8 届いた歌声と風

「フィオは、時空の狭間から来たの……?」

「そうだ」


 事もなげにそう言って、フィオは頷く。


「だって、時空の狭間から出られなくなるって……」

「俺にそれは当てはまらない」


 相変わらず簡潔な答え。それきり、彼女は黙る。

 訊けば答えてくれるけど、自分からはあまり話さないって感じなのかぁ。

 ひとまずは、わたしも干し肉を噛む事に専念する。


 フィオは、こんなダンジョンの奥までひとりで来ても平気。防具も必要ない。

 時空の狭間に入っても出て来られる。

 これだけでも、かなり強そう。


 影のことも知ってるし、わたしの古地図オールドマップの事も……。

 そうだ、古地図オールドマップ


「ねぇ、わたしのその古地図オールドマップ他の世界アガニスタのエルフが作ったって言ったわよね?」

「ああ」

「わかるの? この世界サレファスで作られたものと何か違うの?」

「そのうちわかる」


 フィオはそれだけ言って黙った。それ以上は今は答えない。そんな意志のある瞳をしている。

 その瞳に気圧されて、噛んでいた干し肉を飲み込んだ。そして、ちょっと躊躇ったけど、水に手を伸ばす。

 多分、この人は悪い人じゃない。水を飲んでも大丈夫、だと思う。


 飲み込んだ水は、ごく普通の味だった。だけど、ずっと水を飲んでなかったからか、止まらない。

 結局、悪いかなと思いつつも、半分くらいは一気に飲んでしまった。やっぱり水は必要なんだな……。

 なんて思ってひと息ついた、まさにその時。


 ——ユウタ!?


 それは突然だった。

 ユウタの歌が聴こえた!!


 はっとして辺りを見回すけど、違う、ここにユウタがいるわけじゃない。それが直感的にわかる。

 歌も、これは、実際に耳に聴こえているわけじゃ……ない……。なんていうか、頭の中に直接流れ込んでくるような……。

 その証拠に、急にきょろきょろしたわたしを、じろりとフィオが睨んできた。その表情には、ほんの少しの怪訝さも伺える。

 フィオには聴こえないんだ。


「なんだ?」

「い、いや、なんか蟲がいたような気がして……蟲苦手なんだわたし」


 咄嗟にごまかす。

 フィオはきっと、多分、悪い人じゃないと思う。でも、本当のところはわからない。

 言っていいのかな。


「あ、それよりもさ。わたし、このダンジョンに仲間と一緒に入ったの。鉱石採取の仕事でね」


 とりあえずフィオの気を逸らさなきゃ。

 ユウタの歌は、まだ頭の中に聴こえている。

 どうしてだろう、わかる。ユウタはまだ直接声は届かないけれど、それでも近くにいる。それはみんなが無事で、まだこのダンジョンの中に、危険な奥深くにいるってこと。

 わたしを捜してくれてるんだ。

 ユウタがいるなら、みんなも一緒にいるんだと思う。

 ジュン、どうして。どうして捜しに来たりしたの、危険なんだよ。

 だけど、同時にみんなが近くにいることが嬉しい。危険すぎる、だからここに居て欲しくなかった。それなのに、どうしてこんなに嬉しいの。


 その嬉しさに反するように、右腕の痣が痛んだ。その痛みに、少し顔が引きつる。


 フィオは、みんなのことを受け入れてくれるのかな。

 それだけでも、探っておかなくちゃ。


「でも途中で大型の魔物に襲われて、わたし川に落ちて流されて、それっきりはぐれたままなの」


 フィオは何も言わない。

 ただ鋭い瞳で、睨みつけるようにわたしを見てくる。

 わたしの下手な芝居じゃすぐに見抜かれそう。でも、これは本当のことだから、えっと、芝居っぽさはマシだよね、きっと。うん。


「フィオ、なんか強そうだし、わたしの仲間探すの手伝ったりしてくれないかな?」

「断る」


 即答だった。


「何か勘違いしているようだが、お前は餌だ。それ以外に用はない 」

「……」


 うう、これはみんなが近くにいるかもって言わない方が良いのかな。

 絶対に、フィオがいてくれた方がみんなは安全な気がする。

 でも、フィオがそうなのかはわからないけど、冒険者なら他のパーティを助けないという選択肢はあるんだよね。自分の安全を捨ててまで、助ける義理はないって考えは、悲しいけどある意味正しい。


 フィオは、見るからに軽装だ。荷物も背中に背負った革袋ひとつ。なのに、干し肉も水もわたしにくれた。

 わたしの仲間なら、実力だってわたしとそれほど変わらないと考えるだろうな。フィオにとっては、きっと足手まといになる。

 そんなお荷物を増やしたくないと考えるのは当然かもしれない。

 むしろ、足手まといになるくらいならって攻撃対象にするとも限らないし……。


 みんなが、少なくともユウタは、近くにいるってわかってるのに。

 わたしがフィオと一緒にいるうちは合流するのは危険かもしれない。で、でもでも、こんなダンジョンの奥で、どっちにしろ危険じゃない!

 わたし、どうしたらいいんだろう!?


 ぐるぐるとわたしが頭の中で百面相してるのも知らず、フィオは黙って——そして立ち上がった。

 立て、とわたしにも声をかけ背を向ける。

 風が吹いた。影を追い払ってくれた時のように。


 フィオの背が少し丸まり、前傾姿勢を取る。それを見て、わたしも慌てて立ち上がった。

 なにか来るんだ!?

 魔物の感じはしないから、害獣モンスター!?


 果たして、明かりの消えゆく暗がりから、それは現れた。


 岩のような硬い皮膚に覆われた4本足の獣。その足は太く、身体も大きい。立ち上がればわたしたちの身長を大きく上回ると思う。

 その身体に似合わないほど小さな頭と、身体と同じくらい長い尾を持っていて、その全てが硬そう。

 これも他の世界から来たのかな、わたしの知らない害獣モンスターだ。


 低く唸り声を上げている。

 その太い足が地面を掻いた。


(そうだ、歌―――!!)


 今ここでわたしが歌うことは、不自然じゃないよね!?

 ユウタの声が届くんだもん、わたしの声だってユウタに届くかもしれない。

 ユウタの声はまだ頭の中に響いている。今歌っているのは、ユウタのソロだ。ユウタが里を出てから作った、希望の歌。


 一緒に歌うよ、ユウタ!

 どうかユウタに、みんなに届きますように!




「……遠い故郷の

 香り感じている


 翼広げて異国の夢を求めて

 もう戻らないものをつかもうとしている

 遠く輝く空の果てから

 響く君の声を……」




 ユウタの声とぴたりと重なる。

 突然、しかも途中から歌い出したわたしを、フィオはちらりと振り返った。けれどなにも言わずに、すぐに目線を害獣モンスターに戻す。

 風が吹き出した。この風は、フィオの魔法なんだろうか。

 フィオの黒髪がはためいて、広がる。




「……想いは色あせることなく続く

 どこか懐かしい色

 今日が終わっていく


 いつでも聞こえる君の歌声だけ

 胸に抱きしめて歩いて行きたい

 陽はまた昇り世界を染め抜いていく」




 きらきらとあふれ出すシリアーの魔法の力。

 ユウタ、届いているかな。どうか届いて。今わたし、一緒に歌っているよ。


 害獣モンスターが唸った。その長い尾を左右に振り、口を大きく開けて威嚇。

 地面を蹴り付ける後ろ足の動きが激しい。来る!


 その巨体に似合わないほどの速さで、害獣モンスターは地面を蹴った。猛突進してくる。

 フィオは動かない。そのフィオと、後ろのわたし目がけて迫り来る巨体。

 どうしよう、フィオは本当に強いんだろうか。

 防御の魔法を発動させられれば――いや、間に合わない!


 フィオの右手がゆらりと動いた。それは弧を描いて、害獣モンスターに向けて差し出された。

 途端に巻き起こる突風。その突風が壁になったのか、害獣モンスターは見えない何かにぶつかったかのごとく先に進めなくなる。

 いや、壁というよりも、なんだか……なにかに絡め取られているみたいな……。

 やっぱりこれはフィオの魔法なんだ!

 それにしては、詠唱は聴こえなかったけど、わたしが歌っているから聞き逃しただけ?

 それとも……。




「……記憶の空へ飛び出す

 その先にあるものを世界に響かせよう

 遠く近く触れる想いに

 いつかたどり着きたい

 永遠に巡る時間を一緒に渡ろう」




 風が吹き荒ぶ。その風になぶられて、右腕の痣が痛んだ。

 その痛みに少し声が詰まりかけて、ぐっと我慢する。

 頑張るのよ、この歌を、みんなに届けなくちゃいけないの!


 害獣モンスターは風に巻き取られてもがいている。

 またフィオの手が閃いた。


「!!」


 途端に害獣モンスターの石のような皮膚が裂け、血が吹き出す!


(風だ―――!)


 風が刃のように害獣モンスターを切り裂いているんだ。本当の刃では絶対に歯が立たないって思えるくらい、硬そうな皮膚を。

 低くくぐもった害獣モンスターの叫び声。どうと倒れた巨体は、もがきながら力を失っていく。

 害獣モンスターはそういう生き物なだけで、彼らには罪はない。それでも、どちらかしか生き残れないなら、戦うしかないんだ。


 風がやんでいく。

 害獣モンスターは血を流して、もう動かない。




「……歌う君へ届けと

 心はいつでも飛んで行ける

 何処へだって自由の翼で翔けて行ける


 いつまでも自由で豊かな旅は続く」




 振り返ったフィオがわたしを見たけど、歌は止められなかった。

 歌い切って光が消えても、そのままわたしを見て、なにか思案しているような……。


「フィオ、やっぱり強いんだね。魔法を発動させる暇もなかったよ。わたし、その、まだちゃんと魔法使えないんだけど……」


 フィオは答えない。

 そうだよね、これじゃ独り言だ。


「さっきの風は、フィオの魔法なの? 詠唱してるように見えなかったけど」

「あぁ。精霊魔法だから詠唱はいらん」


 彼女はさも当然のように答えてきたけど、わたしにはさっぱりわからない。

 呪文の詠唱がいらないのは、無詠唱っていう方法だよね?

 シーナが言うには、魔法を使うには詠唱で適切な回路を開いてやることが必要だって。その回路は、使う魔法の種類や威力で変わるって言ってたと思う。

 それでいくと、無詠唱で魔法を使える人は、詠唱しなくても自分の力で適切な回路を開ける人、ってこと?

 うーん、合ってるのかな。

 とにかく、フィオはそういう人なんだろうか。

 にしても精霊魔法! エルフが得意だっていうやつだ。


「精霊魔法で魔法を使うのは精霊の方だ。俺じゃない。だから詠唱はいらん。そのほかの普通の魔法はもちろん詠唱はいるがな」


 よくわからない、というような顔をしたわたしに、フィオが説明してくれる。こういうところ、やっぱり悪い人には見えない。

 ちゃんと話が通じる……というか、わたしの言動をよく見てるっていうか。


「そうなんだ……精霊魔法なんて初めてで……」


 私のその言葉が終わりきらないうちに、フィオがこちらに向かって歩き出す。

 すれ違いざまに、行くぞと小さく声をかけ、そのまま歩いて行く。


「あ、待ってよ!」


 慌ててフィオの背中を追う。

 彼女はちらりとこちらに目を向けたけど、足は止めなかった。わたしがちゃんとついて来ているのだけ確認したみたいだ。


 これから餌にされるんだろうな。

 右腕を見下ろすと、赤黒い痣。そこは鈍く痛みながらも、時折刺すような鋭い痛みをも与えてくる。


 ユウタの歌は、もう聴こえてこない。


 ねえ、ユウタ。みんな。きっと近くにいるんだよね。

 わたしの歌は届いたかな?

 届いているといい。

 わたしは大丈夫、今のところだけどまだ生きているよ。


 だから、だからどうかみんなに、また会えますように!






 挿入歌「昇る陽の讃歌」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054893145556








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