神使が放った白羽の矢、立つ

 リョウは幼女に近づくと誰にともなく大声で問い掛けた。


「この娘の親はどなたですか。名乗り出てください」


 遠巻きに平伏していた民は顔を見合わせていたが、ほどなく集落のおさらしい老人が平伏したままおずおずと答えた。


「そこで菰筵を被せられております者がこの子の父でございます。残念ながらすでに息絶えております」

「おや変ですね。今回の争いでは命を落とした者はいないと聞いていましたが」

「争いで命を落としたのではありません。遠くでときの声が聞こえたので何事かと木に登ったところ、うっかり足を滑らせて枝から落ち、頭を打ってしまったのです」


 リョウは手を合わせて哀れな男の安らかなる冥福を祈った。


「それはお気の毒でした。では母親はどこにいるのですか」

「母はその子を産んですぐ亡くなりました。兄弟はおらず祖父母もおらず近しい親類もおりません」

「身寄りはないのですか。不憫な娘ですね」


 言葉とは裏腹にリョウは満足だった。希望通りの身の上だったからだ。


「それではこの娘は王宮で預かりましょう。異論はありませんね」

「えっ?!」


 鳩が豆鉄砲を食らってもこんな表情はしないだろうという顔をして大王おおきみは絶句した。「えっ」の次の言葉が出て来ない。ひょっとしたら聞き間違えたのではないかと疑ったほどだ。が、民の歓喜の声がこの疑念を打ち消した。


「おおっ! なんと慈悲深い宰相様であろうか」

「ヤマト国に生を受けたあたしは勝ち組ね」

「大王様、ばんざーい!」


 大王は慌ててリョウの元へ駆け寄った。近くにいた民は平伏したまま急いで後ずさりする。


「お、おい、リョウ殿、何を言い出すのだ」


 狼狽気味の大王に対しリョウはにっこりと笑って答えた。


「先ほどおっしゃったではありませんか。どのような女子が相応しいのか、と」

「ま、まさかこの娘を! こんな年端もいかぬ子を!」

「声を荒らげないでください。私たちの話を聞かれてしまいます」


 これまでの会話は集落の民には聞こえていない。平民が大王の声を直接聞くのは不敬な振る舞いであり、そのような行為に及んだ者は罰せられるからだ。故に声が届かぬよう自主的に距離を開けるのが平民の常識となっている。そのような民の心遣いに配慮しヒソヒソ声で会話をするのが大王の責務でもある。


「これはすまぬ。が、正気かリョウ殿。巫女という大役がそのような童女に務まるとは思えぬぞ。ましてや宰相としてわしを補佐するなどできようはずがない」

「それを判断するのは人ではなく神の御先みさきたる神使しんしです。さあ、お嬢ちゃん、頭を上げて。年はいくつですか。名は何というのですか」

「六才。名前はヒミだよ」

「それでは卑弥ヒミ、今日からあなたは集落を離れ私たちと共に暮らすことになります。よろしいですね」

「えー、そんなのヤダ。おじさんはいいけどあのおじさんは恐そうな顔してるもん」


 あのおじさんとは言うまでもなく大王である。子供に懐かれるような風貌ではないのでヒミが嫌うのも当然だ。


「それは困りましたね。けれども私たちの屋敷に来れば、そのように粗末な麻の衣ではなく美しい絹の衣で身を飾れます。お腹いっぱい米を食べることもできます」

「やっぱり行く!」


 豹変するのは君子だけでなく子供も同じである。リョウの手際の良さに感心しつつも大王はある危惧を抱かずにはいられなかった。この男、これほどまでに童女の扱いに手慣れているところを見ると、もしやそちらの趣味があるのではないか。快適な大陸での暮らしを捨てこのような辺鄙な土地にやって来たのは、その趣味が災いして追い出されたからではないのか、そんな低俗な考えを抱き始めた大王にリョウは冷ややかな眼差しを向けた。


「大王は何か考え違いをなさっておいでのようですね。幼女を愛でるような趣味は持ち合わせておりません。誤解なさらないでください」

「いや、これは失礼。しかしさすがはリョウ殿、我が頭の中は完全にお見通しであったか」


 別にリョウでなくとも大王の思考は簡単に見透かせる。思ったことがすぐ顔に出るのだ。


「いえ。わかっていただければよいのです。それではそろそろおいとまするといたしましょうか。みなさん、争いの後片付けは大変でしょう。後ほど王宮から手伝いの者を向かわせます。力を合わせて集落再建に取り組みましょう」

「おお、有難いお言葉、痛み入ります」

「さあ、皆の衆、気張って作業に取り掛かろうぞ」

「大王様、ばんざーい!」


 民の歓喜の声を聞きながら二人はヒミを連れて集落を後にした。柵の外で控えていた数名の警護の者が二人に続く。倭の道は整備されていない。伸び始めた雑草を踏みしめて進むのだ。リョウはヒミと手をつなぎ、たまにお喋りなどをしながら確かな足取りで歩いていく。このまま神の御社おやしろへ向かうつもりのようだ。


(まさか本気なのか。こんな童女を本当に御社へ招き入れるつもりなのか)


 大王の不満は収まっていない。神の御社は厳粛な空間である。粗暴な言葉遣いや振る舞いは一切禁じられている。しかも今の世では入手不可能な太古の貴重品が数多く残されている。そのような場所にまだ分別のつかぬ幼子を招き入れるなど正気の沙汰とは思えぬ。もしヒミが暴れて高価な宝物が壊されてしまったら先祖に顔向けできぬではないか。


(いかにリョウ殿といえど、このまま見過ごすわけにはいかぬ)


 道は木立の中に入った。民の声も集落の物音も全く聞こえなくなった。

 大王は足を止めた。

 待っていたかのようにリョウも立ち止まると即座に口を開いた。


「大王におかれましては益々ご心配が募られているご様子。それほどまでに私の振る舞いが気に入りませんか」

(やはりこちらの心の内を読まれていたか。それなら話がしやすい)


 大王は強面の顔をさらに恐くしてリョウに迫った。


「そうだ。気に入らぬ。その者は神の御社に入れるべきではない。巫女の素質があるとは到底思えぬ」

「神の御社へ入りさえすれば私の判断が正しいことがわかります」

「真偽が不明なまま神の御社へ入れるわけにはいかぬ」


 リョウは眉をひそめた。ここはどうあっても譲れないという大王の強い決意が見て取れた。


「そこまで言われるのなら仕方がありません。私の見立てが正しい証拠をお見せしましょう。皆さん、しばらく控えていてくれませんか」


 リョウは下がれの合図をした。警護の者たちは頷いて三人から遠ざかる。


「何をするつもりだ」

「これを使います」


 リョウが懐から取り出したのは首飾りだ。大王は目を見張った。梅の実ほどの大きさの金色の銅鏡、それを挟んで紺碧の管玉くだたまがいくつも連なり環をなしている。これほどまでに卓越した技巧が凝らされた装飾品を見るのは初めてだ。


「素晴らしい。この細工、とても人間業とは思えぬ。これは大陸のものか」

「はい。私がこの地へ参る時に持ち込んだ品のひとつです」

「それで、これをどのように使う」


 その問いには答えずリョウは天を指差した。知らぬ間に雲が広がり、先ほどまで見えていたわずかな青空すら隠されてしまった。


「大王は白羽の矢をご存じでしょう」

「知っておる。古くからある言い伝えだ」


 神が生贄を求める時、その対象となる少女の家に白羽の矢を放つ。それが白羽の矢の伝説だ。


「だがそのような矢を見た者はひとりもおらぬ。ただの迷信だ」

「生贄に関しては迷信かもしれません。実際私も見たことはないのですから」

「ならば何故そんなことを訊く。それに白羽の矢とその首飾りとどのような関係があると言うのだ」

「この首飾りは生贄ではなく巫女を求める神の声を反映させる神具です。この首飾りを通して吟味された少女が巫女たる資質を備えていれば、天は白羽の矢を放ってそれを人々に知らしめる、そのように言い伝えられております」


 大王は訝った。目の前に立つリョウはまるで別人のように思われた。これまで一度たりともこのような世迷言を吐いたことはなかった。常に冷静で現実的で理に適った物言いしかせぬ男、それがリョウだった。しかし今の彼は違う。己の夢物語を臆面もなく口にする姿は妄想に囚われたれ人のように見えた。


「リョウ殿、わしがそのような戯言を信じると思うのか」

「戯言ではありません。この首飾りは紛うことなき神具なのですから」

「そこまで申すのなら試してみよ」

「わかりました。その前にひとつお約束をお願いします。その場から決して動かないでください」

「心得た。一歩も動かず見守ろうぞ」


 大王から許諾の返事をもらったリョウはヒミの傍らに屈み込むと、口元に首飾りを近づけた。


卑弥ヒミ、おまえも大王と同じく動いてはいけないよ」

「うん」

「では、この銅鏡に向かって好きな言葉を喋ってごらん」

「好きな言葉? そんなのわかんないよ」

「自分の名と好きな食べ物なら言えるのではないかな」

「それなら言える」


 リョウはニッコリ笑うと銅鏡の背の部分をカチリと押した。


「さあ、この銅鏡に向かってありったけの大声を出してごらん」

「あたしはヒミ! 白いご飯が大好き!」


 ヒミの声は木立の中に響き渡った。やがてその残響が消えると、周囲には以前と同じ静けさが戻ってきた。

 葉を揺らす微風すらない。鳥のさえずりも聞こえない。誰もが息を潜めて何かが起きるのを待った。が、何も起きない。痺れを切らした大王がついに言い放った。


「リョウ殿、そなたの負けだ。その首飾りが本物か偽物かは関係ない。白羽の矢が来なかった以上、その童女を連れていくわけには……」

「しっ、お静かに」


 大王の言葉を遮ったリョウは空を仰いだ。大王も見上げる。曇天の中にキラリと光るものが見えた。


「まさか!」


 その言葉を言い終わる前に鋭い音をたてて何かが地上へ突き刺さった。大王は我が目を疑った。夢を見ているのではないかと思った。だが、それは紛れもなく現実だった。目の前の大地には純白の矢羽根に飾られた一本の矢が、大王を圧倒するかのように屹立していた。

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