偏屈問題児と青色のメモ
入賀ルイ
第一章 始まりの青
プロローグ 傷だらけの翼
好きになることは、やめた。
あんな感情、持ってて邪魔だと知ったから。
簡単には届かない。それなのに人はなんで恋に夢を追うのだろうか。
少なくとも、俺には理解できない話だ。
恋をして、何を得るのか。前は知りたいと思った。
けれど、自分の弱さを知れば、もう足は動かなくなる。下手をすれば、自分の存在する理由さえ分からなくなってしまう。
...
さて、少し昔の話をしよう。
それは俺が、まだ悲観論者ではなかった頃のお話。
粉々にまで砕かれた、純粋だった宝石みたいな初恋のお話を。
...
俺は、
...いや、するつもりだった。
けど、好きだなんだと言っていながら、俺はその子の、
だから、彼女が今、どんな状況かなんて、知りもしなかった。
ある日、俺は屋上に向かった。
河佐さんは屋上にいることが多い。これが、俺が彼女について知っている数少ない事だったから。
中学三年。夏の空。
そこに彼女はいた。悲しげな雰囲気で、ただグラウンドを見つめていながら。
「河佐さん!...話が、あるんです。」
「ねぇ、私、どこで間違えたかな?」
彼女は振り向かないまま、俺の存在に気づいて話しかけた。最も、人が誰か来ただけ、というのかもしれないが。
しかし、全く関係ないことを返され、俺は言葉に戸惑う。それに、気づいた。
会話のキャッチボールが、成り立っていない。
「間違えたって...何を?」
「...そっか。知らないんだね。ごめん、気にしないで。...それに、もう決めたから。」
そういうと河佐さんはフェンスに手をかけ、よじ登って向かい側へ渡る。1歩動けばそこはもう空中だ。
俺は焦る。もしかして落ちるつもりなのだろうかと思うと、理由こそわからないが、もう言うしかなかった。
「決めたって......えっ!?待ってください!なんでそんなとこに...!俺、あなたのことが好きなんです!だから...死んじゃダメです!」
俺は必死に呼び止めた。彼女から感じる悲しみは、形を得て、傷だらけの翼となっていたから。
飛び降りてしまうのではと、思えたから。
「...うん。最後にそれが聞けてよかった。あたしにも、敵がいないって、それだけで嬉しい。...じゃあね。」
「待って!ま...」
俺は走り出して手を伸ばそうとした。けれど、元から十数メートルあった距離、すぐには届くはずもなく...
彼女は、目の前で死んでしまった。俺に、1度も表情を見せることの無いまま。
即死だった。校舎の屋上から下は3階分あったが、それでも骨が砕ける生々しい音は、俺の耳に確かな残響を残した。
でも、心無しか俺は、彼女の最後を美しいと思ってしまった。
あっていいのだろうか。人の死を、美しいなんて思う事が。しかし、そんな倫理観なんて目の前の美によって消されてしまうというのは、この時身を持って体感した。
彼女は、泣きながら、笑って、空を飛ぶ鳥のように、華麗に舞って落ちていった。その、傷だらけの翼を広げて。
数分経って、下から聞こえる生徒の悲鳴と先生の叫び声で我に返る。
そこで初めて生まれた感情は、後悔だった。
得体のしれない後悔。俺が、彼女を殺してしまったのか、と。その感情が俺の頭を支配する。
後日聞いたところによると、自殺に追い込まれた原因は、いじめだったらしい。しかも、それはつい最近から始まった訳では無い。中一の終わり、中二の始め、もうずっと長いこと陰ながら続いていたそうだ。
それを聞いた時、その後悔は初めて形を持った。
なぜ気づけなかった?なぜ守れなかった?
...なぜ伝えられなかった?
もっと早ければ、俺に勇気があれば、彼女の命は救われたのか?
そんな悔しさが、悲しさが、今も心から離れない。
涙は出なかった。代わりに出てきたのは、いずれにせよ悪が憎いという、どす黒い感情、正義感。
...そうだ。こんな思いになるのなら。
もう、人を好きになる心なんでいらない。
...
それが、俺に刻まれた過去の傷。
最も、あの日翼を広げ、自由を求めて空を舞った彼女の痛みに比べれば、なんてことない傷かもしれないが。
そして、その傷は中途半端な正義感と、悲観論という毒を俺に植え付けた。
身体は次第に蝕まれる。じっくりと、じっくりと蝕まれ、心は制御不能になる。
今思えば、別に病んでいた訳では無い。そう言える日々ではあったが、もうひとつ言える事もある。
高校生となったある日、制御不能となった心で、中途半端に肥大してしまった正義感は、やがて人を傷つけてしまった。
河川敷で、訳もなく殴りあって、帰り際1人寝転んで夕焼け空を見上げて俺は呟く。
「青春なんてもんは、一体どこにあるんだろうな。」
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