第8話 破綻

 ロバートと俺は、元から兄弟みたいなもんだ。……本音を言うと、俺とアンの血が繋がっていた方が大問題だし……そこに関しては何とも思わない。


 だけど、ナタリーさんはそう言わなかった。

 俺に宛てた手紙でも、血の繋がりについて言及してきたのは「ローランド」の方だった。 ……正直、遺伝子の検査もしてるのに無理があるだろうと思っていたけど……まさか、そんな事情があったとは。


「……って、ことは……なんですか。ナタリーさんが、アンに『汚らわしい男の血を引いた、別のなにかだ』『恥知らずのアンダーソンの子』『私の腹に宿ったのは何かの間違い』って言ったのは……」

「妄想だ。……あの頃になると、事実と区別などつかなくなっていただろう」

「辻褄合わせのための妄想なんですよね。都合のいい筋書きを真実と思い込んだんですよね……!? じゃあなんですか、あの人はアンの身体をそこまで嫌ってたってことですか!?」


 脳裏に、愛する人を破壊した言葉が蘇る。


 ──お前が死ねば良かったんだ!


 ロジャーさんが死んだ後、ナタリーさんが実の娘にぶつけた言葉の凶器。


 ──ロッド……俺……そんなに……そんなに、要らない子だったの、かな……


 庭園の隅で声を潜め、嗚咽を漏らす彼女の手を、黙って握ることしかできなかった。

 悲鳴を上げ、壊れていく心に、俺はどれだけ寄り添うことができただろうか。


「ナタリーの苦悩が始まったのは、アンドレアを出産してからだ。疎ましく思っていたのは本音だったらしい」


 目の前の相手には、相変わらず表情がない。


 ああ、ああ、理解できるよ。立場として疎んでるとか表明しにくいしな。それでも自分の不幸の原因となりゃ、無理に愛すのもキツいと。その気持ちは分からなくもねぇよ。だけど、だけどよ、それであの人がどれだけ傷ついて、苦しんで、壊れていったか……俺はこの目で見てきたんだよ……!


「……そうか。お前はアンドレアに寄り添っているのだな」


 レイモンドは相変わらず淡白に語る。


「……いやぁ……どうでしょう。……寄り添えているかどうかは、分かりません」


 荒れる感情をどうにか押し殺して、俺は続ける。

 ……頭が冷えてくると、別の感傷が浮かんでくる。レイモンドが今、何を言いたかったのか……何となく、理解できる気がした。


「えっと……あなたがナタリーさんに寄り添えていれば、何か違ったのかと……そう、考えているんですか?」


 しわだらけの手を額の傷にやり、レイモンドは目を細めた。


「違っただろうな」


 淡々とした言葉に、淋しさが宿ったように感じたのは、


「アンドレアは……今、笑えているだろう。ナタリーと違ってな」


 俺の、気のせいだろうか。




 ***




 アンドレアは……今、笑えているだろう。ナタリーと違ってな。

 ……どうした。私は何か、不自然なことを語ったか?


 そうか。気にしなくていい、か。ならば続けよう。


 ロバートの誕生についてまで話したか。……そうなると、他に話すべきことはもう限られてくる。

 お前にもわかっているだろう。ロジャーの死について、そして……アンドレアの事故についてだ。


 4月の……あれは、3日だったか。

 ロジャーは階段から転落し、若くして死んだ。

 ナタリーは嘆き悲しみ、狂乱に呑み込まれた。そして……何を叫んだか、ロデリック、お前も覚えているだろう。


「……まあ……忘れられるような記憶じゃないんで」


 ロバートは忘れていたようだが。


「あいつはまだガキで、受け入れられなかったんです。あいつはあいつで、心を守ってたってことですよ」


 心を守る……か。必要なことだったのだろうな。

 私にはできなかったことだ。


「……それはまあ……終わったことなんで、アレですけど……」


 ともかくだ。続けよう。

 ロジャーの死を知った時……私は得体の知れない「何か」が腹の底から湧き上がるのを感じた。

 今思えば、あれこそが私の感情であり、魂の叫びだったのかもしれん。


 喉奥までせり上がった「それ」は、私が声を発する前に一瞬にして掻き消えた。


 しかし……なんと形容するべきか……「それ」は確かに作り上げた「私」を揺らがせ、導き出した言動をすべて否定した。

 気付いた時には遅かった。再び思考を巡らせて言葉を紡ぐには、「不自然」な間が生まれてしまっただろう。


 私は、人間なのだ。

 そう望まれている。

 そうでなくてはならない。

 人間らしく、自然に、その場にふさわしい「私」でなければならない。


 そうでなければ、


 私は、ミシェルのように、その弟のように、その息子のように、すべてを奪われ──


「黙れと言っているのがわからないのか!! わざわざ恥を晒すな!!」


 その言葉が口をついて出たのがなぜだったのか、私には分からない。ナタリーが何を言っていたのか、もはや覚えていない。

 ただ、その声音も、その内容も、何もかもが「父の言葉」と瓜二つだったことは理解できた。

 ……当時、既に父はこの世を去っていたと言うのにだ。




 それからもしばらく、私のすべきことは変わらなかった。

 変わったことと言えば、ナタリーが受け入れられるまでロジャーの死を隠すことに決めたぐらいか。

 いつものごとく自然に、人間らしい行動を推測し、「レイモンド・ハリス」としての人格を演じていればいいと……そう、考えていた。




 だが、事態はさらに変化していく。

 2年ほど経った時……アンドレアが事故に遭い、深い傷を負った。

 私はなんの躊躇いもなく輸血に自らの血を提供した。ナタリーは「血液型が違う」などと叫んでいたが、むしろ兄弟の中で、私と血液型が同じなのはアンドレアだけだった。

 ただただ冷静に対処する私に、医師は「ずいぶんと落ち着いていますね」と告げた。


 レックスともたびたび話をしたが、日に日に彼は痩せ細っていった。確か、アンダーソン家の方はドーラが殺され、お前とローザが家出をしていたのだったか。


「君……どうしたんだ?」


 レックスが怪訝そうに私に問うたのは、突然のことだった。

 何を間違えていたのか、今でも私には分からない。


「どうして……どうして、いつもと変わらないんだ」


 どうして、だと?

 いったい、何を変える必要があった。そして、どう変えなければならなかった?

 やはり「常に安定している」ことは、自然な振る舞いとは言えないらしい。だが……


「あなた、ローランドが……ローランドがそこにいるの! どうしよう……私のせい……? 私が殺してしまったから……!!」


 取り乱したナタリーの妄想を、その時ばかりは肯定できなかった。

 ナタリーが指さす先を見ても、何も見当たらないばかりか、ロバートまでもが同じ方向を見ていた。


「……私には何も見えないが」

「……え? 父さん見えないの……? 兄さん、帰ってきてくれたのに」


 ナタリーは頑なにアンドレアをローランドと呼んだが、そもそも彼女はまだ死んでいないし、ナタリーの妄想であるならばロバートにも見えるのはおかしい。

 周りが明らかに「不自然」に陥った場合、私が「自然」であることは……むしろ「不自然」になってしまうのだろうか。少なくとも、私の言動はナタリーとも、ロバートとも噛み合わなくなっていた。


 意識の戻らないアンドレアの病室は、そんな混乱の中でも静寂に支配されていた。

 そこでなら、私は周りに惑わされず、「自然」な自分を探ることができた。


「……父の役目は……子を守ることだ。それが『自然』といえるだろう」


 酷い傷を負ってはいたが、アンドレアは比較的治癒力が高い方だったらしい。……もし、「吸血鬼」の遺伝子が何らかの形で功を奏していたのなら……ミシェルの血を引いていることも、決して呪いとは言いきれまい。


「今は眠れ。……誰にもお前を傷つけさせはしない」


 青ざめた顔で眠り続けるアンドレアの表情は、ナタリーにも似ていたが……ミシェルにも、どこか似ていたように思う。




 その後は、お前も知っての通りだ。

 ロジャーの葬儀を執り行い、白骨化した死体を埋葬した。

 傷が治っても呼び掛けに応えないアンドレアをリヒターヴァルトに転院させ、療養させた。アンダーソン家の騒動には深入りせず、レックスとは今も疎遠になっている。


 ……10年が経った頃には、もうアンドレアは目覚めないものと考えていたのだがな。目を覚ましたかと思えばすぐにお前と婚約するとは、さすがに予想していなかった。

 私の知らないところで何かがあったと見るべきだが……それは、私が詮索することでもないだろう。




 ……さて、私の話はここで終わりだ。

 お前の知りたい情報があったかどうかは知らないが……最後まで聞いたからには、教えて欲しい。


 私の行動は、果たしてどこまで「自然」だったのだろうか?

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