第6話 幾島研究所
幾島時空管の本社ビルはお台場にあるが、あたしが向かったのはそこではない。時空管の製造設備がある軌道リングでもない。
研究所がある東京郊外の八王子だ。
その研究所は、エキゾチック物質を利用した製品が研究されているらしい。長官の話では、そこの所長が
しかし、慧が所長になったのは父親のコネだというのは分かるが、はっきり言って慧は組織の長に収まる器ではない。子供の頃から、あたしの後ろを子犬のように付いてくる、どちらかというと、たよりない男の子だった。
もう三年以上会っていないが、その間に変わったのだろうか?
「この馬鹿息子が!!」
あたしが研究所の玄関に入った時、最初に聞こえてきたのは幾島社長の罵声だった。
玄関の受付嬢は、あたしが入ってきたことにも気付かないで所長室の方を見てオロオロしている。
どうやら少し遅かったようね。
「宇宙省から来た佐竹ですけど」
あたしに声をかけられ、受付嬢はようやくあたしの存在に気がついたようだ。
「あ! すみません。佐竹様ですね。アポは承っております。けど……」
「社長は、いつここへ来たの?」
「一分ほど前ですけど……」
「早く通して。あたしがなだめてくるから」
「お願いします。早くしないと坊ちゃんが……いえ、所長が殺されちゃいます」
まあ、それは大げさだと思うけど。あたしは受付嬢に案内されて所長室に向かう。
「こんなガラクタ作るのに、テメエいったいいくら使ったんだあ!!」
中から聞こえてくる罵声に、受付嬢は怯えながらも所長室をノックする。
「宇宙省の方が、お見えになりました」
「後にしろ! 今は取り込み中だ!!」
あたしはかまわず扉を開く。
背広を着たゴリラのような男、幾島時空管社長の
あと、慧がとても成人には見えないような童顔ということもあるかな。
童顔だからと言って、『可愛い』などとは言ってはいけない。
それを言われるのは、慧は凄く嫌がる。
「おじ様。お久しぶりです」
幾島社長の手が緩み、あたしの方を振り向く。鬼のような形相がみるみる緩んでいく。
この親父さんは、昔からあたしに甘いのだ。
「おお! 美陽ちゃんじゃねえか。いつ地球に帰ってきたんだ?」
その背後で、慧が激しくむせている。こりゃひょっとすると、一分遅かったら
「昨日帰ってきたところです。それよりどうしたんです? 外まで聞こえてましたよ」
「おお聞いてくれ! この馬鹿が、会社のエキゾチック物質を勝手に持ち出しやがって、ガラクタこしらえやがったんだ」
「だって、父さん。会社のエキゾチック物質を、使っていいって言ったじゃないか」
だから、そういう火に油を注ぐような事は……
「馬鹿やろう!! ものには限度ってものがあるんだ!! 少しぐらいならいいが、あんな大量に持ち出す奴があるか!!」
いったい、どれだけ持ち出したんだろう?
「すぐに潰せ!! 潰してエキゾチック物質を回収しろ!!」
「そんなあ、せっかく作ったのに」
「なんだと!!」
再び、慧を締め上げようとする幾島社長をあたしは制止する。
「壊されちゃ困ります。あたしは、そのガラクタを見せてもらいに来たんですから」
「なんだって?」
幾島社長は、怪訝な目であたしを見る。
研究所の最上階にそれはあった。
直径十メートル、全長八十五メートルの先の尖ったシリンダー状の金色に輝く物体がドックの中に鎮座している。プラズマエンジンらしき物を装備しているという事は、宇宙船のようだ。
「あたしは、ワームホールを開くための装備だと聞いていたけど、宇宙船だったの?」
慧はうなずく。
「宇宙船でもあるんだ。船首を見てくれ。時空穿孔機がついてるのが分かるかい?」
船首を見ると、確かにワームホールにエネルギーを注入する装置。時空穿孔機が、装備されているのが分かった。《楼蘭》で使ってるものより、ずっと小型だが。
「この船は、単独でワームホールを開く装備を搭載した工作船だよ。空間に穴を掘る船、時空穿孔船さ」
横から親父さんが、面白くなさそうに茶々を入れる。
「何が時空穿孔船だよ。このガラクタに使ったエキゾチック物質で、一万五千Rの時空管が十本は作れるんだぞ」
うわ! そりゃ親父さんも怒るはずだわ。
船首の方に、平仮名で《りげたねる》と船名らしきものが書かれている。
リゲタネル? どういう意味だろう?
あたしは携帯端末を取り出し、単語を打ち込んでみた。
これは!?
「なあ、美陽ちゃんよ。本当に、こいつを宇宙省が買い取ってくれるのか?」
幾島社長は心配そうに言う。
「ええ。あたしが見て使い物になるなら、長官は予算を組むと言ってました」
「しかしなあ、言っちゃなんだが、こいつは高いぞ。俺としても古巣の宇宙省には、便宜を図ってやりたいのは山々だが、幾島時空管の代表取締役としては、安売りして会社に損害を与えるわけにも行かないんだ」
「分かってます。だから、買い取りが無理な場合は、リースという事にしてもらえないでしょうか? 潰すのはその後でも」
「ううむ。今は時空管の注文が、ワンサカ来てるからな。使えるエキゾチック物質は、少しでも欲しいとこだが……まあ、他ならぬ美陽ちゃんの頼みだ」
社長は、慧の背中をドンと叩く。
「ちゃんと、美陽ちゃんに説明しとけよ。俺はもう本社に帰るからな」
「もうお帰りですか?」
「おお! もう少しゆっくりしたいところだが、俺も忙しい身でな」
幾島社長は出て行った。
あたしは、慧と二人だけで取り残される。
「ハア。死ぬかと思った」
慧は安堵の息をつく。
「馬鹿ねえ。なんでお父さんに本当のこと言わなかったのよ?」
「本当のこと?」
あたしは船を指差す。
「これを作った本当の理由」
「別に。ただの遊び心さ」
「じゃあリゲタネルってどういう意味?」
「マーシャル諸島の神話に出てくる女神の名前だよ」
「それは今。調べたわ」
あたしは携帯端末を見ながら朗読を始めた。
「あるとき、リゲタネルの息子達は星の世界の王を決めることになりました。息子達は舟の競争で勝った者が王になることに決めたのです。そのときに母のリゲタネルは息子達に自分と七つの道具と一緒に乗せてくれと頼みますが、舟が重くなるのを嫌った息子達は断ります。しかし、末っ子のジュプロは母の頼みを聞き入れ母と七つ道具を舟に乗せました」
慧は黙ってあたしの朗読を聞いている。
「競争が始まりましたが、ジュプロの舟は母の七つ道具を据え付けるのに時間がかかって出発できません。ところが母の指示したとおりに七つ道具を据え付けると、舟は漕いでもいないのに進みだしたのです」
「七つ道具というのは帆具の事なんだ。つまりこの神話は、帆走航海の始まりを伝えているんだよ」
慧はようやく口を開いた。
「今までのワームホールが手漕ぎの舟なら、この《リゲタネル》は帆掛け舟といったところかな。そういう意味で命名したんだよ」
「もう一つ意味があるわね。マーシャル諸島の人達がリゲタネルと呼ぶ星」
慧は無言であたしを見ている。
「ぎょしゃ座のカペラ」
カペラへのワームホールが圧壊したとき、慧のお母さんもむこうに取り残されてしまった。その後、幾島社長は慧を育てる事ができず、慧はあたしの母が引き取った。
つまり、あたしは慧と十年間、姉弟のように過ごしたのだ。
「これを作ったのはカペラへ行くためでしょ。なぜ、お父さんにそう言わないの?」
「それは……卑怯だからさ」
「卑怯?」
「親父は母さんや仲間達をカペラに置き去りにした事を今でも悔やんでいる」
「置き去りにしたわけじゃないわ。あれは事故よ」
「そんなこと分かってるさ。でも、それじゃ親父は納得できないんだよ。親父はあの事件を思い出す度に自分を責めるんだ」
「それは……」
「カペラへ行くため、母さんを探すためにこれを作った。そんな事言ったら、親父はもう何も言い返せなくなるんだ。そんな親父を見たくないんだよ」
「まあ……それは分かるけどね」
「それに、あまりぬか喜びもさせたくないしね」
「え?」
「《リゲタネル》は今までより効率よくワームホールを開くことができる。でも、どこにつながるか分からないところは、今までと変わらないんだ」
「なんだ。やっぱりそうなのか」
「美陽の方はどうなの?」
「え?」
「美陽だって、カペラに行きたいんだろ。行きたいから今の仕事に付いたんだろ」
「確かにね」
カペラの事故以降、無数のワームホールが開かれた。
だが、どれ一つとしてカペラ付近につながったワームホールはない。自分がワームホールを開く仕事をしていればいつかはカペラへの道が見付かる、なんて事も考えていたのは確かだ。
ところが実際は銀河の反対側や、アンドロメダ星雲にまでつながるワームホールもあるというのに、たった四十二・二光年先の星につながるワームホールがなぜか開かない。
「ところで、そろそろ説明してもらっていいかしら」
「そうだね。親父も帰ったことだし。先生! 出てきて下さい」
え? 先生って。
ギギキ。
《リゲタネル》のハッチが、ゆっくりと開き始めた。中から、誰か出てくる。
「もう、帰ったかい?」
ドイツ語? 七十代ぐらいの白衣を来た白人の爺さんが出てきた。
爺さんはボサボサの白髪頭をボリボリと掻く。
ウワー! フケをこぼすな!
「ちょっと誰よ? この人」
あたしは慧の耳に口を近づけて小声で言った。
「ハンス・ラインヘルガー教授だよ。《リゲタネル》の設計者さ」
「どこで知り合ったの?」
「大学で僕は教授の研究室にいたんだよ」
「じゃあ、慧の恩師ってわけ?」
「そうだよ」
「《リゲタネル》を設計したって言ったけど、まさかこの爺さんにそそのかされたんじゃないでしょうね?」
「違うよ。先生には僕の方から頼んで来てもらったんだから」
慧は否定するが怪しいものだ。
そもそも、このおとなしい草食系男子が自らの意思で、あの恐ろしい親父さんを怒らせるような事をするとは思えない。
きっとこの爺さんに何か良からぬことを吹き込まれたんだな。
「これこれ幾島君」
教授が手招きをしている。
「いつになったら、そこの美女を紹介してくれるんじゃ」
「すみません。先生。彼女は宇宙省の時空調査官、佐竹美陽さんです。僕の幼馴染です」
「幼馴染とはこういう事か?」
教授は右手の拳を前に出し小指を一本立てる。
「いえ、そういう関係ではないですけど」
慧は慌てて否定する。
「ふむ。違うのか」
教授はあたしの方を向いてイヤラシイ笑みを浮かべた。
「なあ、お嬢さん。ワシの愛人にならんか?」
「お断りします」
なんなのよ! このセクハラジジイは!
「そんな思いっきり嫌がらなくても、ジョークで言っただけなのにな」
ジョークでも言って良い事といけない事がある。
つーか、あんたの母国の方がそういう事に厳しいんじゃないのか。
まあ、ここは冷静になって。
「教授。《リゲタネル》の説明をそろそろお願いできますか?」
あたしは勤めて冷静に声を絞り出した。
「うむ。そうじゃった」
教授は不意に真顔になる。
「さて、現在使われているワームホールはジョン・ホイーラーの虫食い穴に膨大なエネルギーを注ぎ込んで開いている。そうやって開いた穴に筒状に成型したエキゾチック物質を差込み、ワームホールを安定させ、そうして初めて我々はエキゾチック物質の筒の中を通って何十光年、何万光年も離れた星へ一瞬して行くことができるのじゃ」
「はあ」
まあ、いつもやってることだから、今さらそんな事を説明されても……
「しかし、そのやり方は非常に効率が悪い。 そう思わんかね? お嬢さん」
ええっと、急にそんなことを言われても困るんですけど……
「さあ、特に効率が悪いとは……これが普通かなと……」
「やれやれ、現場の人間というのは、仕事に慣れてしまうと何の疑問も抱かんのだな」
悪かったわね。
「いいかね。ホイーラーの虫食い穴を人の通れるワームホールに広げるには、膨大なエネルギーが必要になる。そうなるとワームホールステーションは常に、エネルギーを確保できる場所に限定されてしまう。太陽の近くとか、月の大核核融合炉地帯とか、天然縮退炉惑星とか。お嬢さんの赴任先はどこじゃ?」
「《楼蘭》です」
「なるほど。ではなぜ《楼蘭》にワームホールステーションが作られたと思う?」
「なんでって、天然縮退炉があるから……」
「そうではない。月のワームホールステーションが満杯になり、他にステーションを作る必要があったからだ」
「そんな事わかりますよ。だからエネルギーの確保ができる《楼蘭》に……」
「エネルギーの確保ができんから、《楼蘭》のような遠隔地に作らざるを得なかったのじゃ」
なんか《楼蘭》が馬鹿にされてるみたいでムカつく。
「現在太陽系の天然縮退炉は《楼蘭》を含めて七つある。《楼蘭》はまだ良いほうだ。月のワームホールステーションから行けるからな。だから、お嬢さんはあまり不便さを感じないのかもしれないが、他のところは宇宙船で何日も何ヶ月もかかるようなところにある」
「はあ」
まったく何を言ってるんだか、この爺さんは。
宇宙船で何日もかかるようなところに、わざわざワームホールステーションを作るような奴らは、エネルギー問題というより他に理由があってやっているというのに。
国連の干渉を受けないで好き勝手に宇宙開発をやるには、交通の不便なところにワームホールステーションを作るのが一番。
国連の査察もそんな遠くまで簡単にこれないからね。
日本の宇宙省だって表向きは『国連に協力してますよ』って顔をして、実際は小惑星帯や土星の衛星に独自のワームホールステーションを持っている。
もちろんアメリカやユーロ、中国、ロシアも当然、独自のワームホールステーションを持っている。CFCのような私企業だって持っていると聞く。
そう言えば、前にニュースで東トロヤ小惑星群にあったロシアのワームホールステーションを、CFCの私設軍隊が襲撃したとかいう話を聞いたけどどうなったかな?
それはともかくとして。
「つまり、地球の近くにワームホールステーションがないのは不便だと言いたいのですか?」
「そういう事じゃ」
「でもそれなら発電所を増設すればいいだけではないですか? 現にラグランジュ3に、ワームホールステーションのための
「そして何年か過ぎると、その発電所の周囲はワームホールで飽和状態になる。そしてまた新しい発電所を作る。いたちごっこじゃ。そこでワシは考えた。時空穿孔機、エネルギー源、時空管を一つのシステムにまとめてしまえば、どこでも好きな場所にワームホールを開けるのではないかとな」
「一つにまとめる? それがこれですか?」
あたしは《リゲタネル》を指差す。
「そうじゃ。この船の船殻にはエキゾチック物質がふんだんに使われている。つまりこの船自体が動く時空管なわけじゃ」
なんつう贅沢な船!!
「そして、船首には時空穿孔機が装備されている。この時空穿孔機のビームでワームホールを開き、船ごとそこを通り抜けるという仕組みじゃ」
「通り抜けるんですか?」
「そうじゃ」
「通り抜けた後、ワームホールは閉じてしまいますけど、どうやって戻るんです?」
「心配無用じゃ。ワームホールを通り抜ける時に船尾からマーカーを残していくんじゃ。帰りはマーカーにビームを打ち込めばよいだけじゃ」
「そうですか。もう一つ大きな疑問があるんですが」
「なんじゃ?」
「エキゾチック物質を大量に使ってるんですよね。この船」
「そうじゃ」
「なんで浮かび上がらないんです? エキゾチック物質を使っているなら、地球の重力に逆らって飛び出していくと思いますが」
「よい質問じゃ。おっしゃるとおり、この船には大量のエキゾチック物質が使われておる。普通ならその斥力によって重力圏からはじき出されてしまうじゃろう。だが、この船にはそれと同じ量の通常物質も使われている。引力と斥力が、プラスマイナスゼロになっているのじゃ」
「はあ」
「まあ、乗り込む人間や荷物で多少は質量の増減はあるがな。他に質問はあるかね?」
「この船の時空穿孔機のエネルギー源はなんです」
「マイクロ・ブラックホールじゃ」
「じゃあ、この中にマイクロブラックホールが入っているんですか!?」
「そうじゃ。かなり小さな奴だが、この船のバラストの役割をしている」
「危ないじゃないですか!! マイクロブラックホールを地球上に持ち込むなんて!! 爆発したらこのあたり一帯跡形もなく吹っ飛びますよ」
「科学省の許可なら取ってあるよ」
さっきから黙っていた慧が、携帯端末に許可証を表示させてあたしに見せる。
「よく許可がおりたわね」
「こう見えても、僕はマイクロブラックホール取り扱い資格を持ってるから」
「そんな資格制度いつできたのよ?」
「美陽が《楼蘭》に行ってる間に」
たった三年の間にそんな資格制度ができたのか。ちょっとした浦島太郎の気分だわ。
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