第87話「蠢動」
大宰相たちが政務を取る豪華な一室は、宮廷の楽師たちが演奏をして廷臣を楽しませるため
美しい音楽に耳を傾けて、政務の合間に白磁のティーカップでお茶を嗜むのが大宰相リシューの楽しみである。
そこに、腹心のグハンが漆黒の僧衣をなびかせながら転がるようにして入ってきた。
「リシュー様!」
「なんですか。騒々しい」
「件の船を襲わせた八隻、すべて撃沈されました」
リシューが机に叩きつけた白磁のティーカップが、ガシャンと音を立てて砕け散る。
その様子に驚いた楽師たちが演奏の手を止めて、華やかな調べが消える。
「コップが割れてしまった」
「ひぃ! 直ちに片付けます!」
メイドが割れたティーカップを片付ける。
大宰相リシューがさっと目配せすると、楽師達がいそいそと退出していく。
メイドも大慌てで片付けを終えると、部屋から退出した。
跪いた枢機卿グハンとそれを見下ろす大宰相リシュー、数少ない廷臣と重い沈黙だけが残される。
沈黙を破って、リシューが言う。
「全艦撃沈と聞いた。詳しい事情を聞かせよ」
「も、申し訳ございません」
謝るグハンに、リシューは不機嫌そうに机を指で叩いて言う。
「謝罪はいい。聞かせよ!」
「ハッ!」
海のならず者を雇い、海賊船に扮して聖姫アナスタシアが乗った猫耳商会のガレオン船を襲わせた。
その結果、挟み撃ちにしようと近づいたガレアス船三隻に聖王国最新鋭のフリゲート艦五隻が各個撃破されてまたたく間に全滅。
「
「それなのですが、猫耳商会の船には摩訶不思議な大砲が多数積まれておりまして、接舷する前に全て沈没させられました」
「しかし、貸し与えたフリゲート艦にも大砲は積まれていたはずだが?」
「雇ったならず者どもは、それを接舷攻撃のサポートする武器としか考えていなかったようで……」
大砲を補助武器としか考えていなかった海賊船は大砲を船首に配備していた。
それに対し、猫耳商船は船の横に広く配置して激しい砲撃で敵を寄せ付けなかった。
弾丸の飛距離の違いだけでなく、点と面の違いで圧倒的な差ができてしまったようだ。
「船だけをみて、格下の商船一隻だと思い侮ったか。やはり、クズはクズか。使えんな」
「敵も大砲を持っているとは何度も伝えたのですが……」
激しい砲撃を前に何の策もなく攻撃すれば、それは大敗もしよう。
しかし、この敗北は戦術思考の違いとも思える。
北の帝国に独占されていた大砲の技術が近隣国にも伝わり、近頃の海戦は接舷戦法から砲撃戦に移ったと言われる。
「すでに、タダシ王国の海軍も帝国レベルの海軍力を持つということか。ぐぬぬ」
頭痛を覚えたのか額に手を当てて不機嫌そうに唸り声を上げるリシューに、グハンは床に頭を擦り付けるようにして謝罪する。
「この度の敗戦、弁解のしようもございません!」
「……それで、聖王国のしわざとはバレてないのだな?」
「はい、それはもちろん。岸に流れ着いた海賊どもも、全て捕らえております」
詳しい情報を収集しだい、全員斬首すると言う。
それにようやく満足したリシューは、深い溜め息を一度吐くと頭を切り替えた。
「ならば始末の手間が省けたというものだ。切り捨ててもいい雇兵であったのは、不幸中の幸いだ。船はまた作ればいい」
聖王国は、世界有数の大国。
その生産力を持ってすれば、船の八隻程度は致命的な打撃とはならない。
「しかし、手痛い打撃です」
「それもな、戦争する前に敵の力が知れてよかったと思うことにしよう。たった一隻に八隻が沈められるならば、聖王国の海軍だけでは勝てん」
「……はい。否定し難い事実です」
「現状を正しく認識することが大切だ。一筋縄ではいかないなら、更に入念なる準備をして次の手を打てばよいだけだ」
「なにか、対策はありましょうか」
「次の手ならば準備してある。タダシ王国の内部に、すでに手のものを忍び込ませつつある」
全ての難民を受け入れる優しさは、防諜では仇となる。
聖王国のような冷徹な手が打てないのは、タダシ王国の弱点といえた。
「なるほど、すでに動かれていたとはさすがはリシュー様」
「世辞はいい。悪い予感はしていたのだ。相手は創造神の化身ともいわれている聖姫。天運とやらが味方しているに違いない」
「さようですね」
「だがな、その運もいつかは尽きる。なんとしても、タダシ王国にいる間に始末するのだ」
「ハハッ、こうなれば私の部下を使ってでも、いや私自らが動いてでも必ずや始末してご覧に入れます」
グハン麾下には、暗殺や諜報に長けたものもいる。
それら教会の暗部は、リシューの権力の大きな助けとなっている。
「それは頼もしい、次こそは汚名返上を期待しているぞ」
「ハッ!」
話は終わりだとリシューが手を叩くと、メイドが新しい紅茶を運んでくる。
入室してきた楽師達もまた演奏を再開して、リシュー達は再びあでやかな楽師の調べに耳を楽しませるのであった。
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