放課後ヒネクラブ

二一人

第1話

 

「あ…」

「…」

 夕陽の差し込む教室。机にしまっていた文庫本を回収に来ると、一人窓の外を見て黄昏ていた女子生徒がいた。彼女は、背中から日に照らされ、一層近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 どことなく、青春の一風景ってこんなものなのか、という思いが去来し、そしてその風景の登場人物が自分ということに皮肉さを覚え、そっと笑みをたたえる。

 しかし、一人で急に笑みを浮かべる気持ち悪い人になりたくないので、顔には出さないが。


 彼女は窓の外、夕陽の落ちる町並みを見るのをやめてこちらを見つめていた。それは、自分の領域を侵した僕に敵対心を向けているのか、はたまた全く仲良くない僕と仲良くなるためにコミュニケーションを取ろうとしているのか、ただただほんの少しの好奇心でこちらを向いているのか。

 まあ、逆に一人教室でいるときに、来訪者がやってきてそちらに興味を向けない人がいるのか、という疑問はあるが。しかし、彼女はそういう部類の人間だと思っていた。誠に勝手ながら。


 クラスの委員決めの時も、「余ったものをやります」と言っていたし、友達はいるけれど、自分から誰かに話しかけている、という様子もなかった。

 僕もそうだ。だから、彼女のことを僕と同じような人間だと捉えていた。何ものにも興味なし。来るもの拒まず、去る者追わず。これが、短い人生の中で学んだ教訓だった。当たり障りのない、誰にでも通用する処世術。己の欲を律すること、それだけができれば他にすることはない。得意なものも苦手なものも、作る必要のない生き方。


 この生き方を学ぶことが、義務教育の本懐なのだろうか。今まで、役に立ちそうにない勉学に励んで来たけど、なんとなく、最近はそういったものに対抗する必要もないと感じてきていた。これが、理不尽やら、不可解やらを背負わされる社会に対する譲歩。『大人になること』なんだと、段々と理解してきている。

 その理解は、何かを犠牲にして行われていることは分かる。例えば童心、敵愾心。他には、何かに対する意欲や興味。死生観の思考の諦め。感情を爆発させる方法。こういったものを忘れて、無感情に生きようとするのがきっと…僕が今身につけていることであり、そして彼女もそうなのだろうと。


 だから、彼女がこちらを見つめていることを僕は少し意外に思っていた。何か用でもあるんだろうか。しかし、彼女と僕の間には何もない。せいぜい、同じ委員会に所属していて、部活はやっていなくて、友達が少ない…その程度の共通点しかないはずだ。趣味は知らないし、他には…先生から何か頼みごとでもされたか、僕に関連する学校側の用事があるか、それの言付けを頼まれたか。はて、正直、考えたところでパッとした考えが浮かばない。

 それほど、彼女との接点が少ないことを再認識する。せいぜい、「今日、委員会あるから」「分かった」くらいの、会話とも言えない確認作業があっただけ。それは、感情の入る余地のない、機械でもできること。何か交友関係に発展するほどでもない、ただそれだけのこと。


 そんな間柄なのだから、そもそも用事が発生することもないだろう。仮に、学校側が僕に対しての言付けを誰かに頼むとして、仲の良い男友達にするだろう。僕から見ても、誰から見ても、彼女と僕には何もないのだから。

 ここまで考えて、やはり疑問というものは立ち戻って来るものだと。彼女はなぜこちらを向いているのか、という疑問だけが頭に残るのだ。


 彼女は何かを言いたそうにして、そして思い留まるかのように少しだけ、ほんの少しだけ俯いてみせた。そこには、何かの決意があるかのように思えて、果たして僕は、一層彼女が何を考えているかが分からなくなっていた。


 西日に照らされ、少しだけ顔が赤く染まっているように見える。キュッと閉ざされた口元は影により仄暗く艶美な趣を持つ。


 僕は、文庫本を鞄にしまい終わっていた。そして、迷っていた。

 彼女に声をかけるか否か。

 僕はこんな生き方をしている。色んな人と交流がある。友達とまでは言わないでも、知り合いとして。だから、人それぞれに考えがあり、感情があることを理解している。それは価値観の違いもそう。だから、他人の機微に対して鋭いという、自覚がある。

 鈍感ではない。だから、彼女が胸中に秘めてる想いをある程度察している。


 それは、僕が今まで拒絶してきた、下劣なものだと一笑に付してきた何か。生物の栄枯盛衰に必ず携わる、消費と生産。一生関わるまい、とばかりに思っていた。

 だから、女性に対してその気になったことはないし、自制してきた。そして、気を持たれるようなことも避けてきた。これは、僕のこの世での立ち回りだ。異性に対しては、損得勘定に徹してきた。己の欲は、全て律してきた。感情を出さないようにしてきた。


 彼女もそうじゃないのか。僕と同類だったんじゃないのか。今、窓際で憂いの表情を浮かべている彼女が何を考えているのか、まるで分からない。

 僕は、少しだけ彼女を恨み、そして責めたくなっていた。そういうものに関わらないこと、それが清廉潔白な己の精神性に繋がると信じて疑わなかった。彼女は、下劣な存在に成り下がってしまったんじゃないか。

 そんな思考だけが進む。いつの間にやら、僕はどこか哀れむような目で彼女を見つめていた。


 唯一、この学校で僕と対等な存在だと認識していた彼女。僕は勝手に期待していただけ。そして、勝手に失望して、哀れんでいる。

 ほんの少しの罪悪感を感じながらも、やはり僕は彼女を責めたくなって仕方ない。何故なのか! と問い質さざるを得ない。いや、実際にはそんなことはしないけれども、そうしたくて仕方ない。


 君は、そこら辺の人間になってしまったのか?

 道の端に転がる石のように、輝きを忘れてしまった宝石のようなものに成り下がるのか?


 そこまで考えて、いざ自分の身を振り返り気づく。


 案外、他人に期待していなかったわけじゃないのだな、と。

 今まで、この世に対する僕の全ては『諦念』から形成された思考や感情そのものだった。

 例えば、購買の列を守らないやつ、テストの点が悪い、怠惰な自分を棚に上げて笑い合う陰気な者達、他人に配慮する気持ちが足りず、半ばイジメのようなことをする者達も、それら全てが「仕方ない」ことなのだと、諦めていた。

 人はそれぞれ違うのだから。人に理性を求めるのは、それは僕じゃなくてそいつ自身じゃないとダメだからだ。


 そんな経験をしてきた僕が、まだ諦め悪く他人に期待していたことが、なんだか情けなくて笑えてきた。


 なら、彼女の行動に対して、ある程度の敬意を払うのは、当然のことなのかもしれない。今まで、傍観者に徹してきた僕が勝手に期待し、失望してしまった彼女の想いを、聞き出してあげなければ。それをしないのは、僕が最も嫌う不義理なことなのだから。


 教室の扉に置いた手を戻し、自分の机に鞄を置いて彼女の方を向いた。


「えっと…何か用かな、白守さん」

「────ぁ」

 どうやら、彼女にとっても意外だったらしく、唖然としていた。口が無防備に開いていて、虚をつかれた時の野生動物のような反応だな、と笑う。

 彼女の返答を待つ。僕は待つ。時間も待っているさ。だって、こんなにも時間の流れが緩やかになっているんだから。普段聴いている秒針の動く音が、一時間ごとに動いているように思えるのだから。

 やがて、彼女の口から掠れて、上擦った声が聞こえてきた。


「あ、あの…常殺さん」

「うん」

 やっぱり、僕は思い違いをしていたのだ。それが如何に清廉潔白なことではない、そういう認識があるとはいえ、人にはおよそ勇気というものが足りないのだから。少なくとも、僕は告白なんてできない。だから、彼女を軽蔑するなんていう、先ほどまでの僕はやはり間違っていた。彼女は勇気ある人だ。彼女の言葉を、僕は受け入れよう。


「わ…私と、友達になってくれませんか!?」

「…うん?」

「え?」

「ごめん。よく聞き取れなかった。今なんて言ったのかな」

「私と友達になってください!」

「???????????」

 彼女の言葉の咀嚼して意味を考える。友達になってください? 友達ってあれか? 一緒にお出かけして、食事をして、映画を一緒に見るみたいなあれか? ん? 恋人とどう違うというのだ? ん? は?


 僕は、とんでもない思い違いをしていたことに気づいた。そして、血が逆流するかのように、全身が怖気、脳が冴え渡っていく。


 僕はどこから間違っていたのだろう。この世に生を授かったところからだろうか。それとも小学生の時に先生をママ呼びしたところ? 中学生の時、友人が女子と僕のリコーダーを変えていたことに気づかず普通に使い続けていたこと?

 僕は間違いだらけだ。今までの人生の全てが間違っていたような気がしてならない。これは本当に僕か? 僕ではない何者かが、この心と体を動かしているだけなんじゃないのか? この世界は、3TBで済むようなデータ上の世界じゃないのか? 僕は誰かがプログラムしたルーチン上の思考をしているだけで、これは僕自身の意思、思考じゃないんじゃ? 目の前の光景は本当に視覚として映っているのか? 嘘じゃないのか?


 僕はヤラカシタ。ヤラカシタ。コレハゲンジツ。


 嘘だ。欺瞞だ。この僕が、まさか、『彼女は僕に気がある』だなんて、そんな、思い上がりを?


「うわあああああああああああああああああああ!!!!!! あああああああああああああっはああああああああああんんわああああああ〜〜!!!」

 何も考えられず、恥ずかしさに目が眩み、教室を飛び出した。




 残された少女。いきなり大声を出し、泣き叫ぶような形で教室から飛び出した少年に吃驚していた。

 二、三度瞬きをし、これが現実に起こったことなのか考える。


(え? え? あの常殺さんがこんなことするの? ていうか、もしかして、私、嫌われたんじゃ…)

 そこまで思い至り、涙がこみ上げてくる。堰き止めようにも、今まで感じたことのない感情が胸に去来し、どう制御すればいいか分からない。次第に、涙は更に多く流れ、人目も憚らず、泣き叫び始めた。まあ、人目はないけど。


「うわぁぁ〜〜好きな人に嫌われちゃったあああ〜」



 この日、学校内で男女の痴話喧嘩が発生し、両者の泣き叫ぶ大声が校庭まで届いた、と話になった。

 これが噂となって、その痴話喧嘩カップルを特定しよう、という人たちで学校は盛り上がった。

 白守さんと常殺くんは、顔を赤らめながら、日々を過ごしていた。

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放課後ヒネクラブ 二一人 @tamatama114514

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