第一章 元勇者は一人では眠れない 5

 屋敷から飛び出したシオンの目に飛び込んできたのは──破壊された庭園だった。

 色とりどりのが飾られていた花壁は引き裂かれ、敷き詰められた石畳は大きく陥没し、屋敷の外壁の一部にも亀裂が入っている。

 まるで、巨大なやいばで何度も切り付けられたかのような──

「なんだ、これは……?」

 さんたんたる光景に、シオンはがくぜんつぶやく。

「だいじょぶ、シー様!?」

「ご無事ですか、おかた様!?」

 フェイナとナギが駆け寄ってくる。アルシェラとイブリスも、シオンの後に続いて外に出て、荒れ果てた庭園に絶句した。

「──なんだぁ? ここには、色っぽい姉ちゃんとガキしかいねえのか?」

 嘲るような声。

 庭園の向こうに、荒々しい風貌の男が立っていた。

 ボサボサの髪としようひげ。年は30そこそこと思われる。身にまとうのは血や土の汚れが目立つ衣服。背負っている剣には、さや代わりの布が巻かれていた。

 薄汚いかつこうの男だが──しかし腕や首には、金色に輝く装飾品がある。ジャラジャラと身に着けた首輪や腕輪は、一目で高級品とわかる。

 いや──一目で盗品とわかる、と言った方が正確かもしれない。

「俺の名はガーレル・ゲア。ちったあ名の知れた盗賊だ」

 こちらが尋ねるよりも早く、男は自分から得意げに名乗った。

(やはり、か)

 シオンに驚きは少ない。

 身なりから予想はついていた。

 ガーレル・ゲア。

 今朝読んだ新聞で、記事になっていた男だ。

 粗野なかつこうにはまるで似合わない金銀の装飾品は、一週間前に宮殿の宝物庫から盗んできたものなのだろう。

「盗賊風情が、この屋敷になんの用だ?」

「はっ。ガキと話すことはねえよ。とっととパパを呼んできてくれねえか、お坊ちゃん?」

 鼻で笑うガーレルに、シオンはムッと顔をしかめた。

あいにく……パパなんてものはいない。僕がこの屋敷の主人だ」

「はあ? おいおい、冗談はよせよ、クソガキ」

 肩をすくめるガーレル。

 しかしシオンや、他のメイド達の雰囲気から察したのか、

「……マジかよ。どこの金持ち坊ちゃまなんだ、お前は? 美人なお姉ちゃんをはべらせて、羨ましいねえ」

 と、下品な笑みを浮かべて言った。

 シオンは相手をにらみつける。

「ガーレル・ゲア。お前は宮殿に侵入し、盗みを働いてきたそうだな」

「ほう。こんな片田舎までもう情報が伝わってたか」

「『』という盗賊団の筆頭と聞くが、他の仲間はどうした?」

「ああ──殺しちまったよ」

 平然と、ガーレルは言った。シオンは眉をひそめる。

「殺した……? お前が、か?」

「ああ。全員な」

「なぜだ? 盗賊とは言え、仲間ではなかったのか?」

「仲間だったよ。気のいいやつらだった。でも、報酬の分け前でめちまってな。面倒だから全員殺しちまった」

 悪びれもせず、恥ずかしげもなく、むしろ誇らしげに語るガーレルに、シオンは怒りにも似た不愉快さを抱いた。

「っと、俺の話なんざどうでもいいんだよ。おい、クソガキ。命が惜しけりゃ、持ってる金と財宝を全部出しな」

「悪いが、この屋敷に大したものはない」

「とぼけんなよ。こっちには情報が入ってんだ。ここの屋敷に、たんまりと財宝がめこんであるってな」

 それは、やけに確信めいた口調だった。

(……宮殿の誰かが口を割ったのか? あるいは、極秘記録でも盗み見たのか……?)

 シオンの存在は、この国にをおける重大な機密事項だ。

 しかし機密であるということは──知っている者は知っている、ということだ。

 口止め料としてどれだけの金額を支払ったかという記録は残っているだろうし、今の住処すみかも把握しているだろう。シオンを追い出した王族達は、きっと誰よりも元勇者を恐れているだろうから。

(さっきまでの口ぶりから察するに、僕の正体までは知らないようだ。ただ、僕が王室から受け取った財産だけを知っている……ならば、考えられるのは──)

「おい、どうしたんだ、クソガキ。黙ってんじゃねえよ」

「……ふん。いずれにしても、貴様のような賊に渡す金はない」

「はっ。ずいぶんと偉そうなガキだぜ。お前らも大変だな。こんなこまっしゃくれたクソガキのお守りをしなきゃならねえなんてよ」

 嘲笑を浮かべながら、ガーレルはメイド達へと視線を移した。一人一人、品定めするように眺めて舌なめずりをする。

「へへ。上玉ぞろいじゃねえか。どうだい、お姉ちゃん達。こんなガキじゃなくて、俺のメイドになってくれよ。ガキが相手じゃお前らだって満足できねえだろ? 俺なら夜の方だって満足させてやれるぜ? ヒィヒィ言わせてやるよ」

「お断りいたします」

 まっさきに答えたのはアルシェラだった。にこやかに微笑ほほえんでいるが、しかし瞳は、道端のゴミを見るかのように無感情だった。

「私がこの身をささげるあるじは、シオン様ただ一人。あなたのようなに仕えるなど、天地がひっくり返ってもありえません」

「はいはーい、右に同じぃ」

「まあ、ありえねえな」

「同じく」

 フェイナ、イブリス、ナギも、同様に強い拒絶を示した。

「がははっ。ああ、そうかよ。ずいぶんとそのちびっこにご執心のようだな」

 にべなく拒絶されたというのに、ガーレルの表情に怒りはなく、ただ余裕だけがあった。シオン達を単なる子供とメイドと見下しているからこその余裕なのか。

 それとも、なにか奥の手があるからなのか。

「だったらよぉ──」

 口の端に笑みを刻んだまま、背中の剣に手を伸ばした。

 つかを握り締め、薄汚い布が巻かれた剣を構える。

「──そのチビが死んだら俺に仕えてくれるかい?」

 ゆっくりと剣を振りかぶる。するとわずかに布がまくれて、つばの装飾や刀身の紋様があらわとなった。

 瞬間──シオンは目を見開く。

(バ、バカな!)

 心臓が跳ね上がる。

 動揺が顔に出てしまう。

(あの剣を……なぜこの男が持っている!?)

 油断、と言えば油断だったのだろう。

 たかが盗賊と侮っていた。

 魔王を倒した自分が、盗賊程度に後れを取るはずがないと、高をくくっていた。

 それゆえに──失念していた。

 ロガーナ王国の宝物庫に、なにが保管されていたかを。

 だが、信じられない。

 幾重にも結界が張り巡らされている宝物庫の奥で、最も厳重に保管されていたはずのアレが、まさか盗賊程度に盗まれるなんて。

「『聖剣メルトール』……!」

 シオンがつぶやいた瞬間には──もう剣は振られていた。

 それはつまり、終わりを意味する。

 ガーレルはただ、聖剣を空振りしただけ。横に払っただけ。シオンとの距離は民家二軒分ほどあったにもかかわらず、ただその場で剣を振った。

 空を切り、空間を切った。

「しまっ──」

 回避も防御も間に合わない。

 次の瞬間には。

 いつせん

 そして、一線。

 シオンの首が──ねられた。

 細い首に入った一本の線により、頭部と胴がれいに分かたれた。

 切断面からは大量の血液が噴き出し、小さな頭部は地面を転がる。

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