第50話 亀裂
「不仲...ですか?」
「簡単に言えばそうだが、実際はもう少し面倒くさいものだな」
淡々とちはやちゃんが美春の現状を告げる。
「元々絵の才があってこの学校に入学してきた。それは君も知ってるだろ?」
「そりゃ幼馴染で、中学のときもずっと見てきましたし」
「けれど、家族がそれに賛成していたか、というところだ」
「はぁ...」
確かに、芸術で生きるというのはかなり荒れた人生を送ることになる可能性が高い。大成しなければそれまで。それに、どの職に就こうにも不遇であったりとかなど問題は多い。...親は当然、反対するだろう。
「入学も反対を押し切って、だそうだ。それっきり、親との仲はあまりよくないそうだ。それが今になってピークに達している、と言ったところかな。...最も、それは私の調査、私の目線での話だが」
「美春自身から、そのような話、聞いてませんし...」
「まあな。...ただ、昔と比べて話す内容も変わったろ?」
「確かに、昔は家族の話をよくしてましたね...。小学生くらいの頃の話ですが」
「ということは、そのころは不仲ではなかった、ということだな?」
「少なくとも」
俺がそれを目の前で見てきたんだ。今、親との間に亀裂があるということですら信じられないくらいだ。
「...まあ、そういったわけだ。もし...、もしもの話だが、瀬野が私を頼ってきた場合、どういった判断を下そうかというところでお前を呼んだわけだ」
「...でも、判断権は俺には無いですよ? 陽太ならともかく」
「一個人の意見として感想が欲しいわけだ。...瀬野を一番間近で見てきたのは君だ。君が瀬野に対して思うことをいって欲しい」
「そうですね...。もしそうなら...」
そもそも、あの場所は問題児が集まる場所。
...でもそれは、ただ集めているわけではない。
矯正をメインとし、そこから変わるための足場の役割を担ってる。
俺みたいなどうしようもない問題児なら、自分の意思であの場所を出れはしない。
けれど、古市みたいに、自分の意思で残る、残らないを決めれるなら。
美春にも、そうやって精一杯反抗して、悩んで、自分の進む道を選んで欲しい。
経歴には泥になるかもしれない分、そこは本人の判断だけど。
「本人がここを頼るなら、いれてもいいんじゃないでしょうかね」
「ほう」
「といっても、ここにいるというのは経歴上あまりよくないかもしれないですね。上書きできる何かがあれば話は変わりますが」
例えば本郷先輩あたりだろうか。
あの人ももとはここの生徒だった。が、今や学校そのものを束ねる生徒会長。ちょっとした泥を、その上に着込んだ外套で完全に隠せているのだ。
美春もそういうことが出来るなら、問題なく入れるのだが。
「なるほどな。...よし、大方意見はまとまった。今日は帰って良いぞ」
「えぇ...」
自分の話が終わったらそれでよしみたいで、ちはやちゃんは手のひらをひらひらと振った。
別段ここに残る理由の無い俺は職員室を後にした。
けれど、真っ直ぐ家に帰る気になれない。
さっきちはやちゃんに聞いたこと。
そのことについて、本人の口から聞けるものなら聞いておきたい。
俺はその足で美術科の教室がある棟へと向かった。
美術科のある棟の廊下に入ると、かすかな絵の具の匂いが鼻腔をついた。おそらく、誰かが残って絵でも描いてるのだろう。
一応靴が下駄箱に残っていることを確認して、俺はこの間のように教室を覗く。
美春は、以前と変わらず一人もくもくと絵を描いていた。
集中を切らせたくは無いが、以前ほど気まずさを感じなくなっていた俺は、ついうっかりその扉を開ける。
その音で自分の世界から帰ってきた美春がこちらを振り向く。
「あれ、どしたのゆーくん。ここ普通科教室じゃないよ?」
「んなもん知ってるよ...。俺とて伊達に一年ここで過ごしてないし」
「あはは、だよね。...それで、どしたの?」
美春は特に何かを思いつめている様子ではなかった。
こうなってくると、この場で話を切り出すのは少々気が引ける。
俺は口の中で言葉を篭らせながら、なんとか思いついた言葉を口にする。
「えっと...だな...。...今日、一緒に帰らねえか...?」
咄嗟に出た言葉がそれだった。
「...あら意外。ゆーくんのほうからそんな言葉がでるなんて」
「悪かったよ無愛想で」
「誰もそんなこと言ってないじゃん」
美春はそう言ってクスクスと笑う。
「でもいいの? 男女一緒に帰っちゃったりしたら、カップルかもなんて思われるよ?」
「この間誘っておいてそんなこと言いますか...」
「だよね。...うん、分かった。あと10分で終わるから、適当に座ってて」
美春は手に持っている筆で適当に椅子を指す。そこに俺は座ることにした。
場が落ち着いて、改めて美春の絵を見てみる。
完成度は6割くらいだろうか。それでも明らかに常人離れしていた絵が、そこで出来ようとしていた。
...でも、6割ほどしか出来てないように見えるのに、残り10分ほどで完成するんだろうか?
素人には分からない話なので変に口は出さないことにする。
「ところでさ、ゆーくんのほうからそうやってお願いしてくるのって珍しいよね。...なにかあった?」
美春はキャンバスとにらめっこしながら俺に話しかける。
「色々話したいことがある、って感じ」
「それってここでは言えない様なやらしい話?」
「残念ながら性欲のコントロールはうまくいってるので断じて違います」
「ちぇっ、残念だなぁ...」
俺は性欲のままに支配されて行動するような狼ではない。断じて違う。
なんならピュアだ。...うん。
「ただ、ここで話すのはちょっと気が引けたってのはある。...ちょっと、いや、ちょっとどころじゃないか。美春の気分を害する話になるかもしれないし」
美春の手が止まる。
「...葵の話?」
「直接的に河佐のことに繋がるかは分からない。...けど、主題は違う」
「そか」
そういって美春の止まった手は再び動き出す。
「...別に大丈夫だよ。...前みたいにつっかかるようなことはしないと思う。...多分。自分では、少し吹っ切れたと思ってるから。前より絵にも集中できるようになったしね」
「そうか」
言うほど簡単な話ではない。
親友の理不尽な死、それを簡単に割り切れるほど人は強くは無い。多分、美春もどこかまだ無理している部分もあるのだろう。
けれど、そんなのは結局他でもない、自分しか分からない。
俺が出来るのは、その話を信じてやることくらいだろうか。
「...よし、ここまでかな」
美春は絵が未完成のまま立ち上がり、そのまま自分のかばんを手に持つ。
「いいのか? 絵もまだ未完成じゃ...」
「いいのいいの。どうせただの練習だし。それに、あれじゃ没だね」
「...素人にはよーわからん」
「私にだって分からないよ」
少し遠慮気味に美春は微笑んで、ドアのほうへ向かった。
「さ、帰ろっか、ゆーくん」
「...ああ」
そうして俺たちは教室を後にした。
---
「それで、何を話したかったの?」
帰り道、二人横に並びながら歩いていると、思い出したかのように美春がそう口にした。
「ん、ああ。いろいろ」
「えらい生返事だね...」
美春は呆れていたが、俺自身がどう切り出そうか悩んでいたので仕方が無い。
ストレートに聞くのが手っ取り早いが、それは相手のことを思った話し方とはいえない。
かといって回りくどく言っていると時間も来るし、相手を焦らすことになる。
そんな選択の中で、俺はどうにか言葉にした。
「...昔ってさ、色々話してたよな。こんな帰り道で。将来の話とか、親自慢だとか」
「そうだね」
「...」
思ったより反響が薄く、言葉を失う。
けれど、このペースで話を進めるほか手段は無かった。
「...美春ってさ、親と仲、よかったりする?」
「...んと」
仕方なくストレートに聞いたところ、案の定美春は表情を曇らせた。
...やっぱり、ビンゴみたいだ。
美春ははぁとため息をついて、ぽつりぽつりと話し始めた。
「...ゆーくんが思ってる昔ほど、仲良くはない。...仕方がないよね。無理言って皐高入って、美術やってるんだから」
「...やっぱりそういうのって、親は反対するのか?」
「するする。そりゃもうひどいくらいにね」
美春は空元気のまま、笑みを浮かべる。
その笑顔は、そこはかとない哀愁で満ちていた。
「...安定した進路を歩んで欲しい、っていう親の気持ちは分かるよ? ...それに、それ以外にももっと事情はある。...けど」
「けど?」
「...自分の信じたものを最後まで信じて生きなさいって、昔そういわれたんだよ。お母さんに。...それなのに、そんなこと、とっくに忘れちゃって」
ふと見ると、美春は悔しそうに握りこぶしを作っていた。
その拳はわなわなと震えている。
「...分かり、あえないのか?」
「分かり合えないよ。...少なくとも、結果だして、この道でも生きていけるって認めさせるまでは」
「でもそれって...」
そこまでの道のりは、とても険しすぎる。
何より、結果を出すその日までの道のりが、おそらく苦痛でしかない。
自分を認めてくれない人と同じ場所にいて、ストレスがたまらないはずがないのだ。
...美春には、障害が多すぎる。
「うん、分かってる。...無謀すぎるよ。ストレスもたまる。...私が日々感じてるストレスは、葵の事だけじゃないんだなって、今なら痛いほど分かる」
悔しさを前面に出し、それでも美春は前を向いて変わらない歩幅で、あまり返りたくないであろう家を目指していた。
...その強さを、俺は持ち合わせていない。
ならせめて、軽い同情はしないようにと、胸に刻む。
「...家に帰りたくない日とか...やっぱりあるのか?」
「...最近は、結構億劫だね。居心地悪いって言うか...」
「そうか。...なら」
俺はそう口にしてすんでのところで止まった。
あの場所に、変に誘い込むようなことはしてはいけない。
最終的な判断は、全て美春のものなのだから。
「いや、なんでもない」
「そう。...ねぇ」
「なんだ?」
「今度はさ、ゆーくんの抱えてる悩み、教えてよ」
美春は俺の前に進んで真正面から俺の顔を覗き込んできた。
「俺の悩み...?」
「うん。...絶対あるでしょ。ずっとずっと、顔暗いもん」
幼馴染は、ちゃんと俺のことを見ていた。
どこまでかは知らないが、きっと見透かされている。
なら、遠慮は要らないか。
俺は自分の今思ってることをさらけ出した。
何もしてこなかった日々を悔やんでいること。
何か才能を持って、それでしっかりと地に足をつけて進んでいる奴がうらやましいこと。
そうして、劣等感しか覚えなくなっていること。
...いまだに、河佐のことを割り切ることができないこと。
聞き終えた美春はうんうんと頷いていた。
「...これで、多分、全部」
「...そう。よかった」
「何が」
「ゆーくん、こういうとき意地になって話してくれなかったからね、昔」
「今が弱いって言うのか?」
「ううん。...悩みを共有しようとしてくれる、その心構えがある今のほうが、人としては絶対強いよ」
美春は特に励まそうとする素振りを見せなかった。...俺もそうしてないのだから、当然か。
「結局、解決するのは自分。...けど、吐き出すのとそうでないのじゃ、全然気分も違うよね」
「...そうだな」
少なくとも、今の胸中は少しすっきりしている。
帰るの誘ったの、正解だったかな。
なんて思ってると、美春は近くにあったファミレスを指差した。
「...えっと? どういうおつもりで?」
「決まってるじゃん。せっかく帰るの付き合ってあげたんだし、奢ってくれるくらいいいじゃない?」
美春は悪戯に微笑む。
「奢り確定かよ!」
「いいじゃんいいじゃん、追試君。変わりに英語対策教えてあげるからさ」
「ぐぬぬ...」
...やっぱり、失敗だったかな?
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