7 影を狩るもの

 耳を疑った。

 今、なんて……?


「その痣は、影がお前を引っ張った証、一種の呪いのようなものだ。そのままなら、お前は死ぬしかない」


 死ぬ?

 赤黒い痣が疼く。この痛みは、呪いなの?


「いや、ただ死ぬならまだいい。影に引っ張られた奴は、影になる。例外なくだ」

「影に……わたしが……?」


 それは恐怖でしかなかった。

 あの、地獄のような苦しみに身を焼かれながら彷徨う影になるの?

 い、いやだ……そんなの嫌だ。

 それならいっそ、死んだ方が楽じゃないの!


「影になるなら、餌になってからにしろ。穴は閉じなきゃならねぇからな」


 お前が影になったら、俺が狩ってやる。その彼女の言葉が無情に響いた。

 そんな、そんなこと……。


「助かりたいなら、その呪いの元を断つことだ 」


 つまり、餌になることは避けられない。そう彼女は言い切った。

 あの影をやっつければ、呪いは解けるんだ。


 だとしたら、本当にわたしは餌になるしかないんだ。

 自分が助かるためにも。


 でも、彼女が言うことは本当なんだろうか。

 彼女は一体何者なの!?

 そんな思いは馬鹿正直に顔に出ていたのか、彼女が一瞬鼻白む。


「お前が嫌でも拒否権はない」


 無理矢理にでも連れて行ける。

 口にこそ出されなかったけれど、そう言われた気がした。

 そしてそれは事実なんだ。


「影についてはわかったな?」


 ゆっくりと頷く。

 とにかく、彼女の言葉を信じるなら、わかった。

 わたしの命が危ないことも。


「なら、今度は俺の質問に答えろ」


 そう言った彼女が、地面から拾い上げたもの。

 それは、わたしの腰に付いていたはずのポーチだった。

 その中から彼女が取り出したのは、古地図オールドマップ


「何するの!? 返して!」


 高価なものだから奪ったの!?

 でもそれは渡せない、どうしても渡せない。

 だってそれはお母さんが遺してくれた地図だから!


「この地図はどこで手に入れた」


 彼女の声は、冷たい。

 答えないことを許さないような、有無を言わせぬ強さ。

 そのかたくなな冷たさに、戸惑う。


 どうしてそんなことを?

 地図なんて、高価だけど珍しいものでもないのに。


「そんなこと、あなたに関係あるの!? 返してよ!」


 唇を噛みしめて立ち上がる。

 少し足元がふらついたけれど、身体の疲労感はだいぶましになっていた。

 右腕だけがズキズキと痛い。


「答えろ」

「返して!」


 叫ぶように返すと、彼女の周りに風が巻き起こった。

 そうだ、影を追い払ってくれた時も、ダンジョンの中なのに突風が吹いた。

 彼女の魔法……?


「答えろと言っている」

「どうして!? それはあなたには関係ないものでしょう?」


 しかし彼女の瞳は揺るがない。


「この地図は他の世界アガニスタのエルフが作った」

「え……?」


 一瞬、虚を衝かれた。エルフが? しかもアガニスタの?

 なぜ、そんなものをお母さんが持ってたの?

 ううん、彼女の言葉が本当なんて証拠はない。嘘かも。

 でも、わたしの動揺は伝わってしまっていたみたいだ。


「知らなかったのか?」

「だってそれ、お母さんから貰ったものだから……」


 つい、本当のことをつぶやいてしまう。

 嘘かもしれない。そう思いたいけど、もう一人のわたしは本当なのかもと思ってる。


「シリアー族のか?」

「そうだけど、なんで知って……」

「歌っているのを見た」


 そっか、あの影と対峙した時に歌ってたのを見たんだ。

 それでわたしがシリアー族だってわかったのね。


「お前の母親はどこで?」

「知らない」


 それに、もう聞くことも出来ない。

 お母さんは……。


 酷い嵐の音が耳の奥で響く。

 なにか人知を超えた怪物が唸っているかのような嵐の音。

 何もかもを押し流した……。


「お前、名前は」


 その一言に、お腹の辺りがギュッとなった。熱いものが渦巻く。

 何よ、そんなにぽんぽん一方的に喋って。

 わたしのことなんて何にも知らないくせに。


「さっきからなんなの!? 人に名前聞くなら、あなたから名乗ってよ!」


 叩き付けるように叫ぶと、今度は胸がむかむかして来た。

 わたしが、わたしにとってその古地図オールドマップがどんなものかも知らないくせに!


 彼女の表情は動かない。

 それでも、冷ややかな視線は和らいだ気がした。


「フィオ・サンジェルトだ」


 今までと同じ調子で、彼女はあっさりと名乗った。

 話はわかる人なんだ……。


「大事なものか」


 彼女——フィオが続けた言葉に頷く。

 その地図は古いけれど、わたしにとっては替えのきかないものだ。

 もう一度、彼女が名前を聞いた。今度は、それに答える。


「リリア・ファルニア……そうか」


 彼女はわたしの名前を繰り返し、頷いた。

 地図をポーチにしまい、そのポーチは自分の腰にぶら下げる。


「別に盗って売り払おうってわけじゃねぇよ。お前——リリアか。リリアが影にならなかったら返してやる」


 それまでは預かる。餌になってもらわなきゃならねぇからな。

 彼女——フィオはそう言って、今度は地面から自分の荷物を拾い上げた。

 肩からお腹の方へ斜めに背負うタイプの革袋だ。


 その中から取り出したのは、干し肉。

 それをこちらへ差し出す。


「今のうちに食っておけ。最後の食事かもしれないからな」

「ひ、一言余計よっ!」


 頑張ってそう反論してみたものの、食べ物を見ると駄目だった。

 そう言えば、フィオに助けられる前からお腹が空いてたんだ。

 そう自覚すると、猛烈に空腹感が襲って来る。

 フィオが味方かどうかとか、その干し肉が安全かどうかとか、そんなのどうでも良いくらい食べたくて。


 左腕を伸ばして、その肉をつかむ。そのまま口へと運んだ。

 美味しいとは言い難い。それでも口を動かすのがやめられない。


「座れ」


 なんだか少し呆れたような声がかかる。

 口を動かしながら大人しく座ると、目の前に小さめの革袋が置かれる。


「水だ。飲んでおけ」


 おそらく家畜の胃袋かなんかで作っただろう形状の水筒だった。

 普通、水筒は丈夫な金属製が多い。だけど、丈夫なかわりに重たいんだよね。

 だから、冒険者をはじめとして、旅をして生活をしているような人達には、この胃袋を使った水筒が好まれてる。軽いし、中身がなくなれば折り畳めるのは便利だ。

 わたしも、この形状のものを持っている。でも、今回はすぐに帰れる予定だったから、水筒を持っていたのはジュンとユウタだけだった。


「あっ、ありがとう……あなたは?」

「お前が寝ている間に飲んだからいらん」


 そ、そうなんだ……。

 って、そう言えばわたしどれくらい意識失ってたの!?


「フィオ、わたし一体どれくらい……」


 気を失ってたんだろう!?

 声に出さなかった部分を、それでも彼女はわかってくれたようだ。

 ぼそっと大体5時間くらいだろうなと返事が返ってくる。

 そのままフィオも地面へと座った。


 あれから5時間も経ってるなんて!

 みんな大丈夫だよね、ちゃんとダンジョン出られてるよね!?


「外はもう夜だな」


 そんなに……。

 というかフィオって、その間ずっとわたしに付いててくれたってことよね?

 いくら餌にするって言っても、そんなことする?

 いや、したとしても、貴重な食べ物や水をくれたりするかなぁ?

 だってこれはフィオのものなはず。彼女は一人でここにいるんだから、食料だって一人分のはずだよね?

 餌にしてしまえば、後は用済みってのが悪党じゃない? それを分ける理由はないはずなんだ。


 やっぱり、悪い人じゃないのかも。

 影のせいで時空の狭間へ流される人がいる。だから、それを阻止したいって感じの話ぶりだったものね。

 でもまだわからないから、ちょっと慎重に……ってもうわたし、干し肉食べちゃってるけど!


「フィオはどうしてここに?」

「影がこちらへ抜けるのを見た。だから追ってきただけだ」


 待って待って、さらりと大変なこと言わないで!

 影がこちらへ抜けるのを見た!?

 じゃあフィオも、時空の狭間から来たって事じゃない!


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