地中にある海

AtNamlissen

第1話 プロローグなど

 学校から帰宅中。時間は大体18時半。部活帰り。僕は学校から家に向かう下り坂を歩いているところだった。

 下の方を向いて歩いていると、ふと、ある街灯の下に鉄の箱のようなものが落ちているのに気づいた。いや、鉄の塊だろうか。

 気になったので近づいてよく見てみる。

 それは一見ただの鉄の塊だったが、どことなく不思議な感じがした。表面は鉄のようだが金属のような光沢はなく、うっすらと光っているように感じられるというか。少なくとも街灯の光を反射しているという感じはない。

 なんとなく、つま先で軽く蹴ってみる。すると重い感触があって、全く動きそうになかった。

 地面に刺さっているみたいだ。そうなると、何かの工事の準備だろうか。


 それにしても、全く見覚えのない感じのものだ。表面はどんな感触なのだろうか。僕は屈んで、手を伸ばす。

 すると、触れる直前に、その金属のような塊は消えてしまった。そこにはいつものコンクリートの地面があるだけ。

 不思議なこともあるものだ。


━━━━━━


 帰宅してしばらく後。だと思う。よく覚えていないが、もうベッドに入ったのではなかったか。

 直前の記憶が曖昧なのは今、夢の中にいるからだろう。

 状況から何となく夢の中にいることは分かるが、やけに認識がはっきりとしている。こんな感覚は初めてだ。


 僕は水を覗いている。

 どこかの川。かなり水のきれいな場所だ。その川の中に魚の群れが泳いでいる。僕は魚を掬い上げようとして、水の中に手を入れる。すると、1匹の魚が寄ってきた。僕は急いで手を魚に寄せる。魚は手で作った椀のなかに入り込む。捕まえた。

 手を水から上げると、魚は跳ねる。しかし逃げようとしている様子はない。

 跳ねていた魚が手のひらに強く当たる。そして、魚は動かなくなる。

 死んでしまったのだろうか。

 魚を川に流そうとしたが、うまく流れて行かない。よく見ると、魚が手にくっついているようだ。

 いきなり魚が動き出した。先程とは違い、水の中にいたときのような緩やかな動きだ。そして魚は体を震わせて、手の中に入った。

 文字通り、手の内側である。

 酸欠になって浮いてきた魚が、水面で空気を吸ってまた潜っていくとき。そんなような挙動だった。

 魚は源流心臓へと遡上するように、手首から腕へと登ってくる。

 皮膚の下で魚が泳ぐ感覚がとても気持ち悪く、吐き気が込み上げてきた。



 僕は、自分の嗚咽で目を覚ました。手首に嫌な感覚はない。何だただの夢かと安心する。

 周囲は明るくなっている。いつも通りの朝だ。伸びをすると、眠気がある程度覚めた。

 目を擦ると、左腕に何か黒いものがついているのに気づく。

 ゴキブリかと思って振り払ったが取れず、よく見ると、左手首に黒い魚が描かれていた。見たことのない魚だ。魚の背中には二本のトゲがあり、頭が極端に大きい。普段食卓に出るようなサバやアジとはあまり似ていなくて、少し不気味に見える。

 ツバをつけて擦ってみたが、落ちる様子はない。これは刺青というやつだろうか。


 そうなると非常に困ったことになる。

 親や学校は刺青というものを極端に嫌う。どこぞの県の職員が刺青を入れていたというニュースについて少し前に校長先生が話していたが、その話は批判一辺倒だった。

 僕は刺青を入れたいと考えたことはないが、朝起きたら浮き出ていたという事実は、そのまま伝えても、彼らが納得してくれるはずがないものだ。

 先生や親は僕らが非行に走り始める時期だと考えていることだろうし、僕は先生や親に対しては感じの悪い人だ。間違いなく、僕がやったということになるだろう。

 それならば、この刺青はばれないようにするしかないな。

 さて、登校の用意をしなくては。


━━━━━━


 朝のちょうど9時。

 僕が教室に入った瞬間、始業のチャイムが鳴る。この瞬間が僕は好きだ。チャイム通りに動くと、社会に参加している感じがする。

 先生としては、チャイムが鳴った直後にホームルームを始めたいみたいで、チャイムのギリギリのところで入ってくる生徒のことをあまり好ましく思っていない。だからいつも小言を言われる。

「糸魚川君、君は……まあいいです。明日もこの時間に来たら、遅刻にするからね。」

「…ぁい。」

 ちなみに、僕がこの時間に来て遅刻になったことは一度もない。



 今更ながら自己紹介。工山くやま町立工山高校、2年、C組2番、糸魚川隆司いといがわたかし。ちなみにC組1番は浅川実あさかわみのる。僕の友達でもなんでもない人だ。ただ、1番トップを取られた気がして少し悔しかった。

 C組の先生は木下夏奈子きのしたかなこ。国語教師でそこそこ美人。クラスの男子は嫌ってもいないし好感も持っていないが、女子にはまあまあ人気がある。僕個人の印象は、普通の先生といった感じ。例の朝のくだりを除けば、ほとんど会話したことはない。

 まあ僕とは関係のない人だから、そんなものだろう。

 もっと言えば、学校の人の中で僕と関係がある人なんて5、6人くらいだろうな。

 …僕が学校のことををどれだけどうでもいいと思っているのかがよく分かるな。そしてこの気持ちは成績にも反映されている。つまり僕は落ちこぼれだということだ。

 僕自身も、自分が無気力な落ちこぼれであることは認識しているし、直す気もない。


 さて、話は過去に遡る。今日の朝、いつもより早く家を出た僕は、急いで駅の方に向かった。多分7時半頃。そして僕は駅の改札口近くのコンビニエンスストアっぽい店に入る。

 その店だが、77ナナナナマートといって、開店七時、閉店七時の、僕らのような学生にとってはまあまあ使いやすい店だ。昼食を買ったりする人が多い。それにここは多くのコンビニエンスストアとは違って野菜や医療品なんかも売っているから、お使いやちょっとした怪我のときも利用されがちだ。

 僕はそこで包帯を買ってタトゥーに巻こうと思っていた。


 

 入店して驚いた。僕と同じ制服を着た女子が店の中にいたのだ。

 駅から学校までは歩いて20分程度だから、登校時間の早い人でも8時より前に駅にいることはあまりない。しかもそういう人に限って昼食はしっかりと用意しているものだから、こういう店に入ることは極めてまれなのだ。

 だから、全く警戒していなかった。

 実際、何度かこの時間にここに来たことはあるが、学生に会ったのはこれが初めてだ。

 しかもその人は僕にとって運の悪いことに医療品のコーナー、包帯の並んでいそうな場所をピンポイントで凝視している。

 彼女がしばらくそこにとどまるようならば、僕の予定が狂ってしまう。朝9時前後には登校したいのに。そう僕が思ったところで彼女は包帯をひとつ手に取り、レジに向かっていった。

 僕もまた包帯を買ってそとに出ると、近くのベンチで必死に包帯を巻く女子高校生がいた。

 きっと彼女は中二病に違いないと僕は、自分のことを棚にあげて思った。


 9時10分のチャイムが鳴り、数学の金田先生が入ってくる。このじいさん先生の声はおっとりとして静かな波のようで、数学のよく分から無さと相まって、子守唄のように僕を眠らせる。

 というわけで、高校2年生になっても将来のことを何も考えるつもりのない僕は、いつも通り1時限目からの睡眠学習(笑)を始めた。



放課後。

 4時頃になってやっと、授業やホームルームなどの煩わしいものがすべて終わった。僕は足早に部室に向かう。


 僕の入っている部活は文芸部で、主な活動内容は書くことと読むことと話すことだ。ときたま絵を描いたりすることもあるが、あまり多くはない。せいぜい挿し絵か絵シリトリの類だけだ。この部活の具体的な活動の例としては、自主製作の雑誌があげられ、これは2年に1冊出しているのだが、内容は散文の集合体的なものになっていて、とうてい読めるようなものではない。

 部員は5人で、幽霊部員が7人いる。

 紫さんと僕、松笠はこの部活の部員で、他に高校1年生が2人いる。顧問は竹下先生という爺さんだが、活動に参加しないので、あまり認識されていない。ちなみに、紫さんが部長、高校1年生の稲田いなださんという人が副部長、松笠が会計を勤め、僕はひらの部員だ。今年の始めのこと、クラスの投票で僕が学級雑用委員に決まり、学校の規約で部活の三役(部長、副部長、会計)にはなれなくなった。人生に一度は三役をやってみたいと思っていたので残念だ。


 自主性を求めるなどといってクラス全員に投票させて、他の人より一口や二口票が多かったからといって学級委員クラスの代表を決めるというのはどうなんだろうか。驚異の死票率75パーセントのこの選挙は、もはや不平等選挙だろう。

 学級委員先生の次に偉いの僕は木下先生に対して、そう強く訴えたい。


 軽く歩いて2分で部室に着く。部室とはいってもただの教室で、普段は選択教科の授業や委員会の集会などに使われている場所だ。

 部室に入ると、僕以外の部員4人はもうすでに揃っていて、黒板で絵シリトリをしていた。流れで参加して、部活動の時間である2時間半を使いきった。いたって普通な日常だ。


帰宅時。

 部室の鍵を閉め、紫さん、松笠、僕の3人で帰る。といっても校門を出たら僕だけ逆方向に向かうのだが。でもって、校門を出る前の短い時間にちょっとだけ雑談をする。僕の本音が言える唯一の場とも言えるかもしれない、人生において重要な場面だ。


「そういえば、その左手首の包帯だけど、中二病か?」

松笠が話し始める。

「いや、そういえばその事なんだけど、朝起きたら浮き上がってきてたんだよね。タトゥーみたいなのが。」

そう言いつつ、僕は包帯を外す。

「いや、あり得ないだろ。」

「まあそうだよね。」

「何で刺青入れたの?」

「だから浮き上がってきてたんだって。」

「本当に。」

「そっか、言いたくないこともあるよね。でもやっぱり刺青はダメだとおもうよ。」

紫さんが言う。信用してくれていない。

「まあ、詳しい事情は聞かないが、しばらくの間は包帯をつけておいた方がいいんじゃないか?」

松笠が言う。その通りだと思う。3人は校門を出た。

「じゃあまた明日。」

「じゃあな。」

「うん、じゃあね。」

僕は返事を返し、1人で逆方向に向かう。少ししか話を出来ないのがもどかしい。


 帰り道、坂を下っていると、例の街灯の下にジャッキー・チェンに似た男の人が立っていた。僕は関わりたくないので、その方向を見ないようにしながら引き続き坂道を降りる。

 しかし、僕が通りすぎようとすると、男が話しかけてきた。


「君、いと魚川うおかわ君?…で読み方はあっているかな。」

僕は反射的に答えてしまう。

糸魚川いといがわです。」

糸魚川いといがわかぁ、地名そのままだね。新潟出身?ずいぶん遠くから引っ越して来たんだね。」

男はかなりフレンドリーだな。

「いえ、生まれも育ちもここです。」

そう言って僕は立ち去ろうとする。

すると、その男は僕の肩を掴んで言った。

「腕の魚について話がある。少し歩かないか?」


 え?なぜその事を?親を含めて誰にもいっていないはずなのに。とはならない。

 だいたいそんな展開だろうと思っていた。二日連続、全く同じ場所でイレギュラーが起こっているのに、関係ないと思う方がおかしい。

 しかし、出来れば関わりたくは無かったかな。


 しばらく歩いていると、近くにある神社の前に着いた。男は結構頻繁に話しかけてきたが、僕は知らない人と話すのが苦手なタイプなので、うまく受け答え出来なかった。男は鳥居をくぐり、僕もくぐる。ここの神主とは知り合いだし、叫べば気付いてくれるだろうから安心だ。

 補足だが、男の名前は亀井すっぽんというらしい。多分偽名だろうが。


 神社のなかにはベンチが1つあるが、そこに亀井さんが座り、僕に隣を勧めた。

 僕も座った。

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