だって、あなたは誰かにとってこの世で一番大切な人

嶋田覚蔵

第1話 見送られた人の想い

「トン、ト、トン。トン、ト、トン」

 夜の8時過ぎ、重く響くような足音が、2階の子供部屋から聞こえた。

 子供が部屋に居るはずはなく、最初、佐藤さん夫婦は「泥棒が来た」と考えたという。

 それで、ふたりは急いで2階へ駆けあがった。旦那さんが先頭に立ち、奥さんは子供が生前使っていた野球バットを構えて、夫の後ろに隠れていた。

 旦那さんが恐る恐る、子供部屋を覗いてみる。

 街灯の明かりが窓から差し込んでいた。その灯りで部屋の中を見渡すが誰も居ない。そして誰も居ない証拠に、部屋のドアを開けた瞬間、部屋の中にこもっていた、長く使っていない部屋独特の冷たくて湿った空気が旦那さんの頬を撫でたという。

 念のため、部屋の明かりをつけて、子供が使っていた学習机の下とか、押し入れの中とかを見てみたけれど、やはり誰も隠れていなかった。

 子供が交通事故で死んでから2年経っていた。部屋は子供が生きていた時のまま残してあった。今でも子供が死んだことを認めたくない佐藤さん夫婦は、子供部屋を片付ける気になれなかったのだ。

 2年経っても、子供部屋は亡くなった子供の香りがした。部屋に張ってあるヒーロー戦隊のポスターも、部屋の棚に飾られたプラモデルもいつもの通りだった。

 何かの拍子に物が落ちて、足音のように聞こえたというわけではなさそうだ。

 窓は完全に閉められ、鍵もしっかり掛かっている。

「おかしいね」

 旦那さんがひとり言をつぶやくように言った。背後の奥さんは「うん、うん」と大きく頷いて返した。

「誰か居ますか」

「ヒロくん、居るの」

 旦那さんが試しに、声に出して聞いてみた。もしかしたら、息子が帰って来たのかもしれないと思ったからだ。

 部屋は静まり返っていた。何も答えはなかった。

 夫婦は首を傾げながら、1階の居間に戻った。旦那さんは落胆して、いつものソファの上に身を投げ出した。奥さんは、声も出さずに泣いていた。

 最近は、少しの時間だけ、子供のことが頭から離れることがあった。事故直後はまるっきり、子供のことばかり考えて、何も手につかなかった。

 事故のショックは相当なものだった。

 旦那さんは涙が止まらなくて仕事を何日も休んだ。

 奥さんは言葉が口から出なくなるほど思い悩んだ。

 もし息子に、「信号が青になっても、横断歩道を渡る時は、ちゃんと左右を確認して、クルマに注意しないといけないよ」と、もっと注意していれば、事故に遭わずにすんだかもしれない。

 あの日、学校へ出かける息子をもう少し長く抱きしめていたら、事故に遭わなかったはず。

 いろんな思いが、佐藤さん夫婦の胸をしめつけた。

 2年経って、最近やっと少し、ふたりとも落ちついてきた。そんな時のことだった。

 また、地獄の日々が蘇るのかと怖くなった。

 その日から数日は何事もなく過ぎた。ところが、夫婦の気が緩んできた頃、また2階の子供部屋から、「トン、ト、トン。トン、ト、トン」と足音が聞こえた。

 夫婦はまた、2階へ駆けあがるのだけれど、何も見つけることはできなかった。

 そんなことが何度か繰り返された。夫婦は弱り果て、町の神社に相談に来た。

 そしての事件の解決を、私が父から命じられたのだ。

 私は、町の神社の娘で、その頃は巫女というか、雑用係を押し付けられていた。

 家は、小さな田舎町にしては。由緒ある大きな神社だった。そして昔、いわゆる「事故物件」と呼ばれる賃貸住宅をお祓いして、住んでいた家族の悩みを取り除いてあげたことが評判となり、何かと奇妙な事件が起こると、相談を持ち掛けられるようになっていた。

 それ以来、あまりにもそういう相談が多いので、普段は数百円程度のお札を貼っておくように勧めて、それで済ませていた。

 実際、それでたいていの怪事は解決した。しかしたまには、お札だけではすまなかったり、相手が町の有力者だった場合は、簡単に済ませるわけにもいかないので、神職の者が出向くこともある。

 佐藤さんは大地主で、地元の有力者のひとりだった。だから恩を売っておいた方が何かと今後の役に立つのだろう。出向いてお祓いをすることになった。

 ところが、それならば神主である父が行けば良さそうなものだ。なのに父は私に「行って来なさい」と言いつけた。

 私は、不満だった。どんなに恐ろしい霊がいるのかもしれない。そしてどんなに恐ろしい霊障が、この身に降りかかってくるかもしれないのだ。私はそんな得体のしれないものから、身を守る術をまだ教えてもらっていない。

 明らかに父の命令は理不尽なものだ。

 ところが父は、「行ってみれば、何をすべきか自然と分かるから」としか言わない。

 父は頑固で、言い出したら絶対に曲げない。母に泣きついても、どうせ母は父の言いなりだ。

 仕方がないからその翌日、私は巫女装束を着て、夜の7時過ぎに佐藤さんの家へ向かうことにした。

 それは、10月の頃だった。いつもより大きな半月が、南東の空に輝いていた。すすきの原がサワサワと騒ぎ、どこかで犬が寂しげな遠吠えをした。ひどく不気味な夜だった。


 佐藤さん夫婦は優しくて、「絢子(あやこ)ちゃん、久しぶりに会ったけど、ずいぶん美人になったね」とか、「ほんとに肌が白くて、綺麗だこと」なんてお世辞を言って、カチカチに固まっていた私の心をほぐしてくれた。

 そこまでお世辞を言ってもらって「やっぱり怖いから帰ります」なんて絶対に言えない。

 私は覚悟して2階にある子供部屋に向かった。

 旧家らしい立派な階段が、踏みしめる度に妙な音をたてる。階段をのぼっているのは私ひとり。佐藤さん夫婦はついて来てくれない。

 子供部屋のドアを恐る恐る開けて、逃げやすいようにゴミ箱でドアを押さえて全開にした。少しでも怖さが弱まるように、部屋の照明を点けた。

「あぁ」と言葉が口からもれてしまう。

 子供が学習机の横にうずくまっているのが見える。いわゆる体育座りの姿勢だ。

 顔を膝に押し当てているので分からないけれど、おそらくヒロくんに間違いないだろう。

 ヒロくんはメソメソ泣いているようだ。


 私は霊を見ることができる。ただ困ったことに、霊は普通の人と変わらない、生きている人と同じような姿で見えるのだ。私が見る霊はいつも、頭から血を流していたり、足がなかったりといった特別な見た目ではない。そのせいで、普段は霊を見ても、幸か不幸か、それが霊だと気づかないことが多い。今回は、状況が状況なだけに、見ているのがヒロくんの霊だと気がつくだけだ。

 以前こんな事があった。通学の途中、私は見知らぬ人から道を尋ねられた。それでできる限りていねいに、その場所を教えてあげた。その時なぜか、周囲が変な反応だった。そして後になって私は友達から言われたのだ。

「絢子。道の真ん中で、ひとりで一生懸命しゃべっていたらしいじゃない。みんな気持ち悪がっていたよ」

 そうなのだ。私が道を教えていたのは霊だったのだ。そして霊は私以外には見えないし、霊が誰かに話しかけても、その声は私以外の誰にも届かないのだと、その時初めて気がついた。

 私が見ているヒロくんの霊も、一見、普通の小学生となんら変わらない。ただ死んだ人なだけあって、どうしてもどこか現実とズレがある。もう10月だというのに、ヒロくんの霊は半そでのポロシャツと半ズボンという、通っていた小学校の夏用の制服姿だった。しかも部屋の中なのに、白いカバーを付けた学生帽をきちんと被っているのも妙な感じだ。足下を見ると靴もしっかり履いている。そういえばヒロくんが交通事故に遭ったのは、夏の登校時のことだったと、私はその時思い出した。

 私はできるだけ優しい声で語りかけた。

「ヒロくん、なぜそんなに泣いているの」


 私とヒロくんは顔なじみだった。それは佐藤さんのお婆ちゃんがまだ生きていた頃のこと。お婆ちゃんは必ず一日(ついたち)参りに、4~5歳のヒロくんを連れてやって来た。私は父の言いつけで小学生の時から、毎朝6時から7時までは境内の掃き掃除をすることを命じられていたので、ヒロくんとはその時に出会っていたのだ。

 ヒロくんはその頃からとっても素直な良い子だった。お婆ちゃんに手を引かれ、神社の急な石段を、一生懸命上って来る姿が可愛らしくて、今でも鮮烈に覚えている。


 私に問われて、ヒロくんは膝に押し当てていた顔を上げた。その顔は、まだあどけない小学生の顔そのものだった。

「絢子おねぇちゃん。あのね、パパとママにね。『僕のことであんまり泣かないで』って伝えて欲しいんだ。そして『死んじゃってゴメンネ。パパとママの言いつけをちゃんと守って、もっと注意して横断歩道を渡っていれば、こんなことにならなかったのに』って、ボクは本当に反省しているよ。そして悪いのはボクなんだから、『あんまりパパとママが、泣かないで』って。『見守っているボクが辛くなるから、もう止めてね』って伝えて欲しいの。何度かボクはパパとママに話しかけてみたけれど、うまく伝わらないみたいなんだ。絢子おねぇちゃん。代わりに伝えてよ。お願いだよ」

 ヒロくんのまつ毛は、男の子なのにとても長くて、そこに涙が溜まるから、キラキラ光って輝いて見える。

 私は返事をする代わりに、ヒロくんの頭を優しく撫でてあげた。すると気恥ずかしそうに、ヒロくんは、はにかんだ笑顔を浮かべた。

 私はヒロくんに尋ねてみた。

「ヒロくんのパパとママがね。この間、『トン、ト、トン』って足音が聞こえたのをとても気にしているの。それはヒロくんが立てた足音だったの」

 ヒロくんは、「うん、うん」と大きくうなずいた。

「だってボク、とってもうれしかったんだ。ボクが死んじゃってから、パパとママは泣いていたり、ため息ついたり、ずっととっても苦しそうだったの。それがこの間、夕飯の後、リビングでテレビを見ていたパパとママが、久しぶりに大きな声で笑ったの。その笑い声がここまで聞こえてきて、ボクはうれしくてついつい身体が踊りだしちゃって、それで『トン、ト、トン』って足音がしたんだと思う」

 私はそっとヒロくんを抱きしめた。なんて優しい子なのだろう。この優しい心が両親に伝わっていないとは、なんという悲劇だろう。

 私は、「これからはヒロくんのために、もっと笑うようにパパとママには伝えておくからね」と言って、ヒロくんの頭をまた撫でてあげた。

 ヒロくんはもう泣いていなかった。満面の笑顔で私に微笑んでくれていた。


 それからずいぶんと月日は流れた。もう佐藤さんの家の子供部屋から、妙な足音が聞こえてくることはなくなった。それでも佐藤さん夫婦は、何かというとよく笑う、明るい夫婦として、町の人たちに今でも愛されている。


 私は、「みんな、ちゃんと見守られている」と、思っている。

 人はひとりでなんて、生きていない。どんなに孤独な人でも、きっと。

 例えば、私も守られている。

 あれは私の高校受験の、合格発表がある日のことだった。

 朝、緊張でいつもより早く目が覚めた。それでお茶の間を覗いてみると、私たちが「おばあさま」と呼んでいる曾祖母がもう起きていて、いつものように正座して、「おこた」にあたっていた。曾祖母は家族の中で、いつも一番早く起きる。早く起きて、一番の仕事は、お湯を沸かして、お茶の準備をすること。そして神棚のお灯明をともし、お水を新しいものに取り替えて、お参りをする。もうすでに曾祖母は、それらを終えて、こたつでお茶を飲んでいた。

 そして私の顔を見るなり、

「絢子、高校合格おめでとう」とにっこり笑ってそう言った。

「どういうことだろう」

 私の頭の中は混乱した。高校の合格発表は、今日の昼12時から、受験した高校の校庭で行われることになっている。それなのになぜ曾祖母は、こんなに確信を持って私に「合格おめでとう」と言えるのだろう。

 曾祖母は町の有力者だから、高校の関係者の誰かが、規則違反をして合格したのを教えてくれたのかもしれない。一瞬そう思った。けれどもそんなことはあり得なかった。時計を見ると、今はまだ朝の5時30分。こんな時間にいくらおめでたい話だからといって、連絡してくれる人なんて、いないはずだ。

 私は恐る恐る曾祖母に聞いてみた。

「どうして、私が合格したと分かったの」

 すると曾祖母は、祖先を祀っている「祖霊舎」。一般の家庭ではお仏壇に当たるのだろう。そこに供えられているお灯明を指さして、

「ほら、お灯明の炎が、あんなにうれしそうに舞っている。あれはこの家に良いことが起こる『きざし』なんだよ」と笑いながら言う。

 見れば確かに、曾祖母の言う通り。お灯明の炎がまるで、ろうそくの芯の上で踊っているようだ。うれしくて、うれしくて、うれしくて。体が思わず飛び跳ねてしまう。そんな風に元気いっぱいだ。

 どういうことなのだろうと私は思う。季節は合格発表がある日のことだから、3月の下旬。

 まだ東北は暖房器具が手放せない時期。当然玄関の扉も窓も、冷たい風が吹き込まないように、ピッタリ締められている。おまけに、祖霊舎は居間の奥に置かれているから、炎が激しく揺れるほど、風が吹いているはずがない。大きく揺れているのに、炎が消えてしまわないのもおかしな話だ。

 曾祖母が何かのトリックを使って、私をだましているのだろう。そんなことも一瞬考えたけど、それがどんなトリックなのか見当もつかない。まさか80歳過ぎのお婆さんが、そんな悪ふざけをするはずもない。私はただただ、混乱するばかりだ。

「絢子のお爺さんや、お父さんが受験で合格した時も、お嫁さんが来る時も、絢子が生まれる朝だって、ああやって、お灯明の明かりは踊っていたんだよ」

 曾祖母はそう言うと、うれしそうに笑って、お茶をひと口飲んだ。私はまた、お灯明の明かりを見つめた。炎はずっと踊り続ける。うれしそうに、はしゃぐように。バンザイ。バンザイ。そんな声まで聞こえてきそうだ。


 こんな感じで、私たちはみんなきっと見守られている。それは、もしかしたら、すべての災いから私たちを守ってくれるほど、強力な力ではないのかもしれない。それでも。常に私たちを見守り続け、喜ばしいことがあれば、一緒になってこんなに喜んでもらえる。それだけでも大変ありがたいことだと、私は思う。

 それと、蛇足ではあるけれども、私はその日、ちゃんと高校に合格していたことも、併せてお報せしておく。


 人は死んでしまうけれど、人の「想い」は死なずに、いつまでも残る。私はそう信じている。なぜなら私は高校生の頃、こんな体験をしたからだ。


 私は母に命じられ、というか押し付けられて、斎藤さんのお通夜に行った。そして精進落としの席で「酌婦」みたいなことをさせられた。母に言わせれば、

「神社は町の人たちの、『おこころざし』で賄われているのだから、できるだけ愛されなければならない」のだそうだ。

 だから町の冠婚葬祭にはできるだけ顔を出し、愛想よくしなければならないという。確かにそれはそうだろうけれど、それなら、母が行けばいいのにと私は思う。

 

 私はお通夜に行き、お焼香を済ませると、セーラー服の上から割烹着を着て、飲み食いしている男性たちにお酒を注いで回る。

「絢子ちゃん。美人になったね」

 酒臭い息を吐きながら、オジさんたちがささやいてくる。ご丁寧に私の耳元に唇を寄せてくる人もいる。私は全身に虫唾が走るけれど、我慢して引きつった笑顔を返す。

 私は、こういう席に出るのが大嫌いだ。それでもその日は斎藤さんに、最後のお別れが言いたい気持ちがあった。斎藤さんは長い間、交通安全のオジさんとして、小学校の前を通る県道の横断歩道で、子供たちの交通安全を見守ってくれた人だった。

 ずっと町役場に勤めていて、最後は助役まで勤めたそうだ。そして退職した後「交通安全」と書かれた黄色いタスキを肩に掛け、黄色いチューリップハットを被り、お馴染みの黄色い旗を持って約20年間。斎藤さんは雨の日も風の日も、大雪の日だって、横断歩道に立ち続けた。

 私も小学校の6年間。斎藤さんには大変お世話になった。

 母に似たのだろうけれど、私はとても気が強い。すぐに意固地になるタイプだ。言い出したら聞かない子供だと、小さい頃からよく言われた。そのせいか学校では孤立することが多くて、いつもひとりぼっちで行動していた。そんな私に斎藤さんは、いつも優しく声を掛けてくれた。

「絢子ちゃん、おはよう」

「絢子ちゃん、さようなら」

「絢子ちゃん、何かあったの。今日は元気がないね」

 斎藤さんは横断歩道の上だけではなく、私の小学校生活の全てを見守ってくれていた。そう言っても過言ではない。

 私は斎藤さんの暖かな微笑みが、陽だまりみたいで好きだった。


 そんな斎藤さんが皮肉にも、交通事故で死んだのだ。

 そのことに関して、お通夜の席で無神経でおしゃべりなことで知られる、酒屋の水野さんが変なことを言い出した。

「俺ぁ、よぉ。だから斎藤さんは、子供たちの身代わりになったと、そう思うんだよ」

 クズの上に自己顕示欲が強い水野さんが、酒臭い口をパクパクさせながら力説するのはこういう話だ。

 この間、町の何かの寄り合いがあって、水野さんは斎藤さんと同席したという。その席で斎藤さんは「体がキツいから、もう横断歩道には立てない」と言ったのだという。「誰かに役目を引き継いでもらいたいのだが、なり手がなかなか見つからない」とも言ったそうだ。

 その時誰かがこんなことを言った。

「統計上、この町では毎年ひとり確実に、交通事故による死者が出る。特に小学校前の交差点は危ないから、誰かが見守りは続けた方がいい」。

 そしたら斎藤さんがお酒を飲んだ勢いも手伝って、

「毎年ひとりか…。そんなら俺がどっかで交通事故に遭って死ねば、子供たちは最低今年のうちは安全ってことか」と、言ったというのだ。

「交通安全のオジさんをすることが、趣味みたいな人だったから、それが続けられないのがショックだったんだろう。ちょっとヤケになってたよ」

 酔っぱらって赤ら顔の水野さんは、まるで自分の善行のように、自慢げに話した。

 私は水野さんが心底嫌いだ。中学生の時、帰宅途中でたまたまお寺の長男の子と一緒になり、ふたり並んで帰ったことがある。

 苦手な教科のことや、嫌いな先生の悪口。そんなたわいもない話をしていて、そこに恋愛感情なんてなかった。なのにそれをどこかで見ていた水野さんが、「わが町、M町で『神仏混交』か」なんて、大げさなネタにして町中に言いふらしたのだ。キスしてたなんて尾ひれまで付けて。

 そんな水野さんが今度は斎藤さんの魂まで、「酒の肴」扱いしようとしている。私は腹が立って、間違えたふりをして、水野さんの頭からビールを浴びせた。

 ところが品性の曲がった男は、そんなことぐらいでめげない。ニヤけた顔をして、私をいやらしい目で見るばかり。それで私は怖くなって、その場から走って逃げた。

 家に帰るとすでに母の耳に、私が斎藤さんのお通夜で暴れた話が伝わっていて、私は母にその日はひどく叱られた。


 季節はいつの間にか春になった。私は高校の春休みの期間中、氏子の会費を集金して回っていた。母に言わせると、「花が開くこの季節は、財布の口も開きやすい」のだそうだ。それも子供が行った方が、ウケがいいから私に行って来いと言う。

 そんなことを言われなくても、母に任せていたら、集金なんていつまで経っても終わらない。そうなると、ご飯が食べられなくなるので、私はせっせと集金に励んだ。

 私は朝早く、小学校の前の交差点に居た。巫女の装束を着て、ママチャリに乗って。黄色い通学帽を被った小学一年生の集団が、横断歩道を渡っていくのを眺めていた。ヨタヨタと危なっかしく渡っていく子供たち、その笑い声、話し声が春風に乗って舞い上がる。

「あぁ」

 突然、私は身体が固まって、一歩も前に踏み出せなくなる。涙があふれて前がいっさい見えなくなる。

 そこに、斎藤さんが立っていたのだ。黄色いタスキと黄色い旗を持って。生前と変わらず、ちょっと曲がった腰で。子供が横断歩道を渡り切るまで、クルマの前に敢然と立ちふさがっている。

 何もそこまでしなくてもいいのに。斎藤さんはもう亡くなっているのだから、心安らかに眠っていればいいのに。

 斎藤さんが亡くなったあと、横断歩道には信号機が設置された。だからもう、斎藤さんが苦労する必要はないのだ。

 私は、「斎藤さん、もう止めて…」

 そう言って、斎藤さんに駈け寄った。

 そうして、私は驚いた。

 斎藤さんは笑っていたのだ。この上なく、楽しそうに。そして今まで通り、子供たちひとり一人に声を掛けていた。

「〇〇ちゃん。今日も寝坊したのかい。まだお目目が開いていないようだね」とか、

「○○ちゃんは、今日も弟の手を引いて、感心だね」とか。

 そしてさらに私を驚かせたのは、子供たちの一部は、ちゃんと斎藤さんがそこに立っているのが分かっていることだ。

「オジさん、行って来まーす」と上級生の男の子が斎藤さんに挨拶をしながら駆け抜けた。

 斎藤さんに声を掛けられて、「うん、うん」とうなずく女の子もいる。きっとその子たちは、斎藤さんが死んでいる人だなんて、思っていないだろう。

 曾祖母はよく言っていた。

「人はみんな見守られている。ただ、多くの人がそれに気がついていないだけ」

 それはこういうことなのだ。

 私は涙が止まらなくなり、力が抜けてその場にうずくまってしまった。



 人はいつか死んでしまう。けれども「想い」は死なない。「想い」って結局、愛なんだと思う。

 だから私たちは愛さなければならないのだ。一瞬の命を燃やしてしまうだけじゃなく。

 次の世代に「想い」を伝えていくために。


 私はタンポポが好きだ。気がつくと、すぐそこにいて、笑うように咲いている。目の前の子供たちの黄色い通学帽が、タンポポのようだ。「想い」と共にタンポポたちが、この世に広がっていけばいいなと私は思った。












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だって、あなたは誰かにとってこの世で一番大切な人 嶋田覚蔵 @pukutarou

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