あの壁の染みになりたい…

焼き芋さん

第1話 壁のシミとして異世界転移させられた男

 人は誰でも、不可能な願望を抱いた事が人生で一度はあるだろう。

 例えば、幼稚園児がテレビ番組のヒーローや魔法少女に憧れ、自分自身もそうなりたいと願うのは珍しくない。

 時には悪役に憧れ悪者になりたがるケースもあるだろう。

 だが、希に想像を遙かに超える存在になりたがる者も存在する。


 あれは、そう…20年前の話だ…


「みんなは将来何になりたいかなぁ??」


 幼稚園の教室で先生が教卓の前で手を挙げながら言った。

 すると皆が「はい!はい!」と手を挙げ答えたがっている。


「キリンさん」

「ゾウになりたい」

「警察官」

「電車の運転手」


 などなど、普通の答えから動物になりたがる幼稚園児もいた。


「じゃあ次、大貴くん!」


 先生が指さすとその男の子、大貴くんは満面の笑みでこう答えた。


「シュークリームゥ♪」

「「あははははっ」」


 いつも明るい大貴の発言に、クラスの皆は大爆笑だった。

 しかし先生が言ったたった一言で、場の空気が変わってしまう。


「ほぉ、だったらそのシュークリーム、先生が食べてあげよう!」


 おそらく、悪気は無かったのだろう…

 教室は静まりかえり、大貴は目を見開き、驚いて泣き出してしまったのだ。


「うわあぁぁんっ!!」


 顔を真っ赤にし、涙を流しながら大泣きする大貴に先生は慌てて宥め、次の子を当てる。


「ああ、ごめんごめん、冗談だからさ…食べたりしないって…

はい次、空也くん!」


 するとクールで無表情な少年空也はこう答えた。


「あの壁のシミになりたい…」


 親から虐待を受け、何もかもに絶望した少年はそんな事を考え口にした。

 直後、クラスは静まり帰り、まるで時間が止まったような感覚に陥った。


(つまらない回答だけど、無視って酷くない?)


 そんな事を考えながら空也は辺りを見渡す。

 すると誰もが動きを止め目の前に映る景色が静止画のようだった。


「なんだこれ…」


 時間の止まった教室…生徒も先生も誰一人動かない。

 窓の外を見ると空の雲も止まり、鳥も空中でポーズを取ったまま停止している。

 先程まで蝉の声が鳴り止まなかったと言うのにそこはまるで無音の空間になっていた。


「ひいぃぃぃ!!!」


 直後、壁のシミの中から顔を出し、こちらを見ている存在に気付いた。

 それはローブを被り、やせ細った老人のようにも見える。

 少年は驚き教室で尻餅を付いて足腰が立たないほど怖がっていた。


「ひぃぃ…ろおぉ…」


 老人は何か、不気味な声で手を伸ばし語りかけている。

 少年が震えていると、老人は壁のシミの中へ戻り消えていってしまった。


 これが、俺が20年前に経験した怪奇事件。

 もちろん親に話したが信じて貰えず、クラスの皆にも笑われた。


 しかし不思議だったのは、それ以降異世界の夢を見るようになった。


 まるでそれは、RPGのような世界で勇者に魔王、モンスターのいるファンタジー世界。

 ただ、その主人公は俺でもなく、あの時に壁のシミの中から出て来た、あのローブの老人だった。

 夢は第三者視点で毎日のようにあちら側の世界を見せられ、その妙にリアルな夢の内容に、現実と夢の区別がつかなくなり、頭がおかしくなりそうだった。

 俺はある時から、ノートに日記をつけるようになったのだが、その内容を読み返してみると、まるでファンタジー小説のようだった。


 ちなみに爺の名はリュウ・カシワギと言う名前で「ヒーローを呼べ」と国王から命じられている。

 国王の話では召喚術が使える存在はこの世界の中では爺だけらしく、彼は宮廷魔術師の地位を任せられ弟子も何人もいるようだ。


 夢の内容は眠った時に毎日見せられ、日々…魔族と人間の対立が激しくなっている。

 俺が小2の頃にはファンタジー世界の言葉も意味もわかるようになり、魔族との争いも激化していた。

 しかし爺の住むヘズドナ王国の軍事力は凄まじく、いつも魔族との戦いには勝利している。

 生々しい王国兵や敵軍の魔族の死体、そして恐ろしい殺し合いに、子供の俺は震えが止まらない。

 現実世界の殺人事件すら恐怖しなくなるほど、こちらの世界では人が死んでいた。


 しかし、俺が15になった辺り、夢の中でとんでもない事件が起こる。

 それはいつも勝利していたヘズドナ王国軍が敗北し、王国内に魔族の軍勢が攻め込んできたのだ。

 魔王により街が滅ぼされ、王が殺され、国が滅ぼされ、爺の家族も皆殺し。

 爺は逃げながら、泣き叫びながら、自分だけはなんとか逃げ伸びた。

 それからと言うもの、彼は洞窟や廃墟に籠り、何かに取り憑かれたかのように召還の儀式を行っている。

 俺の方は、夢の中でそんな爺、リュウ・カシワギの惨めな人生を見せられながら年月が経ち、大人になった。


「そういやお前、シュークリームになりたかったんだよな、大貴」

「いつまで言ってんだ空也…お前だって、壁のシミになりたかったんだろ?」


 今では食べ物と壁のシミになりたいと言った2人が会社に就職し働いている。

 真面目に働く俺達は、そこそこ期待される程度の新入社員といった地位だった。

 「居ても居なくても同じ」ではなく「抜けられると困る」程度の営業実績は残している。

 そんな二人は昼食前、デスクに座り昔話をしながら盛り上がっていた。


「思い出したくもねぇよ…あの時は消えて無くなりたいと思って言ったんだ!

大貴こそシュークリームって事は、誰かに食べられて消えたいとか思ってたんじゃないのか?」

「はぁ?んなわけねぇから(笑)ただ単純に、シュークリームが好きだったんだよ!」

「そうかよ、まぁ…しかし…あっという間だったなぁ、あれから…俺は今でも、あの出来事が、数日前のように思えてくるぜ…」

「何爺みてぇな事言ってんだよ空也、あれから20年立ったんだぞ?もう老化が始まったか?いくら何でも早すぎだろ!」


 2人会社のオフィスで話していると、からくり時計の音が鳴った。

 12時を指す音が鳴り社員はお昼休憩だ。


 しかし…おかしい…


(ん?何だ…?)


 いつものお昼休憩、何故か周囲の音がしなくなる。

 そして突如、あの懐かしい呻き声が、俺の耳に響いて来る。

 俺の感覚はまるで、夢の中と現実世界が繋がったかのようだ。


「ひいぃぃ…ろおぉぉ」


(これは…あの時…20年前の…)


 懐かしい、リアルに聞くいつもの夢の中の爺の声。

 正直恐怖もあったが、声の主を夢の中で観察しており、不思議と恐怖心を感じなかった。

 その声は会社の壁のシミの中から聞こえてくる。


 実はあの20年前の出来事が起こってから、俺は今の今まで時が進む実感が持てなかった。

 あの時、何かを置き去りにしてきたような、そんな罪悪感のような気持ちを持ち続けていたからだ。

 しかし…今ここで、その気持ちを晴らせるような気がして、俺の心は高鳴り、心臓の音がバクバクしている。


 俺の下らない人生、生きてみようという気になったのは実はこの爺さんのおかげでもある。

 夢で見たあの恐ろしいファンタジー世界はトラウマだが、それでも俺は、あそこへ行かなければならない気がしていた。


 まるで今この瞬間、俺の中の止まった時が、ようやく動き出したかのような感覚に陥っている。

 そして、会社の壁にあるシミの中から、老人がなんと手を差し出したのだ。


「ひいいぃぃ…ろおおおおお…」


(この感覚は、あのいつも失敗する召喚の儀式が偶然にも成功したって事か…しかも時間制限付き…)


 夢の中の情報によれば、爺の召喚魔法は成功しても短時間でとても短いらしい。俺はいつも見る夢の影響で、その結果を知っていた。

 だからこそ俺は、今度こそリュウ・カシワギの手を掴み叫んで彼に向って叫んだのだ。


「20年ぶりだな!ヒーローが来てやったぜ!リュウ・カシワギさん!!」


 俺はその手を力いっぱい掴んで名前を呼んだ。

 するとまるで霊体のようだった老人が実体化してしまう。

 そして俺を壁の染みの中へ引きずり込んでしまった。




 無音な空間…

 いったいどれだけの時間が立ったのかはわからない。

 目の前は暗闇で、しかし声が外から聞こえてきた。


「召還は…またもや失敗か…

失敗すればするほど、シミが増えていく…

もはやこれまでか…」


 魔法使いのようなローブを被った老人、リュウは出現させた壁の染みを見てがっかりしている。


(ん?声がするぞ?)


 俺は暗闇の中、声を手がかりに歩き出す。

 すると光のある場所を見つけ、そこに顔を出す事が出来た。


「「うわっ!!!」」


 声が重なる。

 魔法使いの老人リュウと空也が顔をはち合わせたからだ。

 2人は驚いて目を見開いて見つめ合っている。


「馬鹿な!壁の染みから人が!?」


 リュウは驚いて腰が抜けてしまう。しかし俺も納得が行かずリュウに言った。


「いやいや、どうなってんだよリュウさん、これはどういう事なんだ、説明しろ!」

「何故、ワシの名前を?」


 空也はいくら光の先に出ようとしても体が弾かれ外に出ることが出来ない。

 まるで外がガラスの向こうにあるようにすら見える。


「まさかお主が!ワシが召喚したヒーローか!?」


 驚いているリュウの問いに、壁のシミの中に召還されてしまった俺も混乱していた。

 俺はどうやら、リュウの不完全な召還魔法により、不完全な形で異世界に転移したらしい。

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