第39話 井戸の謂れ

 東神家での話し合いの中、今まで現在のご当主がくだんの井戸の話を亡くなったご両親からほとんど聞いていない事が明らかになった。


 現代に至って、昔の謂れに対しての受け止め方は人それぞれだろうが、ご当主のご両親はそういう話をやはり信じてはいなかったのだろう。


 地元の旧家であり名士の東神家。多くの資産があり豊かな暮らしをしていく上で、昔から伝わる謂れによって不可思議な遭遇を身に受けた事のない者には本当かどうかも分からないただの昔話、もしくは眉唾物の話だろう。


 江戸時代に遡る井戸の障りの出所に関しても、どうやらその記録すら東神家では処分されていた様子だった。


 むしろ、こんな風に家に不名誉な言い伝えが残る事実を恥と考え無かった事にしたいと思ったのかもしれない。


 百家神社には江戸時代の当時の記録が残っている。とは言え、書かれている文字を読もうと思っても専門の知識が無ければ読める代物ではないそうだ。例えそれがまごうこと無き慣れ親しんだ漢字やかなを使った日本語だとしても、今では使われていない言葉遣いであったり、崩し字であったりと、ミミズがのたくったような感じでまるで読めないらしい。おまけに当て字なんてのも使われている。ではなぜ内容が分かるのかというと、百家神社では後継者が古文書を読めるように教育するのだそうだ。後継者も大変だなと思った。という事は百家くんも勉強しなければいけないという事になる。


 でも、その話を聞いた時、ちょっとだけ、私もそういうのが読めるようになりたいなと思った。そういうのを勉強してみたい。ほんの少し芽生えたその気持ちは私にとって未来に繋がる希望の欠片だったのかもしれない・・・。




 さて、話は東神家の事に戻る。当時、庄屋であった東神家の年頃の娘が疱瘡ほうそうに罹った。


 疱瘡とは天然痘てんねんとうの事で、奈良時代に大流行を起こし、日本の総人口の25%が亡くなっている。その後も何度も国内で猛威をふるった。日本では1956年(昭和31)まで確認されていて、1980年(昭和55年)にWHOにより天然痘根絶宣言が出され世界から消滅した。


 そして幕末に種痘による予防法が広がるまで治療法は無く、罹った患者を隔離するのが精一杯だったらしい。死亡率が高く、失明する事もある。有名な伊達政宗の隻眼も天然痘が原因だった。そして運よく助かっても体中に痕が残り見目が悪くなるために「見目定(みめさだ)めの病」として恐れられたのだ。見目の悪くなった者はその後の人生も左右されることになる。


 東神家で封印された記録がどの様なものだったのかは今となっては知る術がないけれど、百家神社に残る記録によると、疱瘡に罹った娘を東神家では蔵に隔離したとある。


 娘が疱瘡に罹った事は伏せられ、流感に罹り予後が悪く寝たきりになった事にされた。


 命はとりとめたものの娘の顔には酷い痘痕痘痕が残り、片目は瞑れたそうだ。決まっていた輿入れの話も消えて、将来を悲観した娘は井戸に飛び込んだという話であったけれど、事実は違うとなっている。


「表向きはその様な記録になっていますが、実際には東神家の娘が疱瘡に罹った等という話が外に漏れると外聞が悪い為に、蔵に閉じ込めていたらしいのです。その娘は気も触れてしまい、蔵から逃げ出したのですが家人に見つかり井戸まで追い詰められて・・・落とされたのだろう、という話でした。娘は井戸の中で数日は生きていたそうで、そののち井戸は埋められましたが、怪異に苦しめられる事になり、家の神社に助けを求めて来られたという記録です」


 怖い話だ。人って本当に残酷になれる。


「あの・・・井戸に落とされたというのは、どうして分かったのでしょうか?」


 お兄さんが至極まともな質問をした。


 霊力の高い人は死人の話を聞ける人もいるし、起こった出来事を視る事が出来る人もいるという。百家神社はおそらくそういう家系なのだと思うけど、信じられるかというと視えない人には無理だと思う。おまけに白狐が守っている家なのだ。聞かずともある程度の事実は分かっていたのではないだろうか?


「残っている記録によると、怪異というのが毎晩亡くなった娘が家人の枕元に立ち恨みつらみを言うという話だったそうなのです。『この家の血を絶やしてやる』そういった内容だったそうです。百家家の神職が向かった屋敷に漂う恨みの念が尋常で無かった為、当時の東神家の当主に本当の話をしてもらわなくては救えないと伝えた所、当主から事実を聞けたという事でした。当時村では、精神疾患の家系や疫病を持ち込んだ家等は村八分になっていたそうです。庄屋からその様な者が出る事は許せなかったと記してありました」


 すると、百家くんのお祖父さんは納得できる話をしてくれた。


「・・・怖いですね、それほど昔の事でなくとも、地域にあった風習や因習というものは、残酷です」


 お兄さんはぼそぼそとそう答え、背中を丸めて俯いた。とても悲しそうで私は思わず背中を撫でてあげたいような気分になったのだった。


 

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