第二章「聖姫タダシ王国に驚愕す」

第88話「豊かな港街シンクー」

 空を見上げるとカモメがたくさん飛んでいる。

 賑やかなカモメの鳴き声は、港が近い合図のようなものだ。


 船は滑るように国際貿易港であるシンクーの街へと入っていく。


「よーし到着! 聖姫アナスタシア様。ここがタダシ王国の最大の港街シンクーですニャー」

「良い港ですね」


 船着き場には大小様々な船が、止まっていてたくさんの倉庫が立ち並んでいる。

 まだ真新しい石畳の舗装道路の上を、慌ただしく船から荷降ろしする船員や商人たちが行き交っている。


 未だ建築途中の部分もあるが、それがかえって新しい港街の活気を感じさせる。


「ここは、ボクたち猫耳商会が一から創り出した街ニャア。我らが主、偉大なる商人賢者シンクー様の名前がついてるんですニャア」


 この時ばかりは、フレークも得意げに説明する。

 各地を放浪して商売を続けてきた猫耳商会の初めての本拠地なのだ。


「フレーク。私は姫様を案内しとくから、後は任せていいかニャー」


 クリスピー船長は、弟のフレークに目配せする。


「しょうがないニャア、荷降ろしの監督もろもろはボクがやっとくから、姫様はクリスピーねぇにお願いするニャア」

「ぐふふ、優秀な弟がいて嬉しいニャー。じゃあ、姫様一緒に街に繰り出すニャーよ!」


 港に付いたら付いたで、いろいろと雑事が多いのだ。

 しめしめ、これで面倒な仕事を弟にまかせてサボれるとクリスピー船長はほくそ笑んで、嬉しそうに猫の尻尾を揺らす。


 他のケットシーの船員達が「お頭だけズルいにゃー!」とぼやいているが、聖姫アナスタシアはタダシ王国にとっても大事な来賓だ。

 その歓待は、この集団のリーダーであるクリスピー船長がまずやるべき仕事であると言えるだろう。


 堂々と仕事がサボれると嬉しそうに案内するクリスピー船長。

 その先導で桟橋に降り立った聖姫は、綺麗な石畳の道を歩いて街の広場へとやってくる。


「たくさんのお店があるんですね」

「最近になって、どんどん新しい飲食店ができて賑やかになってきてるニャー」


 やはり、港街の楽しみといえばまずは酒場や食堂だろう。

 もちろん、それ以外の建物もたくさんある。


 様々な商品が立ち並ぶ市場や日用品を作る鍛冶屋、芸人達がパフォーマンスを繰り広げる劇場、タダシ王が普及を進めている公衆浴場などもある。

 すでに人口一万人を超える街だ。


 治安を守る衛視の詰め所に役場や学校、病院などの公共施設まで揃っている。


「礼拝堂もあるのですね」


 聖姫であるアナスタシアは、教会が気になってしまう。


「もちろんニャー。我々ケットシーは、敬虔な知恵の神ミヤ様の信徒ニャー」


 一度海に出れば風まかせの船乗りは、こう見えて信心深い。

 いろんな神を信仰する種族が住んでいるが、その神様の数だけちゃんと祈りの場が用意されているという。


「それは大変素晴らしいことですね」


 街を歩いているのも、普通に人族と獣人たちだけだ。

 邪悪な魔族が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする国と聞いていたので、なんだか拍子抜けしてしまう。


「でも今はお祈りより、先にご飯を食べにいくニャーよ」


 船旅ではろくな食事ができないため、港についての楽しみはまず一にも二にもご飯だ。

 そこに突然、声を上げて灰色の長い髪の狼獣人ワーウルフの女性が駆け寄ってくる。


「聖姫様! 聖姫アナスタシア様ではありませんか!」


 ガバっと跪いた女性に、聖姫アナスタシアがキョトンとした顔で答える。


「あら、あなたはルナではないですか。まさか、こんなところで会うとは……」

「どちら様ニャー?」


 クリスピー船長は、ビクッと肩を震わせて警戒した様子で、尻尾をぶんぶん左右に振っている。

 どうも嫌な感じがする。


 同じタダシ王国に移民として来た獣人だ。

 差別するつもりはないのだが、小柄で可愛い猫妖精ケットシーは鋭い爪と牙を持つ犬系の獣人がどうも苦手なのだ。


「ああ、この人はルナといって聖王国の難民キャンプで知り合った者です。こう見えて、千人を超える月狼族の族長なのですよ」

「なるほど、狼獣人ワーウルフの部族かニャー」


 まだルナという引き締まった身体の狼獣人ワーウルフは年若いが、そう言えば島獣人の勇者エリンも同じように若かった。

 この厳しい時代、一族を率いる長の血筋が少女しかいなくなるということはそういうことなのだろうとすぐ察した。


 特に人族の多い国では、蔑視されがちな獣人であればなおのこと。

 灰色に濁った凶暴そうな瞳も、猛々しい表情も、その厳しい境遇を思えば当然のことだろう。


 クリスピー船長は、少し同情した。


「あの時は、お助けいただきありがとうございました。おかげで、いまだに命永らえております」


 聖姫アナスタシアがルナと呼んだ狼獣人ワーウルフの女性は、灰色の瞳をつぶって深々と頭を下げた。

 見た目はちょっと怖いが、とても礼儀正しい。


 聖姫アナスタシアと知り合いのようだし、どうやら本当に怪しい者ではないようだ。

 クリスピー船長も、ようやく警戒を解く。


「それで、ルナはどうしてタダシ王国に来たのですか」

「はい、ちょっとしたツテがあって、私を含めた数人だけがこちらへの船便に乗ることができたのです。我々は、常に生きられる土地を探しております」


「そうでしたね」


 月狼族の悲惨な境遇は、聖姫アナスタシアも知るところである。


「タダシ王国に来て、移民の暮らしの良さに驚きました。そうだ、聖姫様も一緒にこられませんか。あそこの店が、私たちが今やっている料理店『月狼亭』なのです」


 そう言ってルナが指差すので、この地での月狼族の暮らしぶりを確かめたいと思った聖姫アナスタシアは、付いて行くことにした。


     ※※※


 お昼時のせいか客がひっきりなしに出入りする賑やかな店に入り席に付くと、ルナがオススメしてきたキツネうどんという食べ物を注文する。

 店長であるルナ以外は、みんな狼獣人ワーウルフの男性のようであった。


「はい、キツネうどん二つ」


 大柄な狼獣人ワーウルフの料理人が、さっと麺を茹でてテキパキと調理すると、ルナが「熱いから注意してください」と湯気を立てたどんぶりを運んでくる。

 聖姫アナスタシアは、狼獣人ワーウルフが作るのにキツネうどんとは面白い名前だなと思いつつ、一口食べて驚く。


「美味しい!」


 見た目以上に大変美味しいものであった。

 小麦粉を練って作られた麺は口当たり良く、汁の風味とよくあっている。


 美味しい汁をよく吸ったお揚げが、またたまらない。

 船で保存食の乾パンばかり食べていた聖姫アナスタシアは、思いもかけない美味しさに舌鼓を打った。


「港に戻るたびに新しい食べ物ができてるニャー。アツッ!」


 やはり猫舌なのか猫妖精ケットシーのクリスピー船長は、うどんを必死にフーフーして食べている。


「とても美味しかったです。ルナ、これは一杯いくらくらいするものなのですか?」

「お二人で銅貨十枚になります」


「あの、市場調査も兼ねておりますから気兼ねなら止めて欲しいのですが……」


 タダシ王国の民がどのような暮らしをしているのかを調査するのも、聖姫アナスタシアがやってきた目的なのだ。


「いえ、本当にそれは一杯で銅貨五枚なんですよ。二杯で銅貨十枚です」


 とても信じがたい話だ。

 聖姫アナスタシアは、北の帝国に行った時にラーメンというこのうどんと似たような麺を食べたことがあるが、一杯で金貨一枚はした。


 その日暮らしの庶民にはとうてい手の出るものではなく、貴族かお金持ちでなければ口にできない高級料理であった。

 それと同じように手の込んだ料理が、その二百分の一の銅貨五枚とは……。


「あまりにも安いです! こんなに豪華で珍しい料理が、本当にそんな値段なのですか?」

「うどんは、この国はすでに珍しくない庶民料理ですよ。材料が安くて、本当にタダみたいな値段ですからこれでも儲けが出るんです」


「いくら材料費が安いといっても、街の大通りにこんなに立派なお店をかまえているのですから大層な元手がいったでしょう」

「それも全て無料で貸していただけるんです」


「ええっ! そんなことがありえるんですか!」


 驚きすぎて開いた口が塞がらない聖姫アナスタシアに、クリスピー船長が教える。


「まー、この港では常に労働力が不足してるから、真面目に働いてくれそうなら店くらい任せるニャーよ」


 店を建てる木材から料理の原材料まですべて国王であるタダシが創り出すので、街の役所が移民にお店を任せて経営させても損がないそうだ。

 むしろわざとそうさせるのは、法外な値段を付けないように街を運営する猫耳商会が監視するためでもある。


「まるで、夢みたいな話ですね……」

「それもこれも、農業神の加護☆☆☆☆☆☆☆セブンスターを持ってるタダシ陛下がいるからニャー」


 農業の神クロノスは、実り豊かな農業大国である聖王国ですら軽視されがちな神だ。

 本来であれば農業こそが国の礎となるのに……。


 タダシ王は、驕り高ぶる聖王国が忘れてしまった物を持っている人物かもしれない。

 聖姫アナスタシアにはそんな予感がしている。


「様々な噂を聞いてここまで来ましたが、そんな不思議な力を持つ国王が本当にいるんですね」


 調理を担当していた大柄な狼獣人ワーウルフが店の奥から身を乗り出すようにして言う。


「聖姫様、聞いてくださいよ。このうどんという料理も、タダシ陛下の奥方様が作り方を教えてくださったものなのですよ!」

「まあ、新参の移民である狼獣人ワーウルフにそこまでしてくれるものなのですか」


 聖姫アナスタシアにとって、信じがたい話の連続だ。


「その奥様というのが、マール殿下と言って犬獣人の料理人なんですよ。やる気のある料理人ならば誰にでも教えると言われて、とても気さくで良い方で感動しました」


 嬉しそうに言う狼獣人ワーウルフの料理人。

 しかし、聖姫アナスタシアは人族の王族が、獣人を妻にしているということの方に驚いた。


 それは、種族的な偏見がまったくないということだ。

 一体どんな偉大な人物なのか、にわかに想像することすらできない。


「クリスピーさん。私はタダシ国王とお会いしたいと思うのですが、なんとかならないでしょうか」

「それは、こちらの方からお願いしようと思ってたニャー。聖姫様は、大事なお客さんニャー。きっとタダシ王も会いたがると思うニャー」


 いよいよ噂のタダシ王に会える。

 聖姫アナスタシアは、期待に胸を踊らせるのだった。

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