第31話 楽しくない

「では、お疲れ様です」

 時刻は七時を過ぎていた。下校時刻だ。

 楓花が、部室の戸締りなどをして、部室を出る準備をする。

「あれ、そういえば羽籠は?」

「とっくに帰りましたよ。用事があるとかで」

「……全然気づかなかった」

「梓弓さん、すごい集中力でしたからね。鎖奈恵が帰る時、声かけたのに聞こえていないようでしたし」

「……そんなにか」

 部室に残ったのは珍しく楓花と春太だけであった。

 いつもなら、ここに羽籠がいたり香織が合流したりするのだが、もう遅い時間だ。

 下校時間は過ぎている。二人が学校にいるはずがない。

 来ることはないだろう。

「にしても、珍しく二人きりですね。梓弓さん」

「あぁ、そういえばそうだな」

「そういえば、どうなんです? 香織とのお付き合いの方は」

「どうって言われてもな……」

「質問が悪かったですね。香織はいい人ですし、梓弓さんが不快になることはきっとしないでしょう」

 楓花は、少し笑うようになった。少し冗談を言えるようになった。

 微かな変化かもしれないが、口角が緩むようになってきた気がする。

「でも、風見が香織って呼ぶのなんか意外だな」

「意外、ですか」

「うん。全員、苗字に『さん』を付けて呼ぶイメージがある」

「基本的にはそうですよ。ですが、香織は珍しかったです」

「珍しい?」

「はい。友達なんだから、名前で呼んでよと言われまして」

「香織なら言いかねないな」

「それに、鎖奈恵にだって、香織だけズルいと言われ名前で呼ぶようになりましたし」

「あれ? 羽籠のことも名前で呼んでたっけ」

「そうですよ。随分前からですが」

 なら、俺のことも名前で呼んでよ。

 その言葉は春太の口からは、発されることはなかった。

(俺……今何て言おうとしたんだ……?)

 楓花に名前で呼んでくれと、春太は言おうとした。

 自分でも分からない。どうして、風見楓花にそう言おうとしたんだ――。

「? どうしました、梓弓さん」

「いや。なんでもない……」

「そうですか。でも、最近の梓弓さん、ちょっと変ですよ」

「変……? 俺が?」

「はい。元気がないように見えます。特にここ最近は。香織のところに行っていいのに、部活の手伝いなんて率先的にやりますし」

「それは……部員だし」

「それに、具合悪そうです。いつも死んだ魚のような目をしています」

 春太は疲れていた。

 精神的、肉体的、全てが疲労している。

 授業も頭に入らないし、寝てもスッキリすることはない。

 常時、悪魔にうなされているような……そんな生活を繰り返していた。

「俺って、そんなに疲れて見えるのか……?」

「はい。まるで――」


「香織と付き合っているのが楽しくないみたいです」

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