第74話ゼルベンの願い

 翌朝、勇者一行──特にチャールズ、ダスティン、セリスの三人はこれ以上アズリアとアキラを接触させてはまずいを判断したようで、準備を終えた次の日の早朝に村を出て行った。


 そしてその様子を、アキラはしっかりと把握していた。

 それは勇者一行を監視していたからではなく、村の周囲に一定以上の強さを持つものが通過したらわかるようにしていたからだ。


「……あいつは、どうするんだろうな……」


 昨日アズリアの答えを聞き損ねたアキラは、それだけが気がかりとなっていた。

 自身の力を使ってアズリアの心を読めばわかったのかもしれないが、それは違うと、実行することができなかった。


「一応、保険というか贈り物はしておいたけど……さて……」


 アキラはアズリアの知らないうちに一つの魔法をかけていた。

 そしてそれこそがアキラのいう『贈り物』だった。

 アキラがアズリアにかけた魔法。その内容は、もしこれから先、本当にダメになってしまったら、その時は自分の所に来い、というものだった。

 自分の所にさえくればダメになったとしてもなんとかしてやれると思ったから。


 本来、アキラがアズリアにそこまでしてやる義理はない。しかもアキラはマシになったとはいえ基本的には人間嫌いだ。それなのにどうしてアズリアにはこれほどまでに目をかけているのか。

 それは一言で言ってしまうのなら、気に入らないからだ。


 アズリアが持っていた聖剣を見て、アキラは女神のことを思い出し、そして、ある意味で自分の眷族でもあるのだからと考えた。


 だが、今挙げた理由はあくまでも建前に過ぎない。それよりも本音の部分としては、彼女が──アズリアが泣いていたからだ。

 涙こそ流していたなかったものの、アキラには彼女が泣いているのがわかった。サキュバス達を受け入れた時と同じだ。目の前で泣いている誰かを放っておくのが嫌だった。

 無理やり剣の勇者なんて役割を押し付けられて嫌だと、怖いんだとアズリアは泣いていた。それをアキラには見過ごすことができなかったから、だからアキラは手を差し伸べる。それだけだった。他の理由は単なる後付けや建前でしかない。


「ま、来ないならそれに越したことはないんだけどな……」


 アズリアが心折れ、助けを求めるというのなら助けるが、そもそも助けを求めるほどに心が折れる事など、それならそれで構わない。むしろ、ないに越したことはない。

 昨日の時点で既にアズリアの心はほとんどダメになっていたが、まだなりふり構わず助けを求めるというほどではなかった。昨日は仲間の監視があってアキラのところへ行けなかったかもしれないが、今後もし逃げたくなったらその逃げ先はちゃんとある。


 いざという時に逃げる先があるというのは幸せな事だ。それがどれほど不安定で頼りなかったとしても、それだけで頑張れるということはままある。もちろんアキラは頼られたら不安定というわけでもないし、頼りないという事もない。アズリアが来たのなら全力で手を差し出すつもりだ。


「……起きるか」


 アキラはアズリアのことを考えるのをやめると、そうつぶやきながらベッドから起き、着替え等の準備を終えると部屋を出て下へと降りていった。


「あっ、おはようございます。ゼルベンさん」

「……」


 そして既に居間にいたゼルベンに挨拶をするが、挨拶をされた当のゼルベンは心ここに在らずといった様子でただ宙を眺めているだけだった。


「ゼルベンさん?」

「っ! ……あ、ああ。アキラか。すまないな。なんだ? 何か用か?」

「いえ、そうではないですけど……」


 そんなゼルベンの様子に顔を顰めたアキラは、ゼルベンへと近寄っていき再度声をかける。するとゼルベンはガタリと音を立てて驚き、その後すぐに平静を取り戻してアキラに話しかけた。


「あの、何かありましたか?」

「……いやなに、ちょっとしたことだ。お前さんが気にする必要はないよ」


 アキラの問いに少しばかり迷いを見せたゼルベンだが、結局何も言うことなく笑いかけて誤魔化した。だが、その笑みはそれほど長い時間を共にしたわけではないアキラであっても分かるほどに哀しげに歪んでいたものだった。


「……ところで、ルークはもう起きてますか?」


 突然の話題の変更ではあったが、ゼルベンはそれをアキラの気遣いだと思ったのか特に気にすることなく答える。


「む、ルークか? まだ寝ていると思うが……」

「そうですか」


 そう言ってからアキラはゼルベンの座っている場所の前に対面に座り、一度大きく深呼吸をした後真剣な目つきで口を開く。


「……俺は明日にでもここを出ようと思います」

「っ……。いきなりだな」

「そうですね。でも、目的は達成しましたし、いつまでも店を離れているわけにはいきませんから」

「ああ、そうか。お前さんは自分の店を持っているんだったな。それに目的──勇者探しはもう終わっている、か」

「ええ」

「……」


 お互いに話すことがないのか、それともなにかを遠慮しているのか。はたまたそれ以外の理由かは分からぬがアキラもゼルベンもそれ以上は口を開くことがなく、ただ無言の時間だけが過ぎていく。


 そしてどれほど時間が経っただろうか……いや、さほど時間は経っていないのかもしれない。だが、とても長く感じられた時間の終わりを告げるように、アキラの息を吐き出す声が聞こえた。

 そして、アキラはこれからの事を思い浮かべ、緊張を押し殺してゼルベンへと尋ねる。


「本当に、いいんですか?」

「っ……!」


 主語もなにもないそれだけの言葉。だが、ゼルベンにはそれがなにを意味するのか正確に理解できた。それはまさに今自分が考えていたこととは無関係ではなかったのだから。


「俺は、ルークには笑っていて欲しいし、貴方にも笑っていて欲しい。ゼルベンさん。貴方には世話になりました。そのお礼として、俺がここを去る前であれば、貴方の相談に乗りますよ」

「……」


 アキラはゆっくりと言い聞かせるようにそう話すが、それでもゼルベンは口を閉じたまま。


「……私はな……怖いんだ」


 そうして再び無言の時間が流れた後、徐にそう呟いた。


「怖い……どうしようもなく怖いんだ。もしこれであの子達に会ってしまえば、どんな事を言われるか。それを考えただけで、私はっ……!」


 アキラは直接聞いたわけではないが、察するにゼルベンがとったなんらかの行動の影響で自身の娘夫婦が死んだのだと思っていた。


 事実は違うかもしれないが、ゼルベンは自分が殺したのだと思い込んでいる。

 であれば、たしかに怖いだろう。なにせ直接ではないとはいえ、自分が殺した者に会う事になるのだから。


「会いたくは、ないんですか?」

「会いたいさ。会いたいに決まっている! 私の娘だぞ! 息子のように共に暮らした男だぞ! 会いたいに決まっているではないか!」

「なら会えばいい」


 ゼルベンは感情を爆発させて叫ぶが、それに対してアキラはただ一言返すだけだった。

 だがその言葉は決して投げやりなものではなく、むしろ真剣に考えているからこその単純な、だけど何よりもわかりやすい言葉だった。


「俺にはそれができます。それは一時だけの幻かもしれませんが、それでも最後の話くらいはできます。貴方の娘が亡くなられてからもうすぐ一年。これ以上は俺でも呼び出す事はできないでしょう。そうなって仕舞えば、最後の話すらもできなくなります。……それで、いいんですか?」

「……だが……」


 先ほどまでの激情を消して、ゼルベンは力なく椅子にもたれかかったまま消え入りそうな声でそれだけ呟いた。


「おじいちゃん」

「ル、ルークッ……」


 だがそこで、寝ていたはずのルークがいつのまにか起きていたのか、居間へと通じるドアを開けて部屋の中に入ってきた。


「大丈夫だよ、おじいちゃん。お母さんもお父さんも、おじいちゃんを責めたりなんてしないよ。だって、二人ともとっても、とっても優しかったもん」


「それに、お母さんとお父さんがおじいちゃんを責めたりしたら僕が守ってあげる。もう泣いて欲しくないから僕は強くなったんだ」


 そう言ったルークの瞳は一切の迷いがなく、そのルークの事を見つめているはずのゼルベンは目を見開き、間抜けにも口を開きながら驚きを露わにした。


「……ああ。お前はこんなにも強くなったのだな……。それに比べてワシは……」


 そしてそう呟きしばらくの間天井を見上げた後、ゆっくりと顔をアキラへと戻し、言った。


「……アキラよ。頼めるか?」


 未だ迷いはある。恐怖もある。だがそれでも向き合わなければならない。それが親である自分のやるべき事だから。

 ゼルベンの表情はまるでそう言っているように感じられた。


 故に、アキラは悩む事などなく即座に頷いた。


「ええ。引き受けました」


 その結果、状況次第では自身への害があるだろうと知っていながらも。






「それではこれから貴方の娘とその夫の魂を呼び出します。合図をしたら二人に呼びかけてください」


 場所を人目につきづらい村を囲っている壁の外に移した後、アキラはそう言うと以前ルークの猫の魂を呼び出した時のように呪文を唱え魔法を発動していく。

 そしてある程度魔法が進むと、アキラはゼルベンに目配せをし求めている娘夫婦二人のことを呼んでもらう。


「……ターニャ。ツァード。もう一度……もう一度だけ、姿を見せてくれっ! お前達はワシのことを恨んでいよう。もう姿も見たくないと思ってもいよう。だが、もう一度だけ。頼むっ!」


 そして……


「馬鹿ね。恨んでるわけないじゃない、父さん」

「そうですよ。あれはどうしようもない事故です。お義父さんを恨むことなどあり得ませんよ」


 アキラの魔法によってゼルベンの娘とその夫の魂が呼び出された。


「……あ、ああ……。ターニャッ……。ツァード……ッ!」

「お母さん、お父さん!」


 躊躇いがちに自身の子供達の名を呼び手を伸ばすゼルベンだが、ここには呼び出された二人とゼルベン、それからアキラの他にもう一人ルークがいた。


 ルークは両親のことを呼びながら嬉しそうに駆け寄って行った。恐らくはもう一度会えた両親に抱きつこうとでもしたのだろう。

 両親もそのつもりなのか嬉しそうに顔を綻ばせ、母親に至っては少し屈んで手を広げている。

 だが……


「あっ」


 抱きつこうとした瞬間、ルークの体は両親の体に触れることなく走った勢いのまま通過して行った。


 自分の想像と違うことが起こったルークは、唖然としながらも訓練によって身についた反射神経を駆使して転ばずに済んだ。だが、その表情は何が起こったのか全くわからないというかのようだった。


「アキラ。今のは……」


 そんな三人の姿を見ていたゼルベンは、死した二人の魂を呼び出したはずの術者であるアキラへと視線を向けて問いかける。

 だがアキラはそれに答えることなくほんの僅かに申し訳なさそうな顔をしてルークへと話しかけた。


「ルーク。悪いが、それは幻影だ。魂を呼び出したが、触る事はできない」

「アキラ……」


 両親の魂を呼び出したとは言っても、それは所詮『魂』でしかない。肉体のように実際に形があるわけではないのだから触れないのも当然だった。


 それを理解しているのか、ルークの両親は悲しげではあるもののアキラを責めることはなく、むしろ感謝をするかのようにその声に優しさを滲ませてアキラへと話しかけた。


「……貴方が私達を呼んでくださった方ですか?」

「ええ。アキラと言います。二人には世話になりましたので、そのお礼としてあなた方をお呼びしました」

「ありがとうございます。貴方のおかげでもう一度父に会うことができました」

「これで思い残したことも終わらせられます。本当になんと言っていいか……」

「お二人が話すべきは私ではないでしょう? 呼び出していると言っても、時間制限はあります。ですのでお話はそちらの二人とどうぞ」


 アキラは多少強引ではあると分かっていたが、それでも今は自分が話す時ではないと二人に言って、未だに唖然とした様子でいるルークとゼルベンを示した。


 それを見た二人は無言のままアキラへと頭をさげ感謝をすると、先ほど自分達へと飛び込んできた息子へと視線を戻した。


「ルーク」


 母親から声をかけられると、ルークはハッとしたかのように意識を戻し、一瞬のためらいを見せたあとに勢いよく話し始めた。


「お母さん、お父さん。僕ね、強くなったんだよ。とっても頑張ったんだ。二人がいなくなっちゃって悲しかったけど、もう誰にも泣いて欲しくないからもう誰も居なくなって欲しくないから、強くなるって決めたんだ」


 だがそこまで話すと、色々と理解が追いついて来たのか段々とその表情は歪められ、ついには薄らとではあるが目には涙がたまりはじめた。


「だから……だから、安心してよ。僕は大丈夫だから。悲しいし、いっぱい泣いたけど、もう大丈夫だから。もう泣かないから。だって泣いてたら二人はいつまで経っても安心できないでしょ? それに最後に見せるのは泣いた顔じゃなくて笑顔でいたいから。カッコ悪い僕じゃなくて、二人を安心させられる僕を覚えていて欲しいから。だから、僕はもう泣かないんだ。だから……だから二人とも安心してよ」


 そう言ったルークの顔は、今にも涙がこぼれ落ちそうなほどに歪んでいたが、それでもルークが泣くことはなかった。


「……ハハッ」


 最後までいいっきったルークの言葉を聞いて、父親であるツァードは目を丸くしてパチパチと瞬きをしたあと、そんな風に笑い出した。


「……え?」

「ああ、お前の事を笑ったんじゃないよ。ルーク。……私たちがいない間に、ずいぶんと大きくなったじゃないか」

「そうね。その成長を見られなかったのは少し悲しいけど、これなら、心配しなくていいわね」


 母親であるターニャが手を伸ばしその頭を撫でようとしたが、伸ばしたその手はスッとルークの頭を通り抜けてしまう。


 それを見たターニャは、伸ばした手を引っ込めて悲しそうに笑った。

 そして次にその視線を自身の父親──ゼルベンへと向ける。


「お父さん」


 視線を向けられ、声をかけられたゼルベンは、まだ覚悟ができていなかったからか声をかけられると同時にその体をビクリと震わせる。


「すま、ない……。すまない。すまない」


 そしてその場に力なく崩れ落ち、懺悔でもするかのように二人へとしきりに謝った。

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