序章 四角い世界 1-4

「た、たしかにすごい……。こんなチャンスめつにないぞっ……」

「そういうわけっす、だから早くチケットを売ってくださいっす! 相場の二倍出すっす、それでいいでしょ、ねっねっ!」

「あっ、待てよ、俺が先に交渉してたんだぞ! じゃあしょうがない、三倍でいい! 頼む売ってくれ、今しかないんだ! 頼む!」

「あっ、おい、あんたチケット持ってるのか!? なら俺に売ってくれよ、自分の分はもう使っちまったんだ! いだろ、なあ!」

 驚くすずにネズミとぶたづらが更に詰め寄る。それに気づいた他の鉱夫たちも後に続く。プレイルームの中は、ちょっとしたパニックになりつつあった。だがそれも仕方がないだろう。これはこの鉱山の劣悪な労働環境から脱出できる数少ないチャンスなのだ。

 言ってみれば天から垂らされたの糸。そしてその先には、見目麗しい女神たちが微笑ほほえんでいるのだ。日々奴隷のように扱われる鉱夫が彼女たちと同じ世界に住めるなど、まさに夢のような話と言うより他ない。

「やれやれ、どいつも必死だな。すずさん困ってんじゃねえか。しょうがねえ」

「あなたは、売ってくれと言わないので?」

 壁にもたれかかったままあきれた調子で言うさしにアキトが尋ねる。指田はまた芝居がかった動作で手を広げてみせると、皮肉のこもった声を返した。

「俺? 俺はやらねえよ。こんなもの、一時の熱狂でしかねえ。こんなものに釣られて財産を持ち出すなんて馬鹿のやることさ」

「そういうもんですか」

「ああ。それにな、残量がいくらだろうが勢い任せの運だよりってのは俺のやり方じゃない。しかけるなら、相応の準備をしてからだ。俺はすでにチケットの転売でそこそこもうけた。今はコレで十分さ」

「なるほど」

 チケットは基本的に個人の持ち物であり、他人に譲渡することは禁止とされている。だがそれは建前上のことであり、実際譲渡したからといって罰則があるわけではない。

 よほど大規模に、それこそ万単位で集めるような者が出てくればおそらく問題となるだろうが、個人間で100枚単位が移動したぐらいでは誰も気にもしない。

 そして、そのチケット一枚が取り引きされる相場は、平常時ならば、この世界の共通貨幣である〝GP〟でせいぜい数百GP前後。食事一回分程度の金額だ。

 労働ガチャは当たりこそ強烈なものの、普通の排出品は食料や日用品が多く、そこまで豪華でもない。回すより金にしたほうが得だと考える者は、他者と交換してもらっているのである。

 だが、今のような状態ならばそれがその何倍でも売れる。だから、チケットをめていた者はそれを売って金に変え、後日値段が戻れば改めて買い集めればたったそれだけで利益が発生するというわけだ。

 月給が20万GPと少し程度の彼らにとって、その金額は決して馬鹿にできない。

「おい、何やってんだ、早くしろよ! 時間との勝負なんだぞ、ほんとにグズだなオッサン!」

「そうっすよ、素直に持ってくりゃいいんスよ! アンタが儲けるチャンスなんてそうそうないでしょう! 買ってやるっつってんだ、早くしろノロマ!」

「そうだ、売~れ、売~れ!」

「ひいっ……ど、どうしよう、指田くん、アキトくん! うっ、売ったほうが良いのかなっ……」

 やがて売れの大合唱が始まり、耐えきれなくなった鈴木が、助けを求めるように冷静な二人を振り返る。

「さあ……。ま、余計なお世話ですけど、売ったほうが良いんじゃないですか? ガチャに自信があるなら回すのも手ですけど……俺なら売りますね」

 そっぽを向きながらさしが答え、なおも続ける。

「ゴットカードなんていう幻想より目の前の金ってね。当たりゃデカいかもしれないが、確実な金ってのも良いもんだ。ま、最終的に決めるのはすずさんですがね」

「な、なるほど……。……アキトくんもそう思うかい? ぼっ、僕、自分じゃ決められないんだ……後押ししてくれないかっ……」

 びるような表情で鈴木が問うてくる。アキトは少し思案顔をした後、その目を見つめながら落ち着いた声で返した。

「……それは、鈴木さんが決めることです。鈴木さんにとってチケットがお金に変えても良いものならそうすべきだし、今、回したいなら自分でやるべきかと」

「えっ……」

「鈴木さん、さっき言ってましたよね。運が悪いから当たりは諦めてるって。でも、今まで話したことがなかったですが、鈴木さんがガチャを楽しそうに回してるところは何回か見たことあります」

 静かな声で続けるアキトの言葉を、鈴木も神妙な顔で聞いている。普段あまりしやべらないせいで長い言葉を紡ぐことに苦心しながらも、アキトは続けた。

「ガチャ、好きなんでしょう? わかりますよ。けど今それを売って、そのお金で他の楽しみを買いたいならそれでいいと思います。それもありです。……けど、もし今自分でガチャを引きたいとちょっとでも思ってるなら……」

 ちらり、と横の指田に目を向ける。

 彼はただ無表情に二人を見つめていた。

「……回せばいいと思います。他人なんて関係ない。それはあなたの物なんだ。どうするかは自分で決めればいい」

「……アキト君……」

 鈴木が感動した面持ちでアキトを見つめる。柄にも無いことを言ってしまい、アキトは少し照れて顔を背けた。

 とはいえ周りからその表情の変化は読み取れず、元通りの仏頂面にしか見えないのだが。

「おい、オッサンいい加減にしろっす、もう残数が25万切りそうっすよ! もうこの瞬間にも出そう! 早くしろ、いい加減ぶんなぐ……」

「……ごめん、皆。僕のチケットは自分で使うよ。面白いじゃないか、今こそめていたチケットを放り込むときかもしれない」

 えっ、と周囲の鉱夫たちが驚きの声を上げる。鈴木が気の弱い男なのは見ればわかるし、このような時に勝負をかけるような人間にはとても思えなかったからだ。

「あっ、あんた、ランクRすらめつに当てられないくず運じゃないかっ……挑戦したってチケットを無駄にするだけだろ! なんでそんなっ……」

「ごめんね。でも、こういうときのための蓄えだから。……じゃあ、チケットを取ってくるよ」

 なおも食い下がるぶたづらにはっきりと答え、すずが歩きだす。こう言われては、もう誰も何も言えない。

 皆が見守る中、よたよたと部屋に向かう途中で、鈴木がアキトの方を向き直って尋ねた。

「……君はやらないのかい? アキト君。君もめてるんじゃなかったかい。一緒に回さないか。なんなら、人に売るのでも……」

「いえ、俺は、今は回す気がありません。それに、鈴木さんと違っていつも一人なんで、後々あつれきを生みそうなチケット売りもする気はないです。難癖つけられると弱い立場なんでね」

「そうかい、わかったよ。……じゃあ、ちょっと失礼」

 そう言うと、鈴木は行ってしまった。それを見送ると、周りの連中は面白がって口々に好き勝手なことを言い出す。

「あのえないオッサンがゴットカードに挑戦かぁ。面白くなってきやがった! 酒取ってこよ、酒のさかなにもってこいだぜ!」

「あんなやつが当たり引けるわけがないんだよなあ……! なぁんで占い四位の俺に任せないっすかねえー! ほんとつっかえないなあ! おっさんは!」

 そうしているうちに、ガチャのカード残数はガンガン減っていき、やがてわずか20万ほどになってしまった。それでもゴットカードの残数1はいまだに消えない。

 間に合わないのではないか、というぐらいの時間をかけ、鉱夫たちがすっかりれた頃に、ようやく鈴木が姿を見せた。

「お、おまたせ、また腰が痛くなって手間取っちゃったよ……全部で121枚あった。これで挑戦させてもらうよ」

「おおっ、いいぞ、いけいけえー!」

 わっと歓声が上がり、鉱夫たちがガチャまでの道を空ける。

 様々な思惑が入り乱れた視線を浴びながら、鈴木がガチャの席につく。

「さて……じゃあ、いかせてもらいます。……女神様のお恵みであるガチャ、不肖鈴木、今日も引かせていただきます」

 恭しくガチャに一礼をする鈴木。彼は女神を敬愛する者の一人として、その奇跡の表れであるガチャにも敬意を持っていた。

 女神信徒たちにとって、ガチャは祭壇や神殿のようなものにあたる。

「ふんっ、あんたにゴットカードなんて引けるもんか! とっととスっちまえ、おっさん!」

「そうっすよ、俺達をないがしろにしやがって! 女神様、そいつに天罰食らわせてくださいっす!」

 チケットを奪いそこねた二人が罵声を浴びせる。いくらなんでもひどいその内容に、アキトはわずかに眉をひそめた。

 だが当のすずはそれを気にはしていない。

(君たちの言うとおりだ、僕にそんな大それた当たりは引けやしない……。ちょっとした当たりが出れば十分さ。だが……)

 ウィイン、と音を立てながらチケットがガチャに飲み込まれていく。これが即座に神の世界に送られているというのだから不思議な話だ。女神たちの力は、人間の理解をはるかに越えている。

(……この、ガチャを引く瞬間というやつだけは……いくつになっても、良いものだ)

 ランプが点灯し、ガチャが引ける状態になった。もうガチャの残量は16万ほどになってしまっている。鈴木は特に力む様子もなく、笑顔でボタンを押した。即座にガチャの中から、低い駆動音が響いてくる。

 ──そして、その、瞬間。ガチャから、今まで聞いたこともないようなけたましいファンファーレの音が鳴り響いた。

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