第48話 人の生きる道の上にて


 そんなこんなで土曜日。

 が、試験週間だろうと何だろうと元々俺には週末の予定など無い。

 どこかに遊びに行くわけでもないし、前みたいに部室にお邪魔することも、工事中の今は出来ない。


 しかし、流石に退屈すぎる。

 前述のとおり、俺には集中力が足りなさ過ぎる。それゆえ、何かを続けることさえ苦行なのだ。


 小説を書くためにもっと本を読む! と言いたい所だが、あえてこの試験週間中、その話題に触れてないのが無駄になってしまう。



 何かできないのか...。




「ということで、うちに来たんだな」


「そうですね」



 ランチタイムより一時間ほど早く。

 俺はいつぞやの定食屋に入っていた。


 もちろん客としてである。

 ちょうど客も空いているため、暇をもてあましてる店主のほうから、「あんたは何でこんな時間に」なんて話しかけてきたのだ。


 聞かれたからには答えるのが礼儀。何も隠す必要が無いし、俺は試験週間であること、集中力が続かなくて暇なので来たことを話したわけだ。


 まあ、実のところを言うとあれから何度か足を運んでいるいわば行きつけの店でもあったりするんだが。



「そういや確かに皐高の試験って言ったらこの時期だなぁ。うちの息子もそんなこと言ってたか」


「あれ、息子さん高校生なんですか?」


「おう。お前さんと同じくらいの年頃じゃねえか? あとあれだ。いつも来てくれるおじょうちゃんも同じくらいだったはずだぞ」


「おじょうちゃん、って古市っすか?」


「ま、そうだな」


 店主は腕を組んでうんうんと頷く。...というかここまでメニューとかに関わる話一切してないけど、大丈夫なんだろうか。



「...注文急いだほうがいいっすか?」


「構わん構わん。どうせあと20分くらいは誰も来る気配ないし」


「じゃ、もうちょっと無駄話でも。...えっと」


 この人、どう呼べばいいんだ...?


 なんて俺が悩んでいるのを察したのか、店主は朗らかに笑った。


「ん? ああ。大将でいいよ」


「なんか寿司屋っぽいですね」


「時期によっちゃ寿司も出すからいいんじゃねえの?」


「まあ、そこはどうでもいいですけどね、大将」



 自然な流れで呼んで見るが、意外と呼びやすい。

 大将のほうは別に照れる様子もなく、先ほどのように朗らかに笑った。

 

 が、その後一瞬で真剣な顔を浮かべた。


「で、あれだ」


「なんです?」


「えーっと...」


 大将は何かを思い出したようにポンと手を叩いて俺に視線を合わせた。


「あんた、古市の嬢ちゃんとどうなんだい?」


「...はい?」


「出来てるんか、出来てないのか」


「また急にそんな話...。本人がいたらどうするんですか?」


「心配すんな。あの子は大体12時前くらいに来るんだ」



 時計を見て時間を確認してみる。12時まであと40分くらいだ。

 ということはまあ...大丈夫だろう。



「...まあ、付き合ったりとかはしてないですよ。第一、向こうが俺をどう思ってるのか分かりませんし。大体、俺が好かれるような男に見えますか?」



 自分のルックスに自信はあまりないし、性格も多分いいとは言えない。

 ...なんせこんな捻くれ者だ。少しマシになったとはいえ、悲観論はいまだに感情の芯に根付いている。




 ...なにより、誰かを好きになることが、今はものすごく怖い。

 相手の内情を知れないまま、一方的な好意を持っていた事があっただけに、その感情はそう簡単には揺るがない。


 仮に俺が古市に好きだと言ったとして、その時古市がどういう状況にあって、何を思ってるか、そんなことは一切分かってないのだ。


 だから河佐の時に、俺は何も出来なかった。

 一方的な好意を持つことが、俺にはできない。



 だから古市に問わず秋乃、美春だろうと、俺は誰かを好きになることができない。

 今は少なくともそういった状態だ。



「ま、俺はあんたを知らないしな。どういった状態かは知らんが...」


 大将は俺を肯定することも否定することもせず、ただ淡々と持論を述べる。


「それでも、誰かを好きになる行為だけは、間違いじゃないと思うぞ」


「そうですね」


 それは...分かってる。


 けど...。



 自分で自分の表情が少し曇りだしたことを俺は感じ、咄嗟にメニュー表を開く。


「あら、もう注文すんのかい?」


「もともと客として入ったんですし。...んじゃあ、コロッケ定食で」


「はいよ、ちょっと待っときな」



 迷うことなく注文を確定し、大将は厨房の奥のほうへ消えていく。ホールに回ってるおばさんも今はいないため、現状一人で座ってることになる。


 正直、今はこれが心地いい。

 一人になって、気持ちを冷ます時間が欲しかったのでちょうどいいのだ。



「...ふぅ」


 しかし、一息ついた瞬間、店のドアが開いた。

 振り向く先には見知った顔。



「あれ、須波君」


「ういっす」



 予定の時間よりも早くあらわれた古市により、俺の一人の時間は終わった。

 俺を見つけた古市は少し驚いた様子をみせる。



「なんでまたこんな日に」


「そりゃ集中が続かなくて萎えて飯食べに来たに決まってるでしょうが」


「だよね」



 古市も俺の扱いを理解しているみたいで、俺の理由は「でしょうね」の一言でまとめられた。

 古市はカウンター席に座っている俺から一つ席を空けたところに座った。

 そのまま注文を聞きに来たおばちゃんに「いつもの」とだけ伝えて、それをきいたおばちゃんもまたすぐに厨房奥に消えていった。


 というわけで、現在、ホールには二人きりだ。


「それで? あれから何回かここ来てるの?」


「あん? ああ、そうか。まあ、そういえばそうだな」


 この店に来ることは何度かあったが、ここで古市と会うのは初めてここにきたとき以来だろう。


「毎週土曜だったりする?」


「いや、そうとは限らないな。休日でふと思い立ったときに来てるわけだし、古市と時間が被らなかったのも無理はない」


「なら、今日も本来なら合うはずなかったんだろうね」


 古市は何かを嬉しがるようにフスッと軽く笑った。


「私も今日はなんか集中が続かなくてね。ちょっと早いけど来ちゃったの」


「なるほど。そりゃ偶然だ」



 なんて話しているうちに、料理を持った店主がカウンター越しに俺の前に立つ。どうやら出来たみたいだ。


「はいよ、坊主」


「どうも」


 古市より俺が先に来ている分、俺のほうが料理が出てくるのも早かった。...いや、そうでなきゃおかしいか。タイムラグもそこそこあったし。


 俺は目の前に現われた料理に箸を入れる。そのまま口に運ぶが、やはり相変わらず旨い。そこにはもう言葉は要らなかった。


 そんな中で、俺の注文が届いてからまもなく古市の料理も届いた。こちらはおおかた準備でもしておいたのだろう、俺のより明らかにスピードが速かった。マックほどではないが。



 二人分の料理を終えてまた暇になったのか、大将は俺の隣の椅子に腰掛けた。


「暇そうですね」


「そう、じゃなくて、暇なんだよ。...どうだ、うめえか?」


「うまいっす」


 間違いない味だ。


 俺の感想を聞くと、おじさんはほめられた子供みたいに耳を赤くした。


「そっか、そいつぁ結構。やっぱり作ってるもんからすりゃ、「おいしい」の言葉は励みなんだよなぁ」


「目に見えたリアクションって、確かに大事ですよね」



 少し離れたところで古市の声も聞こえる。

 確かに、目に見えたリアクションほど分かりやすいものはない。

 

 例えば感謝。 


 影での感謝もうれしいが、面と向かって「ありがとう」と言われることがどれだけ力になることだろうか。

 

 小説を書いてたときも確かそんなことを思ってた気がする。

 寄せられた感想は、良いも悪いもありがたかった。それが自分を高めるパーツになってたのだから。



 ...なるほど。最近の俺にはこれが足りなかったのかもしれないな。


 だから、欲しがってるんだ。



「まあ、俺はうちの息子の飯に旨いって言ったことぁ一度もねえけどよ」

 


 大将がふんと鼻息を鳴らす。それは料理人としてではなく、ただの頑固親父のようにも見えるが...。



「まずいんすか? その息子さんが作る料理は?」


「んにゃ、そういうこたぁはない。...継いでもらおうとは思わねえが、飯屋の料理担当の息子が料理作れないのは結構問題じゃねえか?」


 大将は腕を組んで神妙な顔つきをする。



「料理、教えてはいるんですよね?」


「たりめえよ。まあ、最近は皐高の寮にいるからなぁ。もう随分と直接指導してない時間が経っちまってよ。少し不安でもある」


「寮生なんですね...」



 この地域は寮生と自宅生のラインらへんだ。古市がどこに住んでいるかは知らないが古市は少なくとも自宅生。そしてここに位置してる大将の息子は寮生ときた。いよいよラインが伺える。


 ここで古市が何かに気がついたのか「あっ」と声を上げる。



「どうしたよ古市」


「ねぇ須波君、寮生って確か土日祝は帰れたよね?」


「確かそうだったはずだけどな...?」


 ということは、今この建物の二階にいても不思議ではないということだ。

 が、しかし、そういうわけでもなく、大将はガハハと笑い手を横に振った。


「ああ、そういうことか。うちは息子に帰ってくるなって言ってんだ。土日に帰られても、うちは忙しいだけだしな」


「そういえばここの休みって...」


「不定休だな。強いて言うなら大体水曜が休みだ」


 なるほど、休日がド平日とくりゃ寮に残ってて欲しいのも説明がつく。



「なら、その息子も休日こき使えばいいじゃないすか。人が多くて不足はないと思うんですよ。ましてや給料発生しませんし...」


「須波君、発言がクズだよ...」



 うるせえ、無賃労働とか最高の戦力じゃねえか。家族であればただ働きさせても文句言われないんだぞ。俺は親の言いなりにはなりたくないけど。



 それはさておき大将は酔ってるのかと思うほどまた大笑いして、そして表情を引き締めた。


「残念ながら、あいつは戦力にはなんねえよ。厨房立たせるにも腕前はまだまだだし、ホールを任せれるほどコミュニケーション能力も高くない。なんせ内気だからなぁ...」


 少し不満そうに大将は話す。というか、この夫妻あって内気な息子というのもなかなかだと思うが...。



「まあ、というわけだ。高校卒業するまで帰ってくんなって言ってるよ。その後の進路は知らんが、まあこっちの職に就くんじゃねえんか? 本人もなんだかんだ言って料理好きそうな素振り見せてるしよ」



 そんな話をしていると店の扉が開いた。どうやらお客が増えだす時間になったみたいだ。



「いらっしゃい!」


 大将は話をきっぱり切り上げてすぐに仕事モードに戻る。そうして、その場には大分食された料理と、俺と古市が残される。


 俺は大将が最後に残していった言葉に引っかかりを覚えていた。

 


「進路、か...」


 そう俺が呟いた言葉に古市が反応する。



「須波君は何か決めてることとかあるの?」


「俺の進路か? ...決めてたらこんな風に頭を悩ませることはないって」


「そっか」


「じゃあ、古市はどうなんだよ」


「私もない。...何がしたいのかが、分からない」


 少し暗いトーンで古市がポツリと話す。その様子を見る限り、俺同様、結構悩んでいるみたいだ。


「...まあ、まずはこの性格治さなきゃ、話にならないけどね」



 古市はそう自嘲してため息をついた。

 


 自分の心許せる人にしか、ちゃんとしたコミュニケーションがとれない。


 確かにそれは問題だろう。

 残酷なことだが、それが治らなければ社会ではうまくやっていけない。


 かといって、俺も人の心配はしてられないか。



「まあ、じっくり悩もうぜ。まだ猶予はあるんだ」


「...そだね」




 そうしてその後はただ黙々とお互い目の前の食事を楽しんだ。

 そのまま何かをするわけではなく、店の外ですぐに古市と分かれ、俺は家路へとついた。


 ふと足を止めて、空を見上げて、そのまま考え事。


 今日の思ったことをまとめてみようと会話の内容を思い出してみる。

 けれど、色々話を聞いて、それで辿り着く結論は一つだった。






 ...やっぱり、人生ってのは難しそうだ。

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