帰郷

河原四郎

前. 車窓にて

 ウェストテールの駅で乗り換え、汽車が陸橋を下るとすぐに田園が広がった。

 

 民家はまばらで、あぜ道では子供たちが走り回って遊んでいる。すぐ隣はちょうど休耕地のようで、寒さに負けじと地を這うように伸びるクローバーを、水牛が食んでいるのが目に入った。この地域では、最近では珍しい三圃制を取っているように見えた。

 都市部の方では囲い込みによって多くの労働者が街に流入しているというのに、この地域ではまだ旧時代の封建的農業スタイルを維持している。田舎と言えば聞こえは悪いが、都会の惨状を目の当たりにした身にとっては、とても平和な風景に見えてしまう。

 旧河川の橋を越えればすぐに次の町に入る。汽笛を鳴らした汽車が雑木林を抜けると、そこからは旧公爵領である。

 五十年ほど前に起きた塩商家との間に起きた殺傷事件のために、公爵家はお家取りつぶしとなったが、今なお公爵家を慕う領民は多い。山に囲まれた谷間にぽつぽつと集落があるだけで、人口一万人も満たない、農業と観光が主な産業のとても小さい公領だ。


 この国に戻ってくるのも、何年ぶりだろうか。町に錦を飾ると友に近い、中学を出てすぐに都市部の高校に進学した。それから、帝都の大学に入学し、医学を学んだ。一時は学費を稼ぎながら勉強をしたこともあった。


 生まれて以来の幼なじみはどうしているだろうか。幼いときに遊んでいた少年は、家業の服屋を継ぐと言っていた。街で唯一、シルクの生地を扱う仕立て屋で、公爵家お抱えだった事もある。町を出て行くとき、町の名誉だと、大そびれたことを言って、一張羅を仕立ててくれた服屋のおやじ。あの時もう四十だったから、今はもう幼なじみに代を譲って、隠居してるかもしれない。

 山を越えた向こうから魚を馬車にのせて売りに来ていたとっつあんは、どうしているだろうか。高校入学の出発の前日に鯛を持ってきて、母を驚かしてくれたこともある。そういえば、町で祝い事があるたびにとっつあんは、鯛や大きな魚を持ってきてくれた。もうだいぶ年をいってたから、もうぽっくり逝ってるかもしれない。


 色々な再会が楽しみな半面、不安もたった。決して裕福ではなかった実家。そこそこの畑を持ってはいたが、母は腰が弱く、あまり農作業をできなかった。父はひとつ下の弟が十歳になってまもなく、出稼ぎ先の炭鉱で事故にあって死んだ。それでも学費を送ってくれたのは、体の弱い母の代わりに日々働き続けてくれた弟であった。競争の激しい大学入試のさい、雪の降る極寒の中たたかえたのは、わずかな稼ぎの中で買った羊毛でおられた、母手製のマフラーと手袋と、決してうまくはない筆で書かれた応援の手紙を送ってくれた弟のおかげに他ならない。

 

 けれども私は、弟が私のことを恨んでいるかもしれないという不安があった。大学四年の春、卒業論文にとりかかろうとしたとき、母の訃報が弟から届いた。その時、私は故国に帰ることもせず、すべてを弟に任せてしまった。


 あれから、何の連絡もない。大学を出て、修行をかねて医師の補佐をして稼いだ一部を、仕送りとして手紙を添えて送っていたが、返信は一度もなかった。こうして二十年ぶりに帰ると連絡しても、帰ってきたのはどこで聞きつけたのか、何年ぶりの医者だろうとはやし立てる役所と首長からの祝報だけだった。

 

 汽車は山と住宅の間をすり抜け、まだ葉の残る雑木林を抜けていく。海沿いを走っているせいか、窓を開けていると潮風が入ってくる。この時期は風が強いく、時折風に巻かれた汽車の黒煙が窓から侵入してくる。私は思わず咳を一つ漏らした。トンネルを知らせる汽笛がなり、私はこれ以上煙を吸うまいと窓を閉めた。



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