母が田舎の実家に戻りますので、私もついて行くことになりました―鎮魂歌(レクイエム)は誰の為に―
吉野屋桜子
第一章
第1話 児童クラブとかずちゃんの話
私が14才のある日、生物学的には、私の父親になる人と母が離婚した。別れる半年前くらいからだろうか、母がマンションの荷物を少しずつ片付け始めたのは。もちろん私も一緒に片付けを手伝った。
家族で、この街のマンションに住み始めたのは、父の転勤でこちらに移ることになった時で、私が小学校に上がる前の事だ。その頃の事はあまり憶えていない。でも私が小学生になると母が働き始め、私は児童クラブに1年と半年ちょっと通った。
母は朝早く仕事に出掛けて行く。その後、学校に行くのは集団登下校というのがあるので、この辺りの小学校へ行く子供達が固まって学校へ行く様になっている。その集合場所まで一人で行くのだ。
父親は夜遅く帰って来たり来なかったり。私は母と生活を共にしていたが、父としていた憶えがない。
休みの日には仕事だゴルフだなんだと出かけて行くし、常に自分の都合で動く人なので全く一緒に暮らしているという感じは無かった。もうこの頃から既に、父はマンションの家賃の支払い以外はあまり家にお金を入れていないらしかった。
たまーに家で、ご飯を一緒に食べる事があるけど、父とは話す事がない。母は、夕食を用意しておけば無駄になる事が多かったので、母から父に、家に帰って夕食を摂る時には予め連絡を入れて欲しい。それをしないのであれば、自分でコンビニででも調達してくれと言い渡されていたのを知っている。家賃以外お金を入れて無いんだから、嫌ともいえなかった様だ。もはや、家族というより、家の中に間借りしているおじさんが居るみたいな感じだ。たまに寝に帰って来るみたいな。
私が生まれたのは、西暦2000年の八月十四日でちょうどお盆の時期だった。その頃は母の母もまだ生きていて出産の為に里帰りをしていた様だ。当時はミレニアムベイビーという言葉が流行ったらしい。
その後、数年前に祖母はインフルエンザで呆気なくこの世を去った。残された祖父はそれでも気丈に振る舞い、家で一人でぼーっとしているのも嫌だからと、シルバーに登録して公園の樹木の管理等を手掛けて、割と元気に一人で暮らしている。
話しは戻るけど、小2の途中から児童クラブに行かなくなってからは、鍵を紐で首からぶら下げて無くさないようにして、直接家に戻るようになった。所謂、『鍵っ子』という奴だ。
でも、直接家に帰る事が出来るその方が気が楽で、私は嬉しかった。一人は気楽でいい。児童クラブに通う子達の中には、家庭的な問題を抱えた子供も居て、その様な家庭環境の子供は攻撃的な子供もいた。私は何方かと言うとぼんやりしたタイプに見えるらしく、そういう子の攻撃目標にされる事もあった。
だから、大体は校庭の隅に隠れて一人で居た。その児童クラブは、小学校のグラウンドに隣接する場所に建てられており、古い町にある小学校なので、大きな木が多く隠れ場所は沢山あった。だから宿題をする学習時間以外は、木の裏に隠れて、拾った木の枝で地面にじろじろと絵を描いていた。
幼くても、自分と違う様子の子は見て居れば分かる。不衛生で、季節感のない、身体に合っていない服を着ている子がいた。顔に痣を作ってとても痩せた子。
公立の小学校だったのでそういう子が幾人かは居た。給食でしかまともな食事の出来ない子供だ。
そして、私の隅っこ暮らしに、一人の友達が出来た。その子はいつも同じ汚れた服を着ていて、よく身体に痣を作っていた女の子だ。いつもオドオドしている子だった。隅っこで二人というより、お一人様ずつ別々に過ごしていたけど、ある日ポケットの中に残していたオヤツの飴をこっそり口に入れようとしていたら、穴が開きそうな程じーっと見られている事に気付いた。
「たべる?」
二つあったので、そう聞くとその子は頷いた。それで飴をあげると、まるで盗られるのを恐れる様に直ぐに口に入れた。
「あ、ありがと」
頬を飴で膨らませて、消え入りそうな声でそう言った。その子は児童クラブでは、先生にかずちゃんと呼ばれていた。
それからは、こっそりとオヤツを隠しておいたり、バレない様に家から隠してオヤツを持って行き、二人でこっそり木の陰で食べるようになった。
かずちゃんは、小学校でも学校の上履きを親に買って貰えなかった。いつも裸足でいた。靴下は履いていない。見かねた保健室の先生にスリッパを貸してもらって、いつもそれを履いていた。
でも、本当はそれすらもしてはいけない事だと言う。何故って特別扱いになるからだって。家庭環境の悪い子供は他にも居るのに、その子だけ特別扱いすると、他の無理してでも上履きを用意している家の人が怒るからだって。世の中がオカシイ。
どうしてそれを私が知っているかって?小学校で保健室の先生に聞いたからだ。保健室の先生は宮本先生という女の先生だった。どうしてもっとかずちゃんを助けてくれないのか、聞きにいったのだ。かずちゃんにスリッパを貸してくれた宮本先生ならば、助けてくれるかも知れないと思ったのだ。
服なんかも、冬で寒いのに薄い汚れた半袖を着ているのを見るのがつらいのだ。宮本先生にそれを言うと、人の家庭には口を出せないし、勝手な事をすると、逆にその子が親から酷い目に遇う事もあるのだと言われた。(当時のその小学校は、他にも虐め問題なんかもあったらしいのに、学校は見て見ぬ振りを貫いていたと後に聞いた事がある。そういう風に問題を隠す悪い体質をどの学校も持っていた。)
それに他の意地の悪い子供達が、かずちゃんを汚いと虐めたりしていたようだ。小学校では、かずちゃんとはクラスが違っていた。私は休憩時間はいつも一人で学級図書の本を読んですごしていた。別にボッチで構わなかった。
誰かに合わせてしんどい思いをする位なら、一人の方がいい。
でも、かずちゃんみたいに、親にひどい事をされている子供を見て見ぬ振りをするのが、ちゃんとした大人のする事だなんて。多くの大人が居るのに、誰も助けてくれないなんて、おかしいと思っていた。
今ならわかる。大人と呼ばれる人たちは、本当は助ける事が出来るはずなのに、その時に起る面倒を自分が被るのが嫌なのだ。
私はどうしても児童クラブに馴染めなかった。本当は小学校も嫌だったけど。だから学校が終わると其処に行かなければならないという事にずっとストレスを感じていた。そして、ある事件をきっかけに、児童クラブにはもう行きたくなくなった。だから母に『もう、行きたくない』とはっきりと伝えた。
すると、母はあっさりと児童クラブに通わなくて良いと言ってくれたのだ。
だって、少しずつ仲良くなったかずちゃんは、ある日学校にも児童クラブにも来なくなった。
誰もどうしてなのか分からなかった。でも、私は知っていた。
かずちゃんは死んでいたのだ。死んだ次の日に児童クラブの私の所に現れて、今は、川の中に沈んでいるのだと教えてくれた。
『あのね、あめとか、ありがとね』
その日はお天気だったけど、彼女はびしょ濡れ姿で、私がいつも居る校庭の隅っこに現れてそう言った。
「どうして濡れているの?」
季節は11月でもう寒い時期だった。まわりの山の樹木も雑木が紅葉して葉っぱが黄色や赤に変わっていた。
『お母さんが橋の上から私を川に落としたの。だからまだ川の中にいるの。赤い橋の下・・・』
かずちゃんは赤い橋のある方向を指さした。古びた赤い橋が掛かっている川が有る辺りは、だいぶ古い共同住宅がポツンと有るけど、他には周りに建物も無く、人も殆ど住んでいない様な寂しい場所だった。そこにかずちゃんは母親と住んでいたのだろう。
かずちゃんの髪の毛の先から、向こうを指差したその指先からもぽたぽたと水が地面に落ちる。唇は紫色をしている。
「どうして落としたの?」
『私がいるとじゃまなんだって。・・・でもいいの、もう行かなきゃ、じゃあねバイバイ』
かずちゃんの身体は半分透けていた。でも怖くなかった。かずちゃんはきっと寒くなくて、お腹の空かない所に行くのだ。
「かずちゃん・・・バイバイ」
『うん、バイバイ』
かずちゃんは軽い足取りで、どこかに向かって駆けて行った。もうその時には身体は殆ど見えていなかったけど、そんな風に見えた。
それから暫くして、かずちゃんの遺体が川から見つかった。学校でもニュースでもしばらくその話で持ちきりだった。
赤いランドセルが丁度かずちゃんの沈んでいる橋の欄干に汚れたロープでぶら下げられていて、見つけた人が変に思って川を覗き込むとガスで膨らんだ子供の白い手が浮き沈みして見えたのだという。
運悪く川底の石にスカートの釣り紐が引っ掛かり流れて行かなかったのだ。
犯人は母親で、男と付き合うには子供が邪魔で、突発的に突き落としたと言っていたそうだ。別の県に逃げていたけどパチンコ屋の住み込みに入り込んでいたのを、ニュースを見た同僚に『似ている人が居る』と警察に通報されて捕まったらしい。
赤いランドセルはだいぶ前の古い物だけど、使われた様子のないサラの状態だった。そのランドセルは、亡くなった女の子のランドセルでは無かった。どうしてあんな場所に吊り下げられていたのか謎だと話題になっていた。
母子家庭でも立派に子育てする人もいればそうでない人も居る。子供を作ったのも生んだのも自分なのに、邪魔だからと殺すなんて自分勝手すぎる。
でも、かずちゃんは、汚い世界より綺麗な世界に呼ばれて行ったのだ。私には何も出来なかったし、なにかする力もない。
ただ、どうか、今度はやさしい人のところに生まれますように・・・とあの時思ったのを憶えている。
そして、私にはこの時から、見えなくても良いものが見えるようになったようなのだ。
児童クラブに行かなくなってから、暫くして、久しぶりに父親が家で朝ごはんを食べていた。
「そういえば、麻美に買ってやったランドセル使ってないのか?見た事ないな」
「・・・重たいから、使ってない」
「そうか」
父が小学校一年生に上がる時、急に思い立って買って来たランドセルは使っていなかった。町の商店街の古い店が閉店セールをやっている時に激安だったので買って来たと自慢していた。とても重いし、皆と同じような赤いランドセルなんて背負って行く気はなかった。
当時はまだランドセルは女の子は赤、男の子は黒が主流だった時代だ。今の様に色々な色を選び放題で、A4サイズも入るというのは無かった。軽い素材のクバリーノでもなく、本革の奴だった。それはビニール袋からも出さずに押し入れに押し込んでいた。それに、もう母から通学用のバッグは買ってもらっていたのだ。
私の通う小学校は公立で、色々な生活環境の家に配慮して、高いランドセルを買わなくても良かったので、母が買ってくれた軽くて使いやすいサンディオキャラクターのフィフィ&レレの背負える布バッグを使っていた。
たまに、自分のやってる事に罪悪感を感じているのか、父はふいに思いついてまるでとって付けた様に何かをしようとするけれど、母も私もしらけるだけだった。
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