序章 四角い世界 3-3

 この男、たかつきアキトには夢がある。

 一国一城のあるじ、カンパニー経営者として身を立て、バトルカードを握りしめ、そこをのし上がり、そしていつか夢にまで見たURをその手に握る……それがアキトの夢だった。

 アキトの父は、重労働に従事する人間だった。そして重労働ガチャからは、重労働を補佐する〝労働支援カード〟が排出される。

 労働支援カードとはその名の通り、人々の労働を支援するカードである。使用すれば一定の期間、労働に必要な体力を補助したり技術や知恵を補佐したりしくれる。それは人々が少しでも楽に生活できるようにという女神たちの善意によるものだったのだが、しかし人はそれを悪い方に捉えてしまった。

 すなわち、〝なんらかの労働支援カードを手にした者は、ずっとその仕事だけをしていればいい〟という考えが広まり、他の職業につくことを否定する流れが生まれてしまったのである。

 さらに、このカードは手にした者のその子供にも引き継がれることが多い。

 そしてさらにその子供にも、またその子供にも……。今日この世界に表向き身分制度は存在しないが、そのせいで人が継いだもの以外の職業につくことは難しい。つまり事実上の身分制度であり、庶民は生まれでほぼ人生における立場が決まっているようなものだった。

 自分の人生を己で選択し、自分の欲するものを己の力で引き寄せたい。

 そのために毎日チケットをめ、金を貯め、娯楽も我慢しただひたすらに自分にその力を与えてくれるであろう、きらびやかなカードたちを夢想して日々を過ごしていたのである。

 とはいえ、アキトはガチャ運というものが壊滅的に悪い。たとえばガチャのランクはおおざつに、URを当てれば人生が変わるほどの価値がついてくる。

 SRはばらつきが大きく、ネズミが当てたような、しばらくいい思いができる程度のものもあれば、もっと数千万の価値を持つものも存在し、場合によってはその生活をガラッと変えてくれる規模のものもある。

 だがその下のランクRともなればそれなりにみのあるレベルとなり、普通ならば人生に百回単位、運のいい者ならば千回単位で当選する程度の価値となっている。

 だが、アキトの場合はそのランクRすら、それなりに長い労働期間で実にたったの一度しか当てたことがなかったのである。

(……しかも、その一枚もなんかよくわからない変な生き物が出てくるカード……。街のカード買い取り店に持ち込んだら「いらない」と一言で突っ返された……)

 アキトにも、自分の運を信じてガチャに挑んでいた時期があったのである。だが、その結果は惨敗に次ぐ惨敗。やがてアキトの心は摩耗し、そして悟ったのだ……そう、自分には、恐ろしいほどにガチャ運がないと。

 そうしてアキトは諦めた。

 夢や秘書カードを、ではない。運でそれを当てることをだ。

 たとえば自分が何か高等なものを手に入れようと思うならば、それはガチャの最後の最後、その底の一枚まで引かねばならない、と……そう確信するようになっていたのである。

 そうして、アキトは時を待つことにした。ひたすらに貯蓄を繰り返し、チケットをめる。来る日も来る日も、人がぜいたくする日も、人が笑顔でガチャを回している日も、ぐっと唇をめてひたすらにチケットと金をめ込んだ。

 いつか……そう、いつか自分の人生をかけた勝負をするためにだ。あの毎日必ず一枚引く、という習慣は自分の心がガチャから離れることを防ぐためだった。

 毎日、ガチャに関心を持ち続け、その状態を維持し、自分は時を待っているのだ、ということを忘れないようにするためだ。

 毎日毎日、必ず賞品の表示を確認する。毎日毎日、それに関わる。

 もしかして、そんな時はこないのではないか、と思う日があった。

 お前などがチャンスを拾えるものか、と叫ぶ心の声に心臓が痛くなる日もあった。

(……だが……だが)

 ……時が、来た。

 勝負に挑む時が、やってきたのである。

(……長い長い期間を、待ち続けた……。すなわち……〝ガチャの目玉がほぼ出きった後、少ない残数で秘書カードのみが残っている状態〟を……すなわち、今を……!)

 今こそ、秘書カードを引くべき時だ。

 この条件が万が一でも整うのではないかと期待して、アキトは今日プレイルームに詰めていたのである。

 少し目を離して同僚と話し込んでいるうちにガチャが大きく動き出したことにはあせったが、それもどうにか間に合った。

 今なお残数表示は動き続けている。世界の誰かが秘書カードを目指して自分と同じように貯蓄をつぎ込んでいるのかもしれない。

 秘書カードはCVCへの登竜門。〝誰にでも等しくチャンスを〟という女神の意向の元、それはあらゆるガチャに仕込まれている。そう、使わずとも売れば相当の金額となるそれを狙うライバルが、世界のかにいるのである。

 ……そろそろ投入を始めるべきか。焦りが生まれるが、まだ始める踏ん切りがつかない。

 ガチャの残数は18000ほど。アキトの保有するチケットが3000枚であることを考えれば、普通にいけばもう十分な勝算を持って挑めるところではある。

 だが、アキトはためらった。自分の運で六分の一を引けるだろうか。……おそらく無理だ。

 故に、待たねばならない。せめて、三分の一……つまり、残量9000まで。

 その数の根拠は、何ということはない。アキトは四人以上のジャンケンで勝てたためしがないが、三人でなら辛うじて勝ったことがあるからである。〝運〟という不可視のステータスを理解するには、そんなくだらない理由を頼りとするしかなかったのだ。

(……まだ、出るなっ……出るなっ……!)

 ジリジリと心を焼かれながら、残量表示が減っていくのを見つめる。

 14000。13000。残量表示はみるみる減っていく。今にも秘書カードが出てしまうのではないか。自分は出遅れてしまうのではないか。

 いつでも投入を開始できるようにチケットを準備しながら、焦りを感じる。なにをやっている、飛び出せ。悠長に待っている場合か。このチャンスを逃せば、いつこんな事が起こる?

 それは、もっと何十年も先かもしれない。その頃には、自分は年老いて戦うなんて無理だろう。急げ、急げ。早くいけ……自分を信じてみたらどうだ。

(ぐっ……ぐっ……!)

 歯を食いしばって、心の声にあらがう。まだだ。まだ、早い。俺には、まだ遠い。

 それこそ、俺には最後の最後、その一枚を引くぐらいの覚悟で挑まなければ当たりなんて引けやしない……!

 残量の表示が回る。12000。11000。もう少しだ。心臓が拡大と縮小を激しく繰り返す。10000。まだ秘書カードは出ていない。そうだ、出るな、それは俺のものだ──。

 ……9000。

「っ……」

 飛びつくように、チケットの投入を開始する。

 ガチャを引く仕組みは、至って簡単だ。専用の投入口にチケットを入れ、ボタンを押す。そうすると、少し時間がったあと排出口からカードが現れる。

 だが、実はこの〝少し時間が経って〟がくせものだ。

 時間がかかるのは、おそらく各地で同時に回されているガチャ同士の整合性を取るために必要な時間なのだろう。間違って、複数のガチャから貴重なカードを同時に排出しないため。おそらくそのためだ。

 だから、同時に参加している人間が多いほど排出までの時間は長くなると思われる。そして、排出が終わるまで次のチケットは投入できないのである。

 よって、3000枚を一気に消耗することはできない。ほんの数秒の話ではあるが、毎回待ち時間が発生する。一度に投入できるチケットの上限は、10枚。出るカードも10枚。それを、投入し、排出を待ち、出たカードを排出口からのける。

 アキトは、排出されたカードの確認などしなかった。排出口に手を添え、出たカードを即座にそばの机に放り出しながら次のチケットを投入する。

 そう、確認など必要ない。欲しいカードは、一つだけ。そして、そのカードはガチャに排出の有無が表示されている。

 だから、手を止めるのはその表示が消えた、その時だけ。それでいい。

(来いっ……来いっ……)

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