未来商会
早川
序
時は二 X X X年、某大陸全域にある奇妙なチラシがばら撒かれた。チラシは生温い夜の風に吹かれて老若男女清貧問わず、あらゆる人種の手もとに舞い降りた。
粗末な紙に印刷されたそれには、でかでかと立体感のある虹色のポップ体で「未来を知りたくば集え!」とあり、その下にうねりのあるゴシック体で「未来幻燈会 八月八日二十二時より ベッタラシーパークにて」と書かれていた。右下には大円の中に小円二つと弧が人の顔のように配置された図形が描かれており、「きてね!」と書かれた吹き出しが隣に配置されていた。右下の隅にそっと書かれていた主催者名を記す欄には、「未来商会」とあった。
このチラシは、一定の人種をひどく冷笑させた一方で、誰もが八月八日、つまり明日の二十二時の予定を確認していた。
そして来たる八月八日、何とも陰気な夏の夜、ベッタラシーパーク一帯は嵐が接近しておりやや荒れ模様であったが、未来に興味がある者、ぺてんを暴いて世間の賞賛を浴びようとする者、チラシのデザインに惹かれて来た者、人混みに流されてきた者で会場は満たされていた。
二十二時〇分〇秒きっかりに、公園の街灯は消え、代わりに中央広場の北側に設えた電灯が灯った。
その真下の壇上に立った男は、前歯が三十センチ以上あること以外は一般的なホモ・サピエンスだった。彼、すなわち幻燈会主催者であり、帝国科学アカデミー所属の技術者であるP.H.D氏は、挨拶もそこそこに、かねてより語りたくて仕方がなかった未来幻燈会の理論について、語り始めた。彼は素粒子タイムマシンに関する理論を確立し、それを元に未来の情報、すなわち未来で電波として蔓延している映像や音声を受信及び復元することに成功した、ということであった。もっとも、実際はさる同僚の技術者の自宅のゴミ箱を漁って手に入れたものであったが、それはこれから始まる悲喜交々のあれやこれやについては、全く関係のないことであった。
この素粒子や重力場の話題について、まともに聴いていたのは極一部の来場者に限られていた。大半の来場者は、主催者の白い前歯か、その右隣に張られた白い布を見ていた。
樹木の間に張られた縦二メートル、横三メートルの合成繊維が、未来を映す映写幕としての役割を果たすのであった。布と向かい合うように設置された巨大な機械には、丸いレンズと長い金属製のアンテナ、そして用途が一切不明の(中にはただの装飾品もある)各種電子機器が見受けられた。
講義が一時間を超え、来場者の額に青筋が浮かび始めた頃、P.H.D氏は彼がウィーナと呼ぶ映写機に歩み寄ると、幾つものスイッチをバチンバチンと入れ、ダイヤルをギリギリと回した。直後ざらついた音と共に、映写幕一面に黒い砂嵐が現れた。観客はしばらくこのザラザラを聴きながら、次第に強くなる風と退屈に耐えた。そして人々の忍耐力が限界に達した時、映写機は一際大きな音を立てたと思うと、強い閃光を放ち、多くの人々の瞼に白い残像を焼き付けた。
残像が消え、人々が目を開けた時、見たこともない小売店が連なる建物、実態を持たない新聞の断片、前衛的にも程がある絵画、異様に鼻の長い乗物が次々と映し出された。そこに映り込む日付は、程度に差はあれど、どれも八月八日二十二時よりも進んでいた。
風で木々が震える中、布はピクリとも動かず、風のびょおびょおという音も、映写機のうおんうおんという音も耳に入らず、観客はただ股座の開いた妙な服を着せられている若者を、唖然として見ていた。
五分ほどの映像の後、突如布はただの布に戻り、観客は放心したように立ち尽くしていた。口の中の水分は全て蒸発していた。その様子を見ながら、満足げにP.H.D氏は右手を真横に差し出しながら言った。
「お集まりの皆様、いかがでしたでしょうか。これが皆様の未来です。明日の、明後日の、明々後日の、果ては何十年後のあなたが吸う大気の揺らめきです。今のはほんのデモンストレーションです。もっとよく未来を知りたい方は、是非あちらのテントへお越し下さい。お値段は通常一秒百万ドルのところ、本日は特別価格で十ドル。十ドルでお見せします」
直後、ありとあらゆる罵声が、P.H.D氏を襲った。ぺてん師、悪徳業者、特殊詐欺集団、金の亡者、生え際北極圏、クソ前歯、うんこたれ等々。
しかしP.H.D氏はどのような反応が来ようとどうでもよいことだった。
現に黒いテントの前には、大勢の人々が、財布を構えながら鼻息も荒く行列に並んでいる。肩を竦めながらもこちらをちらちら伺っている者もいる。未来の購入に関心のある証拠だ。この不安定な時代、誰もが確実な成功を求めている。未来は知らない方がいいなどという歌が流行るのは負け惜しみの一種に過ぎない。P.H.D氏はこの新しい産業は確実に需要があり、一大市場を築くことができると確信していた。これがぺてんか、科学の功績か、どちらが正しいかいずれ分かることだ。
P.H.D氏は行列を横目で見ながら、台車に乗せたウィーナをエスコートでもするように、優雅にテントへと運び込んだ。
あれから数ヶ月後、突き刺すように寒い自宅の一室で、かつてウィーナだったものを抱きしめながら、床に倒れているP.H.D氏が発見された。
彼の身体には複数の打撲痕が見られ、割れたガラスが散乱していた。そしてその絨毯張りの床には、大きく「ぺてん師」と書かれていた。
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