第1話 ないしょのバルコニー
「
明かりのついていない静かな部屋には小さな音が随分と大きく響いて、2人の少女は慌てて扉の向こう側へと体を滑り込ませた。
「大丈夫かな?」
「………うん、大丈夫そう。でも、急がないと誰かに見つかっちゃうかも」
扉の先には何も置かれていない、何の使い方もできなさそうな小部屋があった。
里緒が壁の一か所を押しこむと、小さく軋みながら壁が動いて扉が現れる。
「うわ、すごい! からくり屋敷みたい!
……
「うん。
ばれないように聞いた限り、誰も……先生たちも知らなかったし、多分頻繁には使われてないんだとと思う」
「運がよかったね」
小声で会話しつつ、扉を開ける。外は小さなバルコニーになっていて、夜風が頬に当たって気持ちが良かった。
どこかに咲いている桜がはらはらと舞っている。桜の花びらが月明かりに照らされて、幻想的で美しい。
里緒も凛も、ぐっと背伸びをして深呼吸する。
「んん、きもちい……!」
「……まわり、本当に森ばっかりだよね」
「外に出たの、随分久しぶり。お日様の光を浴びられないのが残念だけど」
「里緒はいつからここにいるんだっけ?」
「中一の春からだね」
「ふーん、じゃあ……四年ぶりに自由な空気を吸ったご感想は?」
「最高っ!」
歓喜のあまりに叫ぶ里緒に、凛は慌てて友人の口を塞ぐ。
「声が大きい! バレちゃうよ」
「ごめんごめん。……凛はいつからだったっけ?」
「私は中二の秋から」
「二年半ぶりに自由な空気を吸った感想は?」
「―自分の意思で外に出られるって、やっぱりいいものだよね」
「同感」
顔を見合わせて、くすくすと忍び笑いを漏らす。里緒はしばらくぶりの外を堪能するように深呼吸し、くるくると辺りを見回していた。
「凛のそのネックレス」
不意に里緒が、凛の胸元を指差して言った。
「いつも付けてるよね」
「―ああ、うん。ここに来る時、お母さんから餞別にってもらったの」
凛の胸元には四角いネックレスがぶら下がっていた。ネックレスというよりドックタグのようなそれには赤、緑、青色のガラス玉がはめ込まれている。
凛はそのネックレスに手をやって青色のガラス玉に触れた。
「羨ましいなぁ……大切にしなよ?」
「言われなくたって、もちろん」
「ふふ、余計な忠告だったかな。
……ん? 凛、あれなんだろう」
不意に里緒が声を上げる。張り巡らされた有刺鉄線の向こうに、朽ちかけた建物があった。屋根の一部が崩れている。
「三階建て……かな?
"学校"を建てたあとなら、建物なんて建てられないよね。屋根も落ちてるし、結構古そう……」
「今の校舎が建てられる前の校舎とかじゃないかな?
もう使われてなさそうだけど」
「なんかそれっぽいね。
あんな建物があるの、全然知らなかった。部屋がわの窓からは見えない位置にあるもんね」
「あの建物、行ってみたいよね。
……枝を伝って、向こうまで行けたりとかしないかな?」
凛は周囲に生えている木を見つつ呟いてみる。この辺りは深い森なので大きな木には困らない。
古びた建物にも、伸ばされた枝を伝って行けば届きそうに見えなくもない……が。
「行けたらよかったのにね」
あちこちにそびえる森の木は幹こそ太いが、凛たちの立つベランダまで垂れている枝の先は細い。
凛たちはおろか、幼稚園の子どもだって、体重を乗せれば枝が折れてしまうだろう。
「枝を伝って、向こうの建物まで行って……逃げ出せたらよかったのに。
自由に外にも出れない、色んなお店を見比べながらのお買い物はできないし、ずっと監視されているし……でも、無理だよ。
先生たちの中にだって、能力者はいるのに」
つらつらと上げ連ねる里緒の表情には悲しげな色が見えて、凛は安易にこの話題を出したことを後悔した。胸から下げたネックレスに触れて、凛は俯く。
「………ごめん、里緒」
「いいよ。私もここを見つけた時、想像はしたから。
……そろそろ部屋に戻ろう? あんまり長居すると、ここの入口に南京錠でも掛けられちゃうかもだし」
里緒は部屋へ戻るべく、踵を返して扉へ向かう。凛はその後ろ姿を見て、手の中のネックレスをぎゅうっと握りしめた。
「………………ほんとに、ごめん」
背を向けた里緒までの距離は数m。凛はたった一足、わずかな足音のみでその差を詰めた。
里緒は、気づかなかった。
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