第11話ー②

 

 連絡が来たのは翌日の昼だった。


 阿久井さんが昨日の夜、交通事故で死んだというのだ。


 小学生の時から追い続けてきた目標が突如いなくなった。理解が追いつかない。フラフラと部屋に戻ってベッドに倒れこんだ。


 昨日の彼女からの電話を思い出す。いったい何があったのか。


 私が呼ばれた場所に行っていれば阿久井さんは死ななかったのか。


 いやいや、てか間違いでしょ?あんなに強い子が、そんな簡単に死ぬわけないでしょ。


 スマホを取ってラインを開くと、阿久井さんの連絡先を表示して文章を入力した。


【阿久井さん、昨日はごめんなさい。それで変な話を聞いたんだけど、嘘だよね?死んでないよね?今日もいつも通り、練習してるんだよね?】


 送信したがいつまで経っても既読マークがつかない。おかしいな。けどもう少しすれば既読がついて、返信がくるだろう。


 そんなことを考えながらずっとスマホの画面を気にしていると、夕飯の時にお父さんに怒られた。


「世緒衣、ご飯の時に携帯電話を見るなと言ってあるだろ」


「ごめんなさい、阿久井さんに送ったラインの返事がなくて気になっちゃって」


 お父さんが箸を置いて私に目を向けた。


「お前、何を言ってるんだ」


「あ、お父さんには言ってなかったんだけど、昨日の地区予選に阿久津さんが来てたの。その時にラインを交換して、昨日は普通に連絡ついていたのに、今日の朝になって急に連絡が取れなくなったの。だから心配でさ、」


「世緒衣!」


 私の説明を遮ってお父さんが怒鳴った。


「彼女はもういないんだ!県大会までの2週間、自分のことに集中しろ!」


 その瞬間、視界がぼやけた。涙が勝手に溢れ出したようだ。


「昨日、阿久井さんから電話があったの・・・これから会いたいって。それを私、断っちゃって・・・ズズッ」


 鼻水も出てきてますます喋りづらい。


「お前、昨夜彼女と話したのか?」


 お父さんも動揺した様子を見せた。私はえづきながら頷く。


「もし私が会いに行ってたら阿久井さんは死んでなかったかもしれないのに・・」


 父はしばらく黙っていたが、「とにかく」と言葉を切った。


「お前は阿久井さんの代わりに全国大会を目指すんだ。それが彼女への供養だと思え!」


 ※ ※ ※


 阿久井さんのお通夜は翌日おこなわれた。


 長年のライバルの顔は寝てるようにしか見えなかった。彼女のお父さんお母さんに、娘の代わりにオリンピックに出てください、と言われた。あまりにも遠い目標を背負わされそうになったが、私には無理だと思います、と正直に言った。


 県大会はメンタル的にも本当に厳しい戦いだったけど、なんとか勝ち抜いて全国大会への出場権を手に入れた。


 1か月後に山形で開催された全国大会でも私は優勝することができた。みんなとても喜んでくれた。


 なのに不思議と私自身の喜びはなかった。


 全中以降、練習にも身が入らなくなって、父にしばらく練習を休ましてほしいとを伝えると


「分かった、しばらくは休んでいい」


 とあっさりと許してくれた。


 練習に参加しなくなってから一週間後、父から耳を疑うよな話を聞かされた。


 テレビ取材のオファーが来てるというのだ。意味が分からなかった。いくら全国1位と言えど、毎年必ず各階級1名ずつ出るのだ。そして私なんてたいした才能を持ち合わせていない。阿久井さんと間違われてるのではないのか。


 そもそも今の私は練習をしていない。きっと父は断ったのだろうと思っていると


「来週の火曜日からカメラ取材が入るそうだから、それまでに練習に復帰するように」


 夕飯時に言われた。もはや私に拒否する手段はなかった。


 取材は1週間ほどカメラに密着された。その間だけ中学の練習に参加し、道場の練習も参加した。


 オンエアは1ヶ月後の、日曜日の午前中だった。


 内容は死んでしまったライバルの夢を背負って、涙の全国1位を成し遂げた美人柔道家、という感じだった。


 スタジオで見ていた芸能人はしきりに「感動した」とか「こんな可愛い子が」という言葉を連呼していた。


 何故か評判が良かったようで、それから道で声を掛けられたりすることが何度かあった。


 そうか、私はこれから、天才・阿久井美貴の代わりとして見られていくのか。


 バカバカしい。私に阿久井さんの代わりが務まるはずはない。


 今後の試合で私が負けたら、彼女の実力もその程度だと見られてしまうじゃないか。


 まったく迷惑な話だな・・・。天才の代わりを凡才が演じる舞台など誰が観たいというのか。


 父に行く高校をそろそろ決めるように言われていたが、どこでも否、どうでもよくなっていた。


 そんな感じのことをモヤモヤ考えていたある日、頭の中でパッと電気が光った気がした。


「あ・・・・」そういえば私は、彼女と交わした約束をまだ果たしていないじゃないか。


 10月の中盤にさしかった頃のある日の夕飯の時、私は出来るだけさりげない口調で切り出した。


「高校、片瀬山高校にしようと思ってるの」


 阿久井さんのいた学校だ。彼女は中等部からエスカレーター式に高校に進学するはずだったと聞いていた。


食事を終えて冷酒を飲んでいた父が手にしていたお猪口を置いた。


「もっと設備の整った高校がいくらでもあるだろう」


 全中を終えたあと、私は県内外の多くの強豪高からスカウトが来ていた。その中では片瀬山高校はあまり強い高校ではない。父としても予想外だったのだろう。


 「お父さん、私さ」ゆっくり、大きく息を吸った。


「高校では柔道はやらないから」


 食卓が静寂に包まれた。お母さんが息を呑んでお父さんの様子を窺(うかが)う。


「お前、何を言ってるんだ」


 お父さんが訊いてきた。声が震えている。怒りを堪(こら)えているのか、ただ動揺しているのか。


「目標だった日本一にもなれたし、もういいかなって」


「いいワケないだろう!」


 お父さんがここまで大声で私に怒鳴ったのは初めてだった。


「お前はここまで頑張ってきて、やっと日本一になって、これからだろう!これから国際大会に出て経験を積んで、オリンピックを目指すんじゃないのか!?」


 少し声は落ち着いたけど、握ったこぶしが震えている。そんなお父さんにとどめを刺す。


「もう柔道が嫌で仕方ないの。全中で優勝してお父さんを喜ばせられて、これ以上は続ける理由はないの」


 お父さんは絶望の表情を浮かべた。私が小さいころから、お父さんは私に「嫌なことを無理矢理続けたって時間の無駄だ。自分にとって必要だと思えること、頑張れることだけやればいい」と言ってきたのだ。


 お父さんはそれ以上なにも言わずに立ち上がり、フラフラしながら居間から出ていった。


 柔道部に入らないのになぜ片瀬山高校に入りたいのかは訊いてこなかった。もうどうでもいいのだろう。


 私が片瀬山高校に入る理由は一つだけ。夏に交わした約束


【阿久井さんが県大会に出なかったら、Aくんの恋人になる】を果たすためだ。


 月崎家は1度交わした約束は守らなければいけない。


 ※ ※ ※


 柔道を辞める宣言をしてから2日後、アヤちゃんから連絡が来た。


【久しぶりー。明日神奈川に戻れるんだけど、ちょこっと会えない?】


 タイミングから見てお父さんがアヤちゃんに連絡をして、私を説得するように仕向けたのだろう。そう思うとあまり会いたくないけど、でもアヤちゃんのことは大好きなので会うことにした。

 

 私の学校終わりに駅前のファミレスで会うことにした。

 

 私が待ち合わせ場所に到着した時にはアヤちゃんはすでに着いていた。


「ごめんアヤちゃん、待たせちゃった?」


「全然だよー。お腹空いたし、入ろうぜい」


 まずはドリンクバーで乾杯した。


「なにはともあれ世緒衣、全中優勝おめでとう」


「ありがとう」たくさんの人達が祝福のラインをくれたけど、こうして直に言ってもらうのはやはり嬉しくて、少し照れくさい。


 乾杯のあとは食べものを注文して、お互いの近況報告をして、普通の女子会の流れで進んだ。


 デザートも食べ終わって店員さんが皿を下げたタイミングで私から切り出した。


「アヤちゃん、今日会ったのて、私のお父さんに頼まれたからなんでしょ?」


「その通りよ」アヤちゃんは悪びれた様子も見せずにあっさり認めた。


「・・・もう柔道はしないよ」


「世緒衣は自分ではたいして才能ないと思ってるみたいだけど、あんたの才能が開花するのこれからだと思うよ?続ければきっとオリンピックの代表争いにも絡めると思うけど、それでもやめる?」


 この時だけアヤちゃんの表情が真剣になった。私は彼女の目をまっすぐ見つめ返した。


「うん、やめる。全中優勝して満足したし、なによりもう柔道はしたくない」


「あ、そ、了解。先生には説得失敗したと伝えておくよ」


「え、それでいいの?」ぜんぜん説得されなかった。ちなみに先生とはお父さんのことです。


「あんたが一度決めたことはぜったい曲げないって知ってたしね」


 そう言いながらアヤちゃんはオレンジジュースをズズッと飲んだ。


「それじゃ、なんで今日私と会ったの?」


「普通に世緒衣と会って話したかったから。それじゃ、あらためて」

 

 アヤちゃんがほとんど空(から)になっているコップを私の前にかかげた。私もつられて自分のコップを目の前にあげた。


「10年間、柔道お疲れさまでした。よく頑張ったね」


 コップのフチを合わせた。チンッと軽い音を聞いた時、急に鼻がツンとした。


「ありがとう、アヤちゃん・・・ズズッ」


「JCが鼻をすすらないの。ちなみに高校はどこに行くの?」


 お父さんはその辺の話はしなかったのね。


「えっと、片瀬山高校を受験しようと思ってる」


 アヤちゃんの表情が一瞬真顔になった。が、すぐにいつものふねけた顔に戻った。


「けっこう進学高だよね?大丈夫なん?」


「とりあえず、勉強がんばるよ・・」


 ふうん、と頷きながらコップに残っていたオレンジジュースを飲み干した。


「ちなみに高校でやりたいことは考えてるの?」


 やりたいこと言うよりはやるべきはあるんだけど、ここで言うべきじゃないと判断した。


「合格してから考えようと思ってるんだけど、高校生て普通は何をするものなの?」


 訊いた途端、アヤちゃんの目が輝いたように見えた。


「そんなもん決まってるっしょ。恋だよ恋!」


「そう、なんだ・・・」


「ちなみに世緒衣てどんな男子がタイプ?つか今まで誰か好きになったことあるの?」


「たいぷ・・・」私が初めて聞いた言語のように呟くとアヤちゃんは小さく首を横に振った。


「いるワケないか。今までずっと柔道しかしてこなかったんだもんねぇ」


 そう言いながら空のコップを持って立ち上がったアヤちゃんの背中に「いるよ!」と言葉をぶつけた。


「・・・好きなタイプ、いるし」


「ほっほう!訊かせておくれよ!」アヤちゃんが嬉嬉とした表情で戻ってきた。コップは空のままだ。

 

「・・・りょう」できるだけぶっきらぼうに答えた。恥ずかしかったから。


「りょう、名字は?」


「さえば」


 むむ、とアヤちゃんがアゴを触りながら虚空を見た。「サエバリョウ、なんか聞いたことあるな。芸能人?それとも柔道選手?」 


「・・・漫画の主人公。前にアヤちゃんが貸してくれたやつ」


「えっ冴羽獠?【シティ・ハンター】の??」


あれは忘れもしない小学5年の夏休み、盲腸で入院した時にアヤちゃんがお見舞いで全巻持って来てくれて、見事にはまった。世の中にこんなに格好いい男がいるのか、と子供ながらに感動したものだ。


・・・ところどころよく意味の分からないシーンはあったけど。


「ああいう風に、私のことを命を賭けてでも守ってくれる人がいいな・・・」


私の話を黙って聞いていたアヤちゃんが、オホンとわざとらしく咳払いをしてから「あのねっ」と切り出した。


「いいかい世緒衣さんよ、ここではっきり言っておくけど、あんな男はいない!次に、あんたは男に守ってもらうには強過ぎる!」


「・・・そんなことないよ」


「そんなこと言ってるようじゃ、高校生のうちは恋は無理だよ!」


アヤちゃんが断言した。


※ ※ ※


数ヶ月後、私は無事に片瀬山高校に合格した。


 ※ ※ ※


 片瀬山高校に入学して最初にするべきことは、阿久井さんの言っていたAくんが誰なのかを調べることだ。


 A君も中等部からそのまま高等部に進学していると信じるしかなかった。


 同じクラスにいた中等部からのエスカレーター組に訊いても誰も教えてくれない。


 どうやら内部生は自分達の代にイジメがあったことを表沙汰にしたくないようだ。


 それでも粘り強く訊きまわっていくと不可解な点に気づいた。


 Aくんをイジメていたという男子グループがいないのだ。


 よその学校にいったとかではなく、もとから存在していない。


 それなのにイジメにあっている男子生徒はいる。どういうことなのか。


 ようやくAくんが誰なのか分かったのは7月の中盤だった。


 小野塚雄一という男子がイジメにあっていたらしい。そして中2、3年の時に阿久井さんと同じクラスだったようなので間違いないだろう。


 1年越しの約束を、果たしにいこう。


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