第2話 煌炎兵

 ジョルとヤクが戻ってきたのは夕方になってからだった。彼らは疲れた体を休めようともせず険しい顔でユルクのゲラーに入っていったっきり出てこない。その代わりに、ユルクの腹心のジェペは出たり入ったり忙しい。大男はおばばのゲラーで眠り続けている。どことなく不穏な空気が営地えいちに漂っていた。そんな中、深夜トゥバンがぼんやりと馬乳酒ばにゅうしゅをかき混ぜていると、


「代わろうか?」


 同い年のガンザンに声をかけられた。彼はユルクの四番目の子で、二人の妹がいる。トゥバンは言われるがままに攪拌棒かくはんぼうを渡して、その場にぼおっと立っていた。しばらく馬乳酒をかき混ぜる音だけが響く。


「なあ、どう思う?」


 トゥバンがびくりと体を震わせる。


「どう思うって?」


「今回の件だよ。大男と黒ずくめの追手。」


 答えは無い。馬乳酒をかき混ぜる音だけが夜に響き続ける。


「僕は怖いよ。」


 馬乳酒をかき混ぜる音が止まった。静寂。トゥバンがガンザンを見ると、撹拌棒を固く握りしめるガンザンの両手が微かに震えていた。


「だって変じゃないか。リバンザ・ゴルテっていえば帝国一のお尋ね者だ。なんでそんなのからトゥバンに迎えが来るんだ?あの大男だって変だ。あいつの鎧には赤い鳥の紋章があった。赤い鳥って皇帝の紋章だろ?なんで皇帝の紋章を付けてる奴が草原で追われてるんだ?」


 ガンザンは弱音を吐いた言い訳のをするかのように言葉を並べ立てる。


「黒ずくめの奴らも変だった。矢が当たってもうめき声一つあげないし、そもそも黒ずくめっていうのが変だ。あと、あいつらのとむらいは一人でやるっておばばに言われたろ?そんなこと今まで無かったじゃないか。殺したモノはいつもみんなで弔ってきた。それから、父さんがゲラーに入れてくれないなんて今まであった試しがない。おかげで今日はおばばのゲラーで寝ることになった。なにもかもがおかしいよ。変だ。…………不安だ。」


 ガンザンは押し黙って乱暴に馬乳酒をかき混ぜ始めた。トゥバンは目を伏せて何やら考え込んでいる。


彼らがユルクのゲラーに来るよう言われたのは、それから二日後の朝だった。目を覚ました大男がトゥバンに話したいことがあると言っているらしい。ガンザンは釈然としない顔をしてぶつぶつ呟いている。二人が寝ぼけまなこのジェペに連れられてゲラーの戸を潜ると、薄暗い空間の奥から八つの目線が二人に突き刺さった。


「そこに座りなさい。」

 そう言ったユルクは無精ひげを生やし、憔悴しきった顔でジェペの囁きをクッションに寄りかかって聞いている。その右手にジョルとヤクが控え、左手にはおばばと大男が座っていて、五人は円形のゲラーの壁に沿って扇形を作るような位置になっている。トゥバンとガンザンはユルクの正面にそろりと座った。二人ともゲラーに漂うただならぬ気配に頭を垂れる。重苦しい沈黙。トゥバンがちらりと目をあげると、鎧を着込んだ大男が目に入った。あぐらをかいて背筋を伸ばし、瞑目している。


 本当に山のような大男だ。入り口で引っ掛かったりしなかったんだろうか。


 トゥバンはそんなことを思った。鎧をよく見ると、ガンザンが言ったとおり肩にほとんど消えかけた赤い鳥の紋章があった。トゥバンは再び目を落とす。それと入れ替わるようにユルクが大儀そうに身を起こし、口を開いた。


「さて、客人。トゥバンとガンザンが来たぞ。ことの次第を話してもらおうか。」


 覇気の無いかすれた声に大男が目を開けた。ゆっくりと周囲を見回していく。最後にトゥバンを見て、一瞬静止し、目線を戻した。彼はおもむろに敷物に手を突くと、


「名乗らせていただく。私の名はセン・ワンロン。かつて煌炎兵こうえんへいとして中央に仕えておりました。今はリバンザ・ゴルテ率いる白仙軍はくせんぐんの一員として働いております。」


 ワンロン以外の全員が驚きの表情をした。ジェペに至っては目を見開いて大口を開け、まるで魚のような顔をしている。煌炎兵とは、皇帝の身辺警護を行う衛兵のことである。武官の中で唯一皇帝の紋章を許された彼らは、二億人とも言われる帝国国民のなかから厳選された、たった二十人しかいない精鋭中の精鋭であり、一騎当千を体現する最強の戦士である。


 やっぱり……。


 ガンザンがワンロンを凝視しながら微かに呟いた。ワンロンはガンザンを見てちらりと微笑んだ。


「なぜ元煌炎兵ともあろうものが草原で追われるはめになった?」


 ユルクのかすれた声が沈黙を破った。再び時が動き出す。ジョルが身をのりだした。


「そ、そうだ。なんだって煌炎兵がこんなところをさまよってるんだ?」


「いやそもそも客人を追っていたのは何物なんだ?あいつら中身が無かったぞ。」


 答えを待たずにヤクが訊ねる。それをきっかけに矢のように質問が飛び交った。


 リバンザ・ゴルテは何をしようとしているのか。白仙軍とはいったいなんだ。何日走ってきたんだ。何故俺たち二人を呼んだんだ。

「す、少し落ち着いて下さい。落ち着いて下さい。順を追ってお話ししますので……。」

 どこからやって来た。今いくつだ。その鎧はどこのものだ。あの巨馬はどこの馬だ。何を食べたらそんなにでかくなるんだ。得物はなんだ。嫁はいるのか。


 ユルクがパンパンと手を叩いた。騒がしかったその場が一瞬にして静まり返る。


「トンクルの男達は客人を困らせるような者達なのか?」


 トンクルの男達は皆恥じ入るようにうつむいた。きょとんとしているワンロンにユルクが頭を下げる。


「失礼致しました。うちの者達が……」


 ワンロンもきょとんとしたまま会釈する。一つ咳払いをして、姿勢を正す。


「ええ、では気を取り直して……。」


 もう一つ咳払い。


「まず、例の追っ手は人間ではありません。ジョル殿とヤク殿は見たでしょう。奴等の体の中は空っぽです。あれは一種の人形でして、主人の命に従って動くのです。」


 ジョルは納得したような顔をして大きくうなずいた。ヤクが勢い込んで訊ねる。


「それで、人形を操っていた『主人』ていうのは何者なんだ?」


 ワンロンの顔に影が落ちた。


「その『主人』に関して話しておかなければならないことがあります。」


 そう言うとワンロンは周囲に目を走らせ、手招きした。おばばも含め、その場にいる全員がワンロンに寄り集まって身を屈める。ワンロンはもう一度あたりを確認すると声を潜めた。


「七年前の大宮城炎上事件を覚えておりますか?」


 七つの頭がこくこくと頷く。ジェペがワンロンより小さな声で


「巨大な鳥の化け物が帝都を燃やして先帝が崩御ほうぎょされた事件だろう?」


「まあ焼けたのは大宮城だけですが……。まあいいでしょう。その事件です。」


 ワンロンは一つ咳払いすると


「実は、先帝は炎に巻き込まれて崩御なされた訳ではありません。……毒殺されたのです。今玉座に座っているあの男――人形の主、ウォー・リャンによって。」


「なんーー!」


 だってと叫ぼうとしたジョルの口をヤクが押さえ込む。ジョルは何やらもがもが言っていたが、ユルクに睨まれると黙りこんだ。短い沈黙の後、再びワンロンが口を開く。


「このことを知っているのは今のところ私とウォー・リャンだけです。故に奴は私に莫大な懸賞金をかけ、私は流浪の身にならざるを得なくなりました。そして各地をさまよっていたところ、一年前、リバンザ・ゴルテと出会ったのです。……ご存知ですか?」


 皆大きく首を縦に振った。リバンザ・ゴルテは帝国内最大の反乱軍、白仙軍を率いる大反逆者だが、顔も年齢も性別も分かっていない。分かっているのは真炎帝に潰された西の名門ゴルテ家の出身らしいということだけだ。その謎めいた雰囲気から、帝国中で様々な噂が飛び交っており、帝国人の中では知らない者の方が少ないだろう。ワンロンの話は続く。


「彼は私が元煌炎兵だと知るとすぐさま白仙軍の客将として迎え入れてくれました。そして二週間ほど前……。」


 リバンザはワンロンを山の上に連れ出し、南西の空を指差して


 天将星てんしょうせいの加護を受けた者と皇帝の息子が南西にいる。奴らもおそらく気付いているだろう。連れてきてくれ。奴らより早く。


「私は皇帝の息子と聞いてすぐさま首を縦に振りました。それから半刻も経たない内に出発し、昼夜問わず駆け続け、人形に見つかったのはここに来る前日のことです。」


 トゥバンとガンザンは何やら合点がいったように顔を見合わせた。


「で、どっちがどっちだ?」


 トゥバンが聞いた。一斉にきょとんとした目が二人に集中する。ジョルが気の抜けた声を出す。


「何を言ってんだ?」


 ガンザンとトゥバンは真剣な顔でワンロンを見つめている。ワンロンは満面の笑みを浮かべた。


「お二人はお気付きのようですな。そう、ガンザン殿が大将星の加護を受けた者です。」


 驚きの声がゲラーを埋めた。ワンロンは構わず言葉を続ける。


「そして、トゥバン殿こそが先代皇帝雷炎帝の息子なのです。」


 ゲラーは先程までとは比にならない騒がしさに包まれた。




「えー、静まれ静まれ。」


 またパンパンと音が響いて、ゲラーはようやく静かになった。ユルクが口を開いた。


「トゥバンの父が本当に皇帝だったという証拠はあるのか?」


「ございます。」


 即答だった。ワンロンは鎧の中をごそごそ探ると、一枚の分厚い紙を取り出した。彼はそれを薄いガラスを扱うようにそろりそろりと正面のユルクに手渡す。ユルクはそれに目を落とし、


「何だこれは……」


 驚きの声をあげた。ユルクが紙を頭上に掲げる。もっと大きい声があがった。そこにはトゥバンと瓜二つの顔が浮かび上がっていた。真っ黒い目も、鼻筋が通った鼻も、彫りが深い顔立ちも、見事にトゥバンと瓜二つだった。違うところがあるならば、それは板の頭の上に燦然さんぜんと輝く黄金の鳥が乗っかっている事くらいだろう。


「この方が十五代皇帝、雷炎帝らいえんてい陛下です。」


 ワンロンはどよめく顔を順繰じゅんぐりに見て、最後にトゥバンとガンザンを力強く見つめた。


「ついてきて下さいますか?」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。」


トゥバンが片手で頭を抱える。


「こんな重大なこと、直ぐには決められない。考える時間をくれ。」


ガンザンもうんうんと頷いてワンロンの顔を見る。ワンロンはちょっと身を引いた。


「……分かりました。ですが私は追われる身。いつ追手が来てもおかしくありません。一両日中には答えを出されますよう……。」


そう言ってワンロンは目を閉じる。ユルクが身を起こし、ゲラーの面々の顔に素早く目を走らせた。


「では、解散。」

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