第24話 第5の問題児


少し、夢の話を語ろうか。


皆は走馬灯というのを見たことがあるだろうか。

六問銭を持って三途の川を渡ろうとしたことはあるだろうか。

俺はある。


現に実際、今そうしてるんだから...。



...って。


そんな笑える状況でもない状態に俺は立たされていた。



「...あー、いってぇ...。」

「先輩!大丈夫ですか!?」

特別教室棟1階と2階を結ぶ階段の踊り場は、それはもうひどいぐらいに大惨事だった。

秋乃が持っていた書類が踊り場全体に投げ出され、散らばり、俺の荷物こそ手放すことはなかったが仰向けになっている俺の上に秋乃が覆いかぶさっていた。


身体を起こそうと腕を動かそうとしたが、自分の胸辺りで何かやわらかい何かを感じたため、腕を動かすことを止めた。どころかそのまま赤面する。

完璧に俺の身体の一部が秋乃の胸に圧迫されているわけだ。

異性の身体にすごく興味を持ったことはない。...が、秋乃のは推定D~Eほどあるのでその...興味はあった。


もちろん、そんな羞恥なんかより痛みのほうがひどいが。

なにせ、階段7段ほどから転がり落ちたわけだし。


「大丈夫...ってことにしとけ...。それよりお前のほうは怪我とかないか?」

「私は大丈夫ですけど...あっ。」


秋乃は落ち着いて返事を返した。...が、落ち着いたが故に俺の胸と接触していることに気づいて俺以上に顔をかぁーっと赤くした。これはさがほのかに勝てるレベル。


「せせせ先輩!胸!」

「分かってるなら動けよ...。上に乗ってんのそっちだし。」

「そそそそうですね!どけます!」


そう言うと明らかにすごい動揺をしている秋乃はすばやく俺の上から退いて、俺の横のほうに立つ。それを確認して俺も身体をゆっくりと起こしあげる...。が。


「...ってぇ。」

その時、俺の身体にかなりの激痛が走った。どうやら簡単に大丈夫といえるほど軽い怪我ではないようだ。


「本当に大丈夫ですか?...その...すいません。」

秋乃は例に見ないほどしゅんと落ち込んでいた。ここに追い討ちがかかればおそらく泣いてしまうほど目が潤んでいた。


以外と秋乃はメンタルが弱い。責任感の強さゆえかもしれないが、打たれ弱さが確かにある。本人がいくら頑張っても面白いくらいに状況が一転二転と悪い方向に傾くのを、俺は割と近くで見てきたのだ。

だから俺は怒るに怒れない。例えそれは、全て悪いのが秋乃であってもだ。


故意で悪事を働いてない奴に怒るほど俺は落ちぶれていない自信はある。邪毒である正義感でさえ、その判断はちゃんと追いついているみたいだ。


「おいおい泣くな泣くな、こっちも困る。...まあなんだ、痛いものは食って寝りゃ治るだろ。それよりほら、書類集めなくていいのか?」

「うぅ...すいません。」


それでも謝罪の言葉は消えない。秋乃はただごめんなさいと繰り返しながら、散らばったものを黙々と拾っている。

俺も手元にあるものだけはと片手であばら骨のほうを押さえながら書類を拾って秋乃に手渡す。

その最中でさえ、どうしても痛みだけは消えなかった。


...流石に不安はかけないようにしたいが、我慢の限界は来ている。恐らく、病院に行った方がいいレベルの怪我だろう。

心配させたくはない。だがどうだろう。今から旧部室棟まで歩いていく体力があるだろうか。


...正直自信が無い。


だから、ここは仕方なく自分の荷物も後々で秋乃に届けてもらうようお願いする他無かった。


「あー...あのさ、責任感じてるならさ、この袋を旧部室棟に持ってって欲しい。持ってったら後は向こうが勝手に処理してくれるから。」

「いいですけど...。私、旧部室棟なんて行ったことないですよ?どこですか?」

「この特別教室棟を降りて強化ガラスの重たいドアの向こう。...ちょっと渡り廊下超えりゃすぐだ。」

「分かりました。」


秋乃は責任を取り、それを挽回すべくうんと頷いて手首にナイロン袋をかけた。そのタイミングでおれはもう一つ大事なことに気づく。


「ああそうだ。後その袋、中について何も言わないでくれ。...俺のじゃないから大丈夫だと思うけど。」

「えっ、いいんですけど...。」

なにやら不意を突かれた秋乃は戸惑いながらはぁ、と返事をした。


ま、どうせ俺が問題児というのはとっくの当に知れているはずだし、あの袋の中身が知れたところでたいした問題ではないと踏んでいるが。

因みにどうでもいい話なのだが、中学の時に保険の授業でアルコールパッチテストとかしたことが誰にもあるはずだ。

俺の結果は結構アルコールに弱いほうだと出ている。つまるところ、多分飲もうにも飲めない。


まあ、特に憧れとかがあったわけでもないからそこはいいんだ...。


「じゃあ、行きますね。」

「ああ、あと別にここに帰ってこなくていいから。」

「えっ?でも...。」

「先輩がいいって言ってるんだ。構わず行け。」

「わ、分かりました...。」


どうしても心の隅に後悔を残させたくないぶん、俺は少々強い語気で秋乃に、ここにもう一度来ないように釘を刺しておいた。

秋乃はまだ何か言いたげだったが、俺の視線の前にそれが言葉になることはなく、分かりましたともう一度だけ言って足早に去ってしまった。



そして、その場に取り残されるけが人1人。

流石に大丈夫な風を装っていたがそれももう限界。

俺は誰もいない踊り場で胸の辺りを押さえてうずくまった。


そんな大げさな怪我ではないと思うのだが、実のところ俺自身がおそらく初めての骨折に慣れていないのだろう。

それこそ殴り合いに発展したことはよくあったのだが、それでも骨折までとはいかず、おまけにガードをよく取るタイプだったので被ダメージは少なかったほうである。究極系ノーガード戦法?


という訳で、俺の身体に初めて物理的に深い傷をつけたのは秋乃が初めてといえよう。もっと誇っていい。


「...うっ、やっぱりいてぇ...。」

じっとしているのもまずいだろうと俺はどうにかしてよろよろと身体を起こした。

その動作中も痛みが走るが、それでも何とかして立った俺はどうにかして階段を上った。

本来目指すべき場所は旧部室棟なのだが、最悪図らずとも折り返してきた秋乃とぶつかる可能性があるのであちらには行こうにも行けない。次ぎあった時、どういう顔をすればいいか分からないのだ。今なら多分、零号機パイロットも夢じゃない。


それと、幸いなことにここの棟の二階には廊下に椅子がいくつか放り出されているのだ。ついでにそこで休めば少しは痛みも軽減されるかもしれない。


俺は一歩、また一歩と重たい足を動かして階段を上った。

そして廊下にやっと辿り着いたときには、尋常じゃないほどの汗をかいていた。

流石に体力も限界。最寄の椅子が近くに来た瞬間、俺は身体を投げ打つように椅子に座った。


「さてと...安静にしてりゃ、なんとかならねえかな。」

ただし一つだけ問題点も存在していた。なんせこの特別教室棟、授業以外で使うことがあまりないため、人通りが皆無といっていいほどないのである。

ただまあ、俺自身が何でも無い様を装っているので俺と全くかかわりの無いやつはこんなやつ気にもしないだろう。

という訳でこれはただの遅延行為。痛みのごまかしにもなってない分、たちが悪い。

無駄に広いこの私立皐月ヶ丘、特別教室棟と保健室のある棟とはかなり離れているのだ。


ついでに皐月ヶ丘の細かい話をしようか。

まずこの学校、上空から見ると形が独特である。

本来学校でよくあるH型でもO型でもなく、Sをかくつかせた形の校舎に渡り廊下で結んで生徒校舎が存在するのである。


通常生徒校舎棟が三階建て、各フロア学年別となっており、A~Cまでの普通科クラスの教室が3×3で9存在する。

この隣に建っているのが特別生徒校舎棟。通常側とは結ばれておらず、同じ敷地内別の場所に建っているHR教室だ。こちらは一階がE、二階がDの二階建てとなっている。俺が美春とあまり会うことがないのもこれが理由なところがある。根本的に時間割も違うし...。


そして、通常生徒校舎の渡り廊下を渡れば職員棟がある。

こちらは職員室を始め校長室、各教科の準備教室など使うのか使わないのか意味分からないような教室が存在する。

一応通常生徒校舎と対応するように作られているので階は3まで。

それから正門から入って最初に見えるS型のほうの校舎は多目的ルームなどが入っている校舎だ。ただ、特徴があまり無く、あまり〇〇棟と名義されていないのが現状。

一階には更衣室保健室などが、二階には大きい購買部、自販機ルームが、三階には多目的ルームが入っている。そんな状態からどれか一つに絞るという行為自体が難しい状態なのである。


そして、その反対側が今俺のいる特別教室棟だ。

こちらは資料室や語学教室など、コース特化した生徒が使うような部屋が多数ある。

ただ、授業で使うような教室しかないため、こうして俺はひとりで待っているわけだ。

そしてこの教室棟の一階から数歩歩いたところに存在するのが旧部室棟という訳だ。

まあ、簡単に言うと部室棟の役目はS型の反対側に取られている状態なためこうやって脚光を浴びることが無いわけだ。あまつ更衣室が旧部室棟に入っているので驚きだ。中は入ったことないけど使い古された木造とだけあるので覚悟はしている。


まあ、そんなわけで特別教室棟と保健室が遠いわけだ。

しかもこの時間は部活をしている連中がお世話になっている可能性が高い。群れに割って入るのは嫌いじゃないが俺を見る目が白いのは知っている。だからあそこにだけは絶対行かない。うん、行ったら死だと思え。



そうして何も出来ないまま、椅子に座って五分ほど過ぎた。

ボーっとただ遠くを眺めていただけの俺の耳にコツコツとリノリウムを鳴らす音が聞こえてくる。

どうやら階段を下りてくるみたいで、俺はしっかりと気配を察知していた。そしてそのまま石像になる。

そのまま痛みをごまかして通り過ぎてもらえ...


「なんだ?お前、まだ行ってなかったのか?」

「あ、ちはやちゃん。」

「校内でそれはやめろ...。...んで、なんでこんなところに座ってるんだ?」

「ははっ...、まあ、色々と。」

「それじゃ分からん。ちゃんと話せ。」

「ですよね。」


ちはやちゃんは旧部室棟を目指して歩いていたであろう足を止め、俺の真正面に立った。どうやら逃がすつもりは無い、という意思を表しているみたいだ。

管理人責任、ねぇ...。


現状がこうである以上、あまり秋乃を悪く言いたくなかったがいたし方がない。俺は洗いざらい先ほどのことを話すことを決めた。


「...多分怪我しちゃってます、あばら辺り。」

「なるほど。保健室には?」

「行けてないですよ。踊り場でやって、ここに歩いてくるのも割りとやっとだったので。」

「そうか...。んで、細かいところを教えてくれ。」

「そうですね。先ほどここを通って先生の渡した酒持って行こうとしたら後ろから多く荷物を持った秋乃に突進されてそのまま階段から転落。」

「...故意か?」

「いえ、事故です。」


あれが故意で出来ることではないのでこれは言いきれる。


「そうか。...待て、私の酒は?」

「秋乃に持って行かせました。先生に呼び出しがかかっていないあたり多分ちゃんと届いてますよ。」

「ならよかった。...さて、どうしたものか。」


ちはやちゃんは自分の酒の安否が分かり一安心したあたりで俺の問題へと戻った。

どうしたものかと言われて答えがいくつもあるものだろうか。


ない。



俺はため息をついてちはやちゃんに素直な申請を行った。








「なら先生、病院送ってください。」


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