第7話 テスト飛行

 《リゲタネル》の中は、恐ろしく狭かった。

 おまけに地球上にいるというのに中は無重力状態。船体がエキゾチック物質でできているのだから当然だが、あたしが今まで乗ったことのある宇宙船の中で最悪の居住性と言えた。

 唯一、ブラックホールの近くだけエキゾチック物質の厚みを調整して一Gの重力が作用するスペースが用意されている。そこがこの船の操縦室になっていた。

 あたしはシートについて、メガネ型ディスプレイのFMDを装着した。周囲に戦艦のブリッジを思わせる仮想空間が広がる。

 これって慧の趣味かな?

 草食系男子だと思っていたけど、やっぱり男の子は軍艦とかがが好きなのね。

「美陽」

 声のした方を向くと、マッチョな美青年がそこにいた。慧が仮想空間で使っているアバターだ。昔の映画俳優を元にデザインしたようだが、俳優の名前が思い出せない。

「アバターはどうする?」

「実画像でいいわ。虚像を使うのは匿名掲示板だけで十分よ」

「そう」

「慧もその悪趣味なアバターより実画像の方がいいわよ」

「悪趣味かな? これ。かっこいいと思ったんだけど」

「悪趣味よ。顔は悪くないけど、あたしマッチョって苦手なの」

「そうか。じゃあやめとく」

 アバターが本来の華奢な慧の姿に変わった。

 あんなアバターを選ぶって事は、よっぽどマッチョな体にコンプレックスがあるのね。

「なにが実画像じゃ。幾島君の目は誤魔化せてもワシの目は誤魔化されんぞ」

「なんか文句ありますか? 教授」

 あたしは声の方を振り向く。

 自分こそ何よ、そのアバターは……

 実物の百万倍は威厳のありそうなおじ様が海軍か何かの軍服を着ちゃって…… 

 実物はマッドサイエンティストの癖に。

「確かに顔は実物と変わらんが、胸を実物より大きくしてあるだろ」


 こ……このエロジジイ、余計なことを。いつかセクハラで訴えてやる。


「ちょっ……ちょっと、アバターの設定を間違えただけです」

「ふん。どうだかの」

「そんなことより、慧。船をさっさと出して」

 慧はコンソールを操作する。

 不意に周囲の画像が切り替わった。

 戦艦の艦橋の映像が消えて全周囲が船の外の映像になったのだ。

 何もないところに、コンソールやあたし達が座ったシートが浮いているように見える。

 これがもっとも一般的な仮想バーチャル操縦室コックピットだが、ちょっと違うのはあたし達が床に対して横倒しになっていること。エキゾチック物質のために船内に地球の重力が作用しておらず、なおかつマイクロブラックホールのある方向が床になっているからだ。

 ドックのハッチが重々しく開いていく。

「補助エンジン始動。《リゲタネル》微速前進」

 慧の厳かな声とともに船はゆっくりと動き出した。 

 ドックを抜けると眼下に甲州街道が見える。

 この光景、飛行船からの眺めに似ている。

 この船の形状からして下から見てもやはり飛行船に見えるんだろうな。

「慧。随分ゆっくりだけど、補助エンジンに何を使っているの?」

「あれだよ」

 慧は足元を指差す。

 足元の方……船体後方に向けたあたしの目に補助エンジンという物が見えた。

「プロペラ?」

 船体から少し離れた位置にあるので全周囲カメラの映像に映ったのだろう。前後左右に四つの突起物が出て、その先に着いたプロペラエンジンが回転している様子が見えた。

 こりゃあますます下から見たら飛行船に見えるわね。

 周囲を見ると、高尾山を登っている登山客がこっちを指さして見ている。

 船は少しずつ上昇しながらしばらく水平方向に進んでいった。

 途中で圏央道を横切る。大垂水峠を越えて相模湖上空まで来たとき、船は船首を真上に向けた。

 プロペラが収納される。

 これからプラズマエンジンに切り替わるようだ。

「メインエンジン始動」

 そのまま《リゲタネル》は加速を開始し、ゆっくりと上昇していった。

 雲を突き抜けて周囲が次第に暗くなっていく。

 宇宙空間に出たようだ。


 《リゲタネル》の宇宙船としての性能は問題ないようだ。

 問題は……

「美陽。このあたりでやってみる?」

「まだだめよ。このあたりは人工衛星や宇宙船が多すぎるわ。もっと、高度を上げて」

「わかった」

 《リゲタネル》はさらに地球から離れていく。途中、JAXAの宇宙ステーションに立ち寄り推進剤の補給を受けて、さらに外宇宙に向かって進む。

やがてレーダーが前方に巨大な構造物を捉える。建設中の対消滅炉 弥勒みろくだ。

「なあ、お嬢さん。どこまで行くつもりじゃ?」

 いい加減、教授が痺れを切らしてきたようだ。

「もう少しです。見えてきました」

「見えてきた? なにがじゃ」

 教授はきょろきょろしているが、そんな事をしても何も見えはしない。見えているのは通信機のディスプレイ。

 この先の空間から発進しているビーコンだ。

 このあたりにあるはずだと思ってやってきたのだが、予想通りそれはあった。一度開かれた後、時空管を抜かれて閉じたワームホールが……

 ただし、ワームホールには細いエキゾチック物質の棒が差し込まれ完全に閉じてはいない。その棒からは常にビーコンが出ている。

 あたし達がマーカーと呼んでいる装備だ。

「慧。この先にマーカーがあるのは分かるわね」

「うん。分かる」

「そのマーカーに向けてビームを撃って」

「うん。わかった」

「ちょっと待てい!」

 予想通り、教授が抗議してきた。

「マーカーじゃと? なんで以前に誰かが開いたワームホールを使う? そんなことせんでも、新しいワームホールを開けばよいではないか」

「教授、現場の人間として言わせていただきます。教授の言ってる運用方法は無謀かつ危険です。そのような運用は採用するわけにはいきません」

「なんじゃと!! ワシのやり方のどこが無謀で危険だというのじゃ!?」

「教授はこの船のビームで新しいワームホールを開いて、この船ごと入っていくという運用を考えていますね」

「そうじゃ」

「ワームホールの先が恒星の中じゃないという保障はありますか?」

「なに」

「超新星爆発に巻き込まれないという保障はありますか?」

「それは」

「宇宙戦争のまっただ中に出ないという保障はありますか?」

「いちいち、そんな事を心配していてワームホールが使えるか!!」

「いいえ、現場ではいつも細心の注意を払ってワームホールを開いています。始めは小さな穴を開いてファイバースコープで様子を見て、少し穴を広げてから無人探査機を送り込んでいます」

「そ……そこまでやってるのか?」

「無人探査機を送り込んで安全を確認してから、初めて人間を送り込んでいるのです」

 もっとも、この前はそれを省いてしまったためにえらい目にあったわけだが……

 栗原さん今頃どうしているかな?

 もう義手と義足には慣れたかな?

「はっきり言って、いきなり未知のワームホールに、船ごと送り込むなんて危険な運用は認めるわけにはいきません」

「ううむ。言われてみれば確かにそうだった」

 意外と物分りがいいのね。

「よし、ドックに戻ったら早速改造じゃ。調査用ワームホールを開く装備を取り付けるのじゃ」

 うわ!! 立ち直り早すぎ。

「ちょっと待ってください! その改造にどのくらい時間がかかるんです?」

「なに。一ヶ月あれば十分じゃ」

「そんなに待てません!」

「待てんか?」

「待てません」

「せっかちな奴じゃな」

「とにかく、出口の分かっているワームホールなら何も問題はないんです。そして、今私たちのやろうとしているミッションにはそれで十分。改造したいなら、ミッション終了後にしてください」

 まったく疲れる爺さんだ。

「美陽。マーカーが近づいてきたよ。始めていいかい?」

 あたしが教授と議論している間にも慧はもくもくと作業を続けていたようだ。

「いいわ。初めて」

 慧がコンソールを操作する。

「時空穿孔ビームは自動発射体制になったよ」

 程なくして、ビームが発射される。

 ビームは目に見えないが、ビームの命中しているマーカー付近に凄まじい閃光が出現する。ワームホールが開いたのだ。

 光は次第に大きくなっていく。

 《リゲタネル》は光に向かって突き進んでいく。やがて、操縦室は光に包まれた。

 リゲタネルは特異点を通過しているのだ。

 光が治まり《リゲタネル》は別の空間に出た。

「成功じゃ」

 教授は嬉しそうに言う。

「でも、どこに出たんだろう?」

 慧は周囲を見回す。

「うわ! 太陽があんなに大きくなってる」

 慧の指差す先に、フィルターのかかった巨大な太陽の姿があった。

「当然よ。ここは水星軌道なんだから」

 あたしは後を振り返った。

 さっき通ったワームホールが急速に小さくなっていくのが見える。

「慧。ワームホールにマーカーは差し込んだでしょうね?」

「もちろんだよ」

 あたしは通信機をチェックした。

 よし。ちゃんとビーコンは出ているな。

 もし、あのワームホールが閉じてしまったら、えらい事になるところだった。

 間抜けなことに、ワームホールに飛び込む直前まであたしは考えていなかったのだ。《リゲタネル》がワームホールに飛び込んだ場合、先に入っていたマーカーはどうなるのかという事を……

 さっき建設中だった弥勒で燃やされる反物質は、将来は水星から運んでくる予定だったのだ。

 その際、反物質を運ぶのにさっきのワームホールが使われる予定だった。

 もし《リゲタネル》のシステムが正常に働かないで、マーカーをワームホールに差し込めなかった場合弥勒計画は頓挫していたかもしれない。

 あたしのうっかりミスのために。

 なお、先に入っていたマーカーはワームホールからはじき出されて、はるか先の宙域を漂っていた。

「とにかく、これで《リゲタネル》の能力は十分に証明されました。さっそく、地球に帰りましょう」

 後の買い取り交渉は長官に任せて、あたしは《楼蘭》に戻る準備をしないと。

「地球に帰るだと!? そんな簡単に帰れると思っているのか」

 な……なんだ!? そのマッドサイエンティストみたいな笑みは?

 あ! みたいじゃなくてそのものだったか。

「帰れないってどういう事?」

「まだお嬢さんに話していなかったことがあるのじゃが」

「なんなの?」

「この《リゲタネル》は一度ビームを発射すると」

 ん? まさか?

「次を発射するまで、十時間待たねばならんのじゃ」

「はあ?」

 いや、一瞬そうじゃないかという気はしたが……

「どういう事かしら?」

「僕が説明するね」

 慧が空中にディスプレイを出して、そこに《リゲタネル》の断面図を表示させた。

「船体の真ん中にブラックホールがあるんだけど、凄く小さくて時空穿孔ビームを発射できる出力が得られないんだ」

「じゃあどうしているの?」

「ブラックホールからは常に反物質が発生しているんだ。そこで発生した反陽子アンチプロトンを船首の方に送ってトロイダルコイルの中に蓄積しているんだよ。そして。十分な量が溜まったら、対消滅炉で燃やして時空穿孔ビームのエネルギーを発生させるんだ」

「つまり、反陽子が溜まるのに十時間もかかると」

「まあ、そういうことじゃな」

 あたしは教授の方を向き直る。

「そういう事は早く言わんかあ!!」

「ああ、美陽落ち着いて。暴力はだめだって」

 こうしてあたし達は、水星軌道付近の宙域で退屈な十時間を過ごす事になった。まあ、その間に何もしなかったわけではなく、宇宙省と連絡を取り《リゲタネル》の性能試験の結果を報告したりしていた。

 そして、まもなく十時間が過ぎようという頃、とんでもないニュースが飛び込んできたのだ。

 《楼蘭》につながるワームホールが圧壊したのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る