第9話 初めての色

「……」


 先輩が集中して小説を書いてるし、私も待ってる間に少しでも物語を進めようと思ってたんだけど……


「……」


 二人が私の両腕に抱き着いて離れようとしない。これじゃパソコンに手が届かないし、そもそも二人ともこんなことするような人じゃなかったのに何がどうなってこうなってるの? こんなに甘えん坊だったっけ? お姉ちゃんは誰でも守ってあげられるような優しくて強かったような感じもするし、有彩は思ったことをはっきりと言える真っ直ぐな人だって思ってたのに。


「………」


 動画サイトに上がってる猫ぐらいの甘えようだ。しかもめちゃくちゃ良い匂いするし。そんな二人に挟まれると、私の普通さが目立ちすぎて辛い。普通中の普通。ベストオブ普通だ。モデルしてる訳でもアイドルをしてる訳でも無い。中学の頃に出逢った男の子がヒーローみたいな子で私も頑張って肩を並べたいって思ってる訳でも無い。幼馴染とずっと一緒に居たいからって学校の先生になった訳でも無い。とにかく普通なんだ。


「あの……」


「「なに?」」


 綺麗にハモリながら返事をする二人に目はキラキラ輝いていてとにかく眩しかった。先輩はパソコンと睨めっこしてるし、先生たちはロマンが溢れた二人だけの空間に居るし。後から来た文芸部の先輩たちは今の状況を見て驚くし、めちゃくちゃ驚いてるし。ぽかんと口を開けて何も言わないし。いつもなら笑顔で声を掛けてくれるのに今日はそう言う訳にも行かない。


「立花ちゃん。すぐ戻ってくるね」


 そう言って文芸部の先輩は走って出て行った。そして二分もしないうちに大きな声が部室まで届いてきた。


「どんな状況やねんっ!! めっちゃ凄い状況になっとるやんけ!!! 小説でも書くのが躊躇われるほど非日常やんけ!!!」


 先輩の声だった。しかも関西弁でもの凄く怒ってた。確かに有名人が部室に居ると集中出来ないよね。二人に説明して帰ってもらうしかないのかな。


「気にせんでええからずっとおってぇええええ!! めっちゃファンやねん!! めっちゃ好きやねん!!! あかん……泣いてまう」


 先輩の鳴き声が響いてくる。部室に居る私だけにしか聞こえない声。だって先生たちは姿がここにあっても意識がどこかに行っちゃってるし、先輩もほとんど同じ状況だし。


「………あ、おかえりなさい」


「お待たせ! お客さん? ゆっくりしてくれて良いよ! お茶とかは出せないけどね」


 さっき本当に叫んでたのか疑問になるくらい平然としている。さっきのは私の幻聴で思い過ごしだったのかも知れない。


「ありがとっ! 私の名前は星月ね! よろしく!」


「星月さんね! そちらの方は?」


「私? 赤羽 有彩です! よろしくね!」


「うんっ! よろしくっ!」


 胸を押さえながらいつもの席に腰を掛ける先輩は手で顔を覆ってぼそっと何か呟いていた。


「尊ぃ……」

 

聞こえなかったことにしよう。


「出来た! 出来たよ立花さん!」


 その声を聞いた瞬間、両腕に居る二人が親の仇でも見つけたくらいに青原先輩のことを睨んでいる。もの凄い目つきで睨んでいる。そんなに睨まれているのに一切気にしない青原先輩はもの凄く強いのか、もの凄く鈍感なのかも知れない。多分後者だ。


「これ! 読んで!」


 本当に先輩が書いたのかなって思った。いつもはもの凄く綺麗な情景描写が先輩の作品の凄い所なのに、この作品は人としての暗い闇やそんな人が見える風景は何もかもが澱んで見えるような、とにかく不安に見える文だった。


「ごめんね、ちょっと待っててね」


 二人に謝ってから先輩の手を引っ張って桜の木の下まで走った。何か分からない。先輩もいつも通りだし、どこがおかしいか分からないけど今の先輩は何かおかしい。小説は人の思いをそのまま映す鏡みたいな物だって先輩も言ってたし。先輩は人に弱みを見せようとしない。いつも通りがずっと続くのは普通はあり得ない。辛いことや苦しいことだってあるはずだもん。


「どうしたんですか?」


「………どうもしないよ」


「何でも良いから話してください」


「ちょっとスランプって言うか……見つかりもしないものを探し続けて才能もない癖にこんなことばかりしてるのは馬鹿だなって」


 初めて見た先輩の悲しげな顔。初めて話してくれた先輩の悩み。初めて聞いた先輩の闇。そのどれもが初めてで、やっと話してくれたんだって思うと少し先輩との距離が近くなった気がして嬉しかった。

 桜の木を指さして先輩に一つ質問してみる。


「先輩には何色に見えますか?」


「葉桜……緑」


「じゃあ、心の色は何色ですか?」


 先輩の胸に指を差して聞いた。先輩は少し暗い顔をして悩んでいる。そしてどこまでも落ちて行くよう

な重く暗い声で言った。


「ぐちゃぐちゃで分かんない」


「それで良いんですよ。先輩にはまだ色が見えてるじゃないですか。ただ、わがままを言えるなら……」


 先輩の手をそっと握る。私が悩んでる時に先輩がしてくれたこと。天野先生から教わったことでも先輩が私にしてくれた。あの時はビックリして先輩にお礼が言えなかったけど、今は私も先輩の力になりたい。


「……先輩の心の色がいつか私の色で染まれば良いのになって」


「それって――」


「この話は終わりです。部室へ戻りますよ!」


 顔を真っ赤にして照れる先輩。初めて見た表情だ。この先も先輩の色んな表情を近くで見て行きたい。いつの日か恋心の色が見えるように――

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