日にくるとは思わなかったけど、楽しんでもらえたか?」


 そばに誰かがいるとは思っていなかったのかアーシェは驚きながらとっさに声のした方へと顔を向けたが、アキラはなんでもないことのように普通に話しかけた。


「え、あの、どうして……」

「ここの主が招待した客がやってきたんだから、主がもてなしにくるのは当然だろ?」


 ことも投げにいうアキラだが、対するアーシェは口を小さくパクパクと動かし、かと思ったらゆっくりとアキラから顔を逸らした。


「それで、どんな夢を見たかは聞かないけど、楽しんでもらえたか?」

「……ええ。あんな世界があるのでしたら……いえ、あんな世界があるのですから、しっかりと守らないといけませんね。そのための私たちなのですから」


 一人つぶやかれるようなその言葉に、アキラは何も返さずにただアーシェのことを見ているだけだった。

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