第2話 田舎へ
JRを乗り継ぎ、母の実家へ向かっている。新幹線を降りて、駅でスタバに寄って軽食を摂った。
うーん、既に此処までで2時間以上かかっている。やっぱ遠いわ・・・。
住んでいたマンションから母の実家へ荷物を送る。引っ越しトラックが出て行くのを見送ってから、家を出る前にもう一度住んでいたマンションの部屋を見回す。うん、綺麗なもんだ、生活感のない空間が残って居る。ほぼ空になった状態というのか・・・。あと、着替えとかは先に段ボールでお祖父ちゃんの家に送っているので安心だ。
母と私が一つずつ持っていた鍵は、母が封筒にどちらも入れてからドアに付いているポストに落とした。
「よし、じゃっ帰ろうか」
そう言った母は嬉しそうだ。ずっとそう言いたかったんだろうなと、思った。
「うん、帰ろう」
母のその表情を見上げて返事をする。
帰省するには、交通費が大人料金なら往復合計三万二千円以上するのでお祖母ちゃんの葬式の時以来、母も実家には帰っていない。そう言えば、父はお祖母ちゃんの葬式も仕事を理由に出なかったなと思い出した。
母は、これからの生活を考えてなるべくお金を残す為にした事だ。私が大学に行くためのお金も心配するなと、男前の言葉を母から言われている。そう言われてしまうと、学校行きたくないなんて言えないよね。
こちらのマンションで使っていた電化製品等も全て母が揃えた物なので、実家に送られた。お祖父ちゃんの家は広いけど古く、物があまりない。電子レンジやオーブンなんかも使っていないし、トースターもない。冷蔵庫はあるけど小型だ。だからこっちから荷物を沢山送っても、それを置く場所には全く困らないのだ。
洗濯機もお祖父ちゃんの家の洗濯機は、物凄く古い奴で、挟んで回して絞る奴が付いている、私には手に余る物だったけど、今だにそれを使っている様だった。マンションでは、昨年壊れて買い換えた一層式の全自動で乾燥機にもなる物を使っていたので、それを送って向こうでの洗濯事情も安泰だ。
空っぽになったマンションで、父親が今後どうするのかは興味のない所だ。
それこそカーテンからテーブルから絨毯から全て母が揃えた物だった。カーテンなんかは全部外してゴミに出してしまった。父があそこで住むのならば、生活用品を一から揃えなくてはならない。
母は、自分の居た痕跡すら此処に残したくないと言っていた。私にとっては遺伝子学上、あの人は残念ながら父親である事には変わりないけど、母にとっては今後はもう他人だ。
母は、元々ここから私を連れて出ていくつもりでずっと生活していたので、余分な物など持たない主義だった。初めは父に母が離婚を申し出た時、何でか父は信じられない様な様子だった。そっちの方が信じられない。
今までの生活のお金の事や私の教育費用や様々な事。今だに家に帰って来たり来なかったりしている記録など、ずっと付けていた十年以上に渡る日記や細かい帳簿等は、全て弁護士事務所に証拠として渡してある事。父の女性関係に関しては興信所を使って調べてあった。
実際、祖母が数年前に亡くなった時に遺産分けとして母に幾らかお金が入っている事もあり、それを使って興信所を雇ったらしい。
父は最初、母が気を変えてくれるのではないかと思っていた様に思う。今まで自分のして来た事がどういう事なのか分かっていないのが残念すぎた。
結局、弁護士事務所で説明を受け、自分には勝ち目のない事を理解した父は、早々に母と協議離婚する事になり、事は早めに片付いた。でも父は何故か私に、母について行くのか?と聞いてきた。
「え、意味分からない、それ以外の要素が何処にあるの?そもそも、家族だった事ある?家はずっと母子家庭だったよ」
と、返したのは仕方ないと思う。
こういうタイプの男っていうのは、何故だか自分は妻に愛されていて、何をしても許されるのだと勘違いする様だ。ものすごいお目出たい、ご都合主義の湧いた(虫が)脳みそをしている。
自分の帰る快適な住まいが、誰のお陰で維持されていたと思うのだろうか。せめてお金だけでも家にきちんと入れていれば、少しは聞く耳くらい持ってくれたかもしれない。まあ聞くだけだろうけど。
自分の給料は、マンションの家賃以外は全て自分の為に使っていたようだ。必要もないスーツや靴等も沢山買っていた様子で、父の部屋には幾つもの靴をいれたブランド靴の箱が積み重ねてあった。そして、クローゼットは服でギチギチだった。
母は自分のワードローブはヨネクロとかの安価で見栄えのする物を着回していた。家の中では私のお下がりのジャージとかを着ていた。それを考えると父親の散財はムカつくわ。
ちなみに、父の部屋のクローゼットも母が買った物だったので、実家に送り、その中身は全て床に並べて置いた。
そりゃあ、金払いの良い高級品を身に着けた男はモテるのだろう。でも、貯金なんてしても居ないだろうから、今後の生活水準は駄々下がり間違いない。はっきり言ってヨレたおっさんなんて誰も見向きもしないはずだ。
金の切れ目が縁の切れ目って言うしね。
ただ、母が言うには、この事態は自分の見る目の無さが招いたことなので、何処にも文句を言えないとの事だった。
「一番、麻美に申し訳ないと思っているの。ごめんなさいね」
「お母さん、気にしなくていいよ、私、お母さんの娘に生まれて幸せだと思っているから」
そう言ったら母は涙ぐんでいたが、この気持ちは本当だ。
マンションを出て行く期日を母が父に伝えると、その日からマンションに帰って来なくなった。まあ、片付けなんかがあるから、居ない方が楽でよかった。何方にしても、元々帰ったり帰って来なかったり好き勝手していたのだ。
それにしても、父は家に帰ると何もないから驚くだろうなと思う。
さて、このH駅から在来線に乗換だけど、一時間に一本しか電車が無いので暫く待たなくてはならない。母と二人で駅ビルの総菜コーナーを見て回る事にした。お祖父ちゃんの家に到着するのは、この後、電車に乗ってから二時間はかかるだろうから、夕ご飯のおかずを買っておくのだ。
それにしても、人が多い場所に出ると、視えなくてもいいモノを付けている人にすれ違う事がある。、いかにもなギャル風の金髪の女の人には嬰児に見えるモノが幾つもくっついている。こんなにハッキリ見えるという事は、それだけ業が深いのだろう。嬰児達の表情は悲しそうに歪んでいる。
そうかと思えば今すれ違った男子高生の横にはぴったりとゴールデンレトリバーが寄り添っている。その瞳は愛おしそうに男子高生を見つめている。彼を守っているのだなと思った。生前は彼が大好きだったのだろう。その犬の身体は、もうかなりぼんやりと薄くなって見える・・・。
私は、見たくない物はなるべく見ない様に、視える目を塞ぐ事が出来る。それは小学校二年生で突然見えなくて良いモノが視える能力を手に入れてしまってからの色々な経験から学んだ事だった。本も色々読んだ。
まず、私には、悪意を持つ霊は近づけない様だという事が分かった。もしかしたら私はとても強く守護霊に守られているのかもしれない。そう思う程、視えるモノ達は邪悪そうなモノに至るまで、私に何かをしたりはしなかった。
残念な事に、自分の守護霊を見てみたいと思ったが自分には見えなかった。
嫌なものは視たくないと思っていれば、大抵は視ずに済んだし、よほど何か強い思い等を持っている様なそういう存在以外は、普段の生活では視なくて済んでいたのだ。
駅で電車を待つ間、総菜やお茶請けのお菓子を少し買って、近くの本屋さんで文庫本を数冊買い、母と電車に乗り込んだ。途中の狩留家駅辺りまでは人が居るが、だんだん減って行く。
ガタン、ゴトンと繰り返される音も気にも慣れた頃、数席あるボックス席が空いたので、母と二人で向かい合わせに座る。車両は一両のみで、単線だ。まるでバスみたいだと笑った。
母は窓枠に肘をついて景色を眺めていた。私は買った文庫本を一冊開きそれに目を落としながら、小学校の頃にあった出来事を思い出していた。
小学校4年生の時の算数の先生は増岡という男の先生で、自分の思う様に生徒が言う事を聞かないと、直ぐに大きな声で怒る先生だった。目はギョロリと大きく、下唇が大きくて突き出した様な容貌をしていたので、生徒達は『ベロンチョ魔人』と悪意を込めて陰でそう呼んでいた。となりの2組の担任で、そのクラスの生徒達にもとても嫌われていた。
私は、小学校4年生になっても、教室で本ばかり読んでいる子だった。少し長いお昼の休憩時間には図書室で本を借りて読むのが楽しみだけど、通わなくても良いなら、学校にも行きたくないと思うのは変わらなかった。相変わらずの生活だけど、お母さんは一生懸命働いて私を育てる為のお金を稼いでくれているのは理解しているし、心配はかけたくないと思っていた。
でもやはり、私は出来れば引きこもりたいといつも思っている、なぜって人間ってものが好きでない。
そして、腹に据えかねる様な事をされれば怒る。その時は理性がブチ切れた狂犬の様になる自分の性質を普段はひっそりと隠している。
やられっぱなしではいないのだ。凶悪な気分になり、相手に何だか分からない程危ない奴だと思われる様な事をする事がある。切れてしまう瞬間のそのスイッチがどう入るのかはあまり憶えていない。その異常さが分かればその相手からは遠巻きにされる。でもその位の距離感が丁度良い。そういう事が実はあった。
ありがたいのは、必ず母は私の話を否定せずに必ず最後まで聞いてくれる事と、言葉にして私をとても大切に思っていると言ってくれる事だった。言葉というのは大切だ。
父親は、当時も相変わらずの自分勝手で自堕落な生活を送っていたので、別にこれと言って、だからこうして欲しいとか、もっと父親らしい事をして欲しいだとかの希望は無かった。母と二人で成り立っている生活には、父はすでに無くていい存在になっていた。
隣のクラスの担任のベロンチョ魔人は独身の先生だった。唯一の趣味的な物は車で、白いMARKⅡに乗っていて、朝、登校時には職員の駐車場に車を止めて出て来る姿をよく見かけた。とても大事に乗っているらしく、いつも車体はワックスでピカピカに磨かれていた。その上、車内は土禁らしい。車に乗る時には、トランクから靴を入れる箱と運転用のサンダルを出し、履き替えるのだ。
算数の授業の時もよく大きな声で怒るので、ハッキリ言って私も嫌いだった。授業が分かりづらいのは、先生の教え方が悪いからだ。怒鳴られると子供は委縮する。隣のクラスの子供達はことある事に怒鳴り散らすベロンチョ魔人に、皆委縮していた。あのクラスの子達には悪いけど、増岡先生が担任にならなくて本当に良かったと思った。
それに、ベロンチョ魔人は最近特にいつも機嫌が悪い。この間は授業中に、自分の車に手痕を付ける生徒が居ると怒り始めた。
先生の車に泥の手の痕がたくさん付けられていたというのだ。それもここ毎日の事らしい。
「誰がやったのか、どのクラスの者なのかは分からないが、もし犯人が分かったら許さないぞ!」
話の途中から怒りが込み上げてきたのか、どんどん白熱し、声高に怒鳴り始める。するととなりのクラスで社会を教えていたうちのクラスの担任の山科先生が、その怒鳴り声を聞きとがめて部屋に入って来た。
「増岡先生、ちょっといいですか」
そう言って廊下に呼び出して何か言っている。山科先生は増岡先生よりもずっと年上で、分別のあるまともな男の先生だ。
「あの、なんでしょうか山科先生」
「増岡先生、誰だか分からない事で子供達を犯人扱いして、授業もせずに他の部屋まで聞こえるような怒鳴り声を上げるのは良くないですね。僕のクラスの生徒に変な言い掛かりをつけないで貰えませんか。それにもし親御さんから抗議の連絡が来たらどうされるんですか?」
窓際にいた私はそっと少し隙間を開けて声を聞こえるようにした。
皆聞き耳を立てて聞いている。その後、山科先生にしばらく注意されて増岡先生は部屋に入って来ると、途中になっていた授業の続きをはじめ、チャイムが鳴ると大人しく出て行った。急に元気がなくなっていた。
一人で頭を振ったり、傾げたりしながら職員室に戻って行った。
「ベロンチョの奴大嫌い」
「私も嫌い」
「俺も、返ったらお父さんとお母さんにさっきの事言ってやる」
「僕も言う。だって最近ずっとあんな感じだよ」
「なんか変だよなあのせんせ」
増岡先生が出て行った後、皆、文句の嵐だった。
私はそれよりも、最近ずっと気になっていた事があった。増岡先生の肩にミケネコが乗っているのだ。
皆には視えていないから、ツキモノなのだろうけど、さっきも先生が怒鳴り始める辺りで頭の上に乗っていた。
その猫は増岡先生を好きだから付いているのでは無さそうだ。時々威嚇するような風だった。シャーッと声を上げるみたいにに口が裂けそうな程歯を剥きだして怖い顔をしていた。もちろん先生に向けて。
そして、その翌々日、増岡先生は車で事故を起こし入院した。かなりの大怪我で学校に復帰するのは難しいと聞き、生徒達は皆大喜びだった。となりの二組には臨時の先生がやって来た。やさしそうな女の先生だった。
その後、驚いた事に、話は急展開して増岡先生は警察に逮捕される事になったのだ。実際には入院中で自力で動く事も出来ない状態だったので、事情聴取も病院でなされたのだった。
増岡先生が事故を起こした場所は人通りがあまりない道だ。その地元の者しか使わないような道は住宅街の外れにある。夜は街灯もない場所だ。
先生は抜け道としてその道をよく使っていたらしい。何故その道を知っていたかというと、子供の頃にその辺りに住んで居た事があったのだ。そして、その場所で二か月程前に小学六年生の女の子が亡くなっている。
違う小学校の区域だったので、そういう事があった事すら私は知らなかった。
その女の子は夕方、家の飼いネコが食べ物を吐いて具合が悪そうにしていたので、あわてて動物病院に猫を連れて行くと言ってリードを付けて抱き上げてから猫を家から連れて出たそうだ。
後でお母さんがあわてて追いかけて病院に行った時には来ていなかった。不思議に思い、家族で探し始めたがその後大雨になり、その中を傘をさして探した後、警察に連絡したのは一時間位経っていた頃だそうだ。
結局、その後暗くなってから、警察が団地の抜け道に倒れている女の子を見つけたのだが、残念ながらもう亡くなっていた。主な死因は、倒れた時に運悪く縁石で頭を打った事だったらしい。その後の大雨で、事故に遇ったのかもしれない痕跡は全て流されてしまっていたのだ。亡くなった女の子の身体には転げて頭を打った時の傷しか残っていなかったそうだ。
ただ、女の子の連れていたミケネコが見つからなかったのだ。
その増岡先生が事故を起こした場所は丁度その事故のあった場所を曲がった所で、そのまま、よその家の塀に突っ込む形で車が大破していたらしい。塀に車が突っ込んだ音で、近所の人が通報したのだ。
増岡先生は首の骨を折る大怪我だったそうだ。本人は事故の前後の事は憶えていないという。
だけど、その先生の壊れた車のエンジンルームの中から猫の死骸が見つかったのだ。その死骸には首輪が付いていて、亡くなった女の子が当日病院に連れて行こうとしていた猫の迷子札が付いていたのだ。
その後増岡先生は、頸椎損傷の為、寝たきりの生活を余儀なくされたらしい。
人よりも純粋に、ただ自分を愛して大切にしてくれる者を嗅ぎ分け、そして真っすぐな好意を返してくれる生き物・・・。駆け引きもなにも無く、対価も求めない。その強い思いは鮮烈な色を纏っている。
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