暮らしの妖怪帖
三文士
第1話 春・小豆とぎ
小豆はかりが家に出た。多分小豆はかりだ。
こんな郊外で築何十年も経っている家に住んでいるから仕方がないのだが、とにかく気味が悪い。何しろ寝室の天井裏で夜ごと「小豆研ごうか人とって喰おうか♪」などと歌っている。また歌声がガラガラで酷い。
連日連夜のことでついに寝不足になってしまった。残酷だとは思ったが仕事に支障が出てしまっては困るので市役所に妖怪駆除を頼むことにした。
ネットで調べた市の「妖怪駆除課」に問い合わせると、申請書類を提出する必要があるらしいので有給を使って市役所へ行ってみた。
「ええと、妖怪駆除の申請ですね」
「はい、そうです」
受け付けの所員が黒縁メガネをくいくいさせながら対応してくれる。
「ええとお名前が、
「じゅうぞうではなく、トミーです」
「へ?」
「だから、みたらいトミーです。名前」
自分の名前はあまり好きじゃない。
「まあ今は、結構色んな名前の方いますからね。で、トミーさん。二十九歳」
「はい」
「六丁目の一軒家にお一人でお住まいで」
「飼い猫のケイスケがいます」
「はあ、ケイスケ…」
いま絶対、「猫と名前反対じゃん」て思っただろうな。
「ええと、じゃあ男性お一人、猫一匹と。持ち家でいらっしゃる?」
「そうです。母の財産を受け継ぎました」
「お母様は…」
「昨年、亡くなりました」
「そうですか。それはお気の毒で」
お気の毒とは言うものの顔は張り付いた能面のように無表情だ。
「で、御手洗さん、お家の方にあまめはぎが出るということで駆除の依頼を」
「いえ違います。小豆はかりです」
「へ?」
「あまめはぎではなく、小豆はかり」
「あー小豆ね」
他人事だと思って呑気なものだ。
「そういうことでしたら大変申し上げにくいのですが、駆除課では対処は出来ませんね」
「は?」
「小豆はかりはここ、
「じゃ、じゃあどうすれば?」
「七階に妖怪保護課がありますのでそちらで聞いてください」
呆れた。ここまで車で一時間もかけて来たというのに駆除できないという。腹が立ったので何も言わずにエレベーターへ向かうと後ろから呼び止められた。
「トミーさん。エレベーター、故障してます」
「え」
足もとを見るとでかでかと「二階」の文字があった。
あの妖怪のせいで今日は散々な目にあっている。今日は何とかしてもらうまで意地でも帰らないぞ、と心に決めた。
「それ、小豆はかりじゃありませんね」
「は?」
保護課の受け付けは女性だったがさっきの男よりも愛想がなかった。
「『小豆研ごうか人とって喰おうか』と毎晩歌っている。と書かれてますね」
「そうなんですよ。それはもう酷い歌声で。気になって寝られないんです」
「歌声はどうでもいいんです。ですから、それは小豆はかりではなく小豆とぎですね」
確かに「はかろうか」ではなく「とごうか」と歌っているので名前は小豆とぎの方がしっくりくる。
「ではその小豆とぎを保護だかなんだかしてください。なるべく早くお願いしたいんですけど」
「それは出来かねます」
「は?」
「いいですか御手洗さん。小豆はかりは第二種指定保護妖怪。小豆とぎは第一種指定保護妖怪なんです」
「だから?」
「こちらでは対処出来かねます」
これだ。またどこかに行けと言うのか。
「あっそ。じゃあもういいです。次は何階に行けばいいんですか?」
「いえ。ですから御手洗さん。市役所では対処できないんです。第一種指定保護ですから。現状維持しかできません」
「はあ!?じゃあなんですか?一生このままあの歌に付き合えっていうんですか?」
デカい声に周りが振り向くが、この際関係ない。こっちは人生がかかってるんだ。
「今までの事例ですと、数ヶ月で歌が止む場合もあったそうですけど」
「そうでない時は?」
「二十年くらい続いたとか」
「おい!他人事だと思って無責任なこと言ってんじゃないか!」
「いえ、そんなことは」
いい加減うんざりだった。もうこの場から一刻も早く立ち去りたかった。
こうなったら無許可の闇退魔師でもなんでも頼んで意地でも駆除してやると息巻いていた。
「御手洗さん、お待ち下さい」
「なんですか?!」
「こちらに署名を」
「現状できることはないって言ったじゃないですか」
「ええ。で、特に家を売却されてり貸されたりする予定もないのですよね」
「当たり前です。あそこは俺の家ですから!」
「ではこちらに署名を」
「だからなんで!」
「補助金がでます」
「え?」
結構な金額が出た。なんでも、第一種指定保護妖怪の住まいと認定されると、家や住居人も保護対象になり、市から補助金が出るきまりだそうだ。
金というのは罪だ。全てを許してしまう。歌声と寝不足は続いていたが、仕事を在宅に変え妖怪との生活を受け入れることにした。小豆はかりが住まいを変えることは稀なので、俺が死ぬまではこの状況は続きそうだ。
暖かな春の日差しを縁側で浴びながら茶をすすっている。小豆を煮詰めてあんこを作り、それを春らしく道明寺にしてみた。渋めの煎茶によくあう。
いつだったか、ただ歌われるだけなのもしゃくだったので「人は喰うな、小豆研げ!そんで寄越せ!」と合いの手を入れたところ、次の日知らない間に大量の小豆が置かれていた。それで作った道明寺である。外側だけでなく、餡にも刻んだ桜の葉を少し入れると美味い。小豆をくれた本人にも少し分けてやった。
亡くなった母は補助金のことなんて知らずにあの妖怪と暮らしていたのだろうか。そう思うとなんだか狡いことをしているようで少しだけ心が痛い。
どこか遠くの方で鳴いたウグイスの声に反応して、傍らで眠る猫のケイスケが短く「ニャア」と鳴いた。
妖怪と暮らしはじめた、最初の春である。
つづく
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